
死ぬも生きるも、去るも留まるも、舞台の操り人形。一本の糸が切れたなら、もはや何にもとらわれない。
はじめに: 『ペンギン・ハイウェイ』の本筋は謎解きだ。つまり、そこには、わざわざ隠しておくに値する真実がある。小学四年生のアオヤマ君でさえ、あれほど懸命に世界の果てを目指しているのに、画面の前の大人である私たちが頑張らないわけにはいかないだろう?(映画はお姉さんの名前をわざと伏せ、彼女の勤める宮田歯科医院の名だけを出している。区別のため、ここではひとまず彼女を宮田と呼ぼう。名前がないのは宮田が宇宙から来たからだ、という見方もある。だが、別の可能性もある――宮田の本当の名前にこそ、物語の謎を解く答えが隠されているのだ。)

画像内の中国語字幕(日本語訳):遺伝子によって完璧に作り出される。
先に結論から
世界の果ては、お姉さんの胸へ、宮田の内面世界へと通じている。彼女がペンギンでいっぱいの美しい夢を作り出したのは、願いをかなえ、幼いころの悔いを埋め合わせるためだ。〈海〉が解放されるとともに、宮田もまた、自分を苦しめてきた過去から解放される。だから物語の最後に、彼女はアオヤマに手を振って別れを告げ、風とともに消えていく。

画像内の中国語字幕(日本語訳):このジャバウォックという怪物、なかなか怖い。
一、夢の主
『鏡の国のアリス』は、有名な折句で締めくくられる。キャロルは恋人の名を各行の頭文字に織り込み、最後を「Life, what is it but a dream?(人生とは、夢でなくて何だろう)」と結んだ1。これは間違いなく、世界の果てを明かす手がかりだ。
宮田には、数えきれないほどの不思議な力がある。ペンギンが好きならペンギンを生み出し、ジャバウォックを怖がれば、その怪物が彼女の空想からこっそり抜け出してくる。コウモリは嫌いだと言ったそばから、チェスの駒が羽ばたいて飛んでいく。夢が現実へ流れ込むこうした瞬間は、実は逆に捉えるべきなのだ。いわゆる現実は、宮田の見ている夢にすぎない。そしてその夢は、故郷の海に脅かされている。
アオヤマは当初、ペンギンもコウモリも日光に関係していると考えていた。だが、ジャバウォックの出現によってその仮説は覆される。そこで私たちは、宮田がものを生み出す力は、実は彼女の気分の浮き沈みと深く結びついているのだと気づく。この世界の不思議な現象は、すべて宮田一人を中心に回っている。ならば幻想の源を少年の青春に求めるより、お姉さんと、ケーキにも引けを取らないあの胸に立ち返るべきだろう2。

宮田こそが夢の主なのだ。だからこそ、思うままにペンギンを生み出し、世界と〈海〉のあいだを自由に行き来できる――いや、本来ならそうであるはずだった。夢が少しずつ崩れはじめるまでは……。
ときおり悲しげな表情を浮かべ、何かを考えるように遠くを見つめるお姉さん。少年の目には、その人が世界中の謎を秘めているように映るのかもしれない。
アオヤマは不思議に思う。なぜお姉さんの顔を見ると、うれしくなるのだろう。なぜ自分をうれしくさせる顔が、遺伝子によって完璧に作られ、目の前に現れるのだろう。
まさか……。
二、お姉さんは宇宙人?
宇宙人を思わせる手がかりは、無数の細部に散らばっている。ウチダの服のUFO、アオヤマの帽子のNASU、奇妙な姿の白い巨塔、クレーターのような草原、宙に浮かぶ「銀の月」。宮田自身も、ペンギンは宇宙人が地球人を油断させるために使うかわいい道具なのではないかと、でたらめな推測を口にする。ひょっとすると、それこそが彼女が夢の中で自分に与えた素性なのかもしれない。フロイトの夢解釈でいう「検閲」は、私たちの夢を守っている。無意識から漏れ出した欲望やとっぴな空想に、つじつまの合う衣を無理やり着せ、夢から早々に目覚めてしまわないようにするのだ。
宮田自身、この間に合わせの素性がいかにばかげているかはよくわかっている。だから、つまらなそうに、自分を馬鹿にしているのかと少年に突っ込む。

画像内の中国語字幕(日本語訳):私のこと、馬鹿にしてるでしょう。
「宇宙人説」も、一応は筋の通る説明ではある。だが、あまりに簡単にたどり着けてしまい、「ユリイカ」と叫ぶほどの発見ですらない。だから私たちには、夢がつじつまの合わないところを覆い隠すための、稚拙な手立てに見える。それは表面に現れた内容、すなわち顕在内容であって、夢の奥に潜む意味は、まだ明らかになっていないのだ。
謎が解ける直前、アオヤマは高熱の中で幻を見る。宇宙船に乗ってペンギンの死んだ地球へ降り立ち、そこで、思い焦がれたお姉さんと出会う。
アオヤマは、ずいぶん遠くへ来たはずなのにおかしい、と言う。宮田は、本当に遠くへ行くと、かえって元の場所に戻ってくるのだと答える。
どこへ戻るのか? 地球へ――だが、地球ではない。現実から逃れるために、宮田は自分の夢の中へ隠れた。遠さとは、星々を隔てる距離のことではない。夢と現実を隔てる、宮田の開こうとしない両目のことなのだ。
三、星々の果てと世界の果て――三度の反転
この水路は世界の果てまで続いているらしい、とアオヤマは言う。ウチダは、地球は丸いのだから、地球上に果てなどないのではないかと返す。だから本当の世界の果ては遠い宇宙にあるはずだ、とアオヤマは考える。
SFを読み込んだ人なら、劇中で世界の果てについての認識が三度覆る仕掛けに、アシモフの『第二ファウンデーション』を思い浮かべるかもしれない。星々の果てはトランターにある――答えが明かされた瞬間、誰もが驚嘆した。その興奮は、長い伏線の積み重ねと、何度となく予想を覆される経験を経て、初めて味わえるものだった。銀河の彼方、つまり線の果てを探す発想から、円には端点がないという円環の発想へ。ターミナスから、すべての道はトランターに通じるという円盤の果てへ。そして最後の反転によって、読者は幾何学上の果てから、社会学上の果てへと導かれる。
『ペンギン・ハイウェイ』と比べれば、世界の果てをめぐる三度の反転に、よく似た妙味があることがわかる。アオヤマの推測は地球の果てから宇宙の果てへ向かい、そこから〈海〉の中の街、すなわち位相幾何学上の果てへ舞い戻る。そして三度目の反転で、すべての謎が一挙に解ける。彼は〈海〉の中の街を逃れ、宮田の内面へと逃げ込むのだ。まぶたに守られた本当の世界――抽象的な果てへと。

画像内の中国語字幕(日本語訳):袋の内側に隠れている、と考えることができる。
アオヤマは父親に、世界の果てならわかっている、もっと遠く、たとえば宇宙の向こう側にあるはずだと話す。だが父に言わせれば、果ては必ずしも遠くにあるとは限らない。
意味を尋ねるアオヤマに、父は、果ては折りたたまれると世界の内側に入ってくるのだと説明する。そして、この袋に世界全体が入ると思うかと問いかける。アオヤマにはわからない。
そこで父は袋を裏返してみせる。もともと内側だったところが外側になり、世界全体が袋の中へ入ったことになる。世界の外側は、袋の内側に隠れているとも考えられる――父の説明はこういうものだ。
この場面に目を留めた映画評は少ない。本筋から離れた会話だと判断し、謎を解く決定的な鍵を見逃してしまったのだ。劇中では、この会話の直後に銀の月の研究が続く。そのため初めは、世界を収める袋とは銀の月、つまり位相幾何学的に裏返された〈海〉のことだと思い込んでしまう。だが、終盤のアオヤマの言葉は、真相がそれほど単純ではないことを示している。世界の果てを見るのは、悲しいことかもしれない、と彼は語るのだ。
なぜ、〈海〉の中の街を見るのは悲しいのだろう?

画像内の中国語字幕(日本語訳):私がペンギンを生み出すのは、世界に開いた穴をふさぐため。
四、「洞窟」「空洞」「ほころび」
物語では、世界の果ては「穴」だと語られる。これには二通りの捉え方があり、どちらも最後には同じところへ行き着く。
一つ目は、この穴を「洞窟」と捉えることだ。洞窟は古くから、哲人たちにとって「幻影」から「真実」へ通じる階段だった。これは冒頭で立てた仮説とも響き合う。世界の果てが実は洞窟なら、その外側は現実世界であり、内側は宮田の夢だ。ここで袋を裏返し、内と外を逆転させてみよう。宮田の夢はアオヤマにとっての現実となり、本当の現実は宮田の内面、つまり胸の中に隠される。これが世界の果てについての第一の説明だ。果てを見るとは、世界全体が宮田の見ている夢にすぎないと知ることなのだ。だからこそ、それほど悲しい。
二つ目は、この穴を「空洞」と捉えることだ。こちらはペンギンたちの役目と対応する。アオヤマによれば、彼らがいるのは銀の月を壊すためではなく、穴をふさぎ、〈海〉が現実に入り込むのを防ぐためだ。さらに、先に見た手がかりが示すように、ペンギンを生み出す力も〈海〉の大きさも、宮田の気分と密接に関わっている。ここまでくれば、答えはもう目の前だ。その空洞とは、宮田の心に空いた穴なのだ。向き合いたくない過去であり、夢の奥底に埋もれた故郷なのである。だからこそ、薄暗く肌寒い日や、寝返りを繰り返す夜が怪物を生む。だからこそ、宮田は日光の助けを借りてペンギンを生み出さなければならない。そして、ほかでもないペンギンでなければならない。あの素朴で親しみやすい姿には、人の心を癒やし、暗雲を払いのける「エネルギー」、すなわちペンギンエネルギーがあるのだ。
ここまでの議論から、おのずと〈海〉の謎も解けてくる。
アオヤマは、〈海〉は空間をゆがめ、時間まで狂わせるのだから、もともと自分たちの世界に存在するはずのないものなのではないか、と推測する。
アオヤマの世界が宮田の夢なら、〈海〉はその夢に入り込めない記憶の断片だ。夢の奥にある夢――抑圧された無意識である。その証拠に、〈海〉の中の街の奇妙な造りには、シュルレアリスムの面影がある。シュルレアリスムの根本的な目的は、人間の無意識を探り、それを目に見える形にすることなのだ。

画像内の中国語字幕(日本語訳):わかっているのは、お姉さんと過ごした記憶が僕にあるということだけだ。
すると、物語の最後に宮田が消えなければならない理由も、すぐにわかる。彼女が存在する意味が、意識と無意識のあいだの「ほころび」を繕うことにあるのなら、夢の中のお姉さんの正体は「検閲機構」でしかありえない。フロイトの学説では、この仕組みが隠喩、置き換え、圧縮などによって、無意識の欲望を別の形で表す。宮田が「明るい気分」を「ペンギン」に変えるのも、その一例だ。そうして夢を通じ、たまった圧力(リビドー)を解き放つのである。だとすれば、宮田が無意識の中の逃れられない過去を抑圧し終え、同時に、欲望を象徴的に表す夢を作り出したとき、検閲機構はもはや存在し続ける必要がなくなる。
これが世界の果てについての第二の説明だ。果てを見るとは、過去と和解し、執着から解き放たれることなのだ。だがアオヤマの目には、そのすべてが、日の光の中で手を振りながら消えていくお姉さんを見送る悲劇として映る。
ここまでで、三つの世界を整理できた。アオヤマのいる夢の世界。宮田の心の底に隠された、内と外が逆転した現実世界。そして、〈海〉に閉じ込められた無意識の世界。この三つが互いにつながり合い、『ペンギン・ハイウェイ』の謎を解く答えを形作っている。
だが、問いはここで終わらない。
なぜ宮田は、こんな夢を作り上げるのか。どんな願いをかなえたいのか。そしてなぜ、故郷の海を無意識という牢獄に閉じ込め、手を伸ばしながらも触れることをためらうのか?
五、海辺の故郷と離れられない街
海を思わせるものが、花火のように物語の隅々に散っている。ペンギン、銀の月、コーラ、アザラシから変身したジャバウォック(幻の中の一場面にも呼応する)、壁の写真、世界の果ての街、そして二人がよく通う「海辺のカフェ」。フロイトの夢解釈の原則に従えば、夢を見る動機は、こうした目立たないのに何度も繰り返される細部に潜んでいる。検閲をすり抜けるため、無意識の中の要素は多くの姿に分かれ、夢の中へ密かに入り込むのだ。だから、故郷の海辺では、きっと何かが起きた。宮田はそれを忘れようとしながら、とうとう忘れられなかったのである。

画像内の中国語字幕(日本語訳):海辺のカフェ
海辺の小さな町で育ったのだったね、とアオヤマがお姉さんに切り出す。どうしたのかと聞き返すお姉さんに、彼は故郷がどんなところだったかを尋ねる。
お姉さんが思い返すのは、海へ続く坂道がたくさんある町だ。家はちょうど高台にあって、いつでも海が見えた。窓からは、海の匂いを運ぶ風が吹き込んできた。
海の匂いとは、どんな匂いなのだろう。アオヤマの問いに、お姉さんは、謎が解けたら自分の海辺の町へ連れていってあげようと約束する。
だが、この約束は最後まで果たされなかった。
アオヤマたちは二度、町を出ようとしたが、どちらも失敗に終わった。列車は角市松駅に停まり、線路の先にはトンネルと山々、そして山々の向こうには決してたどり着けない海岸がある。街からあまりに遠ざかると、宮田もペンギンも水分を失い、具合が悪くなって、ぐったりしてしまう。
この展開は、きわめて象徴的だ。故郷の海が銀の月の中に折りたたまれたことで、アオヤマの世界は果てのないメビウスの輪になった。それは幻の中の宮田の嘆きに呼応している。どんなに遠くへ行っても、結局は元の場所へ戻ってくる。そうして彼女は、時の止まった街に自分を閉じ込めた。本当の意味で故郷へ帰ることも、故郷から遠ざかることもできないまま。
宮田は一度も幼いころの影から抜け出せていない。ただ本能的に、今にもあふれ出しそうなあの青を思い出すまいとしているだけだ。だから、遠くへも行けず、過去を乗り越えることもできない街を、さまよい続けるほかない。さらに悲しいのは、彼女自身、それに気づいてさえいないことだ。だからアオヤマに助けを求めるしかない。

ペンギンエネルギーの源はこの街にある、あるいはお姉さん自身にあるのかもしれない。アオヤマが宮田にこの推測を話すとき、カメラは窓辺の水飲み鳥を映す。少し歴史をひもとけば、かつてアインシュタインを驚嘆させたこの玩具が、まさに「永久機関」の象徴だとわかる。「アマゾン川」も、始まりと終わりがつながって輪を描いて流れる。その姿は、無限を象徴する、自分の尾をくわえる蛇だ。この川と水飲み鳥が、街全体の停滞を繰り返し暗示している。過去と未来のあいだで揺れ続けるから、どこへも進めない。それが水飲み鳥の悲しさであり、宮田の悲しさでもある。一方、アオヤマは成長と変化の象徴だ。彼は毎日、昨日までの自分を超えていく。だからこそ、宮田に気づきを与え、過去の影から連れ出せるのは、アオヤマだけなのだ。
謎の答えは、すでに出そろった。残るは最後の一片だけだ。宮田が何度も逃れようとしながら、何度も戻ってきてしまうあの過去に――いったい何が起きたのか?
六、ハマモトの物語と宮田の幼年期
『ペンギン・ハイウェイ』の物語は、大きく四つに分かれる。1. ペンギン・ハイウェイの研究、2. 〈海〉の研究、3. 〈海〉の拡大、4. 父親の救出。このうち前の二つの謎と手がかりは全篇を貫き、やがてアオヤマの小さな「ユリイカ」の一声によって、ひとつにつながる。この点で、謎解きの仕組みは実によくできている。
だが、物語そのものの緊張感やまとまりという点では、『ペンギン・ハイウェイ』はやや散漫に見える。宮田とハマモト、二つの筋にほぼ同じだけの時間が割かれているからだ。そのため看護師のお姉さんの存在感がいくらか薄れ、話全体がわけのわからないものに思えた人も多かった。しかし、あの決定的な手がかり――アオヤマの世界は実は宮田の夢だということ――を拾い上げれば、物語全体の流れをまったく別の角度から見直せる。その角度から捉え直したいのは、『ペンギン・ハイウェイ』には初めから二人のヒロインがいた、ということだ。
ここで肝心な推論を一歩進めよう。すべての登場人物が宮田の夢の中にいるのだから、二人のヒロインとは、一人の人物を別々の姿で表したものになる。その人物こそ、夢を見ている現実世界の宮田だ。実際の彼女は看護師のお姉さんとして登場し、彼女が逃れられない幼いころの自分は、ハマモトの姿でアオヤマのそばにいる。(この結論には、アオヤマもまた宮田の人生に消えない跡を残した、という意味が含まれる。だが、それはいったん置いて、まずハマモトの物語を見てみよう。)

画像内の中国語字幕(日本語訳):こんなところで何をしている。早く帰りなさい。
ハマモトを宮田の幼年期の化身と考えるのは、それによって物語の大きな欠落を埋め、最後の謎を解くことができるからだ。なぜ故郷の海が、宮田にとって逃れられない影となったのか。物語の中で、ハマモト(宮田)の父親は〈海〉に巻き込まれる。そして少女は、その事故は自分のせいだと信じている。アオヤマと〈海〉の研究を秘密にすると約束し、その危険性を父親に伝えなかったからだ。ここで読者が夢という仮説を認めるなら、私たちはこう断言できる。ハマモトの物語こそ、宮田の幼いころの記憶が夢の中で取った姿なのだ。宮田と父親の衝突、そしてその衝突が招いた悲惨な結末を、「象徴+置き換え」という手法で再現している。娘のわがままのために父親が事故に遭う――同じような悲劇が宮田の身にも起きたが、彼女はそれを意図的に忘れ去ったのだ。この夢に象徴と置き換えが欠かせないのは、無意識の欲望が検閲の抑圧を突破し、表に出るには、偽装に頼るほかないからだ。そしてその無意識の欲望を最後に満たす手段こそ、自分の過ちを償い、〈海〉へ入って「父親」を救い出すことなのである。
つまり、『ペンギン・ハイウェイ』全体の主題は、夢という形で過去を救い直すことだ。ペンギン・ハイウェイ――ペンギンたちが海から陸へ向かうときに通る決まった道――は、宮田が故郷の海を抜け出し、陸へ向かって再び歩き出す、心の旅路なのだ。
七、「ハマモト=宮田」の証拠
証拠1:名前
ハマモトという名を「浜本」と見れば、「浜(はま)」は海辺を、「本(もと)」は根を意味する。つなげれば「海辺に根を張る」ということだ。明らかに、宮田の故郷を暗示している。
証拠2:甘いものと歯医者
甘いもの好きのハマモトの父親と、歯科医の宮田は、ちょうど補い合う関係にある。宮田が夢の中で歯科医になることを選んだ理由もここにある。父親への罪悪感から、象徴的な償いをしようとしたのだ。

画像内の中国語字幕(日本語訳):甘いものを食べすぎると、こうなるんだ。
証拠3:チェス
ハマモトも宮田もチェスの名手だ。アオヤマにチェスを教えたのは宮田で、その後、彼はその教えを受け継いでハマモトを破った。これは、大人になった宮田が腕を上げたことを暗示している。
証拠4:外国人と宇宙人
ハマモトと宮田を結びつけるうえでいちばんの障害となるのは、ハマモトが外国から来ており、そもそも二人は外見が違うという点だ。だが忘れてはいけない。夢の中の類似は、姿形ではなく、概念のうえで成り立つことが多い。ここでも作者の巧みな構想が生きている。夢の中でハマモトは「外国人」、宮田は「宇宙人」だ。どちらの素性も、「故郷から逃れる」というもともとの動機を抽象化したものにほかならない。どちらも、故郷を離れた孤独と、どうにもならない思いを背負っているのだ。
証拠5:自己嫌悪
なぜハマモトは、あれほど宮田を嫌うのか。筋書きのうえでは、明らかにアオヤマをめぐる嫉妬だ。スズキがアオヤマを嫌うように、彼女は宮田を嫌う。だが夢の奥に潜む意味からすれば、これは自己嫌悪の象徴なのである。
証拠6:父親との象徴的な和解
ハマモトの父親はかなり年を取っているのに、アオヤマの父親はとても若い。これは夢のほころびであると同時に、夢の検閲が「圧縮」という方法を使っていることも示している。「科学研究―父親」というつながりを糸口に、宮田の現実の父親は二つの人物像に分けられた。アオヤマの父親は理想の父を、ハマモトの父親は実際の父を表している。劇中でアオヤマの父親は、いつも宮田に子供の世話を頼む。そこには父と和解したいという願いが、ぼんやりと映し出されている。同じ願いは、ハマモトの父親の行動にもっと直接的に表れている。彼は宮田のもとを訪れ、〈海〉を研究するために、娘の守っている秘密を教えてほしいと頼む。宮田が逃れられない罪悪感の根にあるのが、海の危険性を父に伝えなかったことだと気づけば、わかることがある。まさにこの展開を作り上げることで、宮田はハマモトの過ちを正し、幼いころの悔いを埋め合わせたのだ。実験に協力することで、〈海〉の危険性を父に伝えたのである。だから、アオヤマに見つけられた宮田は、あれほど晴れやかな顔で、明日海辺の町へ行こうと唐突に誘うのだ。願いをかなえる第一歩は、すでに踏み出せたからだ。宮田は故郷の海を、苔むした心の奥に捨て置くのではなく、懐かしく思いはじめている。故郷を離れるには、まず故郷へ帰らなければならない。過去を乗り越えるには、まず過去を受け入れなければならない。

画像内の中国語字幕(日本語訳):明日、海辺の町へ行こう。
ここで私たちは、冒頭に挙げた可能性へと戻ってくる。宮田には名前がないのではない。その名は、実はハマモトなのだ。
八、アオヤマとスズキの「圧縮」
『ペンギン・ハイウェイ』で何よりも観客を欺いているのは、物語がアオヤマの視点から語られることだ。そのため多くの人は、少年の成長を描くことが映画の中心だと思い込んだ。実際には、アオヤマは物語の主人公ではない。観客を導いて夢の本質を見抜かせるために置かれた、手がかりとなる人物にすぎないのだ。少年自身が成長したとは言いがたい。初めから「完璧」なのだから。成長といっても、大人になるまでの日数が3888日から3748日に縮まっただけだ。少年はお姉さんへの幻想から抜け出していない。それどころか、冒頭と結末で言うことさえ変わらない。大人になるころには、結婚したがる女性がたくさんいるだろうけれど、自分にはすでに結婚すると決めた別の女性がいるから、その人たちとは結婚できない、というのだ。
夢の顕在内容から見れば、この完璧な少年は、ハマモト(宮田)が好きな男の子と幼いころの理想を混ぜ合わせて作ったものだろう。というのも、ハマモトとアオヤマの家庭環境はよく似ている。二人とも科学研究に携わる父親を持ち、幼いころからよい教育を受けて、早熟で抜きん出て賢くなった。
一方、夢の奥に潜む意味から見れば、少年は意識の構造における「超自我」を象徴しているようだ。超自我とは、社会の道徳を内面化したものだ。完璧を求め、自らを模範とする。その性質は一つひとつ、アオヤマの生真面目で堅物とさえいえる性格に対応している。たとえば毎日きっかり九時に眠り、踊ればロボットのようで、一日中すました顔をして、何を見てもひとしきり理屈を述べずにはいられない。厳密に言うなら、検閲の働きを助けて夢を作り替えるのも超自我だ。これもちょうど物語の展開と一致する。
アオヤマの話が済んだところで、スズキについても考えてみよう。物語の恋愛関係はこうなっている。スズキ → ハマモト → アオヤマ → 宮田。ハマモトと宮田の類似に注目する一方で、アオヤマとスズキもまた、互いを補う一組であることを忘れてはならない。これによって、さらに次の三つの謎が解ける。
(1)なぜアオヤマは、宮田が研究者たちと接触することをあれほど嫌がるのか。彼女に消えてほしくないというだけなのか?
(2)そのことでハマモトと衝突するのには、さらにどんな意味があるのか?
(3)なぜハマモトは、スズキを一生許さないと言うのか?

画像内の中国語字幕(日本語訳):一生、許さない。
まず(3)から見てみよう。筋書きのうえでの答えは明らかだ。スズキが約束を破り、〈海〉の秘密をハマモトの父親に漏らしたからだ。だが、ここには矛盾がある。私たちはハマモトとスズキの約束を見ていない。見たのは、ハマモトとアオヤマの約束だけだ。これは、宮田の本当の幼なじみはアオヤマではなくスズキだった、ということではないだろうか。アオヤマはハマモトが作り上げた理想にすぎない。その理想たるゆえんは、スズキとは正反対であることだ。一方はあっさりと〈海〉の秘密をハマモトの父親に明かし、もう一方は最後まで口を閉ざすことを選ぶ。アオヤマを作り出した目的もまた、過去の悔いを埋め合わせることにある。スズキが秘密を漏らし、ハマモトの父親が〈海〉の研究へさらに踏み込まなければ、父は〈海〉に巻き込まれなかったはずだからだ。ここまでくれば、断言できる。劇中のハマモトと父親が言い争う場面は、夢の中で作られたものではない。記憶の中で実際に起きたことであり、惨劇の引き金となった場面なのだ。
この推測によって最後の一片が埋まり、過去の物語が余すところなく観客の前に現れる。初めに宮田の父親が、スズキの口から娘の研究課題を知った。危険すぎると判断した彼は、娘にやめるよう命じた。それによって父と娘は決裂し、幼なじみのスズキと宮田も仲たがいした。宮田は、父が約束を破ったと考えた。本当に大切な研究課題は、軽々しく人に話してはいけないはずだったからだ。それで意地を張って、海、すなわち研究課題の危険性を父に伝えなかった。それが最後には、父の死を招いてしまったのである。

画像内の中国語字幕(日本語訳):死んじゃう。
劇中、ハマモトの父親が急速に膨らむ〈海〉へ吸い込まれるとき、アオヤマの部屋に突然妹がやってきて、母が死んでしまうとすすり泣く。この場面にも、本当の記憶が混じっているのかもしれない。妹は幼い宮田の姿を映しているのだ。彼女は父を事故で失って初めて、「死」というものの存在を知った。
それ以来、宮田はスズキを一生許さなかった。幼いころの科学者になる夢を捨て、一人で故郷を離れ、見知らぬ街に住み着いた。だから宮田は、夢の中の自分を外国人や宇宙人として思い描く。異国も宇宙も、冷たさ、なじみのなさ、追放の象徴なのだ。本当に遠くへ行くと、かえって元の場所に戻ってくる。あの言葉も結局、夢の中に隠れてさえ、追ってくる記憶からは逃れられないという意味にほかならない。そう、宮田は一度も、本当の意味で故郷の青から逃れていない。何億年もこの海辺に足を止め、新生代から白亜紀まで、ずっと立ち尽くしていたのだ。物語にはこんな細部がある。傘に水球がぶつかったあと、そこにたくさんの植物が生え、アオヤマは〈海〉の中では外とは違う時間が流れていると気づく。この細部は、夢の奥に潜む意味にも映し出されている。宮田にとって故郷は、永遠に過去にとどまっている。父が海にさらわれた、あの瞬間に。
アオヤマが突然、宮田の暮らしに飛び込み、固く閉ざされた扉を叩いて開くまでは。
夢を作るのは、隠喩と象徴の中で願いをかなえるためだ。宮田は記憶に閉じ込められていた。だがアオヤマの助けによって、最後には自分の願いを取り戻した。
ペンギンの大軍が集結し、二人の足元に、二つの世界をまたぐ「方舟」を形作るとき、それもまた、亡き父をひそかに偲ぶことではないだろうか。海辺で一億年ものあいだ物思いに沈んでいたあの少女は、ずっと待ち望んでいたのかもしれない。いつの日か、人懐っこいペンギンたちが父を背に乗せ、海の彼方から帰ってくることを。
行け、ペンギンたち、目の前の海をつついて砕け! 石をくわえて海を埋める神話の鳥、精衛のように!
少女は声を上げて笑い、少年とともに、海が砕けて一面に散った光の中を自由に駆ける。これは〈海〉の解放であり、宮田自身の解放でもある。暗雲はすでに去り、あのペンギン・ハイウェイもまた、暖かな日の光を浴びて、未来へどこまでも伸びていく。

画像内の中国語字幕(日本語訳):世界中で異変が起きている。
九、あとがき
この記事は、フロイトを導き手とした夢解釈の試みだ。大小さまざまな細部をたどってきた。アリスからアシモフへ、洞窟の比喩からシュルレアリスムへ、訪ねると約束した故郷から〈海〉の中の故郷へ、宮田とハマモトの類似からアオヤマとスズキの補い合う関係へ。一つずつ取り出せば何ともいえない細部も、つなぎ合わせれば互いにかみ合い、宮田の深く埋もれた内面と過去を描き出す。これだけ述べておいて何だが、私は理論で物語をゆがめすぎるつもりはない。読者には、そういう解釈の可能性もあるのだとわかってもらえれば、それでいい。そうとも、そうでないとも思える余韻の中でこそ、物語を物語そのものとして、より深く味わえるのだから。
リクールはフロイトを、神話や宗教の解釈で自分のエディプス理論を繰り返すばかりだと批判した。その批判をカール・シムズは次のように説明している3。まったく正当な指摘だ。
重要なのは、神話が繰り返されることではない。繰り返されるたびに意味が付け加わり、それによって変わっていくことだ。この変化がある以上、もとの神話が幼いころに抱く、父を殺したいという欲望の表れだったとしても、後に語り直された神話には、もはや同じことは当てはまらない。
この批判は、ラカンの読者の一部にも当てはまると思う。
編者より:夢の内容よりも、その形式に目を向けてみてもよいかもしれない。