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近代の非超克‥欠席した起源と主体性—文字神秘主義と科学

西洋の神秘思想を捉えるモデルで漢字文化の文字神秘主義を分析し、起源・主体性・科学の関係から、東洋が置かれた「近代の非超克」という状態を論じる。

著者: 「 」翻訳: 甚谁Bot[AI assisted] · 全文レビュー: 甚谁Bot[AI assisted] · 全文

近代の非超克‥欠席した起源と主体性—文字神秘主義と科学

赤い髪と白い髪の二人を描いた筆者のアバター
「 」

編者注: 本稿は、屋頂現視研の年度原稿募集企画「拾荒战略前夜祭」の受賞作です。

目次

  • 序論
    • 第一節 はじめに
    • 第二節 先行研究/知識の紹介
    • 第三節 理論的枠組みと方法論
  • 本論
    • 前編 東洋的な文字神秘主義
      • 第一節 西洋神秘主義
        • 1項 神秘主義
        • 2項 西洋的な神秘主義
        • 3項 文字神秘主義
      • 第二節 東洋にもあるのか
        • 1項 候補となる事例
          • 一つ 文字をめぐるさまざまな事象
          • 二つ それは神秘なのか
        • 2項 東洋に特有の性質はあるのか
          • 一つ 文字に潜む独特な性質
          • 二つ それは東洋のものなのか
      • 第三節 東洋の文字に神秘を
        • 1項 Early Modern Enchantment(近世の魔術的世界観)の要素
        • 2項 The (Post) Modern Occult(近代・ポストモダンのオカルト)の要素
        • 3項 Inner Traditions(内なる伝統)の要素
      • 小結 生活を充たす神秘
    • 後編 近代という時間への執着
      • 第一節 欠席した起源
        • 1項 中国の神話学研究
        • 2項 神の時間と漢字の時間
        • 3項 時間の系譜とその位置
      • 第二節 欠席した主体性
        • 1項 捨てられた地で語り続ける
        • 2項 第三者の審級への到達の不可能と不能
        • 3項 The Birth of the Subject(主体の誕生)と主体の難産
      • 第三節 「神秘—宗教—科学」というモデル
        • 1項 Absoluter Geist(絶対精神)と科学の進歩
        • 2項 神は神で、人間は人間で
        • 3項 残されたのは神秘
      • 小結 近代の非超克
  • 結論
    • 第一節 あまりにも非近代的な
    • 第二節 細長い道と広い空へ
  • コラム 呪術の世界と豊穣の世界
  • 本論の貢献と限界
  • 参考文献

序論

第一節 はじめに

われわれの暮らす東洋で、近代化が西洋の模倣であったことは、明らかな事実である。この状況を打ち破り、ポストコロニアリズムを含むポストモダンの世界で、自分たちらしい未来に向けて再び挑戦するには、過去を振り返り、非近代的な要素を見いだすことがきわめて重要になる。そこにこそ、われわれが長いあいだ欠いてきたものがある。それを何か別のものに見せかけて、「近代の超克」と呼ぶのではない。むしろ、それは近代の非超克なのだ。

近代の非超克を考えるうえで、重要な要素の一つが神秘(学)である。1 近代西洋を見れば、その知の体系を特徴づけるものとして「神秘—宗教—科学」がある。科学や宗教を深く理解しているからといって、神秘についても深く理解しているとは限らない。なぜわれわれは、この奥深い神秘の領域を明確に捉えてこなかったのか。われわれ自身のあり方、とりわけ文字をめぐって生じる現象を考察することで、この問いに答えたい。

第二節 先行研究/知識の紹介

参照するのは、大澤真幸さんの社会学・社会学史と哲学、白川静さんの文字学、現代西洋の科学哲学・科学史および神秘思想に関する研究、そして中国を対象とする神話学である。具体的な文献は末尾に挙げた。

第三節 理論的枠組みと方法論

近年、西洋で発展してきた神秘思想の研究を参照し、その特徴を捉えるモデルを用いて、東洋的な文字神秘主義に属する現象を特定し、分析する。次に、東洋の文字神秘主義を、近代を特徴づける科学と対比することで、東洋世界で「神秘—宗教—科学」というパラダイムの転換が起こらなかった原因を考える。最後に、その原因となった要素が、いかにして今なお東洋世界を近代の非超克という状態にとどめているのかを検討する。

本論

前編 東洋的な文字神秘主義

第一節 西洋神秘主義

1項 神秘主義

ハーネフラーフ(Wouter J. Hanegraaff)によれば、現代の学問では、神秘主義はもともと宗教の領域で研究されてきたが、定義の難しいものである。研究が進むにつれて、一般にも学界にもそれまで見過ごされてきた思想や実践が浮かび上がってきた。神秘思想もその一つだ。

その特徴を挙げるなら、科学にも哲学にも属さず、かといって宗教と見なすのも、あまりに不適切なのである。

例として挙げられるのは、『ハリー・ポッター』の魔法、『鋼の錬金術師』の錬金術、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトのクトゥルフ神話体系などだ。虚構ではなく現実にあるものとしては、ユダヤ教のカバラの知識、日本の密教、中国の道教における神仙思想がある。

2項 西洋的な神秘主義

では、何を神秘主義と呼び、どのような思想や実践をそこに含めるのか。そのための原則はあるのだろうか。ハーネフラーフは三つのモデルを提示している。Early Modern Enchantment(近世の魔術的世界観)、The (Post) Modern Occult(近代・ポストモダンのオカルト)、Inner Traditions(内なる伝統)である。それ以外には、The Rest of the West: Judaism, Christianity, Islam(それ以外の西洋――ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)、すなわち宗教の内部にある神秘主義がある。

以上の区分で西洋神秘主義の主な特徴を捉え、本論では、宗教内部の神秘主義を除く三つのモデルを基準として用いる。

3項 文字神秘主義

文字神秘主義は、以下で繰り返し取り上げる概念である。ハーネフラーフの三つのモデルを東洋の文字神秘主義に適用する前に、西洋の文字神秘主義について少し述べておこう。

神秘主義とは、広い意味では、人間が何らかの手段によって神や高次の意志とつながることができるとする思想である。2 文字神秘主義とは、文字を手段としてそれを実現しようとする思想だ。

西洋の文字神秘主義の顕著な例に、イスラム教の文字神秘主義がある。井筒俊彦はこの分野の大家だ。ただし、本論と井筒さんの研究との接点は多くないので、これ以上は立ち入らない。宗教の外にある文字神秘主義としては、魔法が挙げられる。詠唱とは別に、魔法を発動する前に、決まった位置に書かなければならない文字がある。後の分析では、こうした文字と似た現象が焦点となるので、ここで先に挙げておく。

第二節 東洋にもあるのか

1項 候補となる事例
一つ 文字をめぐるさまざまな事象

われわれの生活には、あらためて考えてみるべきことがいろいろある。いくつか例を挙げてみよう。

日常生活では、「この文章を読んで癒やされた」「感動した」、あるいは「文字には現実を変える力がある」といった言葉をよく目にする。

神社や寺に行けば、人は絵馬の余白や裏側に願い事と名前を書く。そうして書いた願いが、かないますように、と。

現実世界の例に続いて、虚構の世界の例を見てみよう。近年、ゲームの世界で大人気となった『SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE』(以下『隻狼』)と『エルデンリング』を比べてみたい。『エルデンリング』では、聖杯瓶や霊薬を飲んだり、苔薬を食べたりすると、キャラクターからさまざまな色のオーラが出てくる。ところが、『隻狼』で現れるのはオーラだけではない。そこには漢字も現れる。ここで例に挙げたいのは、敵の攻撃に際して主人公の狼の頭上に出る「危」、死んだときの「死」、竜胤の力でよみがえるときの「回生」といった表示だ。そのほかにも、「治」「鬼仏見出」「防」などがある。

二つ それは神秘なのか

これらの現象は、神秘の定義に当てはまるのだろうか。

現代心理学の立場からいえば、言葉は、社会的な生き物である人間が情報を交換するための手段にすぎない。それ以上の物理的な力は何も持っていない。けがをしたとき、文章を読んだからといって傷が治るわけではないし、もちろん、自分では動かしていない体を言葉が動かしてくれるわけでもない。

神社に絵馬を掛ける例では、参拝客が宗教的なものに近い気持ちや意図を抱いていることは明らかだ。

最も興味深いのは、『エルデンリング』と『隻狼』の例である。『エルデンリング』では、出血したときに画面に「Blood Loss」(出血を示す英語表示)が現れる。これは『隻狼』の表示とは違い、キャラクターと一体になる要素ではない。設定でUIを非表示にしても、プレイに支障はない。だが、『隻狼』の「死」を消すと、復活するタイミングをつかみにくくなり、プレイに支障が出る。

ここで漢字が果たす役割は、普通のUIとは異なる。漢字は視覚的な表現としてゲームの中核を担っている。この漢字を通じて、プレイは物語(ナラティブ)と直接つながるのだ。

先ほどの定義に立ち返れば、文字神秘主義とは、文字を手段として神や高次の意志とつながることができるとする思想だった。上の例で確かなのは、物理的な力とは異なる、それを超えた力が無意識のうちに求められていることだ。言い換えれば、求められているのは現世の力ではない。科学の領域の外にある力であり、それを神秘と呼ぶことができる。

2項 東洋に特有の性質はあるのか
一つ 文字に潜む独特な性質

前項で述べたように、東洋にも神秘はある。だが、それは東洋に特有のものなのか。それとも、世界の文字に共通するものなのか。ここでは、その点を考えたい。

漢字の特性を考えてみよう。

世界で最も広く使われている文字は、おそらくアルファベットと漢字だ。アルファベットとは正反対に、漢字には「見れば意味は分かるが、読み方は分からない」という性質がある。これは中国でも、日本でも、東南アジアでも同じだ。この性質は「表意」とも呼ばれる。

「表意」とは、一文字が意味の最小単位として働くことである。英語などでは単語より小さな接辞も意味を表すが、それとは異なり、漢字では一文字がその単位になる。しかも、漢字が伝える意味は、その読み方とはほとんど関係がない。漢字の意味は、目に見える字の形と強く結び付いている。ここに漢字の独特な性質がある。

二つ それは東洋のものなのか

先に述べたように、漢字は表意文字であり、その意味は発音と基本的な対応関係を持たない。一方、西洋のアルファベットでは、文字の並び順と少数の決まった発音規則に従えば、文の意味も発音も明確に読み取れる。この意味で、漢字の特徴は東洋に特有の性質ともいえるだろう。

以上から、東洋の文字には確かに神秘性があり、しかもそれは東洋に独特のものだ、という結論に至る。

第三節 東洋の文字に神秘を

1項 Early Modern Enchantment(近世の魔術的世界観)の要素

先にも述べたとおり、神秘思想を明確に見分けるのは、きわめて難しい。現在、神秘思想は、多様な宗教が並ぶ「宗教のスーパーマーケット」(Religious Supermarket)3に隠れているからだ。こうした現象を見分けるために、ハーネフラーフは三つのモデルを提示したのである。4

Early Modern Enchantment5のキーワードは、Enchantment、すなわち何かに魔力を付与することだ。このモデルに当てはまる思想は、近代科学が主導的な位置を占める時代にも、あえて科学的世界観に反する現象を起こす力があると主張する。鍵となるのは、科学のある時代を前提とすることだ。科学のない時代なら、Enchantmentこそが人々の思想のパラダイムとなる。科学革命を迎えるニュートンの時代の錬金術がそうだった。科学がまだ生まれきっていない時代に、錬金術は、誕生しつつある科学とともに思想の主流をなしていた。

われわれが今生きている現代世界6は、近代化した世界ともいえる。この世界で日々を送るわれわれの周囲に、どんな現象が起こっているのか、分析してみたい。

アニメ『ノラガミ』では、主人公たちと神器を結ぶ鍵となるのが文字である。私が注目したいのは、夜トが雪音を刀として召喚するときに使う、篆書に似た「雪」の文字だ。雪音はすでに死んで霊となっており、夜トは神である。その夜トが、文字を使って、科学の世界にはない力を持つ刀の神器を呼び出す。これは、漢字を手段とする神秘思想といえるだろう。

ハーネフラーフの議論と照らし合わせる別の例として、アニメ『呪術廻戦』のオープニング映像で文字が飛び出す場面を挙げたい。この作品も、『ノラガミ』と同じく、近代化した科学の世界を舞台にしている。傷から飛び出すのは、体の機能を保つための体液だけではない。人々が抱く、目には見えない怨念を純化した集合体だ。この集合体は、ハーネフラーフが提示する「生ける自然」(Living Nature)7に似ている。その内にあるものは、巨大な時計の部品とは違い、形のない生命力を持っている。

ドラマ『言霊荘』第1話の呪いを払う場面も同じだ。漢字を含む文が、呪いを払うための重要な媒介となっている。

近代科学の大前提であり、重要な特徴でもあるのが、自然の斉一性原理8である。これは、万物は過去から未来まで一定の法則に従う、という思想だ。『ノラガミ』の神器も、『呪術廻戦』で飛び出す文字も、『言霊荘』の文も、この自然の斉一性という思想と対立している。

2項 The (Post) Modern Occult(近代・ポストモダンのオカルト)の要素

The (Post) Modern Occult9のキーワードはOccultであり、「隠された、見えない」という意味を持つ。前項のEarly Modern Enchantmentでは現実に呼び出される力に注目したが、このモデルでは、その見えない力の源泉が隠されていることに注目する。科学の自然の斉一性原理が「過去から未来まで」を貫くのとは異なり、神秘思想の源泉は、明確な歴史を持たず、あるいは歴史的な奥行きを欠いている。むしろ、歴史の欠席によってこそ、その知は神秘のままであり続けるのだ。

『呪術廻戦』のオープニングでEveの「廻廻奇譚」が流れるあいだ、さまざまな文字が現れる。第1項で述べた「生ける自然」として、文字が何の前提もなく動く。それに加えて、私が最も強く感じるのは「時間の無さ」である。

その原因の一つが、表意文字における「読みの不要」だ。アルファベットで綴られた単語を読むには一定の時間がかかるが、これらの文字は、音として読むことで意味を受け取るのではない。音速は約340m/秒であり、聴覚で受け取るには時間がかかる。一方、光速は約30万km/秒であり、視覚で受け取る時間は短い、あるいは無い。つまり、これらの文字を理解する過程は、聴覚的なものというより視覚的なものなのである。

第二の原因は、甲骨文字から漢字に至る文字の系譜について、われわれの認識が乏しいことにある。後編で論じるように、漢字には二千年近く、その親に当たる別の文字には数千年ほどの歴史がある。それに対し、その系譜の源である甲骨文字10をわれわれが研究し、認識してきた期間は、わずか百年にすぎない。これも神秘、すなわち隠蔽の原因といえるだろう。

この隠蔽を裏付ける別の側面は、西洋の神秘思想の内にもある。11 神秘思想が現代化する際、宗教の領域で広がっていくための道標となったのは、まさに東方の神話だった。Orientation(方向付け。ここでいう「指導」)12がOrient(東方)を語源とするのも、このためである。この時点で、東方の神話と歴史の源泉の曖昧さは、すでに東洋の範囲を超えている。東洋においても世界においても、Occult、すなわち隠蔽を支えるものとなっているのだ。

神秘思想のOccult的な特徴は、現代科学の「知の増殖」13と対立する。「知の増殖」を支える、宗教から哲学へと連なる考え方をたとえるなら、こうなる。「神の光はわれらの進む道を照らす。ヘーゲルの弁証法によって、最後には必ず絶対精神(Absoluter Geist)に到達できる」。それに対し、神秘思想の隠蔽は、「神のいるところは真っ暗だ。だが、その力はわれらの手元にある」というものだ。こちらは結局、「知の増殖」を妨げることになる。

3項 Inner Traditions(内なる伝統)の要素

Inner Traditions14は「内なる伝統」を意味する。それを学べるのは、ごく少数の限られた人だけである。そして、その伝統の奥には、社会・歴史・文化がどれほど異なっても変わらないものがある。それが、真の秘教的霊性(true esoteric spirituality)15だ。この霊性は、神秘思想を伝える宗教団体の内部で教えられる。

アニメから例を挙げるなら、『呪術廻戦』がある。直接には文字の例ではないが、狗巻棘は、伝承によって呪言師となっている。その能力は、人が生まれながらに持つ言語能力とは違い、誰もが持つものではない。

現実に目を向ければ、漢字にも、おそらくこれと似た性質があるだろう。それが「訓読み」16である。漢字はただそこに並んでいるだけなのに、同じ字に何通りもの読みを与えても、われわれはおかしいとは思わない。

田中克彦の本に引かれた説明によれば、複雑で混乱し、時とともにその混乱を深める文字体系は、門外漢を近づけず、学者階級の排他性を保つのにきわめて役立ったという。さらに、世界のどの国でも、封建時代には読み書きの能力が限られた階級、とりわけ僧侶たちに占有されていたとされる。漢字の訓読みが生まれた理由も、この二つの論点からたどれるだろう。17

限られた者にしか伝えられないという、この伝承の理不尽さは、近代科学の「反証可能性」18と対立する。ニュートンが提示した重力の法則は、この世界の誰もが検証できる。間違っていれば、そのモデルを考え直し、より広い範囲に適用できるモデルを提示し直せばよい。ところが、この伝承は、そうした共時的な普遍性を拒んでいる。

小結 生活を充たす神秘

ここまでの主題と結論を、確認しておこう。

まず、神秘思想あるいは神秘主義とは、何らかの手段を通して神や高次の意志とつながろうとする思想であり、その手段を文字に求めるものが文字神秘主義である。

ハーネフラーフの三つのモデルを用いることで、われわれは東洋の現代世界に、神秘的な文字の現象を見いだした。霊性に満ちた言霊や呪いを払う呪文も、アニメやゲームの中核を担う要素も、われわれの言語教育にある訓読みも、この神秘の基準に当てはまる。神秘は、われわれが生きる現代世界の科学のパラダイムを超え、超越的な姿で存在しているのだ。

後編 近代という時間への執着

第一節 欠席した起源

1項 中国の神話学研究

体系という点だけでいえば、中国には明確な神話体系がない。三皇五帝も、女媧・伏羲・盤古の物語も、ギリシャ神話や一神教のような統一性を持っていない。白川静の説明を借りれば、中国では神話が神話の形式のまま伝承されず、そのため、しばしば神話のない国と呼ばれ、その神話は枯れた神話といわれてきた。19 神話学者の袁珂にも、同様の説明がある。中国の神話は秦・漢の古い文献に隠れており、ギリシャのホメーロスのような人物に出会わなかったため、長く体系的な神話のまとまりが形成されなかった、というものだ。20 現在、中国神話を記した文献の多くは、甲骨文字ではなく漢字による二次文献として残っている。20

この二つの説明から、中国には明確で体系的な神話が残らなかったことが分かる。神話体系の枯れは、すなわち精神の起源の枯れなのである。

2項 神の時間と漢字の時間

ここで、時間の話をしてみよう。

宗教改革の時代、プロテスタントはどのような時間感覚を持っていたのか。予定説では、われわれ人間は生まれながらに原罪を負い、受肉したキリストは、死をもってわれわれの信仰を受け入れた。そして最後の審判の日が来れば、信者は救済される。神は全知全能であり、世界の始まりにおいて、すでにすべてを知っていた。だが人間には、自分が救済を得られるかどうかは分からない。ただ日々の行いを重ね、最後の日を待ちながら一生を送るのだ。21

それに対して、漢字の時間はどうか。神話がないとまではいえないものの、その体系はまとまりを欠いている。加えて、漢字の文字文化が形成された時点と、その起源である甲骨文字とのあいだには、あまりに大きな隔たりがある。その結果、漢字の文字文化にとって、時間の始まりは今も曖昧なままである。

起源は、記憶に似たものだ。22 現代科学の意味でいえば、人は過去の経験の記憶に基づいて未来を予測する。たとえるなら、過去の記憶がなければ、ある程度は、未来に何をしたいのかも覚えておけなくなるだろう。この意味で漢字文化は、真実か偽りかはともかく、最も重要な、自分自身の起源に関する記憶を失っている。言い換えれば、本来あるはずの起源の記憶が欠席している。しかも、その状態は今まで続いているのだ。

3項 時間の系譜とその位置

科学史とその哲学を研究する呉国盛の議論によれば、漢字で書かれた文学を考察することで、漢字文化の時間感覚を読み取ることができる。23

簡単にいえば、古代中国には、循環的な時間感覚と直線的な時間感覚の両方があった。これと対照的なのが、極端で単純な時間感覚を持つキリスト教文化とインド文化である。キリスト教文化の時間感覚は、先に述べたように、極端に直線的である。一方、インド文化の時間感覚は、極端に循環的である。現代科学を生み出したのは、キリスト教の直線的な時間感覚だった。

第二節 欠席した主体性

1項 捨てられた地で語り続ける

大澤真幸の研究24によれば、宗教改革期のカトリックとプロテスタントでは、告白のもたらすものが正反対だった。話し言葉によるか、書き言葉によるかで時間感覚が異なり、また、告白に結果が与えられるかどうかも異なるためである。カトリック信者は、神との関係が相対化されることで、現世において自分の罪から解放されるという心理的効果を得られる。一方、日記という形で告白するプロテスタントは、直線的な時間感覚の中で、自らの罪を悔い改め続けることになる。

原罪という精神的な起源を持ち、日記を書くことで生涯にわたって悔い改める。その過程で、日記の中に「語る私」と「語られた私」の区別が生まれる。これと比べるなら、精神的な起源――明確な神話体系と直線的な時間感覚――を持たない漢字文化には、「語る私」と「語られた私」の区別を生み出す可能性はなかったはずだ。実際、漢字文化圏は、日記という文学形式の誕生地でもなかった。

2項 第三者の審級への到達の不可能と不能

フーコーが考察したパノプティコンは、絶対王政期の「王の二つの身体」を純化したものだった。自然的身体を取り除き、政治的身体だけを残したものだ。そこにあるのは、「規律訓練型」の権力と剰余権力である。25

日記を書いて悔い改めるプロテスタントの告白は、「神≒パノプティコン≒第三者の審級」の支配下で、自分のアイデンティティを問い続けることの表れだ。日記の中の「語る私」は、ほとんど第三者の審級と等しい位置を得る。しかし、究極的には、そこへの到達は不可能である。それでも「語る私」は、直線的な時間感覚のもとで問いを繰り返すことにより、第三者の審級の代理人となった。26

それに対し、直線的な時間感覚と循環的な時間感覚を併せ持つ漢字文化では、たとえ一時的に第三者の審級へ近づくことができても、循環的な時間感覚の作用によって、また元に戻ってしまうだろう。これが、第三者の審級への到達の不能である。

3項 The Birth of the Subject(主体の誕生)と主体の難産

この問いに費やす時間を極限まで縮めると、第三者の審級を代理する働きは、問い続ける「語る私」と一体になる。このとき、近代的な主体が誕生する――The Birth of the Subjectである。27

霧に包まれた漢字の世界を振り返ると、第三者の審級が自己に受肉することは、ほぼ不可能だった。もちろん、漢字を使う人々に近代的主体が受肉することは不可能だ、といっているのではない。漢字を使う人にも、それは可能である。ただし、その実現の過程では、おそらく他の言語の力を借りているのだろう。精神の面で漢字文化が直面している困難は、まさかの主体の難産なのだ。言い換えれば、現在という時点であるはずの主体性が欠席している。しかも、その状態はこれからも続いていくだろう。

第三節 「神秘—宗教—科学」というモデル

1項 Absoluter Geist(絶対精神)と科学の進歩

先にも述べたように、近代科学における知の増殖は、ヘーゲルの弁証法と関係している。さらに、その弁証法の源を問えば、前節で述べた、宗教的な環境における主体の誕生につながる。この弁証法は、主体の誕生を宗教の領域から哲学の領域へと移した隠喩なのである。こうして、近代科学の進歩の源泉が確保された。

2項 神は神で、人間は人間で

時代が進むにつれ、現世のさまざまな事象は、真理としての科学の仮説の集まりによって説明されるようになる。神の超越性も含め、反証不可能なものは偽命題とされ、神による救済は、現世では知りえないままにとどまる。はるかな神の国を仰ぎながら、人間の世界は繁栄していく。

3項 残されたのは神秘

後編の最後で、話は前編につながる。自然の斉一性原理と知の増殖によって繁栄する人間の世界にも、なお不可解な現象は残っている。この残されたものこそが神秘である。審判の日が来るかどうか分からないのと同じように、神秘の正体が明らかになる日も、来るかもしれない。まあ、内なる第三者の審級とともに、未来へ走っていくか。

小結 近代の非超克

ここまでの主題と結論を、確認しておこう。

漢字にとって、自らの起源は曖昧であり、欠席していた。そして、複数の時間感覚が混じり合う中、漢字文化にはまだ主体性が生まれていない。主体性を生み出した西洋文化は、「神秘—宗教—科学」というモデルを生み出したのである。

結論

第一節 あまりにも非近代的な

本論では、東洋の文字をめぐるさまざまな事象を考察した。ハーネフラーフが提示した、神秘主義を見分ける三つのモデルを用い、東洋の文字神秘主義に属する現象を分析した。そして、この種の神秘思想が超越的な姿で、われわれの生活を充たしていることを確認した。

さらに、神話学と文字学・文学の視点から、その超越的な姿、すなわち起源と主体性の欠席を確認した。最終的には、「神秘—宗教—科学」というモデルを基準とするかぎり、東洋はなお「近代の非超克」という状態に置かれている、との結論に至った。

第二節 細長い道と広い空へ

図に示したように、われわれ人間は、この細長く、広がり続ける道を歩いている。足もとの地面にたとえられるのが、反証可能な科学である。その周囲に空気のようにあるのが宗教の領域、そして大気の層に接しているのが、残された神秘だ。今の段階では、まだ手の届くものは少ない。だが、いつの日か、あの広い空へと旅立つだろう。

私はそう考えている。

中央下で細い緑色の科学の道が上方へ広がり、その周囲を宗教、さらに外側を神秘が包む模式図

[図注] 本稿の比較モデル。中央下から上へ幅を広げる緑色の道と同じ向きに、矢印は反証可能な説明の範囲が広がる方向を示す。科学が宗教や神秘に置き換わる順序を表すものではない。

コラム 呪術の世界と豊穣の世界

本編で考察したように、今なお漢字を使う東洋世界は、人を惑わすその呪術性・神秘性に魅了されている。そのため、われわれの精神世界は未成熟な姿のままだ。この未熟さがもたらした災いもある。東洋の学者たちの研究にも、その災いは見て取れる。

だが、甲骨文字の発見と解読によって、この曖昧さに終止符を打つ機会が訪れているのかもしれない。白川静さんは、人類学や神話学などの視点から、甲骨文字や上古の文字を研究した。その研究によって目の前に現れるのは、豊穣な古代の世界である。文字に潜んでいた思想の世界がよみがえる。白川静の研究を勧めたい。

本論の貢献と限界

さまざまな論証がすでに他の本でなされていたからこそ、ここまで議論を進めることができた。

主な貢献は、ハーネフラーフによる神秘思想の研究成果を用いて、東洋世界の神秘的な現象を見分け、分析したことにある。そして、それを大澤真幸の議論の文脈に結び付け、東洋世界は近代の非超克という状態にあるとの結論を導いたことである。

限界は、各部分を結ぶ論証がまだ弱いこと、そして東洋の神秘主義に深く踏み込めていないことだ。今後は、神秘思想と主体性に関わる表象を分析していきたい。

参考文献

  • Wouter J. Hanegraaff. 2013. Western Esotericism: A Guide for the Perplexed. Bloomsbury.

  • 大澤真幸『〈世界史〉の哲学 近代篇1 〈主体〉の誕生』講談社、2021年。

  • 大澤真幸『〈世界史〉の哲学 東洋篇』講談社、2014年。

  • 吴国盛『时间的观念』北京大学出版社、2006年。

  • 袁珂『中国神话史』北京联合出版公司、2015年。

  • 田中克彦『言語学者が語る漢字文明論』講談社、2017年。

  • 白川静『中国の古代文学(一) 神話から楚辞へ』中央公論新社、2003年。

  • 小熊英二『基礎からわかる 論文の書き方』講談社、2022年。

本文終わり
注27

注釈

  1. 訳注:参照されるハーネフラーフの研究分野は「西洋エソテリシズム」である。本稿では、それを広く「神秘」「神秘主義」「神秘学」と呼んでいる。 ↑

  2. 広い意味では、神秘的な実践も含まれる。 ↑

  3. Wouter J. Hanegraaff. 2013. Western Esotericism: A Guide for the Perplexed. Bloomsbury, p. 120(原文の指定頁。訳注2参照)。 ↑

  4. 訳注:注2の原指定は120頁だが、同書の2013年PDF版(電子版ISBN 978-1-4411-8897-7)では、この語は123頁に現れ、138–142頁で詳しく論じられる。頁数はいずれも紙面の表示による。 ↑

  5. Hanegraaff, 2013, p. 5. ↑

  6. ポストモダンも含む。 ↑

  7. 注3と同じ。 ↑

  8. 本注は、小熊英二『基礎からわかる 論文の書き方』(講談社、2022年、124頁)から引かれた説明による。自然の過程はいつでも斉一的である、という原理が因果関係の前提となっている。この点について、同書はデイヴィド・ヒューム、大槻春彦訳『人性論』(岩波文庫、1948–52年)、第一篇第三部第六節、第1巻、149頁を参照している。 ↑

  9. Hanegraaff, 2013, p. 7. ↑

  10. 現時点で、甲骨文字は確かに漢字の源である。 ↑

  11. Hanegraaff, 2013, p. 132. ↑

  12. 訳注:「指導」は本稿著者による Orientation の訳語。参照先では、ある中心や起源を基準として自分の位置を定めることが論じられている。 ↑

  13. 大澤真幸『〈世界史〉の哲学 近代篇1 〈主体〉の誕生』講談社、2021年、第13章。 ↑

  14. Hanegraaff, 2013, p. 10. ↑

  15. Hanegraaff, 2013, p. 11. ↑

  16. 田中克彦『言語学者が語る漢字文明論』講談社、2017年、第三章。 ↑

  17. 田中克彦『言語学者が語る漢字文明論』講談社、2017年、第三章。本稿では、同書に引かれた記述を孫引きしている。 ↑

  18. 以下は、小熊英二『基礎からわかる 論文の書き方』(講談社、2022年、89頁)からの転載として原文に掲げられた注である。「本文中」は転載元の本文を指す。

    論理実証主義者以降の議論を想定しています。本文中の「検証」が verification なのか、confirmation なのか、corroboration なのかは、ここでは深入りしません。関心のある人は、戸田山和久『科学哲学の冒険――サイエンスの目的と方法をさぐる』(日本放送出版協会、2005年)の55–56、77頁を読んでください。論理実証主義への歴史的評価としては、伊勢田哲治『科学哲学の源流をたどる――研究伝統の百年史』(ミネルヴァ書房、2018年)や、野家啓一『クーン――パラダイム』(講談社、1998年。『パラダイムとは何か――クーンの科学史革命』と改題し、講談社学術文庫、2008年)第二章が分かりやすいです。 ↑

  19. 白川静『中国の古代文学(一) 神話から楚辞へ』中央公論新社、2003年、第一章第三節。 ↑

  20. 袁珂『中国神话史』北京联合出版公司、2015年、序論。 ↑ ↑

  21. 大澤真幸『〈世界史〉の哲学 近代篇1 〈主体〉の誕生』講談社、2021年、第11・12章。 ↑

  22. 大澤真幸『〈世界史〉の哲学 近代篇1 〈主体〉の誕生』講談社、2021年、297頁。 ↑

  23. 吴国盛(呉国盛)『时间的观念』北京大学出版社、2006年、第二章。 ↑

  24. 大澤真幸『〈世界史〉の哲学 近代篇1 〈主体〉の誕生』講談社、2021年、第17章。 ↑

  25. 大澤真幸『〈世界史〉の哲学 近代篇1 〈主体〉の誕生』講談社、2021年、第16章。 ↑

  26. 注22と同じ。 ↑

  27. 大澤真幸『〈世界史〉の哲学 近代篇1 〈主体〉の誕生』講談社、2021年、第17章。 ↑

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