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語用論から見ると、咲太の口説きの腕前はどれほどすごいのか(1)

協調の原理、ポライトネスの原理、会話的含意を手がかりに、『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』第2話で咲太が麻衣の不安をどう和らげているのかを読み解く。

著者: 篱落呼灯翻訳: 甚谁Bot[AI assisted] · 全文レビュー: 甚谁Bot[AI assisted] · 全文

『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』第2話の18分ごろ、列車の中でこんな会話が交わされる。

左に麻衣の後ろ姿、右に列車の窓に映った顔。中国語字幕は「私のこと、見える?」の意

画像内の中国語字幕の訳:「私のこと、見える?」

〈最初の七発話はアニプレックス公式短編の日本語テロップに基づく。台詞の掲載先。以下の再掲も同じ。〉

麻衣:「私のこと、見えてる?」

咲太:「見えてますよ」

麻衣:「声、聞こえてる?」

咲太:「ばっちりと」

麻衣:「私のこと、憶えてる?」

咲太:「桜島麻衣。神奈川県立峰ヶ原高校3年生。子役として芸能界デビューして、色々と大活躍。性格は歪んでいて素直じゃない」

麻衣:「どこがよ」

咲太:「不安なくせに、それを隠しているところ」

目を閉じてうつむく麻衣に、「師匠、ぜひ弟子にしてください」などの中国語コメントが重なる。下端の中国語字幕は「分かった」の意
画面を流れるコメント:「お師匠様、弟子の一礼をお受けください!」

画像内の中国語字幕の訳:「分かった」。主なコメントの訳:「口説き文句が止まらない」「師匠、すげえ!」「師匠、ぜひ弟子にしてください」。

さらに読めるコメントは「口説き文句だらけ」「先輩に見えないものが必要」「リアルすぎる」「師匠!」「お師匠様、弟子の一礼をお受けください」。赤字は、同じ褒め言葉を繰り返して「師匠、すげえ、すげえ、すげえ!」とはやし立てるもの。

ここで気づくのは、こんなことだ。

麻衣が「声、聞こえてる?」と尋ねたとき、咲太は「聞こえる」ではなく「ばっちりと」と答えている(中国語原記事では「はっきり聞こえる」の意で紹介されている)。「私のこと、憶えてる?」に至っては、質問に答える代わりに麻衣の経歴を語り出す。ところが語用論の観点から見ると、こうした返答のほうが、麻衣を安心させるうえでは効果的なのだ。

このアニメの中国語圏のコメント付き動画では、「師匠、弟子の一礼をお受けください!」という視聴者のコメントが画面を埋め尽くすことがよくある。たいていは咲太の言葉の巧みさに、視聴者が舌を巻いているからだ。そこで、語用論の基本的な考え方を使って、なぜある言葉は女の子の心をつかめるのに、別の言葉ではそうはいかないのかを説明してみたい。咲太の境地に達するには、どんな言葉の修行が必要なのかも考えてみよう。私も学び始めたばかりで、語用論にはまだ詳しくない。見落としも多いと思うので、コメントで指摘していただけるとありがたいです。

こちらに向かって指を差し出す桜島麻衣

中国語での紹介に即して言えば、咲太の返答のうち、「はっきり聞こえる」に当たる表現と、「桜島麻衣」から「素直じゃない」までの長いくだりは、どちらも「協調の原理」の「量の格率」に違反している。

「協調の原理」は、グライスが1967年に初めて提唱した。これは、言葉でやり取りするとき、双方とも、互いの言葉を理解し、協力し合いたいと望んでいる、という考え方だ。協調の原理には四つのカテゴリーがあり、それぞれに一つの格率と、いくつかの下位の規則がある。ここでは簡単に説明しておこう。

  1. 量の格率(Quantity Maxim):やり取りに必要な情報を、多すぎも少なすぎもしないように伝える。

  2. 質の格率(Quality Maxim):真実であり、十分な証拠で裏づけられる情報を伝える。

  3. 関係の格率(Relevant Maxim):伝える情報は、そのやり取りに関係のあるものにする。

  4. 様態の格率(Manner Maxim):分かりにくさや曖昧さを避け、簡潔に、順序立てて、明瞭に伝える。

グライスの理論は主に言語を対象としていたが、グリーン(1996)はこれをさらに非言語コミュニケーションへと広げた。こうした理論の展開とともに、グライスの理論や「協調の原理」がどこまで有効かをめぐる議論も続いてきたが、ここでは詳しく立ち入らない。

麻衣が尋ねているのは「声、聞こえてる?」なのだから、中国語で「はっきり聞こえる」と紹介される返答では、明らかに必要以上の情報を伝えている。これは量の格率に合わない。そのあとの「桜島麻衣」から始まる返答は、なおさら話がかみ合っていない。

しかし、麻衣が何のために尋ねたのかを考えれば、咲太がなぜこう答えたのかも分かる。

このときの麻衣は、自分の母親を含め、すべての人から忘れられてしまう危機に直面している。ほどなく、世界中の誰にも姿が見えなくなるかもしれない。彼女を強くとらえているのは恐怖であり、望んでいるのは「安心させてもらうこと」だ。しかし、プライドが邪魔してそうとは言えず、感情を押し殺した言い方でほのめかすしかない。

そもそも、相手の気持ちを考えれば、麻衣に「声、聞こえてる?」と聞かれて、咲太が「聞こえない」と答えることはありえない。通常の対人コミュニケーションには、リーチのいう「ポライトネスの原理」があるからだ。これには「合意の原則(Agreement Maxim)」や「共感の原則(Sympathy Maxim)」が含まれる。つまり話し手は、とりわけ相手が助けを必要として求めているときには、意見や感情の対立をできるだけ小さくしようとする。

麻衣は答えが分かっていて、それでも尋ねている。咲太から必ず肯定の答えが返ってくることを、あらかじめ見込んでいるのだ。この問いでは、事実を確かめるという実用的な働きよりも、肯定してもらうことで安心したいという対人的な働きのほうが大きい。

(ここでの「私のこと、憶えてる?」とは別に、もし麻衣が「私のこと、忘れちゃう?」と聞いたなら、咲太のお決まりの答えは「忘れない」になる。だが、これは「質の格率」に違反する。先ほどの説明に照らせば、咲太にはその答えを裏づける証拠がないからだ。では、その後の咲太はどうしたのか? この続きは次回をお楽しみに。)

咲太がただ型どおりに答えたのでは、麻衣がすでに予想できる答えを返すだけになる。それでは安心させる効果は小さく、適当にあしらっているようにも見える。咲太が協調の原理の「量の格率」に違反したのは、言葉の効果をもっと高めるためなのだ。

「協調の原理」のほかに、「会話的含意の理論」がある。話し手は格率の一つをあえて守らない。そのことに聞き手が気づき、それでも協力してくれると信じている。聞き手の側も、話し手がわざとだまそうとしているのではないと分かっている。

やり取りの中では、多くの情報が直接言葉にされず、間接的に伝えられる。語用論が注目するのは、こうした暗黙の情報、つまり語用論的な意味である。これは、言葉を文字どおりに受け取ったときの「意味」や文脈を離れた意味ではなく、その場で話し手などの参加者が伝えようとしていることを指す。

話し手がある言葉Pを発し、それによって別の内容Qを暗に伝えるとき、その条件は次のとおりである。

  • (a)聞き手は、話し手が少なくとも協調の原理は守っていると考えている。

  • (b)話し手の発話Pが条件(a)と両立するには、聞き手は、話し手がQを信じていると考える必要がある。

  • (c)話し手も、聞き手が条件(b)を直感的に理解するか、推論によって導き出すことを期待している。

咲太は「必要以上の情報」を与えることで、麻衣の存在を確かに認識していることを、いくつもの証拠で彼女に示している。ただ肯定の答えを返して済ませるよりも、ずっと麻衣を安心させられるのだ。

会話の後半では、咲太は麻衣のプライドを十分に気遣いながら、心配していることも伝えている。後半のやり取りをもう一度見てみよう。

「桜島麻衣。神奈川県立峰ヶ原高校3年生。子役として芸能界デビューして、色々と大活躍。性格は歪んでいて素直じゃない」

「どこがよ」

「不安なくせに、それを隠しているところ」

〈中国語原記事では、最後の二つの発話は「どこがひねくれてるの?」「不安なくせに、隠そうとする」の意で紹介されている。以下は、この中国語でのやり取りを踏まえた解釈。〉

ここでは、次のことが分かる。

  1. 麻衣の「どこがよ」は、疑問の形を借りて否定、つまり抗議をしているのであって、答えを求めているのではない。

  2. 仮に麻衣が「どこがよ」と口を挟まなくても、咲太の話はそのままつながる。アニメの映像を見ても、彼の思考は確かにひと続きであり、わざわざ麻衣に答えようとしているわけではない。

  3. 中国語で紹介されたやり取りでは、咲太は「どこがひねくれてるの?」に正面から答えてはいない。「ひねくれている」とはどういうことかをすべて説明するのではなく、問いを足がかりに、もともとの話を続けているだけだ。

この二人の会話は、中国の話芸・相声(シャンション)で相手の語りを受ける役、捧哏(ポンケン)の会話の進め方によく似ている。捧哏は、自分の発話の番、つまりターンを一文だけで終え、疑問詞を多用するのが特徴だ。「どこがよ」も、まさにそれである。

普通の会話と違って、相声では、捧哏が問いかけて相手が答えるという順番でも、実際に会話を主導するのは、答える側であることが多い。

前後の流れを見ると、麻衣の言葉は、本人にそのつもりはなくても、結果として「咲太に話を振る」のに近い働きをしている。咲太はそれを受けることで、彼女の問いに答えると同時に、自分がもともと言おうとしていたことへと話をつないでいるのだ。

麻衣の内面には矛盾がある。気持ちのうえでは、咲太に、隠している恐怖を見抜いて言葉にしてほしい。だが、その性格ゆえに自分からは切り出せず、弱みも見せられない。咲太にとって最善なのは、そこへ唐突に踏み込むことではなく、会話の流れに沿って踏み込むことだ。彼の言葉の巧さはここにある。咲太がしているのは、疑問を解くことではなく、「君が不安なのは、ちゃんと分かっている」という姿勢を示すことなのだ。

まとめると、この短いやり取りの中で、咲太は次のことを成し遂げている。

  1. 麻衣の気持ちを十分にくみ取り、プライドを傷つけないようにする。

  2. 彼女が押し隠している恐怖を和らげる。

  3. 自分が彼女を気にかけ、心配していることを伝える。

だから、このやり取りのあとはもう手をつないでいるわけだ。

列車の座席で重なる咲太と麻衣の手のアップ。上には師匠に弟子入りの礼をする中国語コメント、下には「手を握っていいなんて言ってない」の意の中国語字幕
手つなぎの現場

画像内の中国語字幕の訳:「手を握っていいなんて言ってない」。上のコメントの訳:「お師匠様、弟子の一礼をお受けください!」

ほかに読めるコメントは「正当な理由」「師匠、目を覚まして」「妄想」。

最後に、語用論が実生活の役に立つかどうかについても、意見は分かれる。でも、本当に役に立つなら、どうして私はいまだに彼女がいないんだ?

本文終わり

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