この記事では『ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風』第03~07話を分析する。演出分析が中心で、ストーリーや作画の分析にはあまり立ち入らない。
第03話の分析
第03話のスタッフ(一部):
脚本:ヤスカワショウゴ
絵コンテ:木村泰大
演出:木村泰大
総作画監督:田中春香
アクションディレクター(アクション作監のこと?):片山貴仁、岩崎安利
作画監督:SHIN HYUNG WOO、木下千恵、中野圭哉
1. 短いカットをいくつか分析

少し厳しいことを言うと、この一連のカットはあまりよくないと思う。直前の画面では両手とも空だったのに、次の画面では何もないところからお金が現れていて、ひどく唐突に感じる。わざわざ原作のコマ割りを見返してみたのだが、スタッフは漫画のコマを再現しようとして、こう描いたのだと思う。ただ、問題は媒体が違うことだ。原作漫画では、お金が現れる一つ前のコマに手の震えを表す効果線があり、お金が現れるコマには落下を表す効果線がある。そこを読者が頭の中で補うことで、一連の流れがそれほど唐突にはならない。けれど、アニメでそのままなぞっても、同じ効果は出せない。

先ほどのカットとは対照的に、ここはすごく好きだ。擬音文字という漫画の要素を使いつつ、アニメという媒体とうまく組み合わせているからだ。擬音文字を引き伸ばすことでガスの噴出を表し、文字を画面の一部にしている。漫画のように、動かない文字として使っているわけではない。
2. ワイプを使った面白いつなぎ

(字幕補足:中国語字幕では、様子を尋ねたあと、先ほどのものがスタンドだったのかと疑っている。)
このワイプには、変わったところが二つある。一つは、二つのカットに共通する人物を使ってワイプしていること。もう一つは、二つのカットで時間と空間がずれているのに、人物の動作は連続していることだ。
元の映像では足音が計6回続き、ジョルノがカット1の位置からカット2の位置まで歩いたことを示している。ところが画面だけでは、ジョルノがその6歩を歩いたのかどうかは判別できない。そのため、足音が示す移動と画面に見える動きが、ずれているように感じる。ジョルノの動きがはっきりわからないこともあって、カット1で歩くジョルノを追いかけたというより、カット2で静止しているジョルノの周囲をカメラが回り込んだようにも見える。滑らかにつながっているのに、ずれも感じるのだ。
演出の狙いとしては、サスペンスの雰囲気を出すためなのだろう。
3. 康一がパスポートを見つける場面のつなぎ

(字幕補足:中国語字幕では、日本の紋章に気づき、自分のパスポートが見つかったことを喜んでいる。)
ここは全部で三つのカットからなる。康一が引き出しを開けるミディアムショット→パスポートのアップ→パスポートを高く掲げる康一の俯瞰ショット。つまり、カットの切り替えが2回必要になる。
このうち、少なくともカット2と3の間では明らかに時間が飛んでいる。パスポートを手に取るといった動作が省かれているからだ。そこで使われているのが、前後のカットで目を引く部分に共通点を持たせるという、つなぎの技法だ。ここではパスポートの大きさや向きを近づけて、滑らかにつないでいる。
カット1からカット2へ移る際には、一気に寄る(というより画面を拡大する)。引き出しの中のパスポートを大きく見せたところで、カット2のアップに切り替える。
一方、カット2のパスポートは、康一の姿が見えるカット3のものに比べて大きすぎる。そこで、カット3のパスポートを大アップにした状態へ切り替えてから、画面を回転させながら引いていく。
そのまま引かずに、なぜ回転させながら引くのか。それは、前後のカットでパスポートの向きを合わせるためなのだろう。下の図を見ると、それぞれの向きがわかる。

それだけでなく、回転しながら引くことでカットの切り替わりを目立たなくし、滑らかにつなぐとともに、康一の高揚した気持ちを強調しているのだと思う。
では、カット3の画面全体の角度を変えて、回転させずに引いたらどうなるだろう? 早く書き上げたかったので、映像制作ソフトのAEでこのカットを作り直してみる時間はなかった。だから、それでも気持ちを強調できるかはわからない。ただ、確実に言えるのは、そうすると元の画面の構図が崩れてしまうことだ。

元の画面は傾いた構図で、人物が左下から右上へと画面を占めている。これには、人物が画面に占める割合を大きくすることと、伸び上がった体を長く見せること、二つの働きがある。途中のパスポートを取り出す動作が省かれているので、こうすることで動作の大きさを強調し、うれしい気持ちを引き立てられる。(編者:康一くんの背が高く見えるもんね~。ニヤリ顔.jpg)
対照的に、傾きをなくした比較図にはそうした効果がない。そのうえ、大きく空いた部分の背景を描き足す必要があり、作画量も増えてしまう。
まとめると、この三つのカットは、目を引く部分に共通点を持たせることで滑らかにつながっている。とりわけ重要なのはカット3だ。人物の気持ちを強調すると同時に、止め絵と特殊なつなぎを組み合わせてパスポートを取る動作を省き、作画量も減らしている。
以上は深読みしすぎかもしれないので、簡単には信じないでほしい。実際のところはスタッフにしかわからない。
第04話の分析
第04話のスタッフ(一部):
脚本:ヤスカワショウゴ
絵コンテ:木村泰大
演出:鈴木恭兵
総作画監督:田中春香
アクション作画監督:岩崎安利
作画監督:森藤希子、重本和佳子、横山謙次、中野圭哉、木下千恵
この回は本当にあまり話すことがない。カットはいくつか集めたものの、取り上げるほどのものはここだけだった。(肩をすくめる)
1. つなぎに挟まれた灰色一色のフレーム

再生速度を落としてあるので、GIFの途中に灰色のフレームが何枚か入っていることには、誰でも気づくだろう。正確には3フレームだ(ただ、PotPlayerで連続してスクリーンショットを撮ると灰色の画面は1枚しか撮れなかったのに、映像編集ソフトのPRで1フレームずつ送ってみると、確かに3フレームあった)。
ここは演出の目的がわかりやすい。矢じりをつかむ動作を描かずに、次のカットへつなぐことだ。そのために灰色の画面を3フレーム挟み、そこにスタンドが矢じりをつかむ効果音を入れる。これで滑らかにつながる。同じような例には、刀が一瞬きらめく画面に、刃がぶつかる音を重ねるものもある。これぞ節約の芸術だなあ╮(─▽─)╭。
ちなみに、ほかの色ではなく灰色なのはなぜか。個人的には、灰色は最もニュートラルな色で、いろいろな色調の画面によくなじむからだと思う。
第05話 ポルポの遺産を狙え!
脚本:小林靖子
絵コンテ:津田尚克(総監督)
演出:亀井隆弘
作画監督:髙阪雅基、藤本真由、SHIN HYUNG WOO、石本峻一
総作画監督:石本峻一
1. 二つのカットを分析
色の違いで人物を際立たせる

(字幕補足:上の中国語字幕は、以前車を壊した人物への皮肉。下は、ブチャラティが市民に慕われているのを見て、自分の見立てが正しかったと認める言葉。)
ここでは、最も手前のジョルノは青みがかった暗い色、中ほどのブチャラティは黄色みがかった明るい色になっている。背景の人々はぼかされ、灰色がかった暗い色調だ。こうしてブチャラティを際立たせている。同じように色で重要な人物を目立たせる手法は、ほかのアニメにもある。極端な例が『デュラララ!!』で、重要な人物だけに色があり、通行人はみんな一様に灰色だ(下の図)。

ごく普通の工夫ではあるけれど、JOJOの色の使い方の一例として補足しておく。
移動方向も斜めになったカメラワーク


(字幕補足:上のGIFと比較図の中国語字幕は、ブチャラティに自分たちを守ってくれるかと問いかける言葉。)
ここは、もともとのカメラの角度が傾いているだけでなく、カメラの移動方向も、画面の垂直方向に対してわずかに斜めになっている。比較図では、垂直な赤線と斜めの青線がその違いを示している。ブチャラティがその時感じた驚きと、わずかな動揺を強調するためだ。
第06話 ムーディー・ブルースの逆襲
スタッフ(一部):
脚本:ふでやすかずゆき
絵コンテ:髙橋秀弥
演出:三上喜子
作画監督:横山謙次、千葉山夏恵、森藤希子、中野圭哉、重本和佳子
総作画監督:田中春香
1. ムーディー・ブルースの登場

(字幕補足:中国語の「忧郁蓝调」は、ムーディー・ブルースのこと。)
まず、ムーディー・ブルースというスタンドの特徴を挙げておこう。色は紫。表面にはガラスや革の服を思わせる光沢があり、光が流れるような効果がある。音を再現する能力も持っている。
ここでは、登場を印象づけ、そうした特徴を際立たせるために、いくつかの手法を使っている。

まずは、迫力たっぷりの残像。存在を際立たせているし、しかも、かっこいい。

次に、筋状に流れる光をふんだんに使っている。その色はスタンド自体の色調に合わせてあり、光の流れはカットが切り替わるときにスピード線のような効果も出している。たとえば左上の光は水平方向に流れているが、スタンドのアップ(右上、左下)では縦方向になる。これは、手→目→額と上へ移っていくカメラの方向と一致する。そして最後の、両端がとがった横長の光(右下)は、電波が不安定な感じを表している。
この部分の音楽も、こうした映像に合わせている。ラジオの周波数を合わせているように聞こえ、最後にスタンドの上半身が映るところで、ちょうどチューニングが合うのだ。
2. いくつかのカットの演出分析

(字幕補足:中国語字幕では、今、話す権利があるのは自分だとズッケェロが主張している。)
ここでは、ハエがブチャラティのアップを囲む枠を真っ二つにすることで、ズッケェロがブチャラティを黙らせることを強調している。

(字幕補足:中国語字幕は、猫のような声で鳴く鳥がウミネコだと説明している。)
ズッケェロとブチャラティの会話中、長い台詞もBGMもないところでは、その間をウミネコの鳴き声で埋め、その場の緊張感を強調している。ズッケェロの嘲りも表しているのかもしれない。

第07話 セックス・ピストルズ登場 その①
スタッフ(一部):
脚本:ふでやすかずゆき
絵コンテ:鈴木恭兵
演出:鈴木恭兵
作画監督:森藤希子、真島ジロウ、姉崎早也花、小林亮、千葉山夏恵
総作画監督:田中春香、石本峻一
1. ズッケェロが太陽光で焼かれる場面の演出
この回のギャングダンスは本当に最高だった。ただ、ダンスや音楽以上に好きなのが、この太陽光で焼かれる場面の演出だ。この数話の演出のMVPと言っていい。

ここでは太陽光を分散させ、色とりどりの光にしている。理由の一つは、左下や右下のように光が集中する様子をよりよく見せるため。もう一つは、写実から離れた映像へと見る側を引き込み、後に続く演出の下地を作るためだ。右上で人物の像を繰り返し並べる表現も、そうした非写実的な演出の一つである。

続いて、ズッケェロの状態を表す抽象的な演出のカットが三つある。後の二つは長く見ていると目がつらくなるので、GIFは載せないことにする。
この三つのカットで画面が高速に変化するのは、曲中のボーカルが速いテンポで畳みかける部分に合わせたものだ。ダンス部分が1秒に8枚(3コマ打ち)の作画なのに対し、ここは1秒に12枚(2コマ打ち)になっている。
もちろん、肝心なのはこの部分の画面だ。こういうときこそ、本を読んでこなかったことが本当に悔やまれる。絵について学んだことがないので、この三つのカットがどんな様式なのか、どういう手法で作られたのか、似た絵画作品があるのかといったことを、正確には語れない。自分なりにわかる範囲で、少し話してみるしかない。
最初のカット(上の図)では、背景の液体が上へ流れ、そこへしずくが落ちてきて散らばる。人物の変形はそれほど激しくなく、大きな拡大・縮小もない。この時点では、ズッケェロもまだ持ちこたえている。

二つ目のカット(上の図)では、直角に折れ曲がった黄色い線が背景で寄ったり引いたりする。おそらく、四方から差し込む直線的な太陽光に合わせたものだろう。ズッケェロの目からも煙が出始め、同時にその顔が一度、大きく拡大・縮小される。拡大されたときには、激しく汗をかいているのが見える。

三つ目のカット(上の図)では、ズッケェロのまぶたや眉毛、口のジッパーなどの細部が省かれ、ほとんど骸骨のようになっている。それと同時に、背景と人物の色調が激しく変わり、人物の拡大・縮小も激しくなる。この時にはもう、死にそうな感じが伝わってくる。
この独創的な一連のカットを考えたのが原画担当なのか、それとも絵コンテと演出を兼ねた鈴木恭兵なのかはわからない。それでも、考えた人の驚くべき想像力には感服する。
編者注:カットごとに見ていくのは、ほんと大変だなあ。