気がつけば、『小林さんちのメイドラゴン』の放送開始からもう2年。最近は第2期の話も聞こえてきた。
この軽快なコメディアニメを楽しむなかで、筆者なりに考えたことや、細部に目を留めて気づいたことがある。2周年のこの機会に、作品を好きな読者のみなさんに贈りたい。
1.人生は短い、だからPython!

画像内の中国語字幕の意味:小林は最近ずいぶん明るくなった、という意味。

小林がプログラマーとして働いていることには、みなさんも気づいているだろう。勤め先はIT企業だろうか。筆者の記憶が正しければ、アニメには小林のコードが映るカットが一つ、そして同僚が小林にチェックを頼むコードが映るカットがもう一つあった。この場面では、画面を流れる弾幕コメントも「Python!」で大盛り上がり。「どの言語が最強か」戦争まで始まりそうな勢いだった。
Pythonは、インタプリタ型で、オブジェクト指向と動的型付けを特徴とするプログラミング言語だ。初心者にも親しみやすく学びやすいこと、書くコードの量が比較的少なくて済むことなどから、ここ数年、人気の言語の一つになっている。2枚目の同僚のコードには、あるオープンソースプロジェクトと似たところがあるのだが、ここでは小ネタということで、深追いしないでおこう(笑)。
2.女性プログラマーの服装は?
世間には、プログラマーの服のセンスや美的感覚に対するステレオタイプがある(怒!)
そんなつまらない思い込みは、女性プログラマーの小林に打ち破ってもらおう……!


メイドという属性を強調するため一年中メイド服を着ているメイドラゴンや、子どものカンナとは違い、立派な女性プログラマーである小林の服装は実に多彩だ。下の画像も含め、筆者が挙げただけでも12種類ある。
まず目につくのは、部屋着と外出用の普段着の違いだ。衣装画像の2枚目、左から2番目にある黄色の長袖トップスは、家の外では着ていないようだ。外出時の普段着は、Tシャツや、2枚目の左端にある水色の長袖シャツが中心になっている。
次に、仕事着と普段着の違い。立派な(ここ大事)社会人である小林は仕事ではきちんとスーツを着ている(2枚目の左から4番目)。黒い上着を脱ぐことはあっても、会社ではネクタイを外さない。そう、チェックシャツではないのだ。普段着では、Tシャツや長袖シャツのほかに、薄緑色の無地のパーカーもよく着ている(2枚目の中央)。派手な柄はなく、すっきりとしていて見栄えもいい。合わせやすく、まず外さないトップスだ。

さらに、服装からは季節の移り変わりも見て取れる。冬になると、普段着に黄土色のコートが加わり(最初の服装画像の左から4番目)、スーツの上にはダッフルコートを着て、マフラーを巻く(上の画像)。ダッフルコートは、秋冬から春先まで暖かく、重ね着もさまになる神アイテム。JKから社畜まで似合うので、読者のみなさんもダウン以外の選択肢として考えてみては。
最後に。そもそもは、プログラマー――女性プログラマーも含めて――の服のセンスに対する思い込みへの抗議だった(ここ大事!)。けれど、こうしてひと通り眺めてみると、注意深い読者はある特徴に気づくかもしれない。小林には、アニメでスカートをはいた姿がないのだ。少なくとも筆者は見つけていないし、あったとしても、ごく少ないことは間違いない。これはどういうことだろう。よく考えてみると、小林の服装はきちんとして見栄えがよく、着こなしにも幅があるものの、どちらかといえば男性的な特徴が強い。「萌え」や「可愛い」といった女性を示す記号が強調されていないのだ。セクシーなミニスカートはおろか、上品なロングスカートさえない。短髪や貧乳という属性も合わせて考えると、よく見かける冗談めいた弾幕にも、なるほどと思えてくる。小林って、男主人公じゃない?
そう、小林は案外、本当に「男主人公」なのかもしれない。
3.自立した女性・小林、あるいは核家族の精神的な「父親」
小林の背景設定を思い出してみよう。筆者の記憶が正しければ、「地方」出身で、東京の大学に合格し、そのまま東京で就職した独身のOLだ。現代的なマンションに住んでいる。まずこれだけで、自立した女性という印象を受ける。コンピューターサイエンス系の専攻やプログラマーという職種には女性が少ない、という一般的なイメージも合わせれば、小林は初めから、か弱くて可愛らしいタイプではなく、颯爽として芯の強い人物として設定されているといえる。

画像内の中国語字幕の意味:津崎を勇者だと繰り返して称える言葉。
こういってもいいだろう。小林は自分の努力で、厳しい社会と競争の激しい業界で足場を固め、さらには職場で広く信頼される「柱」のような存在になった。実に尊敬に値する。だが、そんな強い小林にも、つらいことはある。故郷を離れ、私生活ではひとりぼっち。上司には嫌な思いをさせられる。

画像内の中国語字幕の意味:どうして自分はひとりぼっちなのか、という言葉。

画像内の中国語字幕の意味:何というくだらない仕事だ、そんな小さな問題まで自分に直させるのか、という怒りの言葉。
こう考えると、先ほど見た小林の服装に可愛らしいものが少ない理由にも合点がいく。誰かに甘えて寄りかかるタイプではないのだ。強く、やや口数が少なく、仕事ぶりを信頼され、やりきれない思いは酔ったときにこぼす。小林は、大都会で自分の力で懸命に働き、自活する無数の若者たちの縮図なのである。
では、なぜ筆者は小林を精神的な「父親」と呼ぶのか。実は、少し考えればすぐにわかる。


やって来たトールとカンナは、核家族の母親と子どもに当たる象徴的な位置を、それぞれ占めている。しかも、ここでの「子ども」は普通の子どもではない。カンナもトールも異世界から来たドラゴンで、人間社会の規範をまるで知らず、初めはそれを守るつもりさえなかった。小林と二頭のドラゴンがそろえば、まさに仲むつまじい家族そのものだ。社会で懸命に働き、ある程度の成功を収めた小林は、社会のどうにもならない一面もよく知っている。そんな彼女が、商店街の仲間や近所の人、学校の友達とどう仲よく付き合えばいいかを、二頭にたびたび教えている。構造主義以後の文化社会学から見れば、これはまさに「父親」の役割だ。権威をもって教え導く者ともいえる。小林は、人間社会の秩序が持つ意味と、そこで生きる苦しさや楽しさを、トールとカンナに伝えているのである。
4.ドラゴンと人、その救いと希望
メイドラゴンとカンナが来る前、小林はひとりぼっちだった。酒で憂さを晴らそうとしても、憂いは募るばかり。ところが、可愛くて不思議な力を持ち、人懐っこい二頭のドラゴンが生活に飛び込んできてからは、最近ずいぶん明るくなったとも言われるようになる(第1節の最初の画像)。会社の外での人付き合いが増え、それどころか、温かな家庭まで手に入れた。もちろん、この変化は、ただ空から降ってきた贈り物なのではない。二頭のドラゴンと、強くて優しい小林とのあいだに起きた化学反応なのだ。もともと小林は、同僚に広く信頼される人だった。そうでなければ、あんなにたくさんチョコレートをもらうはずがない。


小林は、心の通う仲間から、さらなる力を得た。そこにあるのは、人と「人」との心からの交流だ。主人として、あるいはメイド好きとしてメイドラゴンに接するのとは違う。小林はもう、ひとりぼっちではない。トールとカンナがそばにいて、力になってくれる。このネオンきらめく大都会で、小さく温かな自分の居場所と、そこにともる灯を守っている。
今度はメイドラゴンのトールを見てみよう。小林に出会う前、彼女は寂しさと不自由を感じていたと語っている。

なぜ寂しいのか。ここは筆者も、思い切って推測してみたい。ドラゴンは強大で、何の決まりにも縛られない。だから単独で暮らし、ほかのドラゴンと心から通じ合うことはめったにない。では、なぜ自由ではないのか。選べないからだ。ドラゴンに生まれたことを、彼女は別に申し訳ないとは思っていない。だが、こうして寂しく生きることは初めから決まっている。盗賊の少女の場合とは違う。少女は貧しく身分の低い生まれでも、少なくとも盗賊になるか奴隷になるか、二つの道のどちらかを選ぶ自由があった。トールには選択肢がない。ドラゴンが代々送ってきた、強大で孤独な生を送るほかないのだ。たとえ世界中を飛び回れても、それは自由ではないといえる。

画像内の中国語字幕の意味:自分の人生の選択肢は、奴隷になるか盗賊になるかの二つしかない、という説明。
小林に出会ったことで、トールには、小林の家族に加わって人間社会の規範に縛られるか、それともドラゴンの世界に戻るかを選ぶ自由が生まれた。迷い、考えることもあった。人間の暗い一面を思い知らされたときには、なおさらだ。それでも考えた末に、彼女は小林のそばに残ることを選んだ。メイドラゴンはメイドだ。だがもちろん、メイドではない。倫理的共同体である家族のなかで、対等な一員としていたわられ、ある種の救いを得たのだ。東京のこの片隅で、三人――人とドラゴン――は、それぞれ自分の居場所を見つけた。
『メイドラゴン』を好きな読者のみなさんが、この記事を通して、好きになる理由をもう少し見つけてくれたらうれしい。拙い文章だが、このあたりで筆を置く。