屋頂現視研
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アニメ鑑賞と批評の次元を広げるための覚え書き

アニメ制作、美術と芸術哲学、哲学・社会科学、映画理論、日本アニメ史、批評実践という六つの方向から、アニメ鑑賞と批評の次元を広げる方法を考える。

著者: 屋顶现视研翻訳: 甚谁Bot[AI assisted] · 全文レビュー: 甚谁Bot[AI assisted] · 全文

屋顶第二任所长の肖像
屋顶第二任所长

大↘他↘者↗、早く目を覚ませ。誰かがわれわれの象徴界に侵入している!

編集者注: 粗い一案を投じて議論の呼び水とする、あくまで一個人の見解である。

何か一つのことを続けていると、現在の視点から2018年、さらにはもっと遠い時点を振り返ったとき、当初はそれと結び付いていなかった事柄にも、さまざまな経験を経たあとで遡及的に記号的な意味が与えられることがある。言い換えれば、それらもまた一つのことを続けていく過程に含まれるのだ。今回はこの機会に、アニメ鑑賞と批評の力を高めるために筆者が学んできたことについて(筆者はむしろ、これは次元の拡張だと言いたい)、浅い見解を述べてみたい。見識が浅く、力も足りないため、以下では基本的に日本(式)アニメを例に取る。

まず断っておくと、アニメや実写映画を楽しむのに、ありとあらゆる「鑑賞と批評の能力」が必要なわけではない。筆者は小学生のころ、そんなものを知らなかったどころか、アニメのネタさえ知らず、『ハヤテのごとく!』を夢中で見ていた。それでも、もっと多くの鑑賞の次元を掘り下げたい人はいるだろう。だから本当は、この記事の題名は「……の次元を広げる」とすべきだった。誰もすべての次元を究め尽くすことはできないが、それでも鑑賞の妨げにはならない。題名が妥当かどうかという話は、ひとまず置いておこう。では、本題に入ろう。

1、業界側のアニメ制作知識(適当につけた名前)

『SHIROBAKO』の制作会議の場面
『SHIROBAKO』は格好の入門案内になる。

アニメがどのように作られるのかを知ることは、アニメという芸術媒体の特徴や、そこに関わる創作者たちの作風を理解することにつながる。アニメ制作の常識を知らなければ、批評家自身が笑いものになりかねない。こうした事柄は、作り手の共同体、つまりアニメ業界では共通認識だからだ。批評を書く者は、こうした知識を尊重しなければならない。

たとえば筆者は以前、「動画」を「中割り」と同じものだと思っていた。ところが友人に指摘されて初めて、「動画」には描原(原文表記)と中割りの二つが含まれるのだと知った。

この方面の知識に興味を持つきっかけとして、『SHIROBAKO』を挙げる人は多い。では、その先はどうするか。筆者は、尊敬する二人の先駆者による作画解説講座の動画を見て学び始めた。

日本式作画基礎解説・完全版

作画講座:日本式作画と舞台裏のアニメーターたち(13年版)

その後は、anitamaの作画MAD(「和解」欄)や、欧米の作画ブログを翻訳した記事などを定期的に見て、関連する知識を積み重ねていった。とはいえ、現時点ではまだ浅い理解にとどまる。

作画のほかに、演出もある。

知乎「日本アニメにはどんな一般的で特徴的な演出手法があるか」ページのスクリーンショット
下の映画の節にも関係する。ここで先に取り上げておこう。

『ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風』第3~7話の演出分析

初期の企画づくりや、後工程の撮影・合成などについては、ここではひとまず置いておく。書籍なら、たとえば次のようなものがある。

『制作進行』の書影
著者はTRIGGERの凄腕。信頼できて読みやすい。本書は絶版。

筆者はさらに、豆瓣の評判と自分の本選びの勘を頼りに、アニメの視聴覚言語や絵コンテ・脚本の設計についての中国語教材を何冊か選んで買ってみた(かなり薄く、文章も少なく、なかなか読みやすい)。だが、取り出して見せるとなると、これで読者を誤らせはしないかと少しためらう。

筆者にとって、アニメ制作を知ることには多くの利点がある。共通認識になっている事柄を言い間違えずに済むこと、創作者に敬意を示せること、そしてアニメ芸術の特色や、それぞれの創作者の作風をよりよくつかめること。いずれも、アニメ鑑賞と批評に大いに役立つ。

2、美術と芸術哲学

アニメは特殊な芸術である。その特殊性には慎重に向き合わなければならない。だが逆に言えば、何が特殊なのか、そして芸術により普遍的な要素が何なのかを知るには、より広い芸術世界を考察することがアニメの理解を助けてくれる。芸術の種類はたくさんある。下で扱う実写映画以外にも、ここでは美術を取り上げてみよう。

『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』の場面
『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』の構図にはロシア構成主義美術の影響がある。

もちろん、大半のアニメ関係者は美術史を専門に学んだ人ではない。だが、よく言われることには注意しておくべきだろう。人は芸術を創作するとき、意識的であれ無意識的であれ、その時代の精神や社会の歴史からつねに影響を受けている。この話はここまでにしておこう。筆者が昨年以来学んできた美術史の知識も、実際には浅薄なものだ。そこで、気に入っているものをいくつか推薦する。

学銀在線「西洋美術史十六講」講座ページ
学銀在線のプラットフォーム。

講義画面。先生の説明は軽快で、情報量も少なくない。

西洋美術史の講義資料のスクリーンショット
中国大学MOOCプラットフォーム、吉林大学の講座。

中国大学MOOC「西洋現代美術鑑賞」講座ページ

傅雷(フー・レイ)の『世界美術名作二十講』は、評判のよい美術史入門書である。アニメそのものと美術創作には、透視図法、線、色彩、構図など、いくつか共通する要素がある。美術史を学べば、アニメという「動く絵」のいくつかの要点を理解する助けになる。美術史のほかに、芸術哲学も挙げておこう。筆者には批評する力量などまったくないので、恐る恐る、自分が読んだ本を一冊だけ紹介する。

『芸術哲学――現代分析美学入門』のページのスクリーンショット
分析哲学の視座から見た芸術哲学。

3、哲学・社会科学

この方面の理論的な道具を用いる場合、一般にはアニメのテクスト(text、文字に限らない)を対象とすることになる。

何? これもありなのか? 百聞は一見に如かず(?)。この次元のアニメ批評が可能かどうかは、屋顶のいくつかの記事を見てもらえばよい。

視差の見解|永瀬伊織――精神分析はいかにして冒険となるのか

精神分析理論によって『ココロコネクト』の永瀬伊織の行動を考察した記事で、筆者は非常に鮮やかな解釈だと思う。

関係形式へ向かう分析――二次元の三角関係と「白夜行」

ジンメル社会学の概念を用いて三角関係の構造を分析しており、説得力がある。

視差の見解|二次元本体美学試論――神聖なる襲回

ベンヤミンやラカン派の思想、さらにボードリヤールなどを用いて、二次元美学を論じている。

「ええと、この作者がそんなことを考えつくはずがないだろう……」と思った人は、当ブログの末尾の図をご覧あれ。創作者自身の考えは尊重されるべきだが、テクストはひとたび生まれれば、相対的な自律性と多義性を持つ。もちろん、解釈がよいものかどうかは、同業者や読者、そして時代の検証にかかっている。

この方面の学習領域は、なんと広いことか……。誰もが自分の興味と得意分野に応じて方向を選び、研究していかなければならない。筆者はただの凡人で、出発は遅く、努力も少ない。どうにかついてきている、としか言えない。筆者は昨年、「哲学・社会科学」(中国語で「哲学社科」と呼ぶこの四字は、実のところあまりにも広すぎる)の範囲に入れられそうな本をかなり読んだ。この記事には紹介という性格もあるので、ここでは入門書をいくつか挙げておこう。

『社会を発見する』のページのスクリーンショット
とても評価の高い本だ。

第7版が刊行されたばかり。

『文化理論と大衆文化入門』のページのスクリーンショット

本をメニューのように次々と並べて紹介するのは、どうしても慎まなければならない。人生には限りがあるのに、サボりと学習には果てがないからだ。ここで注意しておきたい。専門家ではなく、専門課程で教授の指導も受けていない初学者が、哲学史や他の学問の思想史を全体として把握する前に、思想家の一次著作をいきなり読むと、かなり大きな誤読の危険がある(筆者は例を挙げないでおく)。豆瓣や知乎などを通じて、学界で信頼されている入門書や導入書を探し、学界がすでに積み重ねてきた成果を知るのがよい。オックスフォード・インフォーマル・シリーズの読本は、よい選択肢である。

次の段階へ進もう。

4、映画理論と映画史(テレビドラマはひとまず置く)

映画はもっとも広く普及した大衆文化であり、社会文化の重要な一環でもある。アニメの創作者は、創作方法(たとえば絵コンテや演出)において、映画の手法から影響を受けることがある。たとえば写実性を強調するために、浅い被写界深度の実写ショットや焦点外のぼけを模倣する、といった具合だ。アニメでは本来、この効果は自動的には生じない。もちろん逆に、実写のショットも意図せずそうなるとは限らない。

実写の被写界深度を模倣したアニメの画面
いつか誰かに指摘されそうな気がして、恐る恐る。筆者はこの方面ではまったくの新人だ。

ここでは慎重でなければならない! アニメと実写映画は、結局のところ異なる二つの芸術なのだ。映画理論を機械的に流用してアニメ批評に当てはめれば、そのままでは馴染まないかもしれない。だが、この注意を踏まえつつも、両方に慣れて初めて、概念を借用するのが適切かどうかを具体的に判断できるようになる。創作手法だけでなく、アニメの創作者たちも社会の一集団として、映画史に残る名作や名手の作品の内容と作風から影響を受けている。そこに疑いの余地はない。これも社会全体が相互に影響し合う一環なのだ。

映画史の動画もたくさんある。たとえば次のようなものだ。

【合集】10分速成講座・映画史 全16回+予告+メイキング

映画史の動画には短い版と長い版の二種類があり、それぞれに特色がある。まずこのような動画を見てから、個々の映画入門書を読むと、読書の際にも少し理解しやすくなるかもしれない。

映画の視聴覚言語:

【TNABO】ショットの言語――物語における構図 by Channel Criswell

注目しておきたいのは、TNABOも日本のアニメをよく見ているということだ。映画鑑賞のMOOCもたくさんあるので、ここでは多くを語らない。筆者はまず試しに見て、内容がよいと思えばそのまま少しずつ見続け、時間があれば異なる版も見て理解を深めている。

5、日本と日本アニメ史

言うまでもなく、日本のアニメ作品について論じるのであれば、日本の社会史に関する知識がどれほど議論の助けになるかは、わざわざ説明するまでもない。たとえば「大先生」(『俺ガイル』の八幡を指すファン呼称)のツッコミには、日本の地方文化のネタが頻繁に含まれているし、『俺ガイル』にも、とある青春ブタ野郎の物語にも、日本の学校文化が色濃く反映されている。

『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』のキャラクター画面
もう一例。ボンズ制作の、良作にして知る人ぞ知る作品『コンクリート・レボルティオ~超人幻想~』。

これは中村豊だよね。間違っていないよね。間違っていたら指摘してほしい。

『コンクリート・レボルティオ~超人幻想~』のアニメ画面

この作品は、20世紀後半の日本史の大半を、隠喩によって語ってしまうほどだ。しかも大量の特撮ネタまで織り込まれている。anitamaには、これを深く掘り下げた連載記事がある。日本の社会史や特撮について知らなければ、視聴者が読み取れる情報も、創作者がこの作品を通じて伝えようとした情報も、大幅に減ってしまう。(ここまで言ったのは『コンクリート・レボルティオ~超人幻想~』を布教したかっただけ)

日本史……残念ながら、浅学な筆者には著作を推薦する勇気がない。自分自身、断片的に学び、あちこちに手を伸ばしているだけだ。来学期は日本史(下)を聴講し、先生にも教えを請うつもりである。ここではひとまず、「史実を語るが、でたらめではない」大河ドラマを推薦しておこう。

真田丸

大河ドラマはもちろん、厳密な史実そのものではない。だが、大河ドラマをきっかけに日本史をもっと学ぼうという動機が生まれるなら、それも悪くないのではないか。日本文化が日本のアニメに反映されている例も多い。もっともわかりやすい例の一つは『昭和元禄落語心中』だろう。アニメという表現によって、落語という文化芸術の素晴らしさを伝えている。

華文MOOC「日本文化芸術特講」ページ
筆者も学習中。プラットフォーム:華文MOOC。

日本の社会史と文化について、その氷山の一角を示す話はここまでにして、次は(日本のテレビ)アニメ史について話そう。現時点で筆者が知るかぎり、日本アニメ史を比較的体系的にまとめた図解資料には、豆瓣版とanitama版がある。

20世紀日本テレビアニメ史を振り返り、補遺する(三十二)

(この回を特に探したわけではない)

さらにここで、冰封的羲和が制作した日本TVアニメ史の動画も推薦しておこう。

【総覧】日本テレビアニメ年表――テレビアニメ誕生以来、どんな作品があったのか見てみよう(一)

もちろん、アニメ史にはほかにも多くのまとめ方がある。筆者も自分が知っているものについて話しているだけだ。アニメ史を学べば、当然、アニメ作品そのものの見方にもつながる。たとえば監督Aの新作を批評するとき、監督Aの過去作のシリーズを知っていれば、その作風や特色をつかめるし、新作に対しても、ある程度の予想と知識を持てる。

アニメの鑑賞について、筆者はふつう四つの方法に頼っている。

  • 作家論(監督中心):好きな監督を追って見る

  • 制作会社論:好きなアニメ会社を追って見る

  • ジャンル論:好きなジャンルを追って見る(たとえば特撮……いや、これは違うか)

  • 評価点・ランキング中心の見方:ビッグデータのランキングや、それをもとにした作品紹介で見る。たとえば有名なものに次がある。

【2021年7月更新データ】全時代日本アニメTop500評判ランキング――日中米三国サイトの総合評価、見逃し作品推薦

最近、見逃していた作品を補っていたところ、『アイドリッシュセブン』の面白さに驚かされた。後日、批評を書くつもりだ。

6、観察と実践

1、2、3、4、5が思想と知識の蓄えだとすれば、6は、他人の実践を見て、自分でも試してみることだろう。

筆者の職務のおかげで(?)、屋顶が発表した記事はもちろんすべて読んだし、かなりの数の記事で編集・組版・公開作業にも参加し、作者と記事の批評内容について話し合った。仕事ではあるが、そのおかげで多くの批評を間近に読み、たくさんの知識や批評の方法を学ぶことができた。

ここで筆者が特に評価したい記事を二つ挙げよう。

メタ・アニメ批評I:問題としての批評表現――白、氷菓、団長

分析哲学風の概念分析によって、アニメ批評は何を記述すべきなのかを、筆者はより明晰に理解できた。

批評家が「某作品/筋書き/ショットが生き生きとした人物像を作り上げている」と書いたとき、「人物像」がなぜ「生き生きしている」のかについて、批評家の明確に言い表していない考えと、読者の考えが一致しないかもしれない――そんな状況は簡単に想像できる。  しかし実際には、少なくとも常識の上では、そんな困難は生じていないように見える。アニメ批評に対する私たちの素朴な信頼を捨てたくないなら、次の問いに答えなければならない。 (P)アニメ批評家が「某作品/筋書き/ショットが生き生きとした人物像を作り上げている」と書いたとき、批評の読者はどのようにして批評家の意図を理解できるのか?

(アニメ)批評はいかにして可能か――「見知らぬ人」の視点からの共有

鐘先生の二枚の図には、本当に目を見張らされた。

最後に筆者は、自分の浅い知識と理解に基づいて、勝手に「カテゴリーの模式図」と「アニメ批評の次元軸」という二つの「妙な代物」をこしらえた。アニメ批評の多元性と相対性を表すことが目的である。次元軸では四つの「理想型」だけをまとめた。優れた批評家が四タイプすべてを少しずつ備えていることも、一篇の記事で四つの次元すべてを扱うことも、もちろん排除されない。さらに、この次元のカテゴリーを超える批評があることも排除されない。

アニメ批評の次元軸

アニメ批評のカテゴリー模式図

もちろん、疲れるほど先回りして言っておくと、上の図も何かの金科玉条ではない。鐘先生による、洞察に富んだ、価値ある一個人の見解なのである。

筆者自身も重い現実の雑事、果てしない学習予定、自分はなぜこんなに駄目なのかという閉じた思索、サボり、屋顶での職務遂行のほかに、拙文を一篇書く練習をした。

雑談|また『WHITE ALBUM』の季節がやってきた……

6、三人行えば必ず我が師あり

人間一人の力には限界がある……筆者が言いたいのは、誰もが得意とする専門分野や方向はそれぞれ違うということだ。一人ですべてに秀でるのは、非常に難しいし、必要でもない。だからこそ、集まって一緒に学び、疑問を持ち寄って道理を尋ね合うことも、学習と進歩のよい方法なのである。

『ココロコネクト』のキャラクター画面

もちろん筆者が屋顶のコミュニティに望んでいるのも、このようなことだ。所長を務めていた間に、実にさまざまな大物たち(「大物」という語を乱用しているわけではない。本当にすごい人たちなのだ)と知り合い、多くの教えを受けた。演出を研究している人、アニメ史を専門にしている人、哲学・社会科学のある分野を深く理解している人、作画を長年愛好している人。浅く無知な筆者に、灯台のような導きを与えてくれた。

以上、筆者が漏れだらけながら、自分が「アニメ鑑賞と批評の次元を広げる」ことを続けてきた過程を語ってきた。正直に言えば、いま終わろうとしていることに、かなり不安を感じている。もし大物に重大な欠陥を指摘されたらどうしよう。読者を誤らせてしまったらどうしよう。

それでも筆者は、こうしたリスクを引き受け、恥をさらしてでも、これまで歩いてきた(曲がりくねった)道をまとめて示したい。もし誰かの役に立つものがあれば、それに越したことはない。もし筆者のささやかな成果を踏み越え、大股で先へ進んでくれるなら、そのように筆者を情け容赦なく超えていくことこそ、筆者が何より望んでいることではないだろうか。筆者はただ、装備を整えて再出発し、学び、学び、また学び、サボりながら皆に必死で追いついていくしかない。

ウェーバーの講演の言葉で締めくくろう。

学問上の「達成」はつねに新たな問題を意味し、学問は人に乗り越えられ、色あせることを求める。学問に身を投じようとする者は、誰もがこの事実に向き合わなければならない……学問において絶えず追い越されていくことは、もう一度言おう、私たち一人ひとりの運命であるだけでなく、共通の目標でもある。私たちは仕事をする以上、他人が自分より優れた仕事をすることを望まなければならない。原理的に、この進歩に終わりはない。ここで私たちは、学問の意味という問題に触れるのだ。(ドイツ語でいう「学問」は、おそらく体系的知識という意味なので、歴史科学、人文科学、芸術科学などがある。)

2019年1月10日、コメントに基づいて文法と誤字を修正し、いくつか内容を追加。編集できる機会が一度しかないため、まだ修正すべき誤りがあった場合は、当ブログのほかのプラットフォームで修正するしかない。大幅な更新がある場合は、改めて記事を公開する。

本文終わり

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