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「バイタルサイン維持茶話会」への改名について

「ネット哲学隣人部」から「バイタルサイン維持茶話会」への改名にあたっての説明。知の生産の軸足をアカデミズムの言説から移し、庶民の日常生活やケア、具体的に何が必要かに目を向けていきます。

著者: 生命体征维持茶话会翻訳: 甚谁Bot[AI assisted] · 全文レビュー: 甚谁Bot[AI assisted] · 全文

私たちと交流のあるアカウントをフォローしている方のなかには、すでにお気づきの方もいるでしょう。もとの「ネット哲学隣人部」(网哲邻人部)が「バイタルサイン維持茶話会」(生命体征维持茶话会)に改名しました。いったいどうしたの? と戸惑っているかもしれません。

手短に言えば、コミュニティとしてどんな「知識」に重きを置くかが変わったということです。学界でいう哲学・社会科学から、先生方が集う学界の外で営まれる庶民の日常生活(そこでの必要/不満/抵抗)へと。

これだけでは腑に落ちないという方も多いでしょう。ひとまず、よく知られたこの言葉から始めましょう——「具体的な人を愛する」。

この言葉を見ると、まるでヒステリーを起こしたかのように、条件反射で飛び上がって非難する人たちがいます。「ポスト・イデオロギー的な生政治による統治」だ、「構造的抑圧の無視」だ、「現状維持のための、ささやかだけれど確かな幸せ」だ、と。そしてこの言葉を、いわゆる抽象理論の側にある普遍的な解放と対立させるのです。

まったく、妙な話です!

なぜ普遍的な解放が「具体的な人を愛する」ことと対立しなければならないのでしょう? 保守のお堅い連中がこの言葉を使って、自分たちが抑圧している事実を覆い隠すのなら、それを暴いて批判すればいい(たとえば、温かい情愛に満ちた結婚や家族の神話と、その裏にあるジェンダーによる抑圧と搾取——そんな例はいくらでもあります)。この言葉そのものに、何の罪があるのでしょう?

やるべきなのは、この言葉を奪い返して使い、さらに押し進めることではないでしょうか。ジジェクがキリスト教の教えである「隣人愛」を読み解くときにしたように——あなたの隣人がユダヤ人でも、ムスリムでも、日本人、韓国人、ベトナム人、アフリカ人、性的マイノリティであっても……それでもあなたは「隣人を自分のように愛する=具体的な人を愛する」ことができますか?(つまり、抽象的な「人種/ナショナリズム/性差別」の幻想を勇気をもって取り払い、ひとりの具体的な人が敬愛に値するかどうかに向き合えるか、ということです。そこには、自らを省みるという過程も含まれています。)

ある言葉や言い回しがかつて利用された、汚されたという心配だけで、叩き潰そうとするのなら、「癒やし」や「慰め」さえ、いわゆる「普遍的な進歩‐解放」と対立させられてしまいます。それでは、その進歩や解放にいったい何が残るのでしょう。「世界のなかで」「花開く」「事物そのもの」(迫真)ですか?

学術概念をわざと「隠語」や「奇妙な言葉」にしてコラージュする。あるいは、何やら記号のゲリラ戦だとか。そうしたことも、ある時期の一部の小さな界隈では意味があったのかもしれません。けれど、学界の外にいる数十億の庶民を前にして、なおもそんなお遊びにこだわるなら、それは権威を脱構築しているように見えて、実際には男性中心主義のねじれた表れ(正面からは表現できないからこそ)であり、文化エリートの得意顔にすぎません——「(こちらの言うことが分からないから)勝った!」。

さて、「具体的な人を愛する」ことを肯定するのなら、具体的にどんなことに関心を向けるべきなのか、話しましょう——

冬にはリップクリームを塗り、夏には日焼けを防ぐ必要がある。ひどいニキビに悩んで、自分に自信を持てない人がいる。自分からマフラーやブレスレットの編み方を覚える(出来合いの商品を買うのではなく!)。自分で料理を作れるようになる(デリバリーではなく)。蛇口を直せるようになって、親戚や友人の家の修理も手伝う。窓辺で小さな鉢植えの植物を育てる。道端の猫を一匹、家に連れ帰る。心に傷を負った友人に電話をかけて慰める。ちいかわのぬいぐるみをもらう。仕事で気が滅入ったら、アイドルの曲を聴く……。

こうした庶民の日常生活から聞こえてくる声や気がかりは(もちろん、これだけではありません……)、「事物そのもの」でも、「分子状の女性への生成変化」でも、「抽象的で強度に満ちた非人間的な肉体」でもありません。そういうアカデミズムのたわごとではないのです。もっと道理にかなった思考の力が、暮らしのなかのこうした切実な求めに目を向けないのなら(それどころか、ダブルスタンダードでその求めに汚名を着せる!?)、何がそこへ押し寄せてくるでしょう?——高学歴の占星術!

日常生活のなかの「暗黙知」は、これまで重んじられず、それどころか「ラディカルな知的生活」の対極にある俗悪なものとして扱われてきました。まったく奇妙なことです。マルクスが、「批判的批判」「純粋な批判」ばかり口にする青年ヘーゲル派と決定的に袂を分かったのは、いつだったでしょう?——小さな新聞の編集者として、「物質的利害の難題」に目を向けたときです。森林の木の盗難や土地所有の分割です(ここには現代にも通じる問題があります。たとえば農村の女性、とりわけよその村に嫁いだ女性が土地を失う問題です)。

ところが現代の「ドイツ・イデオロギー」の先生方は、すでにマルクスを死んだ犬扱いして嘲笑し、西洋の大先生たちの原典の細かな言い回しに深遠な意味を読み込み、それを飯の種にして組織の安定したポストに安住しているようです。

日常生活の気がかりや必要に目を向けることは、知的な思索を追求しないという意味ではありません(まして、構造や制度を全体として問い直すことをないがしろにするわけではありません)。フェミニズムの立場に立つ社会学も、マルクス主義政治経済学も、大いに研究し、議論する価値があります(私たちも引き続き取り組んでいきます)。ひとりひとりが、ある思想家に興味を持って研究に打ち込むのも、まったく自由です——それを、虎の威を借りて知識人の大御所を気取り、威張るための道具にさえしなければ。

庶民は声を上げられるか? もちろんできる。「庶民の勝利!」

こうした考え方は、これまでの多くの翻訳記事でもすでに示されています。欧米の年配の白人男性を学問や思想の中心に据える見方を批判するポストコロニアルの思想家から、フェミニズムの第二波(制度に注目)と第三波(私的なものに注目)のあいだの矛盾を問い直すフェミニズム映画理論家まで。ここまで読んで、この記事の考え方をさらに裏づける議論を知りたいと思った方は、過去の記事をご覧ください。

今後は、さまざまな長さや形式のコンテンツを制作していくほか(小红书/抖音/微博にも私たちのアカウントがあります。プラットフォームの制約に合わせ、抜粋を画像と文章で投稿します)、お祭りのようなコミュニティの限定企画も行っていきます。「お絵描き当てっこ茶話会」(你画我猜茶话绘)や、「手作り作品を見せ合って褒め合うグループ」(手工作品展览夸夸群)など……。お楽しみに!

本文終わり

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