屋頂現視研
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精緻で幻惑的な愛着、異夢にまとわりつく幼年期|アリス源流考

ルイス・キャロルの童話とアリス・リデルを出発点に、「アリス」が日本のポップカルチャー、精神分析、サイケデリック文化、『東方Project』の二次創作において変遷してきた過程をたどる。

著者: 宫酒姬翻訳: 甚谁Bot[AI assisted] · 全文レビュー: 甚谁Bot[AI assisted] · 全文

本文は『東方文化學刊』第10号に掲載されたものです。現在、第11号特集の投稿を募集しているため、投稿を考えている各界の皆さまの参考にしていただき、また4年来、私たちを見守り支えてくださった同好の士へのお返しとして、ここに公開します。その他の記事については、実物の学刊をご覧ください。

『東方文化學刊』は、『東方Project』シリーズとその同人文化を主題とする同人誌で、2015年6月、台北で創刊されました。編集長は「恆萃工坊」創設者の胡又天です。この同人誌の誌名と本文の形式はいずれも正規の学術誌を模したもので、その目的は「みんなを励ます」ことにあります。ゲームやアニメ、その他の芸術形式も、真剣な研究と批評に値するのだと証明するためです。『東方Project』各作品の歴史や民俗的な内実を掘り起こし、音楽、美術、ゲームデザインなどの学問を探究することで、私たちは多くの同好の士が東方の世界をより深く理解できるようにし、創作者がより精緻な作品をつくるための手がかりも提供できるのです。

『東方文化學刊』2020年春季号投稿募集:平成30年を振り返る

宮酒姫の肖像
宮酒姫

雲マルクス主義の紳士、アリス観察協会会員、アリスクラブ会員、アリス紳士団団員、AL教(ALICE教)信徒。

[著者紹介]1

19世紀、ニーチェは神を葬り、ウェーバーは妖怪を追い払い、マルクスは資本家を吸血鬼と罵り、ダーウィンは猿を祖先と認めた。ヨーロッパは科学革命によって徐々に工業社会へと歩み入り、清朝はアヘンによって国門をこじ開けられた。そんな風雲急を告げる科学の世紀の片隅、英国オックスフォードの穏やかな夏の午後、一人の顔立ちの整った、口ごもりがちな理系男が、10歳の半裸の黒髪少女を撮影していた――少女は壁にもたれ、微笑みを浮かべているが、衣服はぼろぼろで、肩はすっかり露出し、乳首さえかすかにのぞいている。この物議を醸した児童写真の「乞食娘」(The Beggar Maid)は、後に世界で最も古典的な童話の一つの同名主人公となった――アリスである。

この異常な趣味を抱いていたらしい理系男、オックスフォード大学の数学者ルイス・キャロル(Lewis Carroll)2こそ、童話「アリス」の父、『不思議の国のアリス』と続編『鏡の国のアリス』(以下、両作をまとめて『アリス』シリーズと呼ぶ)の作者である。彼の描いたアリスは、ポップカルチャーに長く消えない影響を与えてきた。しかしこの「アリス」は、ウサギ穴に落ちた瞬間から、乞食や児童娼婦に扮したブルジョワ少女ではなくなった。このほぼ二百年の間に、彼女は文化的記号となり、文芸界、学術界、政治界、科学界、娯楽界など、さまざまな人々によって絶え間なく二次創作(解釈)されてきたのである。

アリス・リデルの「乞食娘」写真
図1:オックスフォード大学クライスト・チャーチ学院長の末娘、アリス・リデル(Alice Liddell)。キャロルの幻想の源であり、彼女とキャロルの関係は、文学界で最も人々の興味をかき立てる逸話の一つといえる。

「アリス」は、文化的文脈やサブカルチャーのコミュニティごとに、特定の意味の型、あるいは文化知識のまとまりとなった。彼女はポップカルチャーに入り込み、まるで新たな生命を得たかのように――フロイトの「アリス」、恋童癖の「アリス」、ヒッピーの「アリス」、オタク男性の幻想の「アリス」、そして私たち東方ファンの「アリス」へと変わっていった。

アリスは、東方ファンにとっても幻想郷の父にとっても、並外れた意味を持っている。アリスはZUNによってサークル名の一部に選ばれた。旧世紀の『東方』旧作であれ、新世紀の『東方Project』であれ、主人公とは敵にも味方にもなる「アリス」は一度も欠席していない。ZUNはさらに、1998年の『東方怪綺談』で「不思議の国のアリス」というExtra面テーマ曲を書いた。『不思議の国のアリス』の日本語訳題をそのまま曲名にしたもので、これはZUNにしては非常に珍しい直接的な引用である。

アリスは『東方』の二次創作で最も人気のあるキャラクターの一人でもある。人気投票で首位に立ったことは一度もないが、『東方』二次創作の最先端分野であるMMD3を見れば、彼女こそまぎれもなく幻想郷一のアイドルであり、古明地姉妹やスカーレット姉妹を軽く凌いでいる。うすたの『いつものまりさ』からキイロイヒトの「微笑」シリーズまで、幻想郷の七色の魔法使いは、最も優れたストーリーMMDで活躍し続け、「アリスいつも通り」と「できる女アリス」という二大『東方』同人手描きの伝統を大いに発展させてきた。

『ESP Ra.De.』のクローン・アリス
図2:シューティングゲーム『ESP Ra.De.』に登場する超能力犯罪組織「夜叉」の首領、伽羅婦人(ガラ婦人)と、彼女が可愛がる組織のマスコット兼忠実な戦闘マシン「アリス」(アリス・クローン)。「アリス」は眼球をえぐり取られているが、これはガラ婦人が戦闘中の負担を軽くしてやろうと施した、わずかな優しさだったという。

ZUNは『東方怪綺談』の設定文書で旧作アリスについて語った際、五人のアリスに触れている――シューティングゲーム『ESP Ra.De.』(1998)のクローン・アリス、RPG『真・女神転生』(1992)の魔人アリス、竹本泉の漫画『ルププパウ』(1998)のアリス、格闘ゲーム『Blood Roar』(1997)のナース・アリス、格闘ゲーム『Asura Blade』(1998)のリッチ・アリスである。そこにExtra面テーマ曲「不思議の国のアリス」が引用する古典的なアリスを加えれば、アリスは全部で六人になる。世紀末の「ロリス」(旧作アリスの愛称)であれ、新世紀の人形遣いであれ、ZUNの描く「アリス」には少なくとも二つの文化的伝統が影響している。一つは19世紀の童話という源流、もう一つはキャロルの「アリス」が日本で受け継がれ、変化し、新たに生まれた過程である。

『不思議の国のアリス』は1922年、言語学者の趙元任によって初めて中国語に訳され、今日までに82種類以上の中国語訳と無数の再版が生まれている。しかし古典児童書であることを除けば、影響力のある派生創作はほとんど見当たらない。日本人は違う。彼らは『アリス』を翻訳するだけでなく、二次創作することをもっと好んだ(ここでは動詞として用いる)。「アリス」は日本のポップカルチャーの寵児となり、「Alice Style」(アリススタイル)4という極めて日本的なポストモダンの意味の型を形成した。英国出身の「アリス」は、日本で真の意味でローカライズされたのである。さらには、いくつかの固有の文化的な癖(性的嗜好も含む)と「習合」し、一つのコンプレックスとなった。本稿では、私たち幻想郷の「第一のアイドル」の背後にある文化的魅力を読み解いてみたい。

19世紀の同人の奇跡

キャロルとZUN、『アリス』シリーズと『東方』シリーズを比較すると、ある面で彼ら(それら)がどれほど似ているかに驚くだろう。二人の作者はいずれも理系男で、彼らが(当初)行ったのは、アマチュア的で越境的な、自由で独立した創作だった。オックスフォードの写真家と長野の音楽家は、引用、パロディ、戯画という創作手法をともに好んだ。この二つのシリーズのテキストはどちらも実に「電波5」であり、しかも海のように膨大な二次創作を生み出している。『東方』シリーズの同人文化がすでに一大景観を成しているとはいえ、百年を経た『アリス』シリーズという大樹と比べれば、やはり月とすっぽんと言わざるをえない――『アリス』シリーズには121言語の翻訳があり、老若男女の中に「アリス」の忠実なファンがいる。時代ごとに、映画、アニメ、絵画、小説、随筆、詩、さらには科学論文(医学における「不思議の国のアリス症候群」、生物学における「赤の女王仮説」など)まで、さまざまな形式の翻案、引用、再創作が数え切れないほど存在する。まして本稿が論じようとしているのは、『東方』による「アリス」の二次創作なのである。『アリス』シリーズこそ、ZUNが追い求める国民的作品、世界的作品の典範といえるだろう。

しかし、もし『アリス』シリーズの原テキストに触れたなら、あなたは戸惑うはずだ。なぜこのような作品が、世界で最も壮大な「同人の奇跡」の一つになりえたのか。キャロルの童話は、実のところそれほど面白くない。その内容と形式には、時代性、地方性、個人的な色彩があまりにも濃い。たとえば童話の中でキャロルは、『怠けるな、いたずらするな』(Against Idleness and Mischie)や『老人の慰めと、彼がそれを得た方法』(The Old Man’s Comforts and How He Gained Them)といった19世紀英国の教訓詩6をパロディ化し、テール・ライム、駄洒落、俗謡、地方訛りなど英国特有の言葉遊びを組み立て、対蹠人(antipodes)、遊泳車、カーカス・レース(Caucus-race)、にせウミガメのスープ(Mock turtle soup)、クロッケー(croquet)、卵の殻男ハンプティ・ダンプティ(Humpty Dumpty)など、ヴィクトリア時代の風俗を引用している。キャロルが自分と同じ側に置いた人々は、まず19世紀英国の中上流社会、ブルジョワジーだった。英語文学の素養と英国の歴史文化に関する相当な知識を要求されるうえ、散漫で断片的な物語のため、この二つの童話は外国人読者にとってまったく難解で晦渋、「電波」極まりない。まともに読むには、注釈書一冊が必要になるほどだ。

東方の読者が『アリス』シリーズに登場するさまざまな歴史ネタや土地ネタ、たとえば19世紀英国の党派政治をもじった「カーカス・レース」を目にしたときに抱く感覚は、西洋のプレイヤーが『東方Project』シリーズの「風水」「嫦娥」「諏訪信仰」などの文化知識に触れたときの感覚に似ているだろう。いや、さらに強いかもしれない。『アリス』シリーズ(とりわけ『不思議の国のアリス』)には、私的な隠喩も大量に含まれている。カーカス・レースのオウムのモデルはアリスの姉ロリーナ・リデル、ネズミはリデル姉妹の黒人家庭教師、ドードーは作者キャロルの化身であり、多くの登場人物は、リデル家を中心としたキャロルの社交界から取られている。彼らは古典的な人物像になったのではなく、キャロルがアリスを喜ばせるための手段の一つにすぎなかった。ある意味では、キャロルが自分と同じ側に置いた人々とは、あの夏の午後、テムズ川でともに舟遊びをし、彼に創作のきっかけを与えた少女だったのである。

『不思議の国のアリス』原版のにせウミガメ挿絵
図3:「にせウミガメのスープ」は、ヴィクトリア時代の英国のダークな料理である。仔牛の内臓や蹄を使って、ウミガメのスープの風味を「再現」するものだった。キャロルはこのレシピをもとに、英国王室に伝わる神獣「グリフォン」をパロディ化し、キャロル流の幻想生物「にせウミガメ」を創作した。上の原版挿絵の右側にいる、牛の頭と亀の胴体を持つ怪物がそれである。しかし、英国で生まれ育ったのでなければ、この冗談をそれほど面白いとは感じないだろう。

他の偉大な童話と比べてみよう。エンデ(Michael Ende, 1929–1995)の幻想叙事詩『はてしない物語』(The Neverending Story, 1979)、バウムの『オズの魔法使い』(1900)における四人組の「西天取経」冒険、アンデルセンの『人魚姫』における「届不到7」の恋(1838)、ワイルドの、気取っていてロマンチックなこと極まりない『幸福な王子』(The Happy Prince and Other Tales, 1888)。こうして比べると、キャロルの『アリス』はまさに異端である。筋がばらばらな二つの『アリス』童話に対して、同じく少女が異境へ越境する『オズの魔法使い』は、物語の筋がきわめて明快で、成長の旅、あるいは成人儀礼を語っている。ドロシーは臆病なライオン、心のないブリキの木こり、脳のないかかしを率いてエメラルド・シティへ向かい、勇気、真心、知恵を追い求め、ついには完全な自分を見つける。これは『西遊記』の物語構造となんとよく似ていることか――三毒「貪・瞋・痴」を表す八戒、悟空、悟浄を従えた玄奘が西天へ取経に向かい、苦難を経て邪念を取り除き、ついに正果を得るのである。『オズの魔法使い』と『西遊記』は文化的文脈こそ大きく異なるが、どちらも人類文学に共通する一つの「深層構造」を共有している。中国人にとっては、『オズの国』シリーズのほうが『アリス』シリーズよりはるかに面白いと感じる人が多いだろう。

ところが奇妙なことに、歴史が教えるところでは、少なくともポップカルチャーにおいて、ドロシーはどうやらアリスほど人気を得ていない。その理由は、「アリス」の物語テキストではなく、「アリス」そのものにあるのかもしれない。

アリスクラブ

『アリス』シリーズは数学者の手になる作品である。そのため、哲学、論理学、言語学の観点からテキストを解釈し、豊かな成果を得てきた人々も少なくない。しかし、こうした高尚で知的な解釈だけでは、ポップカルチャーにおける「アリス」コンプレックスを説明するのは難しいようだ。なぜなら、ポップカルチャーが重視するのは、より感覚的な快楽だからである。たとえば日本のポップカルチャーにおける「アリス」は、かなりの程度、先に述べた「Alice Style」(アリススタイル)というロリータ・ファッションの視覚的な型である。二次元のキャラクターデザインでも三次元の服飾デザインでも(コスプレを含む)、青いワンピース、白いエプロン、黒いブーツが基本装備であり、フリル、リボン、髪飾りなどヴィクトリア風の装飾品も欠かせない。トランプ、懐中時計、鍵、ティーセット、鏡、ウサギ、猫などの童話的要素を加えられれば、さらによい。バーチャルUP主の物述有栖は、極めて鮮やかな一例である。

この「アリス」物述有栖は、童話のアリスではない。16歳の日英ハーフの日本人女子高校生という設定だが、服装から番組名の「茶会」に至るまで、童話のさまざまな要素で自分を包み、視聴者を引きつけようとしていることは明らかだ。名前も実に巧妙である。日本最古の姓の一つである「もののべ」(Mononobe――そう、物述と「物部」は訓読みが同じであり、さらに漢字の意味では「物述」は物語を語ることを指すため、名前全体が「物語を語るアリス」という意味を二重に含んでいる)と、英国で最もありふれていると同時に最もありふれていない名前アリス(有栖は「ありす」と読み、Aliceの音を写す)を貼り合わせたのだ。しかし、物述有栖のイメージデザインの重点は、「狂った茶会」や「ハートの女王」といった童話要素そのものにあるのではないようだ。むしろ、それらの童話要素が指し示す「7歳6か月」の小さな主人公、テニエル(John Tenniel, 1820–1914、『アリス』シリーズ初版の挿絵画家)の筆による「金髪ロリ」こそが、このバーチャルUP主最大の売りなのである。

バーチャルUP主・物述有栖

図4:バーチャルUP主とは、ここ数年、YouTubeを中心に興ったソーシャルメディアの人格化革命である。私たちの「アリス」もまた、このアイドルへの偏愛の宴にもちろん加わっている。YouTube上で「アリス」を名乗る数多くのコンテンツ制作者の中で、Ichikara Inc.所属の物述有栖は2018年3月にデビューし、今日までこのバーチャルアイドルのロングテール市場で10万人規模のファンを獲得し、さらには国境を越えて、Bilibiliのような海外コンテンツ・プラットフォームにも根を下ろしている。8

『サクラ大戦』のアイリス
図5.1:幼いアリスに「妹」属性が付与されるのは、まさに当然のことだ。たとえばゲーム界の名作『サクラ大戦』(1996)に登場する、「帝国華撃団・花組」で最年少の団員アイリスなどがそうである。

若い女性の身体は、父権的な消費社会が構築したポップカルチャーの身体商品である。物述有栖は16歳だが、その身長は、「ランドセルを背負った小学生と並んでも、悲観的になる」ほどに、喜んで受け入れられる形で設定されている。これは「異境で身体を小さくするクッキーを食べたから」だという。童話テキストが物述有栖の身体をめぐる語りを巧みに解釈し、逆に物述有栖の商業的成功が、「アリス」という身体に結びついた意味の型を強化しているのである。

『Sister Travel』のアリス
図5.2:ゲーム制作者いぬすくは、妹コンの名作『Sister Travel』(限界!?お兄ちゃん シスタートラベル)の中で、もしある世界がすべて「妹」から成り立っていたなら、「アリス」はその妹世界の紛れもない「妹女皇」だと教えてくれる。

以上の事例分析からもわかるように、ポップカルチャーにおいて「アリス」と若い女性の身体(いわゆる「LO-LI」)は、基本的に相互参照の関係にある。さまざまなポップカルチャー形態における「アリス」の本体は、実のところ一種の身体商品である。そして資本が押し出す商品は、消費者から離れて存在することができない。紳士がいなければロリもいない。ハンバート(『ロリータ』の男性主人公)がいなければロリータもいない。キャロルがいなければ、当然「アリス」もいない。若い女性の身体への偏愛は、成人男性の複雑な欲望によって存在する。したがって私たちが「アリス」コンプレックスを解読するには、まず本稿の冒頭で触れた、あの異常な趣味を持つ男性写真家キャロルへと立ち返らなければならない。

キャロルと、彼が書いた童話の主人公の原型であり写真モデルでもあったアリス・リデル。この二人のあいだの曖昧な関係は、文学界で謎が多く論争の絶えない歴史的事件であり、『アリス』シリーズのテキスト解釈にも影響を与えている。『アリス』シリーズは純潔な児童文学であり、アリスはキャロルの魂の親友、創作のミューズだと考える者もいる。一方で、『アリス』シリーズには暗い隠喩が満ちており、キャロルはアリスに尋常でない情欲を抱いていたと考える者もいる。

『アリス』シリーズの黒い解釈の中で、最も影響力が大きいのは精神分析学派だろう。多くのフロイト主義者は、キャロルの描くアリスの「冒険」(夢)には性的な象徴が満ちていると考えている。たとえばその嚆矢であるA・M・E・ゴールドシュミット(A.M.E. Goldschmidt)の論文『『不思議の国のアリス』の精神分析』(Alice in Wonderland Psycho-Analysed, 1933)は、異境に何度も現れる扉と鍵が(O)行為の隠喩だと指摘する。通常の大きさの扉は成人女性を象徴し、美しい庭へ通じる小さな扉は、童話の矛盾した葛藤の焦点として、幼い女性を象徴する。そして小さな扉を覆うカーテン(アリスが開ける)は、子どもの衣服を象徴する。ゴールドシュミットの結論は、キャロルが『不思議の国』の中にアリスへの性的欲望を隠していたというものだ。この結論にどれほど真実味があるかは、本稿の関心ではない。重要なのは、死ぬまで娯楽を求めるポストモダン社会が、このような官能主義的な「ゴシップ」を好むということである。そして、この論文の研究経路が、後世、とりわけポップカルチャーにおける『アリス』シリーズ関連のテキスト解釈に深い影響を与えたことだ。フロイト哲学の流行によって、性欲は「消費主義を動かすエンジン」9となった。フロイト主義は肉体、とりわけ少女の肉体を「アリス」童話テキストの解釈の焦点に置いた。性は、フロイト以前にはタブーの言説だったものから、肉体に付着する新たな主宰者へと変わったのである。文化研究者のウィル・ブルッカー(Will Brooker)は、現代のメディアは確かな証拠もないまま、断片的な証拠を積極的に選び出し、キャロルを「恋童癖」10として造形していると指摘する。幼い「アリス」を夢から引きずり出し、物欲(肉欲)が氾濫する成人世界へ戻すのは、大衆が「喜んで受け入れ」、消費したがるものだからだ。とりわけ今日のような情報爆発の新メディア時代には、流量(現金)第一、真相は後回しなのである。

「アリス」が夢から目覚めたこのポストモダンは、どれほど狂っているのだろう。1998年、英国警察は「大聖堂」作戦11によって、「ワンダーランド・クラブ」(The Wonderland Club)という悪名高いオンライン児童ポルノ集団を壊滅させた。この集団が作成したチャットボットは「アリス」と呼ばれていた。一方、アリスがウサギ穴を通り抜け、地球の反対側へ落ちたなら、当時の日本で、彼女の名を冠した合法的な「***」刊行物『アリスクラブ』(アリスクラブ)が発行されていたことに気づくだろう。この雑誌は主に少女の裸体写真を掲載し、少女を題材にした官能小説や漫画、子どもタレントの情報も載せていた。21世紀までは生き延びなかったが、1988年から1999年まで合法的に営業していた。また、業界最大手の長寿日本成人ゲーム会社アリスソフト(AliceSoft、1988–)も、彼女をマスコットにしていた。こうしてみると、世紀末の紳士たちは、そろって「アリス」に関連するテキストを借用し、コミュニティの集団的アイデンティティを構築していたことがわかる。「ワンダーランド」を名乗る同人集会も、「アリス」を名乗る同人集会も同じである。そして、キャロルという無冠の「議長」がクラブの席に着くべきかどうかは、議論の余地がある。

キャロルは幼い女性の友人をつくるのを好み、少女の半裸、さらには全裸の写真を撮影した。しかし多くの学者が指摘するように、文学や写真作品に現れるキャロルの少女趣味は、啓蒙運動以後、「幼年期」という概念とともに徐々に生まれた、ロマン主義の潮流のもとでの「子ども崇拝」(Cult of the Child)だった。

キャロルは賈宝玉のように、こう嘆いたことがある。「なぜこの世界は、6歳から12歳までの少女だけでできていないのだろう?」(It was a pity the world isn’t composed entirely of little girls from 6 to 12)12。ディケンズの『オリヴァー・ツイスト』『骨董屋』、ジョージ・エリオットの『サイラス・マーナー』、マクドナルドの『北風のうしろの国』など、19世紀英国文学が描いたように、子どもは純真と救済の化身であり、性別のない存在だった。したがってキャロルが撮影した裸の少女は、欲望を指し示す「ロリ」ではなく、贖罪(禁欲)を指し示す「赤子」だった。少女の肉体への愛は、ヴィクトリア時代には一種の聖なる信仰だった。しかし今日の消費社会では、金銭、資本、権力と拘束プレイを始めたあと、どうしても一種の邪悪へと変質してしまう。

アリスソフトのアリス双子マスコット
図6:アリスと闇アリスはアリスソフトの双子のマスコットであり、私たち『ランス』プレイヤーにはおなじみのゲーム案内役でもある。長年、この「アリス」双子はこの成人ゲーム会社における最も神聖な存在だった(成人内容とは無縁だった)。しかし2015年の『ランス03』リメイク版に、この双子のマスコット設定を直接借用したイースターエッグ的キャラクター「天満橋アリス」(上図)が登場し、ついにその時代に終止符が打たれた。ああ、「アリス」さえもランス(プレイヤー)の女になったこの瞬間を、プレイヤーたちは実に32年も待ち望んでいたのである。
『アリスクラブ』雑誌表紙
図7:雑誌『アリスクラブ』。興味深いことに、これは当初、ソフトな学術性を帯びたロリータ文化研究誌だったものが、10年の間に、目の保養を目的とする少女写真雑誌へと「進化」したのである。

この日本の成人雑誌『アリスクラブ』の名は、「アリス」コンプレックスのポストモダン的変貌を見事に喩えている。二次創作を愛好する現代メディアの導きのもと、人々はもはや、童話テキストの中でキャロルが編み上げた言語的・数学的・論理的な哲学ゲームの精妙さを気にしない。キャロルが仕掛けたヴィクトリア時代のさまざまなイースターエッグが、「一切の固定したものが煙のように消え去る」時代の社会的現実をどのように映しているかにも関心を持たない。もちろん、キャロルが丹念に構想した、戯画的な教訓詩の数々を味わう気もない。人々の美的活動の焦点は、とうの昔に童話テキストからキャラクターの「属性」へと移ってしまった。紳士の同人たちは祠堂(クラブ)を設け、「アリス」を神壇へと持ち上げ、ひれ伏して拝む。しかし祠堂の中の神像は、すでに元の姿ではない。時代や地域の異なる紳士たちが、自分たちの文化的欲求や美的趣味を彼女へ投影しているからだ。もとの童話テキストは解体されて断片となり、新たな文化要素とコラージュされ、ポストモダンな「魔彩光」のように多彩な「アリス」群像となる。だが、ポストモダンの「アリス」における能記(シニフィアン)がどれほど変幻自在であっても、少女の肉体はそれらの変わらぬ所記(シニフィエ)である。ポストモダンの「アリス」コンプレックスの背後には、強大な原始的情緒が暗流している。

黒い夢を切り開けば桃色――「七色」の魔法使いのサイケデリックな隠喩

「アリス」のテキストを黒い寓話として解釈するのは、ポストモダンの変態紳士やフロイトの後継者だけではない。少なからぬ真面目な児童文学研究者も、死の影がアリスの冒険の歩みに常につきまとっていると指摘している。白ウサギの別荘から伯爵夫人の台所、ハートの女王の庭まで、「アリスの荒唐無稽な夢は、成人に支配された世界で子どもが直面するさまざまな残酷な現実が幻となったものなのかもしれない13」。首切りを口癖にする女王は、現実には横暴で理不尽な親なのかもしれない。また、ヴィクトリア時代には眠りそのものが死の隠喩としてよく用いられた。好奇心から「白ウサギ」を追ったアリスはウサギ穴に落ちて(そして行方不明になって)しまうが、当時、「白ウサギ」の手口を使った児童誘拐事件は珍しくなかった、などなど。もちろん『アリス』シリーズには、さらに二つ、非常に意味深長なテキストがある。『鏡の国のアリス』で、ハンプティ・ダンプティはアリスに「7歳になったらもう成長をやめなさい」(Leave off at seven)と勧める。しかしこの提案を実現するには、死神に訴えるしかないだろう。『不思議の国のアリス』では、夢の中で人間関係に恵まれていたにもかかわらず、アリスはなお「ここでずっとひとりぼっちなのは、もう本当に疲れた」(“I am so very tired of being all alone here.”)と嘆く。『鏡の国のアリス』にも似た表現がある――「ここは本当にひどく寂しい」(“it is so very lonely here”)。アリスの冒険は、決してそれほど「楽しい」ものではなかったのだ。ヴィクトリア時代の「幼年期」は、今日の「幼年期」とは大きく異なる。これは、成人社会における子どもの心の、ある時代の肖像なのではないだろうか。

現代/ポストモダンにおける「アリス」テキストの成人的解釈から見れば、フロイト主義の解釈が「桃色」だとすれば、児童文学研究の(一部の)解釈は「黒色」であり、ヒッピーたちの解釈は「七色」である。私は短文「『上天』の霊夢と『下地』のアリス――東方と西洋のサイケデリック・ドラッグの隠喩」14で紹介したが、「ウサギ穴に落ちる」(Down the rabbit hole)は英語文化の中ですでに一つの特定の意味の型として定着している。それは狂気、依存、幻覚などの異常な精神状態、あるいは困窮、異常、抜け出しにくい境遇を指す。このことは、当時、酔生夢死していたヒッピーたちの文化的実践に大きく負っている。たとえば彼らはサイケデリック・ロックの中で「アリス」テキストを引用した。その最も有名な例は、1967年のジェファーソン・エアプレインの楽曲「White Rabbit」だろう。身体を変える薬水、ケーキ、キノコ、イモムシの水煙草、狂った茶会の茶菓子。こうした童話テキストは、60~70年代のディオニュソス精神のもとで行われたさまざまな二次創作の中で、色とりどりの幻覚剤のコードネームへと変わった。

『祝姫』の狂った茶会
図8:竜騎士07のビジュアルノベル『祝姫』は、日本の父権社会を、少女たちそれぞれの恐ろしい夢(異境)として描いている。物語の中で、小柄な部長・美濃部鼎が夢の中で参加する「狂った茶会」は、「援助交際」「パパ活」「鬼父」など、現代日本社会の悪習をほのめかしている。

現代に生まれ、ポストモダンにおいて徐々に定型化した「アリス」テキストの三つの解釈は、いずれも成人の視点から「アリス」を解体し、「アリス」をつくり直すものだ。ただし重点が異なる。「桃色」は幼い肉欲を指し、「黒色」は父権の支配を投影し、「彩色」は新世紀の「宗教体験」である。童話テキストが帯びたこの三つの色は、ポップカルチャーの二次創作にも映し出されている。

ゲームの領域を例に取ろう。2000年の『アリス・イン・ナイトメア』(American McGee’s Alice)以来、アリスの夢は陰鬱で恐ろしい黒い幻境となった。日本のゲーム文化における「アリス」も、もはや単に正面から登場するキャラクターではなく、物語の黒幕になることさえある。たとえばサークル「イニミニマニモ?」15の『BLACKSOULS』(2017)シリーズでは、黒化した「アリス」(あるいは「黒アリス」と呼んでもよい)が、ときに主人公(あるいは「白アリス」と呼んでもよい)の人格の奥に潜み、その勇者の姿をより立体的にする。またあるときは白アリスの双子となり、彼女と愛と憎しみ、正義と悪の絡み合いを演じる(『神撃のバハムート』、2011)。さらには、「アリス」そのものが一枚の皮、一つの肉体記号となり、男性の秘めた性転換願望を託される(『淫靡の国のアリス』、2017)。黒い「アリス」を人々の心に深く刻みつけたものとして、もちろん『ローゼンメイデン』(2002)もある。生きたゴシック人形たちが死ぬまで続ける「遊び」、それがいわゆる「アリスゲーム」だ。天才人形師ローゼンが追い求める「アリス」は、残酷さと完璧さを一身に集めた矛盾した存在なのである。

『東方』に最大の影響を与えたもの、そしてZUNが最も好んで語る『女神転生』シリーズの魔人アリス16は、死神と踊る美しい少女である。青を基調とした装束、強大な魔術、冷酷な呪い、萌え要素を備えた人形。これらは疑いなく、マーガトロイドの基本イメージと派生設定を形づくった。旧作アリスの称号「死の少女」は言うまでもない。しかし『東方』の「アリス」、とりわけ新世紀の「人形遣い」は「黒色」であるだけでなく、「彩色」でもある。上海アリス、阿片、蝶夢丸、七彩の弾幕。これらのテキストは、ZUNが「アリス」の夢と幻覚剤の幻境との境界を曖昧にしようとしていることを映し出している。

『真・女神転生』の魔人アリス
図9:マーガトロイドの原点。『真・女神転生』で人形を抱え、邪気に満ちた威圧感を放つ魔人アリス。

同人世界のマーガトロイドを切り開いてみれば、中にあるのは一面の「桃色」だ。百合、痴女、アイドル、奇妙な男に催眠をかけられ、監禁され、幻覚剤(媚薬を含む)を盛られる、といったものが、「できる女」のイメージと並んで咲いている。ニコニコ大百科(日本最大級のポップカルチャー百科事典)には、アリスに関する人気の語「アリスはかわいい」が収録されており、編集者は次のように評している。

世界にはさまざまなかわいいアリスが存在する。たとえば『女神転生』シリーズのアリス、『ARIA』のアリスなど、数え切れない。かわいくないアリスの存在そのものが疑わしいとさえ言える。しかしこの項目における「アリス」はただ一人、『東方Project』のアリス・マーガトロイドである。その他のかわいい「アリス」たちについては、この項目では断腸の思いで割愛する。

このオタク力に満ちた項目は、一方で『東方』の「アリス」が日本のポップカルチャー、とりわけACGN分野で占める顕著な地位を明らかにしている。他方で、『東方』二次創作最大のプラットフォームであるニコニコ動画において、マーガトロイドのキャラクター同人が持つ基本的な色調も映し出している。

アリスは人気投票ではしばしば第一集団の末尾に位置し、『東方』の物語の本筋から外れて久しい。それでも二次創作では、しばしば「桃色」のアイドルとして現れ、部外者を「幻想郷」へ導く案内人となる。ニコニコ動画でもっとも古い100万再生級の『東方』動画『魔理沙は大変なものを盗んでいきました』から、サイト全体の総合人気ランキング第1位のMMD作品『Sweet Magicを魔法使いが踊ってくれました』まで、七色の魔法使いに心を奪われるのが東方ファンだけではないことがわかる。『東方』に新鮮な血を呼び込むという意味では、彼女の功績はゆっくり文化にも劣らない。なにしろ彼女の背後には、誰もが知る世界的な文化記号があるのだから。いったい何人の大人が、金髪少女/ロリの誘いに抗えるだろうか。

結語:童話世界と成人世界の間を行き来する少女

アリスを題材にしたゲーム画面
図10:すべての紳士の心の奥底には、性転換して金髪ロリになるという秘めた欲望が暗流している。

「アリス」はゲーム世界の模範労働者であり、ゲーム創作に二つの大きな物語の伝統――変身と異世界転移――を打ち立てた。古典的な『スーパーマリオ』から先駆的な『Undertale』(2015)まで、私たちはそこに「アリス」の姿を見いだせるようだ。天馬行空の「異境」そのものは、しばしばゲーム世界の隠喩として用いられ、プレイヤーは一人ひとり、好奇心旺盛で冒険心に満ちた小さな「アリス」なのである。人間の社会化という点では、ゲームは子どもの特権のように見え、夢に夢中になることは成人の社会的役割にそぐわないようにも思える。しかし歴史が教えるところでは、ゲームの幻境という「ウサギ穴」に落ちるのは、しばしば筆者と同年代の人々である。今日、ゲームの開発者と消費者の大半は成人だ。私たちは白ウサギを追う金髪少女のように、童話世界と成人世界の間をさまよい、異境と現世の境界をかき混ぜている。

キャロルが『不思議の国』の巻頭詩でこう書いたように。

アリス! この幼い物語を受け取り、やわらかな手で
幼年の夢の中にしまっておくれ。思い出という神秘のリボンで結んで、
巡礼者が遠い土地から持ち帰った枯れた花輪のように。

多くの児童文学研究者が指摘しているように、キャロルが『アリス』シリーズを書いたのは、幼年期の純真と無垢への信仰からだった。彼は「アリス」に成長してほしくなかった。童話と夢は、アリスの最も聖なる姿を永久に保存する水晶棺のようなものだったのである。「童祭」の人格を自らに与えた太田酒鬼もまた、このことを感じ取って、自分の「霊夢」を描き始めたのだろうか。19世紀の同人の奇跡であれ、21世紀の同人の奇跡であれ、どちらも私たちに、赤子の心は成人世界が成り立つための一部なのだと示しているように思える。同時に、社会の期待は、私たちが「異境」に溺れず、「ウサギ穴」から抜け出せることも求めている。だが、性転換して金髪ロリになる誘惑に、いったい誰が抗えるだろう。童話世界と成人世界の間を自由に行き来できる「アリス」になること――それこそが、この時代における「役割を演じること」の魅力なのかもしれない。

竹艸が描いたアリスと人形のイラスト
図11:筆者の絵仲間、竹艸(pixiv id: 2599407)による作品。『真・女神転生』では、人形が恐ろしいアリスに幼さを一筆添えている。一方、『ESP Ra.De.』では、アリスは残酷で悲しい人形へと変わる。「人形」そのものが一つの記号の逆説なのだ。それは、憂いのない幼年時代を指し示すこともできる(キャロルの幼年期の人形劇場が『アリス』シリーズの創作源の一つだと指摘する学者もいる)。同時に、人間を疎外する成人世界を指し示すこともできる――人生は芝居であり、私たちは社会という舞台の操り人形なのだ。『東方』の人形遣いがこれほど人々の心に深く入り込んだのは、彼女の背後に、人間が物化されることの悲しい隠喩が潜んでいるからなのかもしれない。
本文終わり
注16

注釈

  1. アリス観察協会会員、アリスクラブ会員、アリス騎士団団員、AL教(ALICE教)信徒。 ↑

  2. これは実際には「アリス」で有名になった筆名であり、本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン(Charles Lutwidge Dodgson)である。 ↑

  3. MikuMikuDanceの略称。初音ミク(Miku)を愛する一個人、樋口優が開発した、「自分のアイドルであるミクを踊らせる」3D CG映像制作ツール。関心のある読者は、筆者が2017年6月に発表した記事「東方MMD批評:史上最も崩壊した『楽園の少女たち』」も参照されたい。知乎コラム『東方文化學刊』:zhuanlan.zhihu.com ↑

  4. 「Alice Style」は、1970年代に日本で興ったロリータ・ファッション(ロリータ・ファッション、Lolita Fashion)の一分派である。 ↑

  5. 「電波」は1990年代に生まれたオタク流行語で、常識から逸脱した行動や、精神的にふらふらしている様子を表す。まるで人が邪悪な組織の発する「電波」に操られているかのようだ、という意味である。 ↑

  6. ルイス・キャロル著、張華訳『ウサギ穴を掘り開ける――『不思議の国のアリス』を深く読む』吉林出版集団、2013年7月を参照。 ↑

  7. 「届不到」は、『WHITE ALBUM2』の主題歌「届かない恋」に由来するオタク流行語で、三角関係におけるさまざまな矛盾をからかうためにも使われる。編注:ここでの日本語「届」は、おおむね中国語と同じ意味である。中国語には「無遠弗届」「届時」といった成語・一般語があるが、それ以外で単独の動詞として取り出して使う人は少ない。「届不到」は「届かない」の中途半端な中国語訳であり、硬い表現ではあるものの、意味の筋が通らないわけではない。この新しい用法が今後も伝わり、変化していくのかは、観察に値する。 ↑

  8. 物述有栖のYouTubeチャンネル:youtube.com ↑

  9. 張彩虹『身体政治――百年中国映画女優研究』中国広播電視出版社、2011年12月、3頁。 ↑

  10. Will Brooker, Alice’s Adventures: Lewis Carroll in Popular Culture, Bloomsbury Academic, 2005を参照。 ↑

  11. BBC「Wickedness of Wonderland」、2001年2月13日:news.bbc.co.uk ↑

  12. Robert Douglas-Fairhurst, The Story of Alice—Lewis Carroll and the Secret History of Wonderland, The Belknap Press of Harvard University Press, 2016, p.111. ↑

  13. 前掲注、128頁。 ↑

  14. 2018年7月3日、知乎コラム『東方文化學刊』:zhuanlan.zhihu.com ↑

  15. この疑問符は文字化けではなく、サークル名そのものに疑問符が含まれている。 ↑

  16. 彼女の人形である赤おじさんと黒おじさんは、ちょうどマーガトロイドの上海と蓬莱に対応している。 ↑

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