- 柄谷行人『探究Ⅱ』第一部:固有名をめぐって|第一章:単独性と特殊性
- 柄谷行人『探究Ⅱ』第一部:固有名をめぐって|第二章:固有名と歴史
- 柄谷行人『探究Ⅱ』第一部:固有名をめぐって|第三章:名と言語
- 柄谷行人『探究Ⅱ』第一部:固有名をめぐって|第四章:可能性と現実性
- 柄谷行人『探究Ⅱ』第一部:固有名をめぐって|第五章:関係の偶然性
この本(『日本近代文学の起源』)で、柄谷行人は明治維新期の日本の近代化をめぐる歴史像と文化像を画期的に描き直した……この本が私たちの心を動かす主な理由は、明治維新によって構築された近代的自我、書くこと、文学、科学の客観性といった制度を「ポストモダン」の方法で分析し、「もうひとつの歴史」を提示したことにあるのではない。むしろ、日本の近代化という巨大な実験室を私たちに示したことにある。そこでは、新たなスローモーションの手法によって、私たち自身の近代化の特徴をはっきりと見て取ることができるのだ。
——フレドリック・ジェイムソン「重なり合う近代性の鏡像」
九〇年代末には、日本の文芸批評——小林秀雄以来の独自の領域——は、すでに衰退し、解体していた。いまの文芸批評は、かつて備えていた精神的な刺激、緊張感、知を築く力、そして知的な衝撃力を、いっそう失っている。それでも、小林秀雄以来もっとも名高い批評家である柄谷行人は、いまだに文芸批評家を自称している。これは、文芸批評の死に抗う彼の苦闘としか考えられない。
……一九八四年以降の柄谷は、『探究Ⅰ』(一九八六年)、『探究Ⅱ』(一九八九年)という堅実な理論的著作を相次いで刊行する一方で、自らの批評の内向性を捨てはじめ、「世俗批評」の機動性と柔軟さを強調するようになる。また、『季刊思潮』(一九八八―九〇年)、『批評空間』(一九九一年―)の編集同人として、ほかの知識人たちと積極的な模索を重ねていった。
——東浩紀
今日の英語では、「pig(豚)」は農民が飼育する家畜を指し、「pork(豚肉)」は私たちが食べる肉を指す。ここには階級の違いがあからさまに現れている。「pig」は古いサクソン語の単語であり、サクソン人は身分の低い農民だった。一方、「pork」はフランス語の「porque」に由来し、特権を享受するノルマン人の征服者たちが使っていた。彼らの食べる豚肉を供給していたのは、ほかならぬ農民たちだったのだ。こうした言葉の区別は、生産と消費のあいだの深い溝を示している。柄谷行人は、畏敬の念を抱かせる著作『トランスクリティーク――カントとマルクス』で、これを「視差」の一例として取り上げている。同世代でもっとも注目すべき日本の文芸批評家として、柄谷は早くから名を馳せていた(『日本近代文学の起源』はフレドリック・ジェイムソンによって英語圏に紹介されている)。いまや柄谷は、『隠喩としての建築』での一連の思索から離れ、根本的な試みへと向かっている。現代の資本の帝国に抵抗するための、哲学的・政治的な基盤を鍛え直すという試みだ。異端的な理論を打ち立てようとする野心と、もうひとつの革命の伝統(ここでは主にアナーキズム)への関心という点で、『トランスクリティーク』は、ロベルト・アンガー(Roberto Unger)がブラジルで刊行した政治学三部作に比肩するかもしれない。しかし、柄谷の思想世界はよりマルクスに近く、その背後にはドイツ古典哲学の伝統がある。
——スラヴォイ・ジジェク
しかし、実際には、世界全体が「日本化」しているわけではありません。日本では、知的・倫理的な要素がすっかり消えてしまいました。そういうものを嘲笑する人たちが幅を利かせている。「サブカルチャーや漫画、アニメは本当にすばらしいものだ」という言い方は、かつてはアイロニー(反語)であり、それだけの批評性もありました。しかし、いまの日本にはもうアイロニーがありません。あるのは夜郎自大な肯定だけです。はっきりいえば、いまの日本にはもう何もありません。しかも、回復の余地もありません。しかし、私はまだ希望を捨てていません。これから、もっと頑張ってやっていきます。
——柄谷行人