
世界のない時代に、意味のない愛を広める。
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編者まえがき: 著者が二つの質問にそれぞれ寄せた回答を、一篇の記事にまとめました。ただし、二つの回答はひと続きの話ではありませんので、ご注意を!
回答:一部の日本人はなぜ昭和を懐かしむのか?
日本では、「昭和ノスタルジー」は一部の愛好者だけの趣味ではなく、大衆的な文化現象だ。その始まりは、一般に『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年)とされている(もちろん、それ以前にも昭和が好きな人はいたが、あくまで一部の人の好みで、大衆的な広がりはなかった)。安倍晋三もこの映画が大好きで、自分の本でもわざわざ取り上げている。それだけではない。他国の首脳が訪日する際にも、来日前にこの映画を観ておくよう求めることがあった。来てから一緒に語り合えるように、というわけだ。

宇野常寛は『ゼロ年代の想像力』の「昭和ノスタルジアとレイプ・ファンタジー」の章で、この文化現象を見事に分析している。昭和をよみがえらせる映画『ALWAYS 三丁目の夕日』のメッセージは、はっきりしている。昭和は貧しくても心は豊かな時代だった、ということだ。これに心を動かされた日本人は少なくない。それは、映画のなかの昭和が、次のような時代として映るからだ。
- 誰もが承認を得られる。冷淡な現代社会とは違い、人情に厚い社会なのだ。
- 時代が努力することの意味を保証してくれる。努力さえすれば、未来はよくなる。
これは明らかに、現代日本の社会問題に対する「想像的解決」である。宇野は、昭和30年代の社会を不自由だが温かいものとして、ゼロ年代の社会を冷淡だが自由なものとして対比している。両者は正反対なのだ。
しかし、宇野が正しく指摘するように、『ALWAYS 三丁目の夕日』が描く昭和は、当時の社会のさまざまな負の側面を覆い隠してつくり上げた、冷たいユートピアにすぎない。こうした映画は、観客を思考停止へと誘う。実のところ、セカイ系の作品と同じ手を使っているのだ。いわゆる昭和ノスタルジーは、実はゼロ年代の想像力の産物なのである。昭和がどれほどよかったかは、昭和そのものとはあまり関係がない。むしろ、どれだけ都合のいい妄想を膨らませられるかのほうが、よほど関係している。
回答:日本人は金庸の作品をどう見ているのか?
金庸(きんよう)の本が日本で最初に出たのは、徳間書店からだった(1996年)。『書剣恩仇録』の売れ行きがとてもよく、初版はすぐに売り切れた。これで徳間書店もひと安心し、その後、金庸の武侠小説をすべて刊行した。こうした例は非常に珍しい。私の知るかぎり、近代以降、中国の作家の全集が日本で翻訳された例は、『魯迅全集』と『老舎全集』しかない。
当初、多くの日本人は金庸を「中国の吉川英治」と見ていた。吉川英治は、剣客の描写を得意とする日本の国民的作家である。金庸の翻訳者が2002年のNHK中国語講座で『射鵰英雄伝』を教材に選んだことで、作品はさらに広まった。
この質問へのほかの回答でも多くの人がすでに触れているように、金庸は日本のサブカルチャーに一定の影響を与えている。あるガンダム作品や、虚淵玄のいくつかの作品には、それがとりわけはっきり表れているし、『悪の花』にも金庸へのオマージュとしてのパロディー場面がある。ソニーはかつて、日本語版のゲーム『射鵰英雄傳』を発売した(今ではオンラインゲームも出ている)。香港と日本が共同制作したアニメ『神鵰侠侶コンドルヒーロー』も、日本で放送された。
また、日本の金庸ファンは多くのファングループをつくっており、有名なものには「金迷関東幇会」「金迷関西幇会」がある。香港好きでも知られる日本の有名作家、馳星周も金庸を絶賛している。ただ、私が読んだ古龍の『多情剣客無情剣』に寄せられた馳星周のまえがきからすると、どちらかといえば古龍のほうが好きなのだろう。
私は、日本の豆瓣ともいえる読書記録・感想サイト、読書メーターで、金庸作品についての日本人の感想をたくさん読んだ。面白いのは、金庸の作品をラノベとして読んでいる日本人が多いことだ。たとえば、オオトリちゃんという人が『射ちょう英雄伝 1』に寄せたこの感想。
映画やドラマは観ていたが、原作小説を読む機会になかなか恵まれなかった。中国で絶大な人気を誇るラノベ…武侠小説の名手 金庸先生。これは面白いぜ!一気呵成、寸暇を惜しんで読了だ。舞台は中国史上最も争乱に満ちた宋~元の時代。狡獪な金の邪悪な策謀も魅力的だが、やっぱり武侠の必殺技・異名は、中二の心をくすぐられるのよねぇ~「江南七怪」「黄河四鬼」「奥義・九陰白骨爪」「越女神剣」か、かっけー!いずれはあの主人公も内功を極めて無双するんですね分かります。美少女ロリ王蓉たそに、美人の姐さん師匠連れて…羨ましいぞ!
原記事には、中国語読者に向けた次の抄訳も添えられている(以下はその日本語訳。人名は上の原投稿では「王蓉」、抄訳では「黄蓉」)。
金庸原作の映画やドラマは観ていたが、原作を読む機会はずっとなかった。中国で絶大な人気を誇るラノベ……いや……武侠小説の大家、金庸先生。小説はとても面白く、寸暇を惜しんで読み終えた……(中略)やっぱり武術の技の名前には、中二の心が騒ぐんだよね……主人公は美少女ロリの黄蓉ちゃんに、美人のお姉さん師匠まで連れていて……羨ましい!
日本の若い読者には、何を読んでもラノベを読んでいる気になる人が多いとはいえ、金庸の場合は少し特別だ。金庸の諸作品に繰り返し現れる類型的な人物たちは、日本のラノベにおけるキャラクターのデータベースと、案外ほんとうにつながりがあるのかもしれない。そもそも、今のラノベのキャラクターにも、古典文学の人物像から間接的に取り入れられたものが多い。そして、日本の古典的な人物像も、その多くが中国の古典に由来する。しかも、金庸の小説は一種の特殊な古典であり、ラノベもまた一種の特殊なキャラクター小説なのだから……比較文学・文化研究の皆さん、ぜひこのあたりを研究してください。よろしく!
それに、日本語版の金庸の本の表紙を見ると、たしかにラノベを読んでいる気になる。日本で刊行され始めたころの表紙はもっと素朴だったのに(人物すらいなかった)、今ではどんどんアニメ絵っぽくなっている。この調子だと、そう遠くないうちに表紙に美少女が登場しそうな気がする。(ニヤリ)

金庸著。
最後に、もう一点付け加えたい。日本語訳の金庸の小説は、基本的に中国語版の一巻をさらに何巻かに分け、それぞれに独自の副題を付けている。たとえば『書剣恩仇録』なら、第一巻は「秘密結社紅花会」、第二巻は「乾隆帝の秘密」、第三巻は「砂漠の花香妃」、第四巻は「紫禁城の対決」だ。
編者より:
もし私に、やましい気持ちがあるとしたら……?