一篇の記事(五万字)で、以下のフェミニズム主要概念を速習するには?
自由主義フェミニズム、社会主義フェミニズム、ラディカル・フェミニズム、実存主義、交差性理論、第三波、ポスト構造主義とポストモダニズム、クィア&トランス、ポストコロニアルとグローバル・フェミニズム、映画理論と男性のまなざし……
原書:
- Reading Feminist Theory: From Modernity to Postmodernity(スーザン・アーチャー・マン/アシュリー・スザンヌ・パターソン編)
- Feminist Film Theory and Pretty Woman(マリ・ルティ著)


「北京宣言」ポスター下部の対応文(第1〜7項)
以下は内閣府男女共同参画局掲載の「第4回世界女性会議 北京宣言」からの抜粋。項番号は図内の番号に対応し、太字はポスターの強調箇所に対応する。
- 我々,第4回世界女性会議に参加した政府は,
- 国際連合創設50周年に当たる1995年9月,ここ北京に集い,
- 全人類のためにあらゆる場所のすべての女性の平等,開発及び平和の目標を推進することを決意し,
- あらゆる場所のすべての女性の声を受けとめ,かつ女性たち及びその役割と環境の多様性に留意し,道を切り開いた女性を讃え,世界の若者の期待に啓発され,
- 女性の地位は過去十年間にいくつかの重要な点で進歩したが,その進歩は不均衡で,女性と男性の間の不平等は依然として存在し,主要な障害が残っており,すべての人々の安寧に深刻な結果をもたらしていることを認識し,
- また,この状況は,国内及び国際双方の領域に起因し,世界の人々の大多数,特に女性と子どもの生活に影響を与えている貧困の増大によって悪化していることを認識し,
- 無条件で,これらの制約及び障害に取り組み,世界中の女性の地位の向上とエンパワーメント(力をつけること)を更に進めることに献身し,また,これには,現在及び次の世紀へ向かって我々が前進するため,決意,希望,協力及び連帯の精神による緊急の行動を必要とすることに合意する。
自由主義フェミニズム
「女性問題」と啓蒙思想
自由主義フェミニズムの理論の最も深い根源は、18世紀にヨーロッパとアメリカ植民地の社会生活の基盤を揺るがした啓蒙思想にある。「啓蒙」という語は、新しい社会思想が世界を暗黒と無知の時代から、科学と理性の世界へ導くという考えに由来する。当時は急進的だったこの思想が、フランス革命とアメリカ独立戦争という主要な革命に思想的基盤とスローガンを与えた。政府を組織するには、政府と市民の権利・責任を定める書面の契約が必要である。市民は同意なしに統治されてはならず、政府が責任を放棄したり市民の権利を侵害したりすれば、政府を倒すことさえできる。啓蒙思想家はまた、言論の自由や集会の自由など、市民には「生まれながらの、奪うことのできない権利」があると主張した。
しかし「女性問題」に関しては、多くの啓蒙思想家の見解は、彼らの批判精神が示すほど進歩的ではなかった。これは、独立戦争直前のアビゲイル・アダムズと夫ジョンの往復書簡(選文8)に明瞭に現れる。夫が独立宣言を起草していたとき、アビゲイルは「女性たちを忘れないで(Remember the Ladies)」と求めた。ジョンはその要求を奇妙でいたずらなものと受け止め、笑わずにはいられないと返した。彼の参政権観は啓蒙思想家の典型であり、女性に投票権を与えることを拒むとき、ジェンダー、階級、人種がどのように交差していたかを示している。他の多くの男性啓蒙思想家と同じく、ジョン・アダムズは財産所有を参政権の資格とした。財産のない人は「他人に頼りすぎて自分の意志を持てない」と考えたのである。啓蒙思想は当時急進的だったが、それが誇らしく掲げた権利から、なお多くの人が排除されていた。
近代初期アメリカ女性運動の台頭
既婚女性が財産を持てず、収入や富を管理できなかったのは、アメリカの大部分の婚姻法を支配したカヴァーチャー(coverture、夫と妻を法的に一体とみなす制度)のためである。男と女が結婚すると法の前では一人になる。その「一人」とは男であり、彼が家の財産と収入を支配し、妻や子をしつけ、罰する法的権利を持つ。ケイト・ショパンの「一時間の物語」(選文16)は、カヴァーチャーの拘束と、列車事故で夫が死んだと思った妻が感じる自由を描く。
奴隷制廃止運動は19世紀アメリカ女性運動の重要な導火線だった。著名なフェミニストで奴隷制廃止運動家サラ・グリムケは、「両性の平等と女性の境遇についての手紙」(1837年、選文10)で、奴隷ではない女性についても、知性を伸ばす力や機会が悲惨なほど乏しいとフェミニズムの立場から批判し、奴隷女性が受ける暴政と性的暴力を力強く描いた。奴隷制には関係がないと言って恐るべき放蕩と残虐を傍観するアメリカ女性が、いったいありうるのかと問いかけ、傍観によって罪を免れることもできないと述べた。
奴隷制廃止運動で女性たちは重要な政治・組織運営の技能を学んだ。しかし男性の奴隷制廃止論者と対等には活動できないことも知った。女性は一部の奴隷制廃止団体への加入を禁じられ、公共の場で話すだけの権利のためにも闘わねばならなかった。白人自由主義フェミニストが要求を押し出す際の主要な主題の一つは、自分たちの自由の欠如と奴隷の境遇の類似性を強調することだった。これは、選挙で不法投票したため逮捕された後のスーザン・B・アンソニーの演説(選文15)に見られる。大統領選で投票しようとして逮捕された彼女と15人の女性の裁判で、アンソニーは奴隷ではない女性も奴隷も、財産を持ち、収入を管理し、自分の名を保ち、子の親権を持つことができないと論じた。ただし原書第5章で論じられるように、多くのアフリカ系アメリカ人女性はこの比較を好まなかった。奴隷の生活と白人中産階級の婦人参政権論者の生活には明白な違いがあったからである。
セネカ・フォールズの「所感の宣言」
1848年、アメリカ史上初の女性権利大会がニューヨーク州セネカ・フォールズで開かれ、要求は有名な『所感の宣言』(Declaration of Sentiments、選文11)に記された。エリザベス・キャディ・スタントンが独立宣言を雛形に起草し、独立宣言が支持した権利から女性が排除されている矛盾を強調した。宣言は男性が女性に行った「暴政」を数十項目列挙する。「彼女から、奪うことのできないはずの選挙権を取り上げた」「財産に対するあらゆる権利、彼女が稼いだ賃金まで奪った」「結婚した彼女を、法の上で民事上の死者とした」などである。当時、離婚はまれで、子の監護権は男に与えられたため、女性は子どもの親権も争わなければならなかった。
こうした要求は、当時の主流言説――「家庭性崇拝(cult of domesticity)」あるいは「女らしさの崇拝」――と対立した。この言説は女性の役割を妻、主婦、母として理想化した。これを支えたのが領域分離論(separate spheres、性別二元論ともいう)であり、家庭という私的領域は女性、家の外の公的領域は男性のものだとした。もちろん、理想にどれほど沿えたかは社会的地位に依存する。奴隷女性や大半の貧困・労働者階級女性は家庭の外で働かざるをえなかった。家庭性崇拝は階級特権を持つ「淑女」を他の女性から区別するためのものだったが、中産階級女性の生活も制限した。
近代初期の自由主義フェミニスト――愛、結婚、性
産業革命発祥の地イングランドでは、初期の自由主義フェミニズムの著作を英国の女性たちが多く書いた。選文9はメアリ・ウルストンクラフト『女性の権利の擁護』序文からの抜粋である。女性は美、純潔、繊細さを生まれながらに備えていると自称することで、表面的な地位しか得ていない、と彼女は考えた。女性が技能を伸ばし、理性と自己実現を重視できるよう、文化・教育・経済を改革せよと強調した。こうして彼女は、当時の社会が作り上げていたジェンダーのあり方を、先駆的なフェミニズムの視点から批判した。
半世紀後、英国のハリエット・テイラー・ミルとジョン・スチュアート・ミルの著作も、こうした自由主義思想に呼応し、婚姻法が女性を暴力と抑圧の関係に閉じ込める仕組みを論じた。選文12はハリエットの『女性の参政権』、選文13はジョンの『女性の隷属』から取られている。二人は婚姻、離婚、子の養育法改革の重要性を多く書き、理性と自己決定という啓蒙思想が作品を貫いた。性暴力をより大きな不平等なジェンダー関係の症状として示したことは、後のフェミニズムによる家庭内暴力と性的暴行の分析の基盤となった。
第一波の環境活動
自分と同じ階層の人と主に協働する穏健な自由主義フェミニストとは対照的に、当時、多くの中産階級・左派自由主義の婦人参政権論者が環境活動に携わった。セツルメントや相互扶助会で働き、共同キッチンや保育など、集団生活の実験を始めたのである。セツルメントと相互扶助会はいずれも地域に根ざしていた。そのため社会改革者たちは貧困層や労働者階級の地域で活動し、貧しさと不衛生な環境がもたらす弊害を深く知った。もっとも有名なセツルメント、ジェーン・アダムズがシカゴに設立したハル・ハウス(Hull House)は、貧困・労働者階級の家庭に医療、保育、成人教育を提供し、労働者の組合権を擁護した。
ハル・ハウスの女性たちは環境問題の解決にも深く関わった。彼女たちは「都市家政(municipal housekeeping)」の名のもと、問題が住居と家庭の安全に直結することを訴えた。空気と水の汚染、衛生、食品販売、職業上の安全など、近代化と工業化が生んだ問題を解決するため、何千人もの女性が動員された。選文18はアダムズの都市家政論からの抜粋である。女性が伝統的に健康と衛生を担ってきたことを指摘するだけでなく、家庭と地域に深刻な影響を及ぼす問題について女性が投票権を持つべきだとも論じた。
エコフェミニズムの文献で見落とされがちなのは、アフリカ系アメリカ人女性が黒人女性クラブや相互扶助組織を通じ、都市家政運動に大きく貢献したことである。黒人女性クラブ運動は白人女性による運動よりも深刻な問題に取り組む必要があった。人種隔離下の黒人居住区とスラムでは健康が脅かされており、保育なども大多数の黒人女性にとって切迫していた。彼女たちが扱った社会問題は託児所から老人ホームまで人生全体に及び、活動は資金不足の黒人学校、病院、診療所を補った。
参政権の獲得
1890年、米国の二大婦人参政権団体が合併して全米婦人参政権協会(NAWSA)となり、投票権獲得に力を注いだ。20世紀初頭には、より急進的な新世代の自由主義婦人参政権論者が成人した。アリス・ポールの指導下で婦人党(Woman’s Party)を結成し、連邦婦人参政権修正条項の成立を目指した。ポールが英国の急進的参政権論者との交流から学んだ、NAWSAより広い戦術を採用した。ホワイトハウス前で抗議し、ハンガーストライキも行った。当時はすべて急進的とみなされ、何度も逮捕・投獄された。
投票権を求める自由主義の活動は、形も多様で目を見張るものがあったが、長い時間を要した。セネカ・フォールズ会議から1920年の憲法修正第19条による女性参政権獲得まで、70年が過ぎていた。NAWSA前会長キャリー・チャップマン・キャットの推計では、次のような運動が行われた。
男性有権者を対象とする住民投票運動56回。立法府に参政権修正案を投票に付すよう求める運動480回。州憲法制定会議に女性参政権を州憲法へ盛り込ませる運動44回。州の政党大会に女性参政権を政策として採用させる運動277回。大統領候補を選ぶ政党大会に女性参政権を選挙綱領として採用させる運動30回。そして、計19期の連邦議会にわたる活動29回。
憲法修正第19条成立後、ポールは平等権憲法修正案(ERA)の新たな運動を呼びかけた。米国も州も、性別を理由に法の下の権利の平等を拒否・縮減してはならない、と簡潔に定める条項である。しかし1920年までに投票権獲得へ膨大な力を使い果たし、女性運動は疲れ果てて退潮した。米国フェミニストによる第二の大衆運動が1960年代に頂点へ達するまで、40年以上を要した。
波と波のあいだの前進と後退
憲法修正第19条の成立後、大衆活動の勢いは下がったが、1920~30年の米国女性は重要な前進を遂げた。特に教育である。1930年、大学学位取得者の40%が女性で、1900年の二倍だった。第一波と第二波のあいだに女性の職業上の役割が広がったのは、主に看護や教育など、従来から女性が多く働いていた分野での拡大による。大学院での学位取得では心理学と人類学が女性を最も歓迎した。
英国の小説家ヴァージニア・ウルフも二つの波のあいだのフェミニズムに大きな影響を与えた。『自分ひとりの部屋』(選文19)で彼女は「シェイクスピアの妹」――一行も書かなかった詩人、「十字路に埋められた」、名声も富も得なかった女性――を紹介する。当時の女性が教育も執筆もできなかったからである。しかしシェイクスピアの妹は私たちの中で生きている、とウルフは言い、女性にペンを取り声を発し、自分の歴史を書けと呼びかける。同書からの「自分ひとりの部屋」と題された選文20では、なぜ母親が娘に富を残せなかったのか、女性の生活を子育てと家事だけに限ることが、収入を得ることや文学作品を生み出すことを妨げる仕組みを考える。女性が書く前提は、経済的独立としての年500ポンドと、日常の要求に邪魔されない自分自身の場所である。
後期近代の自由主義フェミニズム
第二次世界大戦は大恐慌から米国経済を救っただけでなく、多くの女性を戦時経済に動員し、伝統的に男性が担ってきた職業へ押し出した。だが兵士が帰還すると、既婚・妊娠女性は官民の雇用政策に追われて職を離れ、男の腕の中へ戻された。
第二波を引き起こした本としばしばされるベティ・フリーダン『女性の神秘』(1963年)は、家庭性崇拝を正面から攻撃した。対象は、当時女性の「アメリカン・ドリーム」とされたもの――主婦・専業母、家計を支える夫、自分の家、十分な可処分所得とまともな暮らし――を手にした白人中産階級女性である。選文22でフリーダンは、多くの主婦が深く持続的なうつを経験していると記録する。彼女はこれを「名のない問題」と呼び、主婦・母であることに達成感が欠けるためだとした。後のフェミニストは、人種・階級差を無視し、「女中、ベビーシッター、工場労働者、事務員、売春婦でいるほうが、余暇階級の主婦より達成感があるのではないか」と問わなかった点を批判した。それでも、戦後の繁栄が男性に高賃金をもたらし、在宅の母親が史上有数の多さになった時代の女性の不安を、フリーダンは言い当てた。
彼女は、一世紀前の女性が高等教育のために闘ったのに、1950年代の大学進学は「夫を探す」ためだったと対比した。詩人、医師、大統領を目指す「女らしくない」女性を哀れむよう若い女性は教えられた。戦後アメリカで「本当の女らしさ」を持つ女性は、職業、高等教育、政治的権利、第一波が勝ち取った機会を望まない。フリーダンは、女性の願望を弱めるこの女性観を「女性の神秘」と呼んだ。それは女性の願望をキャセロール鍋の大きさにまで縮めてしまう。米国社会の規範の核を作る体系的・ジェンダー化された世界観を批判し、家庭の外で平等を求めるよう呼びかけた。
1966年、フリーダンらは全米女性機構(NOW)を設立した。第一の「目的声明」は選文23にある。この時代に平等を求めて闘った他の主要な自由主義団体には、女性有権者連盟、女性平等行動同盟、連邦雇用女性組織がある。憲法上の権利に取り組む米国自由人権協会(ACLU)はフェミニストに法的サービスを提供し、法廷闘争を行った。ACLUは第二波の大勝利の一つ、1973年の最高裁ロー対ウェイド判決を支援し、憲法上のプライバシー権、女性が自分の身体を管理する権利、妊娠中絶の合法化を確立した。
自由主義フェミニストはERA成立をめぐる長く困難な闘いの先頭にも立った。1982年のERA敗北は第二波に大打撃だった。1970年代末には政治の空気が大きく変わり、保守的な「道徳多数派」の「家族の価値」運動が全国を席巻し、共和党が選挙で全面勝利を重ねた。右翼保守派の成功は、大きなところでは、1980年のロナルド・レーガンの大統領選挙運動とSTOP-ERA運動が福音派キリスト教徒と世俗保守派を結びつけた結果である。
ラディカル・フェミニズム
米国第二波に現れた潮流のうち、ラディカル・フェミニズムは最も女性を中心に据えたアプローチだった。同時に、個人的なものと政治的なものを結ぶ進展も最大だった。第二波を牽引したラディカル・フェミニストは、女性解放には自分の身体を理解し、守り、管理することが必要だと強調した。レイプ、家庭内暴力、セクシュアル・ハラスメントなど、かつて私的な人間関係の領域に押し込められた抑圧にも対抗した。性行為に伴う危険を強調するときも、その快楽を強調するときも、家庭に閉じ込め隠されてきた問題を暴き、分析した。
個人的なことは政治的なこと
ラディカル・フェミニストのキャロル・ハニシュは1969年、「個人的なことは政治的なこと(The personal is political)」というスローガンを初めて提起し、第二波で繰り返し唱えられる言葉となった。一方でこの標語は、家庭内暴力のような「私的」問題を個人が解決するのではなく、社会・政治制度に根を持つ問題として共同で解決すべきだと強調する。他方では、フェミニストが自分たちが掲げる政治を日常生活の中でも実践することを求める。この二つの面が組み合わさり、社会のマクロとミクロ、社会構造と人の行為主体性を結びつける強力な組み合わせとなった。個人と社会の双方を変えるフェミニズムが求められたのである。
性の弁証法
シュラミス・ファイアストーン『性の弁証法』(1970年)は、最も影響力のあるラディカル・フェミニズム声明の一つである。結論章「革命の要求」(選文28)でファイアストーンは、女性への抑圧が最初で最も基本的な抑圧であり、階級・人種・性的指向による後の抑圧の雛形になったと論じる。多くのフェミニズムが女性抑圧を社会史的条件に求めるのに対し、彼女は生物学を原因とした。彼女によれば、人類史の大半で女性は「月経、月経不順と『女性病』、絶え間ない苦痛の出産、授乳と乳児の世話に翻弄され、男性に依存して生きざるをえなかった」。性別分業はこの生理的差異の反映にすぎない。
抑圧の根が生理にあるなら社会変革の余地はほとんどない。ファイアストーンにとって、子宮外生殖を可能にする新しい生殖技術ができて初めて、女性は最終的に解放され、人間の生殖差が文化的に重要でなくなる。その後、繁殖に異性愛は以前ほど重要でなくなり、多様な性経験――彼女のいう「汎セクシュアリティ」――が可能になる。フリーダンと違い、女性を男性世界に組み入れるだけで性別階級差を消さない想像は「1984年型の悪夢」だとした。「女性が男性のようになり、同じ仕方で弱められる」社会を望まず、両性具有(androgyny)を呼びかけた。
ファイアストーンはニューヨーク・ラディカル・ウィメン(NYRW)の創設に重要な活動家だった。1968年のミス・アメリカ・コンテスト抗議は、第二波で全国紙の一面に載った最初のフェミニストデモである。抗議では羊にミス・アメリカの冠をかぶせ、「ブラジャー、コルセット、カーラー、つけまつげ、かつら」など「女性のがらくた」を捨てる「自由ゴミ箱」を用意した。実際にブラジャーを焼いた記録はないのに、第二波のフェミニストが「ブラジャーを焼く女」と呼ばれる伝説的な呼び名を生む一因になったと考えられる出来事である。
レズビアン、フェミニスト・セパラティズム、「女性に同一化する女性」
米国第二波になって初めて、レズビアンとフェミニズムの関係を正面から論じるラディカルな声明が現れた。選文30、シャーロット・バンチ『反抗するレズビアン』(Leslians in Reversion)では、政治的、感情的、身体的、経済的支援を得るために他の女性に献身する「女性に同一化する女性(woman-identified woman)」――男性よりも女性との関係を第一に置く女性――を論じる。男性への第一の献身を選ぶ女性と対比し、「男性への支援と愛が女性への愛を上回れば、女性を抑圧する制度を永続させる」とする。
バンチによれば異性愛は女性を分断し、男性を追って競争させ、男性を通して自分を定義させる。異性愛女性は、母として尊敬され、妻・愛人として受け入れられ、ある程度の経済的保障を得るという特権を、失った自由の補償として受け取る。これらの特権は現状を維持する政治的利益となり、女性の仲間、とりわけその利益を得られないレズビアンの姉妹を「裏切る」ことにもなりうる。だから女性に同一化するレズビアンは単なる性の好みではなく、政治的行為である。バンチらはフェミニスト・セパラティズム、つまり女性が家父長制のあらゆる支配から意識的・自発的に離れ、女性への同一化を基盤に、女性自身が運営する共同体で男性と別に暮らすことを呼びかけた。
同様の主張は、ラディカル・レズビアン(組織)の1970年の「女性に同一化する女性」(選文29)にも見られる。組織はニューヨークの「ラベンダー・メナス」抗議から生まれた。女性運動がレズビアン(中国語編訳者注:議題としてのレズビアン)を取り上げず、とりわけNOWが扱うのを拒んだことへの抗議である。「ラベンダー・メナス」はベティ・フリーダンがレズビアンを女性運動の「ラベンダー色のニシン」(注意をそらす存在)と呼び、より深刻で広範な女性問題から関心をそらすとしたことに由来する。ラディカル・レズビアンらが全国女性会議で抗議を重ね、NOWは1971年にようやくレズビアン問題に取り組むと認めた。
第二波のレズビアン/異性愛分断を埋める
第二波で分断を埋めることに最も成功したラディカル・フェミニストは、詩と散文で知られるアドリエンヌ・リッチかもしれない。選文35は『強制的異性愛とレズビアンの存在』(1980年)からで、異性愛女性とレズビアン女性の連合を呼びかける。「女性に同一化する女性」は広い女性関係の連続体を含み、リッチはそれを「レズビアン連続体」と呼んだ。女性との性的親密さから母娘、姉妹、親友の関係まで、女性同士に存在した、または存在しうる関係すべてを含む。
リッチ自身はレズビアンだが、ジェンダーは性的指向より重要だと考え、レズビアンがゲイ男性ではなく異性愛フェミニストと政治的に同盟するよう促した。異性愛男性とゲイ男性がともに持つ高所得・稼得能力などの特権を強調し、男性と女性では性的関係の性質が異なるとし、男性のほうが匿名的な性行為を多く行い、女性は関係をより重視することを挙げた。小児性愛やSM、ゲイ男性の性的魅力基準における明白な年齢差別も批判した。レズビアンであることは「深い女性的経験」であり、汚名を受ける点だけでレズビアンの存在を男性同性愛と同一視するのは女性の現実を消す。「同性愛」という語は、フェミニズムと女性という集団の自由に不可欠な輪郭を曖昧にするかもしれない。1990年代、この主張の多くはクィア理論家から厳しく批判されるが、1980年代初頭には第二波の対立を和らげた。
リッチのラディカル・フェミニズムへの姿勢は、ファイアストーンとも明確に異なる。ファイアストーンの著作を貫く生物学的決定論ではなく、性とジェンダーを社会構築主義的に捉え、異性愛は自然な感情・感覚の傾向ではなく「強制され、無意識に女性へ押しつけられる」ものだとする。強制的異性愛とは、制度・イデオロギー・規範によって作られ厳格に実行される異性愛で、感情と欲望の忠誠を通じて女性を男性に従属させる。歴史上、多くの女性が投獄、身体的拷問、精神外科、社会的排斥、貧困という大きな代償を払って異性愛に抵抗した。異性愛が自然なら、なぜ社会はそれを強制するのにこれほど暴力的な制限を必要とするのか。
『女から生まれる――経験と制度としての母性』(1976年)で、リッチは出産と母性をファイアストーンとは別に捉える。生物的な妊娠、出産、ケア、養育の試練と苦しみ、そして純粋な喜びを強調した。温かく感情的で社会的な母性は、生物的再生産の鎖から女性を解放せよというファイアストーンの冷たく分析的で人間味を欠く呼びかけと対照的である。フェミニストも含む多くの女性が、そのような自由を好むとは思えない。リッチは、母性を、女性と生殖能力・子どもの「潜在的関係」としての経験と、家父長制の機構としてその関係を男性の管理下に置く制度とに区別した。批判するのは家父長制であり、女性が産む役割を終わらせよと言っているのではない。
これに対し、初期のラディカル・フェミニストは家父長制ではなく男性を攻撃した。1969年の「レッドストッキングズ宣言」(Redscockings Manifesto、選文27)はその立場をとる。レッドストッキングズは、教育ある女性を侮蔑した19世紀の「ブルーストッキング」という呼称を再利用し、赤で急進性を示した組織である。すべての男性が女性抑圧から利益を得、すべての男性が抑圧者だとした。責任を男性から制度へ移すのは逃避であり、男性の抑圧行為を免罪する、とまで論じた。変わるべきは男性である。
ラディカル陣営の内部にこれほど異なる立場があることは、第二波を分けたもう一つの論争、「セックス・ウォーズ」にも現れる。
「セックス・ウォーズ」
「セックス・ウォーズ」は、1970年代末から80年代半ばの米国第二波で性実践が女性解放に及ぼす影響をめぐる激しい論争の総称である。エロティカ、セックスワーク、検閲、SM、その他のポルノ的行為について、何が非家父長制的な性なのか、そもそもその概念が必要なのかが争われた。「プロセックス」側は検閲など性実践の制限に反対し、性的開放と自由を促した。反対側、今日しばしば「被害者フェミニズム」と呼ばれる側は、性実践に伴う暴力と危険を強調し、家父長制的/非家父長制的性を区別する基準を示した。
性は快楽の領域
前述のように、ファイアストーンは性的表現の自由を呼びかけるなかでプロセックスの立場をとり、汎セクシュアリティを女性解放の一部とした。ゲイル・ルービンもプロセックスの重要な声で、性抑圧の終結こそ女性抑圧の終結の核心だとした。論文「性を考える――性政策のラディカル理論ノート」(Thinking Sex: Notes for a Radical Theory of the Policies of Sexuality、1984年、選文37)で、左派、右派、フェミニスト自身を問わず、性抑圧のイデオロギーを攻撃した。宗教、医学、精神医学、性についての大衆言説にある性的価値階層を調べ、そこには「よい性と悪い性のあいだに想像上の線を引く必要」があり、その線が「性の秩序と混沌」を分けると述べる。
ルービンは性を「罪、病気、神経症、病理、退廃、汚染、帝国の衰退」で語るイデオロギーに反対した。性抑圧は文明が人間行動を統制する最も不合理な方法の一つであり、性的放任は万人の利益になる。選文37「性を考える」では、フェミニストがどの種類の性を家父長制的で、どの性を自由主義的だと規定するか、そのこと自体がどれほど誤っているかを論じる。誰が規則を作ろうと、性抑圧は抑圧なのだ。後のクィア理論と多くを共有する見解である。
性は危険の領域
第二波のラディカル・フェミニストは、権力の不平等と女性への暴力を終わらせるため、特定の性行為を暴力的・家父長制的と描いた。一部の現代のフェミニストが描くような、女性が性暴力の前で受動的で弱い被害者になることに憤るだけの「被害者フェミニスト」だったわけではない。〔原文注番号:2*〕特定の行為を暴力的・家父長制的と呼び、不正を明らかにし、女性が被害者になることを拒むためである。第二波を分裂させ、ラディカル・フェミニズム内部にも深い亀裂を生んだ主要な問いは、(1)特定の性行為を家父長制的/暴力的と法律で規定すべきか、(2)暴力的・屈辱的な映像を検閲すべきか、行為と態度だけに注目すべきか、だった。
1980年代、ポルノを最も強く論じたのはアンドレア・ドウォーキンとキャサリン・マッキノンである。ポルノを「虐待の循環の中心」「中核的な構築実践」とし、性的攻撃と性的虐待を許容する社会環境をつくってジェンダー不平等を制度化・合法化するとした。彼女たちによれば、ポルノは単なる幻想、模倣、考えではなく、ある集団の別の集団に対する劣等・従属を制度化する具体的な差別的社会実践である。彼女たちはこうした差別に対処する法律を求めた。選文38は二人の共著『反ポルノ公民権モデル条例』(Model Antipornography Civil Rights Ordinance)からの抜粋である。この条例は、検閲を主張するものと誤解されるが、ポルノで被害を受けたと証明できる人が差別について民事訴訟を起こせるようにするだけである。
実際には対応はさまざまだった。ロビン・モーガンはさらに大胆に「ポルノは理論、レイプは実践」と言った(選文31)。雑誌『ミズ』(Ms. Magazine)の創刊者グロリア・スタイネムら、一部の反ポルノ・フェミニストは「エロティカ」と「ポルノ」を区別した。前者は平等な主体同士が同意のもとに互いの快楽を求めて交わす性的交流のイメージ、後者は女性を客体化し性を暴力的・屈辱的・非人間的に描く表象である。選文34の「マンダラII」は20世紀屈指の女性エロティカ作家とされるアナイス・ニンの短編集『小鳥――エロティカ』(Little Birds)から採った、エロティカの一例である。またラディカル・フェミニストがユーモアがなく、政治的正しさにこだわる堅物の女性だという固定観念に反論するため、スタイネムの「もし男性に月経があったら」(If Men Could Menstruate、選文36)も挙げられる。
クィア理論に対するラディカル・フェミニズムの応答
ラディカル・フェミニズムは第二波でレズビアン問題を可視化した主要な立場だったため、1990年代に現れたクィア理論との差を理解する必要がある。スザンナ・ウォルターズは「ここからクィアへ――ポストモダニズムとレズビアンの脅威」(From Here to Queer: Postmodernism and the Lesbian Menace、選文39)で、両者の基本的前提の違いを示す。クィア理論家が遂げたいくつかの前進を評価しながらも、理論と政策の意図は善くても「道を誤り」「理論的に疑わしい」とした。クィア理論がフェミニズムを硬直的で同性愛嫌悪があり、性に無関心だという不公平な描き方をし、レズビアンの特殊性とジェンダーが生活に作る巨大な差を消し、「フェミニズムの重要性を消している」と批判する。ジェンダー超越のイメージやシニフィアンが「どうも男性的」であると嘆く。たとえば「ゲイ男性になる(going fag)」ことやゲイ男性の性行為を模倣することを、多くの現代のクィア女性が自分を力づけるものと宣言しているからである。今日の性をめぐる「悪い女の子」たちが、男性権力に対するのと同じように、フェミニズムの先輩にも反抗するさまを悲しみ、「無性別・非規範的なビジョンは追求に値するのか」と問う。
ウォルターズは、ジェンダーが社会的に構築されていることを暴き揺さぶることは、ジェンダー権力を覆すことと同じではないとも言う。ジェンダー・パフォーマティヴィティは複雑な社会政治的現実と結びつかなければ空虚で、単独のパフォーマンスのレトリックは非歴史的で「脱政治化された学術課題」になる。クィア理論の物語にある「冷酷なナルシシズムと個人主義」、すなわち「自己への強迫的な関心」を批判する。ここでは個人的なものが政治的になるのではなく、政治的なものが個人的になる。最後に、クィア理論家が自分たちを周縁に位置づけ、規範性をつねに批判する者だとするため、彼らが「周縁をロマン化」し、そこに生きる人が負う実際の心理的・物質的コストを無視するのではないかと危惧する。
ラディカル・フェミニストは、レイプ、近親相姦、家庭内暴力、セクハラなど、私的問題とされた抑圧を共同で扱うべき政治問題として明らかにした。女性の身体と文化、女性同士の関係を称揚して女性を力づけた。「姉妹愛は強い」「姉妹愛は世界的だ」といった本質主義的スローガンさえ、第二波の共同体と集団の建設に大きく寄与した。
社会主義フェミニズム
女性抑圧の起源
19世紀から20世紀初頭、男性理論家は女性抑圧をほとんど論じなかった。原書第2章で扱われるジョン・スチュアート・ミルを除けば最大の貢献者はマルクス主義者で、とりわけエンゲルス『家族、私有財産、国家の起源』が重要だった。選文41で示されるように、エンゲルスは抑圧の根を生物学ではなく社会史的発展に置く。彼によれば、最初期の人間社会である狩猟採集社会には階級・性別に基づく階層制度はなく、母系氏族で男女がともに生計に重要な役割を担った。危険で自然の変化に適応しにくい狩猟採集は、後の生産様式より共有と相互扶助を必要とした。分析は、ルイス・ヘンリー・モーガンによるアメリカ先住民の部族研究など、当時利用できた文化人類学の資料にもとづき、原書第8章で論じられるように、彼の仕事は、部族社会のより高いジェンダー平等に関心を持つ米国のフェミニストの一部にも知られていた。
エンゲルスによれば、土地と奴隷の私有制を基礎とし、財産権と家父長支配を都市国家の権力の基礎とした古代農業社会では、ジェンダー抑圧と階級抑圧が同時に出現した。階級を世代を越えて再生産するには、私有財産を自分の子孫へ継承しなければならず、女性の性活動を統制する家父長制が必要だった。たとえば、財産階級の女性を家庭に閉じ込め、姦通を女性だけ罰する法律などである。制度化された男性の女性・子ども支配と家庭内の女性の従属を意味する家父長制は、私有財産と階級特権を守るために生まれた。こうしてエンゲルスは、女性抑圧の起源と階級抑圧の起源を結びつけた。マルクス主義にとって女性解放には、社会主義革命によって私有財産を廃し、家族と国家法から家父長支配を取り除くことが必要になる。
女性の家事労働
シャーロット・パーキンズ・ギルマン『女性と経済』(1898年)は家事と育児について19世紀に最も強固なフェミニスト分析を示した。女性の抑圧を家事・育児への拘束に求め、保育、料理、清掃を集中して提供し、別の労働で自己実現できるようにせよと呼びかけた。選文42は彼女の作品のうち最も広くアンソロジーに収められてきた『黄色い壁紙』(1892年)からの抜粋である。家庭に閉じ込められ自己実現の機会をほとんど持てない女性の抑圧を描き、半世紀後にフリーダンが「名のない問題」と呼ぶ現象を先取りする。
主人公は上流階級の女性で、医師である夫と当時の医療制度に執筆を妨げられる。女性の仕事の選択肢の乏しさだけでなく、神経障害や「ヒステリー」(子宮を意味するラテン語に由来する)に「休息療法」を処方した19世紀末医療も批判する。ギルマン自身も経験したこの療法のもとで、女性はあらゆる労働を禁じられた。彼女は、これでは女性の抑うつを悪化させるばかりだと考えた。妻は家だけでなく、窓に格子のある元子ども部屋にも閉じ込められる。これは、夫が妻を子どもと同じような存在として作り上げることの象徴でもある。妻の目には、子ども部屋の壁紙の複雑な模様は迷路となり、自由への欲望を閉じ込める。壁紙は家庭と装飾的な女らしさが女性の創造性と自己実現を殺すことの比喩になる。
女性の生活と労働における階級差
第一波のマルクス主義・社会主義・アナーキストのフェミニストの多くは労働運動の組織者で、労働者・貧困女性の窮状を書いた。選文44「ミルウォーキー醸造所の女奴隷」は、アナーキズムの労働組織である世界産業労働者組合の創設者の一人で、児童労働廃止のために闘った地域活動家メアリー・ハリス・ジョーンズ(マザー・ジョーンズ)の作品。選文48「働く女性と母」は、ソ連建設の中心となったマルクス主義フェミニスト、アレクサンドラ・コロンタイによる。二人の作品は、理論的な思弁より現実を描くものだが、20世紀初頭の女性同士にあった大きな階級差を深く浮き彫りにした。こうしたフェミニストの労働運動組織者は、労働者階級の女性を支えるさまざまな政策――妊婦を保護する労働法、出産保険、国が補助する保育など――を求めた。
労働法専門家、社会主義者、参政権論者のクリスタル・イーストマンは、1920年代にERAが初めて提出された際の四人の起草者の一人で、1907年にニューヨーク州最初の労災補償法も起草した。これは他州の法律の模範となっている。選文49「女性と革命について」で、社会主義革命だけでは女性抑圧を終わらせられないとし、階級抑圧をジェンダー抑圧より上位に置くマルクス主義フェミニストを批判した。後の社会主義フェミニストの一部と同じく、ジェンダーと階級を等しく考えよ、と求める。
米国女性運動の有名なイメージの一部は、第一波の労働者階級女性の闘いから生まれた。3月8日の国際女性デーは1910年、女性労働者の大ストライキを記念して制定された。提唱者は、女性の権利擁護でヨーロッパに名を知られたドイツの社会主義フェミニスト、クララ・ツェトキンである。「パンとバラ」はジェームズ・オッペンハイムが1911年に詩として発表し、労働女性の権利の賛歌となった。1912年マサチューセッツ州ローレンスの繊維女性労働者ストライキ(「パンとバラのストライキ」)と結びつき、第一節が選文46に載る。
近代初期の愛、結婚、性実践
マルクス主義・社会主義・アナーキストのフェミニストは「自由恋愛」「性と愛」を唱えた。当時それは、愛する人と性関係を結び結婚する権利を意味した。女性は経済的自立の機会が乏しく、経済保障を得るため強制的に結婚させられる。だから左派フェミニストの一部は伝統的結婚を売春になぞらえた。
エマ・ゴールドマン『アナーキズムその他のエッセイ』(Anarchism and Other Essays)の「女性の人身売買」(選文45)は第一波の鋭い作品である。当時の売春法を厳しく批判し、貧困・労働者階級女性が法律の犠牲になる一方、性の対価を払う富裕者は免責されると論じた。富裕男性の妻が売春婦を軽蔑し、自らの偽善的な貞淑を賞賛することも責めた。貧困や女性の就労の選択肢の乏しさに売春の根を求め、ジェンダー抑圧と階級抑圧をつないだ。
アナーキスト/共産主義フェミニストは、女性の避妊・中絶権を主張した米国最初期のフェミニストでもある。当時、大多数の自由主義フェミニストは自発的出産、または夫と性交しない権利しか支持しなかった。著名な避妊運動家マーガレット・サンガーは社会主義フェミニストで、看護師として貧困・労働者女性に奉仕した。『避妊闘争の歴史』(選文50)が示すように、出産で母が死に、無制限の出産が女性と家族の生活を危険にするのを見た。当時は緊急時以外、既婚夫婦の避妊さえ違法で、避妊情報はポルノとされ流布も禁じられた。それでもサンガーは避妊知識を教える雑誌『ウーマン・リベル』(The Woman Rebel)を発行し、避妊診療所を開いて貧困・労働者女性に検査と小冊子を提供したため逮捕された。後にプランド・ペアレントフッドとなる組織を創設した。
労働組織化に直接関わった多くのアナーキスト/共産主義フェミニストは、職場の危険に最初に注目した活動家でもある。19~20世紀初頭の環境問題は、大気・水質汚染、廃棄物と衛生、食品安全、産業上の健康と安全など多様だった。すべての人に影響したが、工場付近と過密都市に住む貧困・労働者階級に最も深刻だった。マルクス主義・社会主義フェミニストの都市家政運動はこの人々の不安に焦点を置いたため「下水道社会主義者」と蔑称され、1919~20年の赤狩りで左派迫害の犠牲になった。
1930年代の急進主義は失業、後半にはファシズムの脅威に集中し、他の問題を事実上排除した。戦後1946~60年は米国経済が拡大し世界を支配した時代であると同時に、マッカーシズムの魔女狩りに支えられた冷戦と超愛国主義の時代だった。急進的・自由主義的団体はすべて抑圧され、女性解放の可能性も……他の大義とともに葬られた。
シモーヌ・ド・ボーヴォワール『第二の性』(The Second Sex)は二つの波のあいだに書かれた最も影響力ある作品の一つで、社会主義的実存主義フェミニズムを展開した。最も有名な一文は、人は女に生まれるのではない。女になるのだ。 これはジェンダーが社会的に構築されること、女性が男性を基準に定義され区別されるのであって、その逆ではないことも示す。女性は付随的・非本質的な存在とされ、本質的な存在に対置される。他者性(otherness)は人間思想の基本範疇で、すべての従属集団に作用する。
実存主義の前提は、人が行為と行動の仕方によって定義されることだ。現実と存在は行動と関与(engagement)により表現される。ボーヴォワールにとって家庭内の性別分業は、世界で行動し関与する女性の能力を弱める。『第二の性』の選文52は家事の周期性、反復性、不可視性がもたらす存在論的影響を示す。散文は仕事のリズムだけでなく主婦の日々の挫折と単調さを捉える。人間意識の身体性と状況性を明らかにする点も特徴的で、「経験と知覚は、人間主体が生きる肉体からも、それが生じる物質的環境からも完全には離れない」。
後期近代の女性労働
マルクス主義・社会主義フェミニズムの主要な貢献は、女性の家の内外の労働を分析したことにある。後期近代では職場のジェンダー不平等について詳しい歴史資料を示し、同一労働同一賃金や職業の性別分離を理論化した。女性の家事労働を解放の主な障害とみなし、「家庭に隠れた」女性の労働の分析にも大きな注意を払った。
マーガレット・ベンストン「女性解放の政治経済学」(1969年、選文53)は第二波マルクス主義フェミニズムの典型である。女性が家事・育児を主に担ってきたため、生産手段との関係が男女で異なる。マルクスの使用価値生産と交換価値生産の区別が中心にある。家の外の仕事は交換のための生産で、商品を生む労働力が賃金という直接収入を得る。保育者や家政婦のいない家事・育児は使用のための生産で、売買でなく直接使用に向かう。ベンストンはこの区別を、近代社会の女性の不平等を成り立たせる必要条件とみなした。使用のための生産は無償なだけでなく、女性の経済的自立をまったく進めないからである。職業女性でも育児と家事の二重負担が集中力と時間を削り、収入を得る力の面で男性より不利になる。
工場では労働者が高度に専門化された分業で働くのに対し、主婦は孤立しているため政治的組織化が難しい。専門分業のない家事では、女性は料理人、清掃員、看護師、ベビーシッターを兼ねる万能な存在とされ、専門家として認められない。労働時間も固定されず、病人の世話や乳児への授乳にいつでも呼び出される。ベンストンは無償の家事労働を、主に資本家に奉仕する労働と捉える。これがすべての男性に奉仕するというより、資本家にさまざまな形で奉仕することを強調した。家事や育児が無償で行われることは、労働力不足や戦時に呼び出せる安価な予備労働力を提供する。
社会主義フェミニストのハイディ・ハートマンは「マルクス主義とフェミニズムの不幸な結婚――より進歩的な連合に向けて」(1979年、選文55)でこの種のマルクス主義フェミニストを批判した。ハートマンはカヴァーチャーの概念を用いて、マルクス主義とフェミニズムを結びつける強制結婚は「不幸な結婚」となり、マルクス主義がフェミニズムの主導権を奪うと論じる。先のイーストマンと同じく、資本家だけでなく労働者階級を含むすべての男性が女性の主婦化から利益を得る。性別の現実を無視するマルクス主義者は、ジェンダー問題という「部屋の中の象」――誰の目にも明らかなのに触れられない問題――を見ないふりをしている。
ハートマンの「家父長制下の資本主義」はジェンダーと階級の天秤を釣り合わせ、生産領域(資本主義支配の基礎)と再生産領域(家父長制支配の基礎)を検討させる。社会的労働力の再生産には、日々の家事・育児で働く人が家で心身を回復し、毎日の残業に備えることと、出産・養育によって世代間で労働力を移転・増加・再生産することの二重の次元がある。社会の運営はこの二つに依存する。
フェミニスト実存現象学
政治哲学者アイリス・マリオン・ヤングはボーヴォワールの実存主義をメルロ=ポンティの現象学と結び、意識が生きられた身体に位置づく仕方を研究した。『女の子のようにボールを投げる――女性の身体のあり方・運動性・空間性の現象学』(1980年、選文56)で、ジェンダーと女らしさの制限が女性を「他者」とし、主体性、自律性、創造性を制限すると論じる。女性の身体運動が、活動的で創造的な主体であることと他人の物であることの緊張を示す。
「女の子のように投げる」ことは、女性の身体動作の制限を映す。女性の動作は男性と異なり、ふつう方向づけられた運動に全身を参加させず、身体を信頼できないため「臆病で、動かず、不確かな」仕方で課題を行う。空間の使い方も制限し、行動より待機と反応を選ぶ。これは社会構築であり、「現代社会で女性が受ける性差別的抑圧の特殊な状況」に根を持つ。ヤングにとって問題の根は、女性が身体を客体であると同時に主体として生きることにある。レイプなど身体侵入への恐怖、「見られる脅威」によって客体化が現れ、美と外見が重要な社会では「性差別的な社会において、女性は身体的に不具にされている」。
社会主義フェミニスト・スタンドポイント理論
ドロシー・スミス『問題ある日常世界――フェミニスト社会学』(1987年、選文58)はマルクス主義、フェミニズム、エスノメソドロジー(ethnomethodology、常人方法論)を交差させる。日常生活の立場と実践から研究を始めることは、伝統的社会科学の「知識の客体化された形式」からの逸脱である。具体的な日常経験がもつ知識は、どこへ買い物に行くか、どうバスに乗るか、皿を洗い、腰をかがめて床を掃くかなど、何をどう行うかについての最も単純な暗黙知(tacit knowledge)である。退屈で重要でなく、決まりきった日課とみなされるため、言説として語られることはほとんどない。
スミスは、個々の場所を超えて制度が編成する「超場所的(extralocal)」世界と、「日常生活」世界を区別する。後者は従属し抑圧され無視されるが、上位世界の当然視された社会的基盤である。女性の日常から出発すれば、男性、子ども、高齢者、自分の身体を世話する仕事と、その場所である家庭を割り当てられることが見える。女性の日々の仕事は、男性をこれらの作業から解放するだけではない。女性がこの具体的な仕事をうまくこなすほど、それが独自の社会的労働であることは、男性には見えなくなる(D. E. Smith, 1990: 19)。男性が作った伝統的知識は女性の立場も日常世界も理解できない。スミスはこれを制度エスノグラフィーと呼び、家庭から地域、学校、官僚機構、国家まで、日常の場面が広い社会組織に織り込まれる仕方を研究した。
スタンドポイント理論とポストモダン認識論は混同されるが、社会主義フェミニストのスタンドポイント理論に共通するのは、ポストモダン認識論における判断の相対主義への批判である。『ポストモダニズムの後に真理を語る』(1996年)と『テクストの国の真昼』(1993年)で、スミスはポストモダン相対主義の政治的無力さを嘲笑した。知識が政治に影響するには、ある物語が別の物語を無効化する現実的可能性が必要だと主張する。
マルクス主義・社会主義・アナーキストのエコフェミニズム
マルクス主義・社会主義のエコフェミニストは環境問題を資本主義という生産様式に根づくものとみる。私的利益を飽くなく追う資本主義が環境悪化の主因である。これは前工業社会に環境の収奪がなかったという意味ではない。しかし前近代の環境問題は、工業資本主義が生まれて以来、数世紀にわたって進んだ大規模な環境破壊に比べれば、取るに足りない。
アナーキスト・フェミニストは社会主義社会も資本主義同様に環境を悪化させるとし、チェルノブイリの放射能漏れのような生態的災害を例に挙げる。地域・コミュニティを中心とする小規模、分散、民主的組織を支持し、巨大で集中した官僚制的な組織は、自分たちの目標に反すると考える。「小さいことは美しい」「簡素な生活」に共鳴する。
これに対しマルクス主義・社会主義エコフェミニストは、経済・社会・生態の問題の大多数は地域だけでは十分に解決できないと反論する。汚染は地域・国境を越え、酸性雨、オゾン破壊、核災害、地球温暖化は小規模な地域計画では解決できない。
社会主義フェミニストのドナ・ハラウェイは精神主義的エコフェミニズムの神話を厳しく批判した。『類人猿、サイボーグ、女性』(1991年)の「サイボーグ宣言と断裂したアイデンティティ」(選文60)で、工業社会からデジタル技術のポスト工業・情報社会への転換を分析する社会主義フェミニズムを求める。「サイボーグ」は人間と機械の部分からなる伝説的生物で、科学が環境問題をすべて解決できると誤って考えるテクノクラシーの比喩でもある。女神崇拝を抱き科学・技術・工業を拒否して地球を救うという精神的エコフェミニズムとも対置する。二つの道は女性と環境に危険だが、選ぶなら非合理で反科学的な道のほうが政治的に反動的で無効だとする。
交差性理論
この章は「今日までの女性研究における最も重要な貢献の一つ」とされる交差性(intersectionality)に焦点を置く。既存のフェミニズムが十分に問題を扱っていないと考えた米国の有色女性が、必要に迫られ、既存のフェミニズムから無視されてきた経験の中で発展させた。自分たち以外の誰も、彼女たちの関心を適切かつ十分に扱えないという認識にもとづく。
近代初期の交差性分析の先駆者
19世紀の家庭性崇拝と領域分離論は、女性を男性支配の公的領域から守る必要を示した。しかしあらゆる人種の貧困・労働者階級女性は、白人特権階級の女性という島宇宙に含まれなかった。白人の階級特権女性には貞潔、純潔、偉大な母である重要性が教え込まれたが、有色女性と貧困女性は性的暴力と社会統制にさらされた。
元奴隷ソジャーナ・トゥルースの有名な演説(しばしば「私は女ではないのか?」(Ain’t I a Woman?)と題される、1851年、選文61)は、奴隷労働への家父長制資本主義の苛酷な要求を暴く。女性権利大会で、客席の男性たちが白人女性の演説者に異議を唱え、白人女性は男性に大切にされ崇拝されているのだから不満を言う理由がないと主張したとき、彼女は即興で、自分が男と同じように重労働をし、子どもを奴隷として売られるのを見たと語った。こうしてその神話はたちまち打ち破られた。彼女は「私は女ではないのか?」と粘り強く繰り返し反論し、女らしさが人種と階級によって構築されることを明らかにする。
20世紀初頭のアフリカ系アメリカ人フェミニスト作家アイダ・B・ウェルズ=バーネットは、リンチ反対運動と女性権利の急進的活動で国際的に知られた。演説「米国のリンチ法」(1900年、選文65)はリンチを詳述する。白人女性へのレイプがリンチの口実にされ、白人女性の非難が弱いなか、「黒人レイプ犯の神話」を暴き、「白人女性は黒い怪物から守られなければならない」という主張の皮肉を指摘した。有色女性をレイプする白人男性は、しばしば罰を受けない。
私の背中を橋に
1960~70年代、人種・民族、アイデンティティ・ポリティクスを重視する新しい社会運動が興った。第二波フェミニストの政治参加は、白人至上主義に反対し黒・褐色・赤・黄の人々の力を求める多民族闘争をしばしば入口とし、実際にも象徴的にも米国内の「第三世界の人々」の新たな共闘をつくった。しかし多民族闘争に残る性差別と、白人女性運動の人種主義に失望し、有色の第二波女性は独自の組織と理論を発展させた。
コンバヒー・リバー・コレクティブの『ブラック・フェミニスト声明』(A Black Feminist Statement、1977年、選文68)はその代表作であり、第二波の最も影響力ある政治声明の一つでもある。黒人であり、社会主義者であり、レズビアンでもある人々からなるこの集団は、ジェンダー、人種、階級、性的指向に基づく女性間の差を「相互連関する抑圧」と呼び、黒人レズビアンとしての複数の抑圧の連鎖を示した。同時的で複数の抑圧への注目が交差性理論の核心になる。
単一のアイデンティティや抑圧にもとづく統一運動に対し、彼女たちは人種、階級、ジェンダー、性的指向という交差する社会的位置にもとづく多軸的なアイデンティティ・ポリティクスを求めた。女性運動のような単一の統一的大衆運動を目指すのではなく、連合が生むつながりを通じ、アイデンティティの異なる多くの集団のあいだで、大衆に根ざした集団行動を促そうというのである。アイデンティティは政治の出発点、行動の動機、関心を画定する基礎である。「自分たちの抑圧への関心はアイデンティティ・ポリティクスに表れる。最も深く潜在的に急進的な政治は、誰かを救うことではなく、私たち自身のアイデンティティから直接生まれる」と書く。
交差性理論家は、第二波の「本質主義的な女性」が周縁女性を無視したと批判する。本質主義とは、ある存在や集団を特徴づける核心に、先天的・固有・不可欠な属性があるという信念である。こうした属性は、たとえば女性と男性のように集団同士を区別するだけでなく、集団的な政治実践においてその集団の成員を結びつけることもできる。第二波のフェミニストは、女性を政治的に動員し、共通の関心を示すため、しばしば「姉妹愛(sisterhood)」を持ち出した。しかし、共有する特性を生物的・心理的・社会的なもののいずれとして理論化しようとも、本質主義は女性の経験の差異を軽視し、薄めてしまう。エリザベス・スペルマンは『本質なき女性』(The Inessential Woman、1988年)で、本質主義をフェミニズムのエスノセントリズム(自民族中心主義)の「トロイの木馬」――米国女性運動の内部分裂をもたらした痛ましい原因――と呼んだ。
オードリー・ロードは『シスター/アウトサイダー』(Sister/Outsider、1984年)で、「女性」という語で女を一括りにする誤りを指摘した。多くの白人フェミニストが女性同士の違いを無視する例を挙げ、たとえば白人の仲間にこう語ったと記事は紹介する。「あなたたちは、自分の子どもが成長して家父長制に加わり、あなたたちに反対するようになることを心配している。私たちは、子どもが車から引きずり出されて地面に押さえつけられ、路上で撃ち殺されたり窒息させられたりすることを心配している。なのにあなたたちは、この子どもたちがなぜ死んだのかを見ないふりをしている」。
マヤ・アンジェロウ『歌え、翔べない鳥たちよ』(1969年、選文67)という小説も、こうした抑圧の内面化を強調する。黒い肌を恥じるアフリカ系アメリカ人の子どもを描く。周縁化された集団が支配集団の価値観や信念を内面化し、自尊心と自分に力があるという感覚を損なう仕組みである。ミツエ・ヤマダの「不可視性は不自然な死」(Invisibility Is an Unnatural Disaster、1979年、選文69)は、アジア系米国人への消極的ステレオタイプのため自分が不可視の存在になる経験と、自身の行為・思考がその固定観念を助長することを論じる。
同時的で複数の抑圧
法学者キンバリー・クレンショーが「交差性」を生み出した論文「人種と性の交差を周縁化から戻す――反差別原則、フェミニスト理論、反人種主義政治への黒人フェミニスト批判」(1989年、選文74)は、単一軸の理論が有色女性の多面的経験を隠す仕組みを示す。クレンショーが出発点としたのは、当時最も影響力のあった有色女性の文集の一つの題名――『すべての女性は白人、すべての黒人は男性、しかし私たちの中には勇敢な者もいる――黒人女性研究』――にも表れる問題である。1976年、黒人女性五人がGMを訴え、勤続年数制度が黒人女性差別の過去を引き継いでいると主張した。GMは1964年以前に黒人女性を雇わず、1970年以降雇った黒人女性は勤続年数による解雇で全員失職した。しかし会社が「女性」(白人女性)も「黒人」(黒人男性)も雇っていたため、裁判所は性別・人種差別なしとして退けた。クレンショーは複数の抑圧の交差が「人種主義と性差別の合計を超える」と示した。交差性を考慮しない分析では、有色女性が経験する多様な形の抑圧を十分に捉えることはできない。
周縁から中心へ
交差性理論家も立場理論を受け入れるが、単一軸の「女性の立場」と異なり、人種、階級、ジェンダーが同時に作る複数の抑圧と特権を捉える多軸の立場を採る。この違いは前章で扱った「女性の立場」との違いでもある。抑圧の複数性を捉えるため、彼女たちはジェンダーだけを基準にした立場ではなく、複数の周縁と複数の中心について語る。
ベル・フックス『フェミニズム理論――周縁から中心へ』(Feminist Theory: From Margin to Center、1984年)によれば、周縁という社会的位置は社会生活を批判的に理解するうえで、より有利な条件となる。従属集団は仕事、買い物、生活のため二つの世界――自分たちの世界と支配集団の世界――を行き来する。中心の人々は周縁へ行く理由が少ない。だから周縁と中心の両方を知る人々の声をフェミニスト言説の中心へ移せば、理論は強くなる。
ただし従属集団の知識を特権化することに慎重な者もいる。パトリシア・ヒル・コリンズは、抑圧された人の見解は無垢でも批判を免れるものでもなく、批判的洞察は潜在的だとする。抑圧は良い学校や健康な身体など、社会世界の理解を広げる機会へのアクセスを制限する。ポストコロニアル理論家ウマ・ナラヤンもこの見解に同意し、原書第1章の選文7で「二重の視野の暗部」を論じる。
脱中心化と差異
米国では生殖選択の自由、家族計画・避妊、性教育、中絶が半世紀にわたり激しい争点だった。これらは保守派や反フェミニストが攻撃する主要な標的でもある。しかし米国女性運動のなかで、有色女性は主要な関心が生殖正義だと繰り返し指摘した。それは家族計画だけでなく、積極的に子を産む自由、子を手元に残す自由、避妊を強制されない自由であり、特権階級の白人女性が長く享受してきたものでもある。
アンジェラ・デイヴィス「追放された母と代理母――90年代の人種主義と生殖政治」(Outcast Mothers and Surrogates: Racism and Reproductive Politics in the Nineties、選文77)は、不妊治療技術と代理出産をめぐる論争を扱う。1980~90年代、不妊のカップルのために開発された新しい生殖技術と代理出産は、広く一般の人々とフェミニストのあいだに、母性と出産をめぐる激論を引き起こした。ナンシー・ルブリンの『パンドラの箱――フェミニズム、生殖技術との対決』(1998年)が論じるように、第二波はこれらの問題で分裂した。たとえば、出産後に代理母が考えを変えたとき、誰の権利を優先するかについても、フェミニストの立場は分かれた。妊娠・出産と子育てのどちらが母性の核心かを問うことで、母性の意味が解体された。
デイヴィスによれば、こうした母性の解体への関心は新しくない。むしろ母性の意味は、人種と階級にもとづいて、とうに解体されていた。米国の奴隷制は、黒人女性の腕から子どもを奪い、奴隷市場で安く売買することによって、母であることの多くの側面を効果的に剥ぎ取った。有色女性は特権階級の子の乳母・ベビーシッターとして適切な代理養育者とされながら、自分の子には不適切な養育者とされたし、それは今も続いている。あらゆる人種の労働者・貧困女性は男性同様に産業プロレタリアートへ投げ込まれ、仕事の要求が母である能力と衝突した。20世紀の強制不妊手術も貧困女性、有色女性、障害者に重く影響した。
母性の解体が白人フェミニストの重要問題になったのは、より特権的な女性たちに直接及んでからだった。このことはデイヴィスにとって、じつに示唆的である。新しい生殖技術をめぐる論争は、裕福で年長の不妊女性の生殖問題に焦点を当てた。一方、貧しい有色女性と最も頻繁に結びつけられたのは、若い未婚女性が子どもを産みすぎるという、いわゆる過剰出産の問題だった。皮肉なことに、後者の女性たちは中絶への医療費助成の制限によって、費用を負担できる中絶の機会を奪われた。連邦政府は彼女たちの不妊手術には進んで資金を出していたにもかかわらず、である。デイヴィスにとって、これらの例はすべて、有色女性の身体に「植民地化の痕跡」が刻まれていることを示す。
障害学と交差性理論
ローズマリー・ガーランド=トムソンは、障害研究と交差性を結ぶ主要な学者である。選文79で彼女は、フェミニスト研究が障害をほとんど扱わない一方、障害研究もフェミニスト分析を欠くと指摘する。交差性はジェンダー、人種、階級、性だけでなく障害も考える数少ない方法だと評価する。
ガーランド=トムソンは、社会的地位におけるジェンダーと障害のさまざまな類似点を指摘する。西洋思想は歴史的に女性と障害を結び、女性を男性より非理性的、愚か、ヒステリックとした。美貌と正常性という二重のイデオロギーは、女性と障害者の身体を見られる対象、規範と文化基準に合わせて形作られる可塑的な身体として扱う。人種、階級、ジェンダー、性、障害によって従属させられた身体は「欠陥ある、放縦な」ものと描かれ、嬰児殺し、強制不妊、隔離、標準化手術によって管理・消去の対象となった。障害学と交差性を結ぶことは、抑圧制度が交差し構成し合う仕組みの理解を深める。
ポスト構造主義・ポストモダニズム、クィア&トランス理論
ポストモダニズムとポスト構造主義の特徴の一つは、近代思想の多くに見られる本質主義への批判である。近代思想は労働者階級や女性のような集団概念をためらわず使うが、ポストモダニストとポスト構造主義者は、あらゆる集団カテゴリーを本質主義的なものとして脱構築できるし、そうすべきだと考える。ジュディス・グラントの言うように、集団は「一枚の布から切り出されたもの」ではなく、異なる経験を持つ人々から成り、現実への願望も一つではない。この見方は、それ以前の多くのフェミニズムの立場に重大な意味を持つ。たとえば交差性理論家は、本質主義的な「女性」というカテゴリーが女性同士の人種・社会的地位・性的指向の差異を無視すると批判した。しかし彼女たち自身の「黒人女性」「アジア系女性」といった集団概念にも、同様の批判を向けることができる。
クィア理論家スティーヴン・サイドマンは「黒人、中産階級、アメリカ、レズビアン」という分類が宗教、地域、年齢、教育の差を沈黙させると論じる。人種、階級、性別のカテゴリーとそれにもとづくアイデンティティは、差異を排除し沈黙を生む。だからポスト構造主義者とクィア理論家はアイデンティティ・ポリティクスに反対し、フーコーの「アイデンティティなき生の楽しい境界」という自由を共有する。
さらにポストモダニストとポスト構造主義者によれば、言説は現実を代表・反映するのではなく、現実感を創り導く。集団概念とアイデンティティは社会構築、さらには社会的フィクションであり、行動を規範化し、異なるものを排除するために用いられる。それらは記号と象徴からなるより大きな秩序の一部として、社会的現実についての私たちの観念を構築する。社会現実は言説に依存する。目標はこれらのフィクションを解体し、ヘゲモニー言説を壊すことだ。
権力と言説
近代の権力・不平等理論は、権力を個人・集団が持つ/持たない物――物質的、政治的、制度的資源――として捉える。近代主義フェミニズムも違いはあるが、この階層的・二元的・上から下へ向かう権力観を共有する。ポスト構造主義者は二重思考・二元論を終わらせ、多方向で拡散する権力観を提唱する。選文80は『性の歴史』第1巻からの抜粋で、フーコーは巨視的な権力形態を認めつつ、権力が「四方八方から」、さらには「下から」来ると述べ、性の言説が生み出される過程を、「多様で移動する権力関係」として理解しなければならないとした。
リキ・ウィルチンズ『クィア・ジェンダー――ジェンダー二元性を超える声』(2002年、選文87)は、MTFトランスジェンダーとしての自身の生活と、一般の人々だけでなくフェミニストからも受けた断固たる拒絶の物語に、フーコーの権力論を織り合わせる。身体、性、ジェンダーの言説権力は新聞を買う、バスに乗るといった無害な行為にも遍在し、「日常の何百もの取引で行使される小さな権力」となる。
近代性の権力装置
フーコーは、啓蒙により歴史が自由へ進歩するという観念を疑った。民主共和国の台頭とともに、前近代の露骨な専制に代わり、見えにくい権力・統治・規律が優勢になった。フェミニストが特に注目したのは、フーコーが権力を論じる際に「身体」を導入した点である。『監獄の誕生』でフーコーは、前近代の拷問が公衆の見世物となり、支配される者の身体に権力がどう作用するかを示したと描く。絞首刑やギロチンは単なる公開の見世物ではなく、身体に直接権力を刻む処罰方法だった。「拷問と責め苦は身体に印をつける。それは、身体に傷痕を残すことによって、あるいは拷問の光景そのものによって、受刑者に恥辱の烙印を押すものでなければならない」と記事は紹介する。近代に入ると、このような公開処刑は、より見えにくく効果的な規律の様式に置き換わった。それは身体を制限・抑圧するだけでなく、「従順な身体」を生産する。この生命過程の新たな管理様式を、フーコーは「生権力(biopower)」と呼んだ。多種多様な処罰技術を爆発的に生み出し、支配される者を規範に従わせ、身体と人口を統制するのである。
スーザン・ボルドは『耐えがたい重さ――フェミニズム、西洋文化、身体』(Unbearable Weight: Feminism, Western Culture and the Body、選文83)で、権力が「下から上へ」働くという分析が女らしさの理解に役立つとした。女性は理想化された女らしさの基準をとても進んで受け入れ、努力して合わせているように見えるからである。19世紀末のヒステリー、戦後の広場恐怖症、近年の拒食症など歴史的に女性に固有とされてきた、ジェンダーに関わる心身の症候を調べ、「拒食症の骸骨のような身体」は極端な細さを求める現代女性の風刺画だと示す。ここには、これらの女性の症候と、女らしさの「正常な」実践とのつながりがある。ボルドの分析は、女らしさが社会的に構築される過程、つまりその基準に合わせようと努力する過程のさまざまな矛盾と、女性自身がその矛盾や支配の成立を同時に助けてしまうあり方を明らかにする。
女性の症候への医学的対処を論じる際、ボルドはフーコーの分析を用い、19世紀の科学の進歩が、より見えにくい近代的な権力技術を生んだと説明する。たとえば近代の医学・社会科学は、どのような身体が正常/異常で、どのような精神が健全/狂気なのかを定める。フーコーにとって新しい言説は「科学の名で監視と統制の鉄網を投げる」ため、現代社会は規律・監視社会である。
パノプティコンは19世紀の監獄モデルである。少数の看守が監獄中央の円形の建物に配置され、囚人からは見えない一方、看守は囚人とその行動を全方位から見ることができる。看守が実際にいるかにかかわらず、囚人に「永続的に見られている恐怖」を生み、それによって権力が自動的に働くようにするのが狙いである。こうして「誰もが自分自身の囚人になる」。フーコーにとって、パノプティコンは規範化の構造における自己監視と統制の比喩である。

図の読み方: 図内の表題は「改良中の、いまだ未完成の監獄パノプティコンの構想(1791年1月23日時点)」。主な凡例は次のとおり。
- A=独房、B–C=大きな環状の天窓、D=独房前の回廊、E=入口、F=監視用回廊、H=監視員室。
- G=礼拝堂の桟敷席、I=礼拝堂のドーム、K=その天窓、M=礼拝堂の床。
- L=倉庫とその回廊、N=礼拝堂の床の円形開口部(監視員室への採光用)、O=採光・通風・隔離のための環状の吹き抜け。
外周に独房が放射状に並び、その内側の回廊と中央の監視員室に向き合う。断面図では独房が各階に積み重なり、中央の監視員室の上に礼拝堂が配置されている。下段が半円なのは円形建物の半分を示しているためで、半円形の監獄を意味しない。中央から囚人を見渡せる一方、囚人には監視員の姿を見せないという構想が、本文の監視の比喩を支えている。構想の確認:UCLベンサム・プロジェクト。
サンドラ・リー・バートキーは「フーコー、女らしさ、家父長権力の近代化」(選文81)で、フーコーのパノプティコン概念を用い、女性が女らしさと美の基準を内面化する仕組みを研究した。食事制限、身体を整える運動、整形手術といった規律に従うことで、女性は自分を監視するだけでなく、他の女性とも互いに結託して自分たちの従属状態を支えてしまう。彼女はこう書く。「パノプティコンの男性鑑賞者が大半の女性の意識に存在し、女性は永遠にその凝視の中に立ち、判断に従う」。フーコーと同じく、彼女は家父長制を二元的な抑圧ではなく、拡散し、至る所にあり、中心を持たない一連の力だと考える。「女性の身体に女らしさを刻む規律の力は、至る所にあるのに、どこにも見つからない。誰もが規律に服しているのに、誰一人として目に見える明白な仕方で規律に服してはいない」と彼女は書く。実際、理想化された女らしさと美については、規律権力の源は多種多様である。雑誌、屋外広告、映画、テレビと、ほぼあらゆるメディアがそれを担う。親、友人、恋人、さらには見知らぬ人からも、私たちは理想化された女らしさや美の表し方を学ぶ。
近代主義フェミニズムは性(sex)とジェンダーを区別するが、ポスト構造主義は両方とも社会構築(医療権威のジェンダー化された仮定を含む)だとする。
総じて、私たちが大切にする社会についての多くの前提を執拗に退け、とりわけ自然に見えるカテゴリーを社会構築として暴き続けたことが、フーコーの最大の貢献の一つとされる。人文科学の「真理」はアイデンティティを構築し、何が「正常」で「自然」なのかを定めようとする。その「真理」に対するフーコーの敵意は、特権的な言説の危険に注意を促すだけでなく、社会世界は「別様でもありうる」という健全な懐疑を育てる助けにもなる。
クィア理論
フェミニズム理論と同じく、クィア理論は深く政治的な理論である。性/ジェンダーの差異を認め、称揚し、守らなければならないという考えから生まれた。フェミニズム理論が運動に触発され、運動に影響するのと同じく、クィア理論も急進的なLGBT運動と相互に育った。
「クィア」という語についておそらく最も重要なのは、LGBTのアイデンティティや非異性愛者の同義語ではないと理解することである。むしろ、「正常」という規範を掲げて抑圧を伝えるものすべてを批判する。 1993年のアンソロジー『クィアな惑星への恐怖』(Fear of a Queer Planet)で、マイケル・ワーナーは「単なる政治的利益を代表することを拒み、正常化を促す制度に徹底して抵抗する」「反異性愛ではなく反正常化」と述べた。異性愛欲望の反対でも、異性愛者と同じ生活をする尊敬される同性愛市民でもなく、全員を正常化秩序に従わせる文化と制度への抵抗である。
ジュディス(ジャック)・ハルバースタムは『クィアな時間と場所』(In a Queer Time and Place、選文88)で、「規範性」、つまり慣習的な形のアイデンティティの結びつき、帰属、同一化を批判する。フーコーによれば、同性愛の脅威は、それが単なる性愛の方法ではなく「生き方」であることにある。「クィア」は同性行為で定義されるカテゴリーでなく、家庭の安定や性/ジェンダーの尊厳が保障される領域の周縁で生きる経験を記述するカテゴリーである。これに対し規範性の要求は、ジェンダーと性経験についての硬直した観念に依拠する。一夫一妻婚、核家族、性別分業を中心に日常を組織することもその一つである。クィア文化は地域のバー、公共のパフォーマンス、パフォーマンス・アート、社会的な主張を込めた作品、集団での性的探究、広がりを持つ共同体を中心に異なる生を称揚する。そのためクィアの成人は、異性愛の成人が幼稚・放縦・空想的とみなす活動――ドラァグ・ショー、パンク・バンド、街頭行進の組織化など――に関わり続ける。大人は、より信頼できる人に見られるために、こうした活動をやめるよう促されるのである。クィアな時間は異性愛中心の成人期の規範に抗し、クィアな空間はサブカルチャーが生きる場所である。
もう一つの前提は、ジェンダーと性的指向のアイデンティティ――自分が男性か女性か、異性愛者か同性愛者かという認識――は人為的に与えられ、不安定だということである。ジュディス・バトラーの有名な主張では、大半の人は自分のジェンダーや性的指向を生まれつきのもの、自己認識の重要な一面だと考えるが、ジェンダーは社会環境と歴史の産物とみるほうが正確である。それは長いあいだ、人を分類し、序列をつけ、秩序づけるために使われてきた。『模倣とジェンダー反乱』(選文82)で、ジェンダーが内的自己や生物学的性にまつわる内的現実を表すものだという考えを退ける。むしろそれをパフォーマンス、すなわち個人の儀礼化された行為が社会的に虚構の内的アイデンティティを構成するものとする。行為は個人の内面から一方的に出るのではなく、他者の無数の行為によって動的に形作られる。彼女はパフォーマティヴィティという概念を使い、ジェンダーの行為がジェンダー言説から生まれる仕方を説明する。その言説は、役の台本やせりふが俳優の手から手へ受け継がれるように、世代を越えて伝えられる。「台本やせりふと同じく」、個々人が俳優となって「現実の世界で実際に起きたことのように、演じ直し、反復する」必要がある。自分の意のままにはならず、それでも繰り返し演じざるをえないこの台本は、どうすれば女性であり、男性であり、異性愛者であり、クィアであるのかを絶えず示す。台本が書き終わることはなく、このジェンダーとセクシュアリティを演じる儀礼的な規律の過程を通じてこそ、一貫し自然に見える「自己」が形作られる。ジェンダーは「オリジナルなき反復」である。
第三の重要な前提は、多くの文化でジェンダーの規約が、ジェンダーと性的指向の序列を含むがそれにとどまらない、独自の階層制度を作るということである。「よい性」と「悪い性」の間に線を引き、性の秩序と混沌を分ける。クィア理論は性を罪、病、精神錯乱、病理、意志の退廃、汚染、帝国衰退の原因にする見方を拒む。主流で倫理的とされる性的指向が、少数派のジェンダー・性、人種、経済力を持つ人を含むすべての人を規範化する。
異性愛規範(異性愛を自然・正常・正しいと当然視する考え)は、男性・女性の同性愛者への差別に根ざすジェンダー階層のなかでも、とりわけ影響が広く深い部分である。クィア理論によれば、それは女性、男性、男らしさ、女らしさ、恋愛、性愛、成人、道徳、結婚、子育て、老いの構築の核心にある。
トランス理論
トランス研究の核心はジェンダー二元性、つまり人間は男か女かという生物学的決定論への批判である。 二元性は人を性別役割に分け、秩序を定め、自分のジェンダーを自然な位置だと信じさせ、境界を越える行動を取り締まる。女性抑圧はこの二元的秩序の普遍的で持続的な結果だが、懸念すべき影響はそれだけではない。互いに反対の二つの性しか認めない社会では、クィア、トランス、男性/女性の二元性に合わない身体やジェンダー表現を持つ人は誰でも規律に従わされる。実際、誰も文化の固定的な理想を完全には実現できないため、二元性は全員を抑圧する。
こうした硬直したジェンダーの理想を実現することが、とりわけ難しい人もいる。たとえば米国では出生児の約2%がインターセックスで、男性と女性を区別するとされる身体・染色体の組み合わせを持つ。自然な現象なのに、西洋における「人は完全な男性か完全な女性のどちらかだ」という信念のため、米国の医師は何十年にもわたり、どちらかの性のカテゴリーに確実に合わせるべく、インターセックスの子どもの身体を手術で変えてきた。「女性」「男性」が変化し、可塑的で、争われるカテゴリーだと認め、ジェンダー・アイデンティティが身体へ写像される方法を問うのがトランス理論である。フェミニズムが写像の影響を扱うのに対し、トランス研究はそのジェンダーの割り当てがそもそもどのように、なぜ起き、疑われ否定されたら何が起こるかを問う。
もう一つの核心は「誤認」である。性とジェンダーが多くの意味を担うため、私たちは社会場面に適応し他者の反応を引き出すようジェンダー化された身体を形作る。誰もがそうするが、トランス理論家・活動家は、その過程を意識し、とりわけこれほどジェンダーに執着する世界では、各人が最もよい形で承認される身体を作れるべきだと主張する。そこには、出生時に割り当てられたのとは異なるジェンダーを名乗るトランジションと、自分が望むジェンダーとして認められるよう身体を変えられることも含まれる。
ジュリア・セラーノ『鞭打たれる少女たち』(Whipping Girls、2009年、選文89)は、トランス女性が受ける特殊な差別を政治声明として強調し、多くのフェミニストがトランスフォビアやトランス女性嫌悪(trans-misogyny)に加担していると責める。シスジェンダー女性(cisgender women、女性として生まれた女性)の概念を定めてトランス女性を活動から排除するフェミニストを批判する。
フェミニズム第三波
1990年代、米国の女性運動と学界は若い世代のもとで再興した。突然で大規模だったため「ジェンダー地震」と呼ばれた。第三波の活動の急増は、その一部には、早くも1982年にフェミニズムは死んだ、もはや意味がないと宣言していたメディアへの応答でもあった。当時、雑誌は10代、20代の女性を「ポストフェミニスト」世代と呼んでいた。自由主義的ジャーナリズムの最後の砦とまでみなされる『ニューヨーク・タイムズ』さえ、週刊誌の巻頭特集に「女性運動は終わった……」と始まる哀歌を載せたのである。レベッカ・ウォーカーが『Ms.』誌で「私はポストフェミニストではない。第三波だ」(1992年)と宣言したのは、フェミニズムの死を嘆く者、高みからその訃報を告げる者への侮蔑だった。
第三波の歴史的基盤
80~90年代に成人した第三波は、第二波とは異なる世界に直面した。政治的にはレーガン/ジョージ・W・ブッシュ期に強い影響力を持つ新右翼(New Right)のもと、高度に動員された保守的な反撃に直面した。新右翼の台頭は、その大部分が1980年のレーガン大統領選とSTOP-ERA運動が福音派キリスト教徒と、より世俗的な保守派を結びつけた結果だった。第二波が公民権運動や反ベトナム戦争運動といった、力強い自由主義・左派の社会運動から生まれたのとは対照的である。
経済的には戦後最悪の雇用市場で、戦後初めて、親世代より暮らし向きが悪くなると予想された世代だった。グローバル化に伴う米国製造業の衰退と低賃金サービス業の増大を背景に、第三波フェミニストのミシェル・シドラーはこの暗い経済状況を「マクドナルドに生きる」と呼んだ。高額な大学学費は同世代に巨額の債務を負わせ、学位を得ても高賃金の仕事は少なかった。
第三波はまた、新しい電子・デジタル技術の台頭が生んだ「新情報社会」とグローバルな「テクノカルチャー」のなかで育った。その生活には、消費主義と広告を礼賛する大衆文化が染み込み、その声はニュースやネットを通じて広がった。そのため、新しい波が大衆文化を主要な闘争の場の一つにしたことも、不思議ではない。
第三波と交差性の曖昧な関係
第三波の著者は人種・民族を問わず、交差性を開いた第二波の有色女性へ系譜をたどる。『第三波アジェンダ』の編者レスリー・ヘイウッドとジェニファー・ドレイクは、米国の第三世界フェミニズムが世紀転換期の生活を説明する言語と原則を作ったと述べる。アストリッド・ヘンリーも『母の姉妹ではない』(Not My Mother’s Sister)で、複数の抑圧が同時に絡み合う本質への洞察を、第三波が第二波から学んだ「おいしい教訓」と呼ぶ。多くの著者は女性間の差に敏感で、本質主義を批判した。
第三波の中心的指導者に有色・混血女性が多かったため、米国フェミニズムで初めて有色女性が率いる波となった。複数で絡み合う抑圧への関心は、不平等と正義を広く捉え、急進主義者を女性運動へ入れるのでなくフェミニズムを急進主義へ持ち込む方向を選んだ。
レスリー・ヘイウッドとジェニファー・ドレイクは『全員の目をベンジャミン(100ドル札)へ――米国第三波フェミニズムの経済的要因』で、第三波特有の「各自が自分の場で行う」活動を描く。多文化環境で育った世代は、交差する差異を重視する姿勢を反映して、社会正義をめぐる他の運動にも、より参加しやすいという。アイデンティティ・ポリティクスより、「ローカル」「急進的分散」として自分のメディアサイトとネット工房を作り、世界的技術文化の包摂に抵抗する。
彼女たちは女性問題や「家父長制抑圧」への関心は自分たちの世代にとって「ある状況でしか役に立たない」と考える。グローバル化と脱工業化が大半の米国人の階級的下降を招く一方、この世代の男女の収入をより均等にしたと論じる。それゆえ第三波には、同世代の男性と共通して語れることがより多い。「経済に全員の目を向ける」ため第三波は政治運動として目立たないが、より広く分散し大衆へ深く入る。
交差性理論家と同じく、第三波の著者も、学界の内外にある多様な理論生産の場と、慣習的に理論と呼ばれる活動を、もっと広く捉えるよう求めた。両者にとりわけ共通するのは、社会生活のなかで得た知識を深く実感していることである。自分の考えを述べるとき、自身についての小さな物語を自在に使うことにも、それが表れている。第三波のテクストを分析する研究者によれば、「大半の第三波フェミニストは、すぐに自分を非学術的な者と定義する」。
たとえば、ヴェロニカ・チェンバーズとジョーン・モーガンは、日常から得る知識と女性学の知識を区別し、「学院フェミニズム」――大文字のFで表される、唯一公認されたフェミニズムだとみなされがちなもの――を批判した。モーガンはヒップホップの古典的著作『中庭には二羽の鶏』で、ヒップホップのように若い黒人女性と対話するフェミニズムを求め、「フェミニズムが圧倒的多数の黒人女性とつながろうとするなら……学問の象牙の塔から自分自身を救い出さなければならない」と懸念を示した。ヒップホップに満ちる人種、階級、ジェンダーの矛盾も分析し、ヒップホップへの愛と、その中にある女性嫌悪との矛盾に、自分がどう折り合いをつけているかを説明した。
こうしたポピュラーカルチャーへの政治的な介入は、第三波でとりわけ顕著かつ広範に見られる。多くの第三波フェミニストはライオット・ガール(Riot Grrrl)の音楽に刺激され、自分たちの音楽や雑誌を作り、レコード・レーベルを育てるなどして、パンク・ロックの世界に女性自身の居場所と安全を作った。ライオット・ガールの自力でやるという原則は、多くの第三波フェミニストに受け入れられた。彼女たちは雑誌を作り、ネット上の討論グループを設けて政治的なメッセージを広げるなかで感じたエンパワメントを、たびたび語っている。選文90は1991年頃の『ビキニ・キル』誌の表紙で、現在は『ライオット・ガール・コレクション』(The Riot Grrrl Collection)で見ることができる。ビキニ・キルはキャスリーン・ハンナ、ビリー・カレン、キャシー・ウィルコックス、トビ・ヴェイルからなるパンクバンドで、ライオット・ガール運動の先駆とされる。このような雑誌は、さまざまな形で理論を生み出すことが、どれほどの創造力を解き放ちうるかを示している。
第三波、ポスト構造主義、クィア理論
大衆文化と同じく、性は第三波アクティヴィズムのもう一つの主要な場で、ポスト構造主義とクィア理論の影響を示す。現状を挑発し覆す逸脱、「フェミニストの悪女」を好み、多様なジェンダー主体とあらゆる性の快楽への旺盛な関心を示す。「クィア」は新世代フェミニストの新しい政治的構想を示す語となった。
第三波も、ポスト構造主義者やクィア理論家に倣ってアイデンティティ・ポリティクスを拒む。ウォーカーは、アイデンティティが生活を支配し規制して、一瞬にして誰かと対立させ、女性対男性、黒人対白人、被抑圧者対抑圧者、善人対悪人という固定した立場を選ばせるのが怖いと書く。ダンジー・セナはアイデンティティ・ポリティクスの束縛を脱して、受け継いだ世界の複雑さと曖昧さを知った。第三波は流動するアイデンティティを望み、「生気に満ちた混乱」と呼ばれた。
『リッスン・アップ!』の編者バーバラ・フィンドレンは、魅力的・面白い・流行のものはフェミニストになれないと同輩が考えていたと描く。第二波を「野暮で飾り気がなく、深刻すぎる姉妹」とみなす決まり文句は、他の第三波の書き手にも広く共感された。これに対し、第三波の多くの著作や政治実践には、ユーモアと矛盾を柔軟に使う姿勢が織り込まれている。スーザン・ジェイン・ギルマン『さよなら、バービー』(選文92)が示す通りである。
ウォーカー『リアル』(選文91)は第二波フェミニズムの規律を厳しく描く。
この本を書き始める一年前、私の生活は女らしさの坩堝だった。する決断、会う人、口にする言葉はすべて道徳的・政治的に正しく、私の女性像と女性のエンパワメントの考えに合わなければならない。すべてにジェンダー化された解釈があり、私のフェミニズムに合わないものは「悪く、不道徳で、問題がある」ものだった。
『リアル』の後書きで第二波の交差性理論家アンジェラ・デイヴィスは、多くの著者が、フェミニズムによって自分たちの個性――欲望、目標、性実践――を「監禁された」と感じていることに驚いたと述べる。ただしデイヴィスは、第三波が禁欲的で規律に縛られたものとして描くのは、「想像上のフェミニズム状況」だとする。
第二波と第三波の緊張関係についての踏み込んだ議論は、キャスリン・ベイリー「母/娘の重荷をほどく」からの選文94に見られる。
多くの若い女性は、かつて「理想」とされた特定のフェミニスト像になることを拒むために闘っている、と考えている。そのため彼女たちの抵抗は、現実のフェミニストに直接向かうというより、フェミニストの内側にいる統治者――「パノプティコンのフェミニズム警察」――に向かっているのかもしれない。
ベイリーは第二波と第三波の意思疎通の不十分さを例示し、両者の緊張を減らすための提案をする。同時に、第三波の多くの書き手が支持するポストモダン認識論の相対主義にも反対する。例に挙げるのは、レベッカ・ウォーカー編『リアル』へのドナ・ミンコウィッツの寄稿である。ミンコウィッツは、野球バットで10代の若者をレイプするという空想上の暴力場面に、どのように性的な興奮を感じたのか、またその感覚を自由に表現できることをどのように望んだのかを描いた。ウォーカーは寄稿者全員をとても「リアル」だと称賛し、大半の第二波の書き手が批判するであろう、いわゆる「反革命的行為」を「勇敢に省察した」と評価した。
実際、その文集の序文を書いた第二波フェミニストのグロリア・スタイネムは、ミンコウィッツの記述を批判した。ベイリーも、自由や本当の自己をめぐるミンコウィッツの相対主義的な概念に違和感を示す。本人が自分の行為を転覆的だ、自由や抵抗に役立つと思うだけでは不十分であり、「主体自身の解釈と他者の解釈のあいだには、均衡がなければならない」という。ここでベイリーは、第三波の多くの著作を悩ませるポストモダン相対主義の問題を、丁寧に解きほぐしている。
『波をつかむ』の著者ロリー・ディッカーとアリソン・ピープマイヤーも、第三波の著作を悩ませる相対主義の問題を論じた。フェミニズムの意味に境界がなくなれば、「フェミニズムの核心となる価値と綱領は空洞化」し、「門戸が開け放たれ」、どんな意見や行動をとる人もフェミニストになれてしまう。それは交差性理論家ベル・フックスの「フェミニズムは万人のためにある」という格言の、「最悪の解釈」だと彼女たちは考える。
同床異夢の姉妹愛?
アストリッド・ヘンリーは『孤独な姉妹愛――第三波の個人主義と集団主義』(2005年、選文98)で、第三波期に現れた多くの著作の強い個人主義を扱う。それらは「フェミニズムの個人的な定義にあふれている」と彼女は述べる。個人主義は、ミクロな個人の物語を好む執筆姿勢にも表れている。日記や日誌のように、これらの物語は個人の日常生活にある矛盾、不確実さ、ジレンマを際立たせる。第二波は個人の反応から集団・大衆政治へ分析を移したため、こうした個人化をあまり書かなかった。第二波の書き手の一部はこの文体を狙って批判した。ある批評家は『リッスン・アップ!』の著者たちを「素人の回想録作家」と呼び、不快感と抑圧を混同し、日常が見知らぬ人にも内在的な意味を持つと考える人々だと批判した。
ヘンリーは第三波をそれほど厳しく見ない。個人主義は本質主義の濫用、第二波の集団的「私たち」、他の女性の代弁への抵抗を示す。これは明らかに、ポスト構造主義と交差性理論から学んだ、歓迎すべき批判姿勢である。しかし今や個人的物語を越え、より大きな政治と理論へ、個人から集団へ向かう必要がある。そのやり方によって、第三波の著者がより多くの男女をフェミニズムに引きつけたことは評価する。それでも、フェミニズムを個人が望むものすべてとして示すなら「重要な政治的視点を失い」、後続車に「ガール・パワー」と告げる無意味なステッカーになる。
ヘンリーは、この個人主義的なフェミニズム観が、社会全体の問題に個人による解決を求める、21世紀米国の保守化した政治の現実に迎合しすぎているのではないかと懸念する。共通の闘い、明確に定められる政治目標、狙いを定めた敵が失われたことを嘆く。共同の政治目標を築くことで、第三波は「個々人がとる単なる世代的な立場」から、「フェミニズムの多様性と差異を認めながら、社会に影響を及ぼすためには集団行動が必要だと強調する、批判的な政治的視点」へ変わることができる、というのが彼女の結論である。
フェミニズム、反帝国主義・反戦、ポストコロニアル
ローザ・ルクセンブルク――帝国主義と女性問題
1912年「女性参政権と階級闘争」でルクセンブルクは、女性に参政権を与えないブルジョワ政府が恐れるのは労働者階級の女性が選挙で勝利し、大企業に有利な法律に反対票を投じることだとした。ブルジョワ女性を他人の労働で生きる寄生者と軽蔑した。
『資本蓄積論』では、資本主義企業を国外へ拡張させる経済要因を扱う。帝国主義が自然経済を破壊するのは原始的蓄積、つまり前近代の人々を暴力で征服し土地を奪い私有化し、自給経済を市場経済へ変える過程である。軍国主義は近代帝国主義の論理の一部だ。『資本蓄積論』最終章「資本蓄積の場としての軍国主義」(1913年、選文107)は、人道的用途に使える税を軍国主義が吸い上げ、帝国政府が新しい高度な武器を求め続けることで軍需産業の金庫を満たす仕組みを論じる。こうして彼女の帝国主義論は、恒久的な武器経済と軍産複合体の台頭を捉えていた。数十年後、他の新マルクス主義者が、これらの洞察をもっとぎこちない形で展開することになる。
彼女の時代、彼女ほど西洋帝国主義が前近代の社会関係を破壊することを注視したマルクス主義者は少ない。現地社会を後進的と繰り返す代わりに、その粘り強さ、弾力性、適応力に注目した。欧州帝国主義が残存する先住民社会組織を壊し、それらが「最も生産的な労働過程を提供し、継続と発展を最もよく保証していた」と強調した。
反ベトナム戦争運動
ベトナム戦争は、夫、恋人、兄弟、友人が徴兵されたため第二波フェミニストに直接影響した。世界問題、米軍とCIAの海外での公然・秘密の介入への関心が高まった。多くの女性が反戦運動で政治・組織技能を学び、新旧左派の理論と政治実践に浸った。しかし、第一波の活動家が奴隷制廃止運動のなかで女性としての劣位に気づいたように、第二波の多くの活動家も、新左派や反ベトナム戦争運動の性差別をきっかけにフェミニズムへ向かった。ラディカル・フェミニストのロビン・モーガンは、この性差別をこう描く。
新しい社会を作る闘いに参加していると思っていた私たちは、次第に気づいた。運動の中でも外でも、同じ仕事をし、同じ役割を演じている。タイプを打ち、コーヒーを淹れ、政治はなかった。
ERA闘争の際、反戦活動歴は反対派に利用された。フェミニストは非国民だ、ERAは女性を戦場へ送るという主張が、STOP-ERA運動への保守派の参加者を増やした。
戦後、資本主義世界と社会主義世界の冷戦は、世界の不均衡を説明する理論にも広がった。近代化論者は保守派か穏健な自由主義者であることが多く、資本主義を受け入れ、人口過剰、非識字、伝統的な価値観や文化の束縛、資源・技術不足など第三世界内部の要因に発展の問題を求めた。
これに対し依存理論家は、左派自由主義者、反植民地主義者、親社会主義者であることが多い。第三世界諸国の不均衡で不平等な発展の原因を外的要因に求め、第一世界政府の新植民地主義と多国籍企業による安価な労働力搾取が富を第一世界へ移すとした。それを「未発展の発展」と呼んだ。
アイリーン・ティンカー「発展が女性に及ぼす不利な影響」(The Adverse Impact of Development on Women、1976年、選文112)は、初期のグローバルなフェミニズム研究の知見をまとめたものである。彼女は、ジェンダーを無視する近代化が、執筆当時、「ほぼすべての国、すべての階級で女性が男性に対して自分の領域を失う」ことを意味したとまとめる。この痛ましい現象の主因は、計画者が女性の家庭内外の二重責任を見落としたことだ。欧州植民者は、女性が主な耕作者であっても男性を優れているとし、新農業技術を女性に教えなかった。第二次世界大戦後、多くの旧植民地が独立国家となってからも、開発の専門家は、技術導入が女性の役割、仕事量、賃金へ及ぼす悪影響を無視した。
依存理論に触発されたフェミニズム
1960年代、第三世界の労働集約産業は多国籍資本に注目され急拡大した。第一世界に好意的なエリート層・政権があり、低賃金、失業、規制と労組の弱さを持つ国に世界的スウェットショップが集まり、労働力の大半を若い第三世界女性が占めた。バーバラ・エーレンライクとアネット・フューエンテスの選文「世界的組立ラインの生活」(1981年)は搾取を示す。女性たちが労働条件を改善しようと組織化すると、警察の暴力にさらされたり、企業が単に、労働力がもっと従順な別の第三世界の国へ移ったりした。
オフショア化と外注は第三世界だけでなく、職を失う第一世界の労働者階級も傷つけた。米国製造業雇用は1965~85年に60%から26%へ下がり、サービス業は40%から74%へ上がった。新しいサービス職は低賃金で、ブルーカラー労組の医療・年金を欠き、製造業減少を補えなかった。
第三世界から多くの人が第一世界へ移住し、低賃金サービス職――かつて第一世界の専業母が担った家事・保育――に就いた。移民の女性化とは、移民女性労働者がますます増え、仕事を求めて世界を移動することである。
グレース・チャン『世界貿易のフィリピン女性労働者』(The Global Trade in Filipina Workers、1997年、選文121)は、貧困地域から富裕地域へ移る女性が性労働者、家事・育児労働者、病院・ホスピス・保育所・老人ホームのケア労働者になることを描く。1980年代の構造調整計画(SAPs)の実施が、移民の女性化を促したと彼女は指摘する。第三世界の政府は、移民労働者が家族に送る外貨を目当てに、しばしば女性も男性も国外へ送り出すよう動員した。海外労働者からの送金は、国の債務を返すために切実に必要な準備通貨となった。
新植民地主義の問題に向き合う、より個人的な語りは、交差性理論家ジューン・ジョーダン「バハマからの報告」(Report from the Bahamas、選文118)にも見られる。人種、階級、ジェンダー、新植民地主義について絶えず自省する意識が、陽光あふれるバハマでの短い休暇に、心をかき乱すような影響を及ぼした。観光客であり消費者である彼女は、自分の部屋を掃除する地元の女性や、市場で手工芸品を売る女性に対して、相対的な特権を持つことを否定できず、そこから逃れることもできなかった。そのため、政治的なつながりは何を土台とするのかを、批判的に問い直さざるをえなかった。
依存理論フェミニストは、第一世界が第三世界の問題について、より大きな責任を負う義務を認め、世界の貧困・労働者女性を守る政策を求める。多国籍企業の労働者が自主的に組合を作り、世界銀行などの国際機関で、労働者階級と貧困層に有害な決議に抗議する集団行動も呼びかける。
ラディカル・フェミニズムのグローバル分析
1970年代からラディカル・フェミニストは、家父長制の実践が世界の女性解放にどのような障害を設けるかを強調し、説明するうえで主要な役割を果たした。メアリ・デイリー『ジン/エコロジー――ラディカル・フェミニズムのメタ倫理』(Gyn/Ecology: The MetaEthics of Radical Feminism、1978年)は、世界の家父長制的実践を論じたラディカル・フェミニズムの本のうち、最も広く読まれたものの一つである。インドのサティ(寡婦の殉死)、古代中国の纏足、アフリカの割礼にそれぞれ章を割き、第三世界女性への暴力の枠組みとして扱う。デイリー自身の言葉では、「いくつかの野蛮な儀式を分析」して、それらが共有し、家父長制の「サド・儀礼症候群」を成り立たせる「基本的な共通パターン」を探す本である。選文113はサティを例に、ファルス道徳の普遍的同一性を論じる。
ルクセンブルクに触発されたグローバル分析
植民地主義と帝国主義が前近代社会を破壊することに、ルクセンブルクが注目したため、彼女に触発された第二波フェミニストは、西洋の発展モデルを批判的に問い、その生態的悪影響を認識する点で、最も遠くまで踏み込んだ。マリア・ミース「世界規模の家父長制と資本蓄積――国際分業における女性」(1986年、選文119)はこの破壊を論じ、それによって女性の状況が男性以上に悪くなることを強調する。同様に、ミースはそれ以前の共著『女性――最後の植民地』でも、インド女性への資本主義の影響をこう描く。
現在あるデータから、資本主義の浸透が、もともと自給していた多くの生産者を貧困化し、周縁化したと論じることができる。さらに、女性は男性よりこの過程の影響を受け、男性はなお部分的に実際の賃労働へ吸収されうる。男女間の不平等と二極化は深まる。資本主義の浸透[国外の非資本主義的な形態に向けられたもの]は、男女の平等をもたらすどころか……実際には家父長制と性差別の新たな要素を導入した。
ミースは、この過程が女性の地位を男性に比べて悪化させ、貧困の女性化と女性への暴力の増加をもたらす仕組みを説明する。家族の解体も論じる。貧しい男性は賃労働を求めて都市に移り、妻や娘は村に残り、自給農業を営むか、生きるために売春へ向かうのである。
同じくルクセンブルクの著作に触発されたヴァンダナ・シヴァは、この破壊を「歪んだ発展」という概念で表す。それまでの開発論は、政治的な左派、右派、中道を問わず、経済成長を発展の主要な指標としてきた。第三世界の生産を増やし貧困を減らすには、効率の低い前近代の生産様式を工業化で置き換えなければならないと考えたのである。近代化論者も依存理論家も、この見方を共有していた。対立する資本主義と社会主義の発展の道筋は、工業化の利点を認める点では共通していた。
シヴァはこうした発展の道筋を拒む。彼女の未来像が最も明確に示されるのは、ミースとの共著『エコフェミニズム』(1993年)である。二人はその代替的な展望を、自給自足の視角、生存(subsistence)の視角と呼ぶ。主要な特徴の一つは、経済活動の目的を、拡大し続ける「商品の山」の生産から、人間の基本的な必要を満たすことへ移す点にある。市場や金融機関・制度に依存する代わりに、地域の物々交換と社会的なつながりに頼る。水、土壌、石油などの自然資源は私有化も商品化もせず、共同体の責任として扱う。
ポストコロニアルとトランスナショナル・フェミニズム
ポストコロニアルとトランスナショナル・フェミニズムの台頭は、グローバルなフェミニズム分析における大きなパラダイム転換を示している。今日、多くのフェミニストは、近代初期のグローバルな分析が好んだ概念上の道筋や第一世界/第三世界の枠組みを踏襲するより、トランスナショナルな分析を好む。インダーパル・グレワルとカレン・カプランによれば、旧枠組みには欧米中心の世界観の残余があり、世界史を動かすのは中心権力を持つ者として描かれ、地域の複雑な階級分割が無視される。
エラ・ショハット『対話するヴィジョン――トランスナショナル時代の多文化フェミニズム』(Talking Visions: Multicultural Feminism in a Transnational Age, 1999年、選文131)は交差性を評価しつつ、米国の交差性理論家が第一世界・世界的超大国の市民としての自分たちの特権をほとんど論じないと批判する。米国内の人種差別・階級差別・性差別・同性愛嫌悪への反対は、米国の海外覇権への反対を保証しない。有色人種が米軍を社会的上昇の手段として利用し、米国の軍事帝国主義による海外侵略に従事することもある。第一世界の底辺から上がった人にも、地域/世界の連関を語るとき認めるべき特権がある。
「ポストコロニアル」は、植民地主義の言説、権力構造、社会階層の遺産へ介入し、それを問い直すための重要な概念である。ポストコロニアル理論家は、グローバル化の文化的・言説的な現れにも、より注意を向ける。政治経済を無視するのではなく、政治・経済の問題は文化や言説の分析と織り合わされていると考える。エドワード・サイード『オリエンタリズム』(1978年、選文123)は、この理論の基礎となる著作の一つである。サイードは、近東・中東・遠東のアラブ・イスラムやアジアの民族・文化に対して持続する西洋の偏見に改めて注目し、それを「オリエンタリズム」と呼ぶ。「東洋」は西洋の物質的・言説的構築であり、植民地の土地と人々へ投影される。この過程では「東洋」の他者化が必要となり、それが逆に「西洋」を定義し、確固たるものにする。したがってオリエンタリズムは、西洋のフィルターを通して東洋を描くのと同じくらい、西洋そのものを描いてもいる。ポストコロニアル理論は植民者と被植民者の相互構成の社会的意味を批判的に分析する。
脱植民地化のフェミニスト思想
チャンドラ・タルパデ・モーハンティ「西洋の目の下で――フェミニスト研究と植民地言説」(“Under Western Eyes: Feminist Scholarship and Colonial Discourses”, 1984年、選文124)は、米国のフェミニストにポストコロニアル・フェミニズム理論を紹介した画期的な論文である。多くの第一世界のグローバル・フェミニズム言説に見られる特権とエスノセントリズムを脱構築し、取り除こうとする。とりわけ批判の的となるのは、そこに広く行き渡る本質主義である。西洋フェミニストは「第三世界女性」を、階級・民族・人種にかかわらず同じ関心と欲望を持つ集団として構築する。貧しく無知で伝統に縛られ抑圧された被害者とされ、第一世界女性は教育され近代的で、身体と性を管理し自由に決定できると暗黙に想定される。この二元的な言説は「第三世界女性に父権的・保護者的な態度をとる」だけではなく、彼女たちを被害者である客体へと貶め、「歴史と政治的な行為主体性を奪う」。
米国第二波誌『Off Our Backs』の「ラテンアメリカのフェミニスト会合」表紙は、そのような貧しく被害を受ける第三世界女性の表象例である。

表紙の文字: 誌名下の説明は「女性のニュース誌」。主見出しは「ラテンアメリカのフェミニストたちが集う」で、その直下の女性像との組合せを本文は論じている。右欄の見出しは、上から次のとおり。
- 「会議・集会」――NOW(全米女性機構)/「第三世界」の女性/女性センター
- 「ナチス支配下の女性たち」
- 「メンタルヘルス――セラピーをめぐる見解」
- 「エイズ――知られている事実はあまりに少ない」
- 「音楽家インタビュー」――クリスチャン(Christian)、ティラリー(Tillery)、トーフ(Torf)、コットン(Cotton)
モーハンティと同じく、ウマ・ナラヤンも、西洋フェミニストの立場や前提に暗黙に含まれる植民地主義的な性質を明らかにする。『ずれた文化――アイデンティティ、伝統、第三世界フェミニズム』(Dislocating Cultures: Identities, Traditions, and Third-World Feminism、1997年、選文129)は、メアリ・デイリーの作品(選文113)を例に「第三世界の伝統」が植民地主義的立場で表象される仕方を探る。西洋フェミニストが第三世界の文化実践を批判することすべてが、植民地主義的・人種中心主義的なのではない。宣教師のような枠組みで第三世界女性を被害者、文化から救うべき存在、自己を代表し発言できない存在とする時、植民地主義的立場になる。また、植民地主義的な立場は文化的伝統が生まれ発展した歴史的背景を消してしまう。伝統は不変で「永遠に存在する」ものとされ、第三世界の国々は、その土地独自の抵抗もない「歴史なき場所」に見せられる。
ナラヤンは「西洋化」などの語の意味も脱構築する。「西洋化」はしばしば「追放の戦略」として使われる。女性の権利を唱える第三世界のフェミニストは、敵対者から西洋化された「共同体の裏切り者」に分類され、その正当な要求と行動を損なわれる。だが敵対者が何を西洋化とみなすかは、つねに選択的である。自分たちは車に乗り、コンピューターを使っても、それを裏切りとは呼ばない。こうした語の使用と濫用を解きほぐすため、その意味をめぐる、より批判的な議論が必要だと彼女は求める。
サバルタンは語ることができるか
ポストコロニアル理論家はマルクス主義とポスト構造主義の特徴を結びつけ、植民地主義と帝国主義の経済的・政治的影響だけでなく、それらが言説の面で持つ意味にも注目する。後者を強調するのが、ガヤトリ・スピヴァク「サバルタンは語ることができるか」(1985年、選文125)である。スピヴァクはインドのサバルタン研究集団の一員であり、「サバルタン(subaltern)」を、階級、カースト、年齢、ジェンダー、その他いかなる形で表れるものであれ、従属する集団の一般的な属性を指す語として用いる。
スピヴァクによれば、植民地の人々に押しつけられた帝国の規範・コードと実践は、その土地の記号体系を破壊した。彼女はこれを認識論的暴力と呼ぶ。この暴力的な断絶が文化にもたらす影響は複雑だが、その一つに、本来の土着文化が沈黙させられることがある。彼女にとって、真にサバルタンである人々、つまり最も周縁化された集団は、語ることができない。もし語ることができれば、その人はもはやサバルタンの位置を占めない。ある論者は、この立場を、土着の人々を歴史の主体や闘争の担い手として認めず、排除あるいは沈黙させるものだと解釈した。しかしスピヴァクの意図は、それとは大きく異なる。反帝国主義の書き手や活動家も、言説の領域としての帝国主義の外部にいるわけではない。直接それと関わっているからである。植民地言説を理論的に批判する者とみなされる人々は、サバルタンの位置を占めにくい。自分自身の特権と混成性を認識し、認めなければならないのである。
スピヴァクの立場は、フェミニスト・スタンドポイント理論家とは異なる。後者は、周縁化された人々にこそ最も重要な認識上の優位があり、それゆえ被抑圧者、あるいはサバルタンの知識に特権を与える。これに対しスピヴァクは、そうした企てを、長い目で見れば深く侮辱的なものだと考える。そのように主張する書き手は、下層の人々を「代表する」という名目のもとでしか、それを語れないからである。つまり、フェミニストが被抑圧者の知識に特権を与えるとき、実際にはフェミニストの知識人が、周縁化された人々の立場を解釈し、その代わりに声を発している。こうしてフェミニストの知識人は周縁化された人々の立場を前面に出しながら、実際にはそれを舞台裏に隠してしまう。被抑圧集団のために発言し、その立場を解釈するとき、周縁化された人々の解釈が果たす役割や、そこに含まれるずれ・置き換えを認めないのである。スピヴァクにとって、こうしたずれや代理による置き換えを認めず、他者を実際に代表しているかのように振る舞うなら、たとえ急進的・解放的な実践に立脚していても、新たな支配の共犯者となってしまう。
スピヴァクの仕事の価値は、このように注意深く分析上の区別をしながらも、女性同士の結びつき――しばしば困難を伴うグローバルな結びつき――を築くことにこだわる点にある。彼女は、西洋の白人女性、西洋の有色女性、ポストコロニアル理論家の誰が書いたものであっても、すべてのフェミニズム思想に潜む帝国主義の論理を問い、脱構築しなければならないと、フェミニストに促す。世界を批判的に読み、自分の特権を手放すことを、倫理的・政治的責任として教えるのである。
移民とポストコロニアル空間のジェンダー政治
アヴタール・ブラやトリン・T・ミンハなどのポストコロニアル理論家は、移民を主流文化の受動的被害者として描くのでなく、周縁化の衝動に挑戦し主流文化を変える力として描く。ブラは『ディアスポラの地図』(Cartographies of Diaspora、1996年)で、第二次世界大戦以来、旧英領植民地から英国へ大規模な移民が流入し、「英国性(Britishness)」が解体・再構築され、古い「イングランド性(Englishness)」が多くの民族性の一つになる過程を論じる。
この考えは、ミンハの『女性、ネイティブ、他者――ポストコロニアリティとフェミニズムを書く』(Woman, Native, Other: Writing Postcoloniality and Feminism、1989年、選文126)によく表れている。彼女は、西洋が第一世界に第三世界が存在することを痛切に知り、その逆も同じだと論じる。支配者は、自分の文化が同質で単一だと思うほどには単一でないと知り、しぶしぶ自分も他者の一人にすぎないと認める。
ミンハの仕事は、どの文化にもある「本当に内側に属する者」という概念を揺るがし、各文化が混ざり合って形作られることを示す。西洋の文化混成観は、混成をいつもどこか他所に置き、純粋で不変だと想定したアイデンティティに侵入するものとする。しかし純粋な位置は存在しない。こうした理想化を正すことが西洋思想の脱植民地化である。
フェミニズムと原理主義
グレワルとカプラン『散在するヘゲモニー――ポストモダニティとトランスナショナル・フェミニスト実践』(Scattered Hegemonies: Postmodernity and Transnational Feminist Practices、1994/2006年、選文127)は、ポストモダン期に生じた巨大な変化を理論化する重要性を論じる。とりわけ注目するのは、9・11後に拡大するトランスナショナルな軍国主義と宗教原理主義が突きつける課題である。現在の宗教原理主義の膨張が持つ政治的・経済的な根本原因を、唯物論的・脱構築的な方法で検討するよう求める。これらの国境を越える世界的な衝突を、単なる「文化戦争」と同一視すべきではない。
米国の大衆メディアでは、世界の衝突を文化戦争として描き、それがいかにも現実であるかのように語る姿勢がよく見られる。そこでは西洋は、ユダヤ・キリスト教の伝統か、近代の世俗文化のいずれかに結びつけられ、どちらもイスラム原理主義の敵として描かれる。現代の理論家の一部でさえ、伝統的な構造を持つ共同体が、近代性の育てた言説的な枠組みに反発することが世界の衝突だと考える。たとえば、西洋が唱える政教分離、言論の自由、個人主義の理想の奨励への反発である。ここでもまた、焦点は文化の違いに置かれる。
グレワルとカプランによれば、国外の反西洋感情が、文化戦争だけでなく、かつての植民地主義や新植民地主義的政策の影響によっても引き起こされると認識すれば、西洋の覇権が、自らと関わる世界の紛争の火種をどのように作るのかが、よりよく見える。たとえば、1953年にイラン国王モハンマド・レザー・パフラヴィーを権力の座に据えた反民主的クーデターは、CIAの支援で実現した。米帝国主義の傀儡であるパフラヴィーの独裁は、最終的に1979年、現在イランを統治するイスラム原理主義者たちに倒された。1980年代、米国政府はアフガニスタンでソ連と戦うタリバンに軍事・財政支援を与えたが、20年後、対テロ戦争の一環として、逆にタリバンとの戦争を始めた。
グレワルとカプランはフェミニストに、歴史への健忘で目を曇らせ、西洋による過去の専制政権支援が現代の世界的衝突を作り出してきたことを見失わないよう警告する。米国のフェミニストに対しては、イスラム原理主義の家父長制的性格だけでなく、キリスト教原理主義も検討するよう促す。それが共和党に及ぼす影響は、生殖に関する選択を支える資金や開発実践を制限することを通じて、世界の何百万人もの女性の生活に影響している。
ムスリム女性を抑圧的な宗教・文化的慣習の被害者として描くことは、米国政府の対テロ戦争への支持を集めるため、たびたび用いられてきた。たとえばジョージ・ブッシュ大統領は、アフガニスタンでタリバンと戦う戦争を、女性の権利に尽くす証拠として利用し、女性有権者を共和党支持へ引き寄せようとした。ライラ・アブ=ルゴドは、選文132で「ムスリム女性は本当に預金・貯蓄を必要としているのか?」と問う。(中国語編訳者注:おそらく、ムスリム文化が貸付利息を嫌うことをもじっている。)彼女は、「ムスリム女性を解放している」と称する、より入り組んだ歴史と政治の物語に、整然と単純化された文化的なアイコンやミームが貼りつけられる仕方を警戒するよう促す。軍隊がこうしたメッセージを支えている場合は、なおさらである。
ベールとブルカの政治を論じる際、アブ=ルゴドは、ベールの着用を女性抑圧の典型的な印とする単純な説明に、フェミニストがどのような手段で反対すべきかも問う。フェミニストは差異を受け入れなければならない。他の女性が自由や正義について異なる考えを持つ可能性に、注意を払う必要がある。同時に、文化相対主義の罠に陥って、抑圧的実践への批判や抵抗をやめてはならないとも警告する。ムスリム女性を救済が必要な者として形作ることは、白人西洋人が褐色の男(インディアン男性を指す)から褐色の女を救うという、かつての父権的な植民地主義のイメージを思い起こさせる。それは西洋人の優越感を強める。この傲慢さは、挑むに値し、また挑まなければならないものなのである。
トランスナショナルなフェミニズム組織
ジョツナ・アグニホトリ・グプタ「トランスナショナル・フェミニズムへ」(2006年、選文134)は、女性間の共通性から始める「グローバルな姉妹愛」と異なり、世界の女性の差異を認めて始める。世界システムでの一人の特権が他者の抑圧と結びつくことを認め、複数で重なり離散する抑圧を比較する。初期のグローバルな姉妹愛の方法のように、あらかじめ統一されたフェミニズムの議題を仮定して、普遍的なジェンダー理論を組み立てるのではない。
交差性、横断する政治、ポストコロニアル批判に根づきながら、文化と言説の論争にとどまりがちなポストコロニアル・フェミニズムの方法において、政治経済の領域が十分に理論化されていないことも克服しようとする。これを説明するため、グプタはモーハンティのポストコロニアルな方法が時とともにどう変化したかから、洞察を引き出す。モーハンティは『西洋の目の下で』(Under Western Eyes、1984年、選文124)で西洋フェミニズムを脱植民地化し、後の『境界なきフェミニズム――理論を脱植民地化し、連帯を実践する』(Feminism without Borders: Decolonizing Theory, Practicing Solidarity)では資本主義の政治経済領域をより切迫した闘争の場とした。彼女は政治経済と文化・言説の結びつきを断ったのではなく、重点を移したのだと明記する。グプタによれば、地域の文脈・主体性・闘争というミクロ政治と、世界経済・政治の体系と過程というマクロ政治を同時に見る唯物論的・脱構築的方法がトランスナショナル・フェミニズムの核心である。
フェミニズムと映画理論――男性のまなざし
ファルス羨望?
精神分析について読者が知るのが、フロイトが女は皆ファルス羨望を持つと責めたことだけなら、これは本質的にミソジニーの学問に見える。そのため、なぜ1970~80年代のフェミニスト映画批評家がこれほど精神分析に惹かれ、今日も多くのフェミニスト批評家がその洞察に大きく頼るのかを、女性たちに説明するのは難しいかもしれない。
……フロイトの解釈技術の核心は、特定の症状が形成された原因を性的抑圧にさかのぼって探ることだった。そのため、彼の生きた社会に特有の、女性の性的欲望に対する過度な制限が、ヒステリーの身体症状化など、女性の病症をもたらすと考えるようになった。フロイトはフェミニストではないが、異性愛家父長制が女性の欲望を定義する仕方を疑う出発点を提供した。
……
ファルス羨望、誰にでも?
くそ、まさにそうだ! この文化秩序で女でありながらファルスの所有者を羨まないほうが不思議である。女性が陰茎そのものを欲しがるという意味ではない――器官が魅力的かは議論の余地がある――だが、それに結びつく社会的、政治的、経済的権力を誰が拒めるだろう(やがてそれが多くの点で幻想だとわかるが、それは別の話だ)。男児がエディプス・コンプレックスから抜け、社会が用意した役割を受け入れるのは合理的だ。父を殺し母と結婚することを諦める代償は、尊敬される父になる利益に比べて小さい。一方、女性が、いつもすでに去勢されている者という、貶められた「他者」の位置へ進んで入る理由のほうが説明を要すると考えるのは、当然である。
フロイトは、女性が「欠けた者」という呼び名を拒まない理由を理解できなかった。露骨な抑圧は重要だが、女性が従順に二次的地位に甘んじる理由を完全には説明しない。彼はエディプス・コンプレックスを用い、規範的な男らしさ・女らしさを作る社会化過程を説明し始めた。

フロイトと同じくラカンも、社会が陰茎を特別な地位に高め、その所有者に特権を与え、持たない者からはそれを奪うことを認めた。しかし特権の地位は完全に幻想で、最大の陰茎を持つ者さえ、男性支配の制度としての異性愛家父長制を支えるファルス権力の理想へ到達できない。私たちも、どこかでそのことを知っている。巨大なベルトバックル、カウボーイハット、赤いオープンカーで男らしさ、すなわちファルスの地位を確保しようとする男を笑うのは、そのためだ。ラカンはこの芝居の底にある絶望を簡潔に指摘する。社会権力の象徴としてのファルスに、現実世界の対応物はない。どれほどそうであってほしいと願う男がいても、陰茎はファルスではない。
男は陰茎を持ち、社会は陰茎とファルスの力を自動的に混同するため、女性よりも自分は欠けていないと欺きやすい。巨大なベルトバックルやカウボーイハット……こうした男らしさの孔雀の舞は、誰の生にもある欠如、根本的な去勢を否認し、自分を欺くための一つの方法である。こう言っても、女性への社会的抑圧が現実でないとか、具体的な結果をもたらさないと言っているのではない。もちろん、その結果はある。ラカンの言葉で、男性の権威の誇示は、結局男も女も断片化され引き裂かれている事実を消そうとする徒労なのだ。
映画的縫合と精神分析
シルヴァーマンを含む初期のフェミニスト映画理論家は、映画的縫合(suture)の問題性に注目した。縫合が私たちを幻想世界へ引き込むのは、ジェンダー・ステレオタイプを含む識別可能な原型に依存するからである。シルヴァーマンによれば、縫合は、私たちが誰であるべきか明確なモデルを示して主体を「出現」させるだけでなく、時を経ても主体性を維持し、繰り返し「再活性化」する。テレサ・デ・ラウレティスは『Alice Doesn’t』でもっと具体的に論じる。女性観客に映画のチケットとポップコーンを買ってもらうには、映画の働きには、いわば女性の同意や許可が必要になる。そして物語映画の目的は、欲望と同じく、女性を女らしさへと誘惑して取り込むことではないか、と十分疑いうるという。異性愛家父長制を維持するには女性を女らしさへ誘い、女性主体として再活性化しなければならない。縫合、とりわけスクリーン上に具現化された魅惑的な女らしさは、この再活性化を果たす映画の仕組みである。デ・ラウレティスの言葉を記事が紹介するところでは、女性は何度も何度も「女性に作り直される」。
シルヴァーマンとデ・ラウレティスの説明は、フロイトを悩ませた女らしさの謎に一つの答えを与える。二人はフロイトと同じく、規範的な女らしさの特徴はそれほどまでに不快なものなので、女性をその制度に加担させるには強い理由が必要なのだ、と示唆する。正確には、女性は女らしさの中へ誘惑されなければならない。縫合は、非主体、欲望の受動的客体であることを快楽に感じさせる誘惑の道具になる。後で見るように、後の観客性(spectatorship)の理論は、映像の物語と観客のあいだに、相対的にもっと大きな距離を置くべきだと主張した。観客は主流文化のコードにだまされる愚か者にすぎないのではなく、その規則を作り、修正する積極的な参加者だというのである。それでも、1980年代の精神分析的フェミニズム映画理論家による縫合の分析は、私たちの文化で規範的な女らしさ(と男らしさ)が再生産されることを、ある程度説明している。
男性のまなざし
ローラ・マルヴィの1975年の論文「視覚的快楽と物語映画」(Visual Pleasure and Narrative Cinema)で述べられた考えは、今もフェミニズム映画理論の最も象徴的な宣言である。男性が欲望の能動的主体、女性が受動的客体である限り、女性に可能な欲望は、男性のまなざしの下で完璧な欲望客体になること――欲望されること――だけだとする。女性の欲望は間接的で、欲望に最も近い感情は男性の欲望を欲すること、つまり必要とされたいことだ。女性のエロティシズムは自己の客体化を土台に構築される。
フェミニスト映画理論を教えていると、私はこの理論が多くの若い女性たちを目覚めさせることに気づく。女性が欲望されたいと望むことについてのマルヴィの説明が、今も自分に深く関わると、彼女たちはすぐに気づくからである。
確かに1975年以来、状況は大きく変わった。今の屋外広告、雑誌、テレビ番組、ハリウッド映画には、女性に見られるための男性像(しばしば半裸)があふれる。女性は今や男性を見て、客体化し、欲望することができる、等々、等々。能動的女性欲望の承認は、衣服、化粧品、香水から自動車やマンションまでを売る「女性のエンパワメント」言説に次いで、21世紀で最も成功した広告の手口になった。
しかし同時に、女性へのさまざまな期待は、欲望の対象へ直接近づくよりも、自分が欲望されうること(desirability)を示すよう、今なお女性に求めている。自分が応じる用意があると、たいていは慎重にほのめかし、関心を寄せる男性がその信号を受け取り、行動を起こして近づくようにしろというのだ。だから、昔のことはもう終わり、女性はもはや男性のまなざしの客体に貶められないと考えたくても、この方向づけの痕跡は消えていない。女性は多かれ少なかれ、男性が自分を十分に欲望に値する相手と判断し、求愛の対象にするかどうかを決めるのを、受動的に待つよう求められている。
精神分析的なフェミニスト映画批評家、とりわけ最も有名なマルヴィは、古典的ハリウッド映画では男性のまなざしが三つの「見ること」によって活性化されるとした。(1)女性をスクリーン上の見られる位置に置くカメラの視線。(2)物語内の男性人物の視線、つまり画面の男性が画面の女性をどう見るか。(3)観客の視線である。この第三の視線は、観客を自動的に男性主人公、つまりスクリーン上で行動する主体の側に置き、彼へ同一化させる。そのため観客は性別にかかわらず、主人公の視点と彼が見るものに自分を重ねる。そこには彼が見て評価する女性も含まれる。
マルヴィによれば、ヒッチコックの『めまい』(Vertigo)のような古典的ハリウッド映画は、しばしば男性のまなざしを中心に組み立てられる。そのため女性観客に残るのは、男性の位置から女性を見るか、スクリーンの女性と同一化し凝視の受動的客体になるかの二択である。どちらを選んでもつらい。前者はサディストになるのと同じで、この文脈では、自分の欲望の対象を精査し、ときには侵害するまなざしのもとへ置きたいという衝動を指す。後者は女性観客にとって不幸なことに、マゾヒストになるのと変わらない。他者の支配的なまなざしに従うことだからである……。後者の同一化を選ぶたび、女性は自分を客体化して楽しむことを学ぶ。さらに、スクリーン上のもう一人の自分と同じく、異性愛家父長制の幻想に従い、神話的な大文字の〈女〉となって、いつか男性の欲望を呼び起こす日を期待し、それを誇らしく思うのである。
したがってマルヴィの分析によれば、ハリウッド映画は私たちの文化の他の側面と同じく、異性愛女性に、男性のまなざしの客体になる機会を欲するよう教える。女性が行為主体性を持つ唯一の道は、セクシュアリティを通じて男性を限定的に管理することだ。客体化はエロティックな描写に内在しているのかもしれず、あらゆる欲望の対象は何らかの程度で客体化される。それでも家父長制の無意識は、ジェンダーによる分業を作り出し、異性愛女性の快楽が、男性に客体化されることではなく、自分で自分を客体化することから生じるようにする。
男性のまなざしを考え直す
……『めまい』の買い物場面は、じつに辛辣に撮られている。スコティはジュディを高級百貨店へ連れていき、彼女が大声で抗議しても、かつてマデリンを演じたときとまったく同じ服を何着も、自ら丹念に選ぶ。ジュディには、彼が自分の幻想を再現しようとしていることが、はっきりわかる。ヒッチコックは、異性愛家父長制のもとで権力がどちらへ流れるかを、明瞭に示している。ジュディが変身に抵抗すると、スコティは「君にとっては大した違いじゃない」と苛立つ。
まさにそのため、この映画をマルヴィのように単純には解釈できない。ヒッチコックはスコティを幻想の女に執着する人物として描き、映画が女性に自己客体化を教えるのでなく、異性愛家父長制の暴力を批判しているとも読める。
カレン・ホリンジャーは1989年、マルヴィの解釈を再分析した。彼女によれば、マルヴィが男性のまなざしを、買い物場面などの物語上の文脈から切り離して論じると、『めまい』が家父長制を再確認するのでなく、男性の欲望と女性の個性・自立・解放は両立しないことを暴く可能性を見落とす。ジュディはスコティの幻想を満たすために苦しめられ、自分の個性を抑えようとする。映画はその過程を観客に目撃させることで、スコティのまなざしの倒錯と不穏さを次第に感じさせ、彼へ同一化する力を壊していく。こうして最後には、観客もマルヴィ自身と同じく、男性のまなざしの強迫性を批判するようになるかもしれない。
ベル・フックスは黒人フェミニズムの視点から、女性観客が自動的に男性のまなざしに従うという仮定は観客が白人だという前提に立つと批判する。白人女性は男性のまなざしによる客体化を心配するかもしれないが、黒人女性が直面する心配は異なる。男性のまなざしは、しばしば彼女たちを通り過ぎ、その存在にさえ注意を払わない。主流の魅力の基準では、黒人女性はそもそも「数に入らない」。これは黒人女性が一度も客体化されなかったという意味ではない。むしろ逆である。社会は異性愛家父長制であるだけでなく人種主義的で、女性らしさの理想に黒人女性を含めないため不可視にする。
フックスによれば、この困難な状況から、政治化された見方で映像に接する態度が生まれる。そこでは快楽は、満足しきって縫合されることからではなく、イメージに異議を唱え批判することから生じる。この批判的な態度を、彼女は「対抗的まなざし(the oppositional gaze)」と呼ぶ。それは女らしさの規範と定義に積極的に挑み、男性のまなざしに対抗する抵抗のまなざしである。フックスの結論を記事はこう紹介する。「批判的意識を持つ黒人女性観客は、ファルス中心主義のまなざしにも、欠如として構築された白人女性のアイデンティティにも同一化しない。彼女たちは見る関係にもとづく理論を築き、そのなかで映画の視覚的快楽は、問いただすことの快楽となる」。
以上のマルヴィ批判は、観客が映像に対して明瞭に区分できる同一化をする、という見方に挑む。さらにジョアン・コプチェクは『私の欲望を読め』(Read My Desire、1994年)で、「同一化」は観客と画像の関係を正確に表さないとする。イメージは、心地よいもう一人の自分への同一化を促すだけではない。それは主な働きですらなく、むしろ私たち自身の欲望をイメージへ投げかけるよう誘う。そして欲望は、マルヴィが理解する男性のまなざしのように、つねにその対象を掌握できるわけではない。逆に欲望は、しばしば掌握や統御の喪失を招き、さらには不安さえもたらす。映画の快楽はスクリーンを鏡にしてナルシシズムを満たすことではない。
客体がまなざしを返すとき
コプチェクが主張する、欲望は主体――見る主体の行為も含めて――を脱中心化し、ときにはトラウマにさらすという考えは、より厳密なラカン派の凝視理論につながる。この理論を発展させたのは、コプチェク自身、トッド・マクゴーワン、ジジェクらのラカン派である。彼らは、英国の雑誌『スクリーン』(Screen)に関わる一部の映画理論家が、ラカンを単純化しすぎて適用してきたと批判し続けている。たとえばマルヴィの論文も、1975年に同誌に掲載された。
マルヴィと、その後に続くフェミニスト映画理論家が「凝視」を(男性)主体の見る行為そのものと同一視したのに対し、今挙げた批評家たちは正しくも、ラカンが実際には「凝視」を、主体の視野に現れる不穏な空洞や欠如に結びつけていたと指摘する。その空洞と欠如がそれ自体で欲望を生み、マクゴーワンによれば、何よりもまず観客を映画館へと駆り立てる。すべてを見通せる主体には見る欲望などない、と彼は説明する。逆に、すべてを見ることができず、視野が空白点に歪められているからこそ、私たちは見たいと望む。映画のスクリーンも、そのような空白点の一つである。
マクゴーワンの説明では、凝視とは視野の歪みであり、そこにおいて、万能に見える視覚が崩れる。凝視は汚点として現れ、視野の一部を不鮮明で不可解なものにする。この意味でラカン派の凝視は、マルヴィが分析する征服的・支配的な(男性の)凝視と正反対である。ラカン派の凝視は征服や掌握を壊す。凝視がもたらすのは、まさに不可解な無力感、いわばインポテンツなのだ。
この説明では、凝視は主体ではなく客体の側にある。ジジェクは、ヒッチコック映画のなかで、主体が脅威を感じさせる家へ近づく場面を例に挙げる。主体の目は家を見るが、その家、つまり客体が、何らかの形でまなざしを返してくるように思えるのだという。
……
見返す客体は静的な客体であり続けることを拒み、ほとんど主体へと立場を逆転させる。そのため、見る者の主体としての一貫性と、見ているイメージを掌握する力が疑わしくなる。 これも、ラカン派の凝視がマルヴィの男性のまなざしと正反対である理由を理解する一つの方法だ。だからマクゴーワンは、ラカンの立場からすれば、主体の見る行為、つまりマルヴィが分析した行為を論じる際には、「凝視(gaze)」ではなく「見ること(look)」を用いるべきだと断言する。マルヴィは明示的にラカンへ言及しながら、男性のまなざしの解釈では、ラカンよりフーコーに近い。彼女が重視するのは異性愛家父長制の権力、男性が女性を支配する仕方であり、客体に見返される凝視が、欲望する主体を脱中心化し、トラウマにさらす作用ではないからである。
それでも、これらの異なる凝視理解には共通点があるかもしれない。まず男性のまなざしは、自分がその対象になったと気づく女性にとって、トラウマとなり、主体を脱中心化させうる。女性は自分の欲望によって方向を見失うのではないかもしれないが、自分を見る男性の欲望を、たいていは望まないのに感じ取り、不安にさせられることはある。一方で男性のまなざしは、通常は具体的な主体から発せられるため、ジジェクが描く不気味な凝視とはまったく異なる。他方で、その標的となる女性の側からすれば、ジジェクらラカン派が凝視に結びつけたのと同じ、不気味で、不安をかき立て、脅威を与える意味を帯びうる。
ときには、それは男性のまなざしが露骨に攻撃的だから起こる。しかし別の場合――ラカン派の凝視との比較が可能になるのはここだ――には、私はヒッチコック映画の家の凝視がそこにあると知りながら実際には見ていないのと同じく、男性のまなざしの存在をはっきり知りながら、実際には見ていないことがよくある。男が私を見ていることはわかる。だが、その視線が怖すぎて振り返れないので、彼が私を見ているところを実際には見ない。それでもそのまなざしを感じる。ある意味で、実際に見なくても凝視を感知するのだ。これは多かれ少なかれ、ラカンが凝視を「視野の空白点」と呼ぶ意味ではないだろうか。相手の目を見たり、その存在を察知したりしていなくても、自分が誰かの凝視のなかにいることを感じられるというラカンの説明の、まさに好例ではないだろうか。
だから私は、男性のまなざしの対象となる女性の側から見れば、不安を覚え、トラウマにさらされる困難は、イワシ缶、家、窓の場合と同じだとも言いたくなる。この女性にとって、男性、とりわけ自分を見る見知らぬ男性は、あらゆる論理に反して、主体である彼女をじっと見続ける不気味な客体である。したがって、自分の物語の主体――欲望される対象を演じたいわけではなく、つまずきながら、あるいは穏やかに自分の生活を生きる主体――である女性からすれば、男性、とりわけ自分をじっと見る見知らぬ男は、しばしば漠然とした脅威を感じさせる、ぞっとするような客体なのだ。
すでに見たように、男性のまなざしが主体を脱中心化し、トラウマにさらすのは、女性主体を客体化しようとするからである。私をじっと見る見知らぬ男は、私にとっては主体ではない。彼について私は何も知らない。私にとっては、彼はイワシ缶でもよく、静止したスクリーンのような、何の意味もない物体であってもよい。だが彼は、私の主体性を奪い、受動的な客体に変えれば、自分が能動的主体、力を持つ存在になれると考える。このやり取りには暴力がある。ラカン的な凝視が主体の一貫性を壊しうるように、マルヴィ的な男性のまなざしも、女性の主体性を壊しうるのである。
だから私は、マルヴィの理論を時代遅れだと片づけたくない。さらに、マルヴィの議論の論理に従えば、男が凝視する女性が彼を見返すと、男性の主体性は乱れ始める。状況が逆転するのだ。男の目には客体であり続けるはずだった女性が、主体であることにこだわる。彼女は不気味に生きている客体、見返す半ば主体的なもの――家や窓――となり、受動的客体の身分を拒み、そうすることで、ときには男性主体を動揺させる。デ・ラウレティスが述べるように、女性が能動的に見るたび、いわば去勢が空気の中に漂う。マルヴィの男性のまなざしの主体から、その客体、つまりときには見返すことを決める客体へ注意を移せば、より厳密なラカン派の凝視と、ある程度両立する領域にいることに気づくかもしれない。
男、女、別のジェンダーの人、無生物、あるいはデリダの猫――どんな客体の凝視も、自分が凝視を所有していると考える主体を脱中心化し、トラウマにさらす可能性がある、と言えるかもしれない。この見方では、主体を見返す客体自身のジェンダーは重要ではない。客体は、それが誰であれ、何であれ、主体が自分の特権だと思い込んでいたまなざしを奪うからである。しかしフェミニズム理論が、この一見中立的な場面で注目するのは、異性愛家父長制の権力である。私たちの社会で男性は歴史的に女性より多くの権力を持ち、受動的客体ではなく能動的主体と定義されてきた。だから男性のまなざしは、より大きな精神的損害をもたらす。私にとっては普通の客体にすぎない見知らぬ男が、こちらへ目を向け、私を客体へ変えることに固執する瞬間がそうである。(同じことは人種主義にも表れる。フランツ・ファノンが、「白人の凝視」のもとで黒人の客体となることについて述べたとおりである。)
これが、『プリティ・ウーマン』(Pretty Woman)のような主流映画の人物が、通常は観客を見返さない理由である。ときに大胆なことをする『グッド・ワイフ』(The Good Wife)では、第6シーズンの冒頭でアラン・カミングが、ほぼ直接観客を見つめる。その効果は単に驚きを与えるだけではない。私が説明してきた仕方で縫合を壊し、観客は、自分の背後でイメージを操作する映像装置に即座に気づく。だから『プリティ・ウーマン』のヴィヴィアンは観客を直視できない。そうすれば映画の夢の世界はたちまち砕け、観客の物語への没入が壊れてしまう。一般に、ロマンティック・コメディや他の主流映画・テレビ作品には、どんな形であれラカン派の凝視が含まれる可能性は低い。一方、アート映画は、観客を刺激するため、しばしばそのような不安やトラウマを意図的に求める。