屋頂現視研日本語版
中国語原文目次編集プレビュー

真実と包摂へ向かう生命意志――『卯酉東海道』における町人文化と浮世絵

『卯酉東海道』の未来の東京と京都を起点に、江戸の町人文化と浮世絵の展開をたどりながら、伝統の喪失と更新のあいだで、東方Projectが真実・欲望・包摂・生命力をいかに保とうとしているかを論じる。

著者: crossroad翻訳: 甚谁Bot[AI assisted] · 全文

crossroadの作者カードと題句「上下に求索し、朝夕を争う」

本稿は原火に初出した。

編集者注:本稿は、屋頂現視研の年度論考募集「拾荒戦略 Rags Drum 2020」前夜祭入選作である。

本稿執筆時点で、ZUNは秘封倶楽部を主人公とするアルバムを九作発表していた。チャリティーアルバム『未知の花 魅知の旅』を除けば、二人の少女は毎回、新たな冒険を経験する。第二作『夢違科学世紀』の頒布から二年後の二〇〇六年、『卯酉東海道 ~ Retrospective 53 minutes.』は第三回博麗神社例大祭で頒布された。前作がメリーと蓮子の人物像をいくらか補ったのに対し、今回のブックレットは主に二人が暮らす世界を描き足している。物語は相変わらず含みが多いものの、二人が生きる、そう遠くはない未来を垣間見るには十分である。中心となる主題は、前作のブックレットが扱った現実と虚構の問題を受け継ぐ。ただし前後の物語とは異なり、メリーと蓮子は能力を使わず、語り手の占める割合も以前よりずっと大きい。考察の焦点も、個人の世界観から文化の認識へと一段階上がっている。ここから派生した思考は、ZUN自身の創作観にも少なからぬ影響を与えたのかもしれない。

一、物語の概略と設定をめぐる考察

『卯酉東海道』の物語は、結びつきのさほど強くない会話を連ねたものである。ZUNは後書きで、隣席の人がたまたま二人の会話を盗み聞きしたような内容であり、そこには旅のロマンがあると述べている。この雰囲気が、作品全体の主題にまさしくふさわしい土台を与えている。

物語の東京は「精神的に未熟」な都市である。結界のほつれが放置されているだけでなく、屋内型テーマパークやフードコートをはじめとする「庶民の娯楽」が数多く残っている。人口が減り、自動車が廃れたため、彼岸の時期になると道路まで彼岸花で埋まる。蓮子自身も東京を「田舎」と呼ぶ。これに対する京都は直接描かれないものの、大都市の威厳をたたえ、娯楽すら「新茶道」だけになっている。『夢違科学世紀』によれば、京都には霊学研究の千年の歴史がある。メリーと蓮子のサークルは、どこにでもある霊能者サークルの一つにすぎず、メリーが大学で学ぶ科目も「相対性精神学」である。設定上の京都は精神と幻想の領域に深い研究の蓄積をもつ都市であり、それこそ蓮子のいう「成熟」の表れなのだろう。一方、二人は自分たちのサークルを何度も「不良サークル」と呼ぶ。異なる世界の境界を探訪する活動が許可されていないからだ。二人は何の処罰も受けていないが、この禁止は、何事も放置する東京の態度と鮮やかな対照をなしている。

蓮子は東京を紹介する際、新宿と渋谷にも触れ、そこを「歴史を感じさせる場所」と呼ぶ。新宿と渋谷は現在の日本でも屈指の繁華街であり、その近代化の度合いは世界的に見ても最先端にある。史跡が多く、伝統が比較的よく保存されている国において、この二地区と「歴史情緒」との隔たりはどう考えても大きい。この言葉からも、物語の京都がもはや私たちの知る古都ではなく、最先端の文明の上に築かれたまったく新しい大都市だとわかる。この設定では、数百年、数千年を受け継いだ史跡はおろか、現代の私たちが思い浮かべる近代建築さえ残っているとはかぎらない。千年の都を名乗りながら、その記憶を担う物質をことごとく抹消してしまった京都。「新茶道」以外の娯楽がないという設定もあいまって、この都市の息苦しさは明らかである。

比べてみれば、未来の京都と月の都には多くの共通点がある。どちらも文明が極度に発達し、精神的に「成熟」している。ただし、一つ大きな違いがある。月の都は非常に古い都市であり、どれほど高度な技術も、つねに伝統的な形で現れる。伝統的なものに囲まれて暮らす霊夢でさえ、それをひどく「原始的」だと感じる。もと月の民である輝夜は、人類も高度な技術文明に到達すれば、このような伝統的生活へ回帰すると考えるが、霊夢は同意しない。実のところ、このアルバムにはすでにZUN自身の未来像が現れている。人類は文明がもたらす最新の体験を求め続け、知らず知らずのうちに伝統文化を束縛とみなして捨てていく。伝統文化は継承と持続を象徴する。永遠を求める月の民にとって、その性質はきわめて重要であり、月の都の文化的中核と呼ぶことさえできる。ところが霊夢にとって、この「永遠」は人間にはほとんど耐えられない。どんな方法で寿命を延ばしても、死は結局、生命の一部だからだ。「心が腐っても生き続ける事の無いように」。だからといって、すべてを捨てるのも正しくない。穢れを徹底して排除し、伝統を永遠にしようとする月の都も、伝統を抹消して形だけを残した京都も、ZUNは否定している。「生者必滅、天道輪廻」は東方に一貫する重要な理念である。人間にとって、伝統の継承も消滅も一方向であってはならない。失われ続ける過去から、残すべき核をどう見つけるか。それこそが問題なのである。

富士山とカレイドスクリーンの描写には、この点がいっそう明瞭に現れる。『永夜抄』の裏音楽コメント1で、ZUNは「富士山が世界遺産に選ばれなかった本当の理由。それは世界程度に選ばす事が出来ないような霊峰なのだから」と記している。富士山が日本文化と日本人の精神を象徴することは、あらためて説明するまでもない。『卯酉東海道』の近未来でも、日本政府が富士山の真下にトンネルを掘ることを「大不敬」と考えている以上、山はいまだ崇敬の対象である。ところが蓮子は、現実の富士山にはほとんど目を留めたことがないと率直に語り、列車で山の下を通っても特別な反応を示さない。富士登山をする人もほとんどいないという記述と合わせれば、富士山が庶民の生活から遠く離れたことがわかる。この時代に富士山が世界遺産へ登録された事実は、山とその文化が現実の意味では死んだことを象徴する。世界遺産である古代ローマのコロッセウムでは、歓声と殺し合いがとうに消え去り、いま残るのは殻と、過去の栄光をめぐる果てしない想像だけである。一方、人類文明の基礎を築き、現在も深い影響を与えるローマ法がこの「栄誉」に浴することはない。「人間には選べない霊峰」だった富士山が「普通の」世界遺産へ変わることは、山に宿った霊性、すなわち文化的意味の消滅を表している。カレイドスクリーンに映り、何度も「日本的」と強調される景色も偽物にすぎず、メリーには「退屈な視覚刺激」としか映らない。いわゆる日本精神は生活から消え、虚構の想像だけになったのである。

富士山が「死ぬ」こと自体は恐ろしくない。問題は、富士山を捨てた人々が築いた新たな精神的象徴、すなわち京都という都市に、新しい希望が見えないことだ。蓮子とメリーの世界では、天然食品はめったに手に入らず、本物のアルコールを含む酒さえ贅沢品になっている。技術的な観念が、世界を認識する視線をつねに制約する。つまり、文化の核である富士山を捨てた人々が作る新文明、新文化、すなわち「合成文明」は、人間をより高い段階、現実の世界を認識する段階へ導けない。新しい文化を作ることは人類が生きるための手段であり、古い文化がしだいに忘れられること自体は恐ろしくない。しかし文化の核まで捨てれば、どんな新文化にも本当の生命力は宿らない。

二、町人文化

「伝統文化の何を残し、何を手放すか」という大きすぎる問いに、ZUNは明確な答えを示していない。それでも物語には多くの手がかりがある。

蓮子の語る東京には、奇抜な服装の若者があふれている。「優雅」で厳格な京都と比べれば「田舎」にすぎない東京だが、無数の冒険譚の舞台となった西部のように、粗野で魅力的に見える。幻想郷は明治維新以前の姿を残している。その奇想天外で華やかな光景は、町人が牽引し、なお希望を育んだ江戸時代を思わせずにはおかない。

KS「東方百鬼夜行」
KS「東方百鬼夜行」、Pixiv ID 15322975

日本で「町人」は特定の歴史的呼称であり、一般には江戸時代の富裕な商人が形成した社会集団を指す。ただし「町人」という語自体は平安時代から存在した。当時の「町」は行政単位というより、商店に似た一定の区画だったとされる。2 この時期の「町人」に特別な意味はなく、単に「町の中の人」を指した。しかし「町」が商店と重なって理解されたため、町人も商人と微妙に結びつくようになった。

『類聚名義抄』に見える「町」
「店家、俗に町と云ふ」。

平安時代以後、官営商業の衰退が私商の発展する余地を作った。寺院や港には常設の商人が現れ、寺内町などの区域が形成された。この時期、町人は独自の集団として歴史の表舞台に立ち始める。3 大陸から大量に流入した金属貨幣は商品経済を刺激し、市場や港など交換の盛んな場所を中心とする町の形成を促した。4 戦国大名は領国の軍事力と経済力を強めるため、城郭の麓に政治経済拠点としての城下町を築いた。商工業者が城下町へ集中しただけではない。それまで分散していた手工業生産、物資、集散市場、流通も集まり、城下町は各領国の軍事経済交通の中心になっていった。こうして「城下町人」が生まれた。5

これらの新しい要素に育まれ、町人は江戸時代に一つの集団として確立した。ただし商人が固有の文化を築くまでには、キリスト教という「招かれざる客」も、微妙ながら重要な役割を果たした。キリスト教は室町時代、宣教師の来訪とともに日本で広まり始めた。幕府は支配の不安定化を防ぐため信徒を弾圧し、民間に寺社を広く建立し、武士階級に朱子学を教え、鎖国と出版統制を行うことで、精神的な管理を強めた。だが結果として、寺子屋による庶民教育の普及や、西洋、とりわけオランダから来た書物と文化は、町人が自らの文化を生み出すために必要な支えを与えた。

この史実は、東方の物語に登場する「外来者」を思わせる。『風神録』の守矢一家から『深秘録』の宇佐見菫子、さらに秘封倶楽部そのものまで、いずれも「外の世界の人間」として、幻想郷が象徴する伝統的精神に新しい色をもたらした。月の都や地獄など、異世界の登場人物が増えるにつれ、ZUNは『東方文果真報』で「移民問題」を大真面目な特集にさえしている。だが、これらの人物と文化の加入によって、東方が「幻想的な懐古」という美学的中核を失ったわけではない。むしろ、それをより受け入れやすい形へ発展させた。「問う、渠は那ぞ斯くの如く清き。源頭に活水の来たる有ればなり」。そして「幻想郷は全てを受け入れる」という言葉こそ、「伝統の新生」という問いに対するZUNの最初の答えなのかもしれない。

前述のとおり、江戸時代の日本には明確な身分制度があり、各階層がそれぞれの職分を担った。中国の科挙に相当する制度がなかったため、社会的流動性も低かった。武士は領地をもち、そこから得る俸禄米で主に生活した。しかし当時の日本社会はすでに相当程度まで商品化していたため、武士階級も俸禄米を商人に売り、貨幣に換えて消費する必要があった。江戸幕府は大名の参勤交代も定めた。関東の大名は半年ごとに将軍へ拝謁し、その他の大名は江戸と領国を交互に住まいとした。これは幕府による大名統制を確保すると同時に、絶えず居所を移させ、旅費を使わせて、大名の経済力を削ぐ仕組みでもあった。その過程で商人は消費財とさまざまなサービスを提供し、商業も刺激された。

商人は巨額の富を抱えたが、それを直接政治資本に変えることはできず、土地の売買も幕府に禁じられていた。したがって富は消費へ向かった。都市の職人、芸術家、芸能者もこの機会を喜んで生計に変えた。歌舞伎、浄瑠璃、俳句、浮世絵をはじめとする文化形式がそこから生まれ、やがて今日いう「町人文化」を形づくった。平安時代の貴族文化とも、鎌倉幕府以後の武士文化とも異なる、真に庶民の文化である。担い手の多くが庶民なら、消費者もまた庶民だった。落語や歌舞伎など、庶民が生んだ芸能が大きく花開いた。これらの芸能と作品は十分な商業性をもち、その発展は都市の繁栄と社会の商品化をさらに進めた。木版彫刻と印刷技術の普及も不可欠な技術的条件だった。それ以前は作品を広く流通させにくく、芸術家は武士をはじめとする権力者に依存しなければ生存できなかった。そのため、創作の動機と表現の範囲も制限された。作品を大量に複製し、庶民のあいだへ流通させられるようになると、市民文化の主題とイメージが作品に大量に入り込んだ。作り手も権力者の支配を離れ、芸術創作により広い空間を確保できるようになった。6

町人文化の隆盛は、伝統的観念を多方面から揺さぶった。金銭と消費を基盤とする社会の気風は、自己解放と自己充足を精神生活の一部にした。高雅を自任する人々には「俗悪」と映っても、この生活様式が放つ強い魅力を止めることはできなかった。『好色一代男』に始まる浮世草子と好色文学、浮世絵に膨大な春画があることが、それをよく示している。「浮世」に含まれる「好色」は、単に肉欲へ溺れることではない。恋愛を至上の追求とし、心の内に抑圧された感情を解放する主張である。7 こうした作品の登場と広範な流通は、人間の欲望、感情、さらには生命力そのものを肯定し、讃える大衆の意識も映し出していた。それは「天理を存し、人欲を去る」と唱え、欲望の自由な表現を抑制する、武士文化の朱子学と鮮やかな対照をなす。遊女を中心とする遊興産業、歌舞伎に代表される芸能、浮世絵に代表される美術は、豊かで市民的な表現によって、伝統的な武士文化が定めた雅と俗、美と醜の境界と価値判断を溶かした。さらに、権力に基礎を置かない新しい倫理観を、いつしか打ち立てていった。「士農工商」の秩序を不動とした社会において、それはまさしく「平等」と「包摂」を求める革命的な声だった。

この視点から東方の物語を読み返せば、欲望と生活の息づかいに満ちた市井の暮らしが、作品のいたるところへさりげなく散りばめられているとわかる。ZUNは貨幣制度や社会経済制度を詳しく設定してはいないが、物語における金銭の重要性は疑いようがない。博麗神社の貧しさは二次創作で広く共有されるだけでなく、公式作品にも繰り返し登場する。河童はいつも商売上手であり、地獄でさえ中有の道の店々が重要な収入源となる。東方における金銭と商売は、表面的な意味にとどまらず、現実の生活を承認するものなのかもしれない。少女たちの職業は商人ではないが、絶え間なく催される祭から信仰をめぐる激しい争奪まで、彼女たちにはすでに商人の気質が色濃く備わっている。

金銭は消費と結びつき、消費は欲望に動かされる。だがその欲望は結局、心身の喜びと成長をともに実現しようとするものだ。ZUNは妹紅への投票コメントで、「人間である一番の憑拠は、人間であると言う想い。DNAはその次である」と述べている。妹紅はもはや普通の人間と比べられないが、「死」への深い執着によって、人間としての欲望を保っている。これと鮮明に対照をなすのが、京都の「純潔」と月の都の「永遠」に対するZUNの否定である。すべてを捨てた京都は、過去の影を探し求めても、「退屈な」悩みを増やすだけだ。一方、伝統に固執し、あらゆる「穢れ」を断った生活では、無限の時間がすべての欲望を摩滅させる。無欲な存在だけが、真の永遠に至る。『東方儚月抄』では、月の民でさえ精神の充実を保つことを重要な課題としなければならない。霊夢は「妖怪巫女」と呼ばれても、その濃厚な市井の気配によって、あくまで完全な人間である。「五欲の巫女」という呼び名も、そのことを別の面から示している。少女たちは金銭に執着しても、金銭に惑わされない。金がないからといって本当の困窮にも陥らない。だからこそ、金銭社会の負の側面に侵食されずにいられる。ある意味では、これもZUNが「町人」の少女たちへ与えた祝福なのだろう。

『卯酉東海道』で蓮子が語る東京は、物質的に京都を凌駕するのではなく、「日本精神」を守り続けている。大型ショッピングモール、自由に使える遊戯施設、目新しい服装の人々は、伝統的形式から遠く離れている。それでも「密室」に残された新茶道だけの京都より、江戸の血脈を強く感じさせる。私たちの現実では、京都が日本の伝統精神を代表し、むしろ東京が問題を抱えた現代日本社会を象徴する。だが京都を都市ではなく伝統精神の象徴として読むなら、曲名「レトロスペクティブ京都」の意味もわかりやすい。二人が回想するのは歴史上の京都という都市ではない。これから向かう、なおも強靱な生命力をもつ東京なのである。

さらに根本から考えれば、生活を楽しむ欲望も、「消費」を通じて結ばれる人々の関係も、変わり続ける世界で伝統をどう捉えるかという問いも、すべて強く鮮明な生命意志を表している。この意志は、厳しい環境でも希望を捨てず生き延びることだけを意味しない。俗世から離れ、自分の世界へ閉じこもって、どうにか生をつなぐことでもない。「生きている」からこそ積極的に創り、楽しむ過程そのものを指す。満足しないからこそ、新しいものが生まれうる。その意味で、この意志は肯定的である。妖怪が起こす異変、妖精が日々繰り返す悪戯、人間の里や幻想郷そのものをめぐる争いも、みな同じである。そこで参加者も「騒動」の張本人も、実は大いに楽しんでいる。異変解決後の宴で、誰もが存分に酒を飲むことがその証拠だ。

これを実現するには、もう一つ「包摂」が欠かせない。もちろん、無原則にすべてを受け入れるという意味ではない。町人が生み出した文化には、絢爛たる文化の至宝がある一方、卑俗で浅薄な肉欲の享楽もあふれている。両者は同じ硬貨の表裏であり、初めから溶け合って切り離せない。現実を受け入れ、作品のなかに隠さず映し出す。作者自身の価値観と態度はあっても、世界を「彼ら」と「私たち」に分断しない。だからこそ、多彩な色と様式で、万物を包む現実を表現できる。「幻想郷は全てを受け入れる」とは、先に述べた「外来者」の受容だけを指すのではない。どのような少女も、そこに居場所を見つけられる。創作者ZUNの立場から見れば、新しい少女の登場も、ファンによる二次創作も、少女たちに新たな性格を絶えず与え、幻想郷の風景を作り変え続ける。この「多様なものを包み入れる姿勢」こそ、東方が大きく花開いた重要な理由かもしれない。対照的に、秘封倶楽部の世界で「異端」を排除することは、自らを閉ざすことでもある。『大空魔術』が語るように、その世界には未解決の問題がもはや存在しない。死火山となった富士山と同じく、永久の文化遺産にはなれても、新たな精神を生み出すことはできない。

三、浮世絵、歌川広重、葛飾北斎

『卯酉東海道』でメリーと蓮子が話題にするもう一つの対象は、景色を映し出すカレイドスクリーンである。制作者はおそらく「日本精神」を際立たせるため、浮世絵を映像の原型に選んだ。だがその時代に再包装された浮世絵は、誕生時とは別の意味しかもたない。ある面では、メリーのいうとおり「退屈な視覚刺激」にすぎない。

町人文化を視覚芸術の領域に表した浮世絵は、色彩に満ちた時代を、言葉より直観的に伝える。その名が示すように、「浮世」は当世、現代の風を意味する。市井の景観と、人々が生活のなかで表す感情や欲望こそ、浮世絵の変わらぬ中心である。

葛飾北斎「江都駿河町三井見世略図」
葛飾北斎「江都駿河町三井見世略図」、一八三二年。

初期の浮世絵は、日本の伝統的な大和絵から生まれた。彩色技術が進歩し、木版印刷が仏教用途のみに限られなくなると、浮世絵はついに独立した芸術形式となる。この過程で最も際立った絵師が、後世「浮世絵の祖」と称された菱川師宣である。8 挿絵を得意とした師宣は、作品における絵の地位をしだいに文章より高め、独立した一枚絵の風俗画さえ生み出した。木版画を中心とするこれらの作品が、形式のうえで「浮世絵」の誕生を告げた。遊女を数多く描いた美人画も、後世の浮世絵における重要な画題となった。

菱川師宣「見返り美人図」
菱川師宣「見返り美人図」、十七世紀。

浮世絵発展の中期には、彩色、用紙、制作技術が大きく進歩した。奥村政信や歌川豊春らは西洋画の遠近法を浮世絵へ取り入れ、場面の表現力と質感を高めた。鈴木春信らが開拓した錦絵は、鮮明で豊かな色彩から「錦のような写真」とさえ称された。俳諧師たちが絵暦交換へ熱中し、歌舞伎が興隆したことも、浮世絵に広大な市場を与えた。経済の発展と、版下絵師彫師摺師という専門的な分業体制の成立は、費用の低下と生産量の増加を可能にした。こうした新技術の登場と応用によって、浮世絵は急速な発展を遂げた。

歌川豊春「浮絵 新吉原惣仕舞之図」
歌川豊春「浮絵 新吉原惣仕舞之図」、十八世紀。

この時期、伝統的な美人画も大きく変化した。場面描写の水準が上がるにつれ、絵の「美人」には写実性が増した。鳥居清長や北尾重政らが描く人物には既婚女性も多いが、優美な姿態と素朴な感情の表出は、健康で自然な美しさを示している。喜多川歌麿や東洲斎写楽らが遊女や歌舞伎役者を描いた肖像は、後世の浮世絵師へさらに深い影響を与えた。

鳥居清長「川岸の涼み」と喜多川歌麿「寛政三美人」
鳥居清長「川岸の涼み」と喜多川歌麿「寛政三美人」。

左:鳥居清長、濱屋版「川岸の涼み」、十八世紀。右:喜多川歌麿「寛政三美人」、十八世紀。

やがて人物だけを描く浮世絵は、芸術様式を先導する主要ジャンルではなくなっていく。山水と市民生活を描く名所絵が興隆し、葛飾北斎の「富嶽三十六景」と歌川広重の「東海道五十三次」は、日本文化の象徴にさえなった。これらの作品は写実に拘泥せず、美しい景色を単に提示するものでもない。景に情を託し、風景を通じて作者の感情を表す、いわば「印象」的な創作である。二人は構図と彩色において、風俗生活の歓楽だけでなく、表現内容の豊かさを重んじた。だからこそ、これほど大きな芸術的成果を収めたのである。この創作方法は、後の西洋印象派にも重要な着想を与えた。

クロード・モネ「睡蓮の池」と歌川広重「亀戸天神境内」
クロードモネ「睡蓮の池」と歌川広重「亀戸天神境内」。

左:クロードモネ「Le Bassin aux nymphéas(睡蓮の池)」、一八九九年。右:歌川広重「亀戸天神境内」、一八五六年。

クロード・モネ「ラ・ジャポネーズ」と菱川師宣「見返り美人図」
クロードモネ「ラジャポネーズ」と菱川師宣「見返り美人図」。

左:クロードモネ「La Japonaise(ラジャポネーズ、着物をまとうカミーユ)」、十九世紀。右:菱川師宣「見返り美人図」、十七世紀。

モネによる浮世絵の模倣。

「黒船」の来航と明治維新以後、文明開化と西洋写真術の流行によって、浮世絵はしだいに大衆市場から退いた。画題も時事を扱う「新聞錦絵」「開化絵」へ移っていく。作品は量芸術性ともに低下し、それ以前の水準には及ばなくなった。その後、浮世絵は固有の芸術表現として歴史の表舞台を去ったが、その創作要素と「日本精神」の記録は伝わり続けた。

歌川芳虎「東京往来車盡」
歌川芳虎「東京往来車盡」、一八七〇年。

浮世絵は特定の歴史的時期の産物でありながら、視覚芸術における日本の伝統精神の優れた記録となった。その顕著な芸術的特徴は「線」と「色」である。構図では、多くの作品が左右対称を求めない。画面に不均衡が生じる一方、瞬間性が強まり、動勢が生まれる。描かれた人物や物体も、色面ではなく流麗な線で形を取る。それが優美な姿を示すと同時に、画面の運動性を高める。ある意味では、描き手が作品の外にいるのではなく、画中の景色と一体化していることも表している。9

「色」に目を向けると、浮世絵では白青などの純色が多用される。平面的な彩色は画面を簡潔にし、景物や人物が描き手と鑑賞者へ与える「印象」を強める。とりわけプルシアンブルーの広範な使用は、感情表現にいっそうの重なりと深みを加えた。10 この感情表現には、本居宣長の説いた「もののあはれ」が浸透している。それは好色文学による感情表現の奨励とも共通する。「もののあはれ」とは、景物や人情の移ろいに触れて生じる心の動きを主に指す。生命の無常への嘆きや、美しいものの儚さへの悲しみに限られない。命が芽吹く喜びも、巨浪の衝突に覚える力への共鳴も、その内に含まれる。11 だからこそ浮世絵は描かれた内容そのものを超え、美学のうえで伝統的な日本を形づくりえた。

この視点から葛飾北斎と歌川広重を見ると、両者は異なる角度から、濃厚な日本的情趣を描いている。『卯酉東海道』のブックレットでも、カレイドスクリーンに映す「日本らしさ」を誰が代表するかをめぐって、メリーと蓮子は短い議論を交わす。未来の人々は、北斎の「狂気」に耐えられなくなったため広重を選んだ。北斎がしばしば自らを「画狂人」と称したのは事実だが、その作品は現代のブラックメタルのように受け入れがたいものではない。したがって、この選択の意味はそれほど単純ではない。

庶民の家に生まれた北斎は、絵と同じく波乱に満ちた一生を送った。人生にも画業にも、数々の不運が訪れた。若い頃は徒弟として苦学し、定まった住まいもなく暮らした。中年には火災に遭い、数十年かけて蓄えた下絵と制作資料を失った。晩年を穏やかに過ごそうとした時期には、放蕩な孫が家産を使い果たし、生計のため創作を続けざるをえなかった。それでも芸術への情熱と追求を捨てず、晩年に自らの生涯を次のように総括した。

「七十年前画く所は実に取るに足るものなし。一百歳にして正に神妙ならんか」

困苦と悔恨に満ちた生活にもかかわらず、北斎の絵には生気と力があふれている。「富嶽三十六景」では富士山そのものも、その周囲で暮らす人々も、十分な個性と生活感を与えられた。画面は強く動く。その力の偉大さは、自然の力の驚異だけでなく、北斎が精神のうえで生活の苦難を乗り越えたことに由来する。葛飾北斎の代表作は、まさしく人生のどん底で作られた。希望があったからこそ、生命の終わりにも、あと少しだけ時間を得て「真正の画工」になりたいと願った。希望を手放さず、苦痛を克服する楽天的精神が、作品の芸術性をさらに高めたのである。

葛飾北斎「神奈川沖浪裏」
葛飾北斎「神奈川沖浪裏」、一八三二年。

これに対し、歌川広重の一生は矛盾と葛藤のうちにあった。下級武士の家に生まれ、社会的に微妙な立場にいた。名目上は支配階級の一員であり、社会上層に属する。しかし幕府の財政難と、武士集団のなかでの弱い地位のため、裕福な生活はできず、浮世絵の制作で家計を補わなければならなかった。思想のうえでは町人の自由で開放的な生活を肯定したが、支配階級の一部であるため、その表現には多くの制約があった。そのため彼の作品は、北斎と比べて抑制が利き、含蓄に富む。広重は「東海道五十三次」のように旅先の風景をしばしば描き、郷愁を誘うため、「郷愁の広重」と呼ばれることもある。画面には自然や花鳥風月への愛惜がつねに漂う。北斎の強い力感と異なり、広重の作品は静かである。しかし画中の人と物のあいだには精神的なつながりが感じられ、日本の伝統的なアニミズムとよく響き合う。「名所江戸百景」では、大胆な近景を数多く配することで、鑑賞者を画面へ引き込み、感情の伝達を強めている。

歌川広重「鎧の渡し 小網町」
歌川広重「鎧の渡し 小網町」、一八五六年。

蓮子とメリーの時代、人々は最終的に広重を選んだ。富士山がついに世界遺産となったことと同じである。その時代の人々は精神的に「成熟」し、もはや前へ進まなくなったからだ。不朽の鉄筋コンクリートが移ろいやすい自然に取って代わり、人々の記憶における新しい「自然」となる。物理学の究極問題も解決し、答えのない問題にどう取り組むかを探究する必要はなくなった。文化や伝統精神のような形而上的存在さえ、追憶と装飾以外の価値をもたない。北斎の絵に宿る活力は、当時の人々には重すぎる。広重の「郷愁」と「追憶」だけが、「永遠」を守ろうとする世界に居場所を得る。これが曲名「レトロスペクティブ京都」の第二の意味かもしれない。

だが、いずれにしても、この考えは自己欺瞞に満ちている。富士山が本当の意味で死ぬのは、死火山になった瞬間ではなく、世界遺産に認定された瞬間だ。日常生活に存在しなくなった精神だけが、追憶を必要とする。だから、どれほど「日本的」な風景も、第三者であるメリーには「退屈な視覚刺激」にすぎない。広重の絵の感情は、創作者と鑑賞者が風景を真に感じることから生まれる。創作と美的体験のなかで働く「もののあはれ」である。偽物の風景で本物の「日本精神」を宣伝するとは、実に見事な皮肉だ。

ZUNは後書きで、今回の物語は『夢違科学世紀』の「夢と現、ヴァーチャルとリアル」という主題を受け継ぐと述べている。アルバム頒布当時、その多くは幻想にすぎなかった。だがVRARが実用段階に入った今日、作中の光景は現実的な問題になっている。技術の登場によって、仮想が現実を代替する状況を予見できるようになっただけではない。文学と視覚芸術では、デジタル技術を主要な特徴とするサイバーパンク世界が広く流行し、人気の題材となった。高層建築とまばゆいネオンが、視覚を絶対的に支配する。「現実と虚構」とは主に、そうした環境のなかで暮らす人々が、かつての自然を知覚する力を取り戻せなくなることを指す。『卯酉東海道』は、ここでいう仮想を多種多様な情報が構築する世界だと明言しない。だが後の『燕石博物誌』では、情報崇拝の問題がはっきり提起される。未来の人間を仮想化する最大の原因は、過度の依存と情報が作る世界である。先に触れた日本精神の一つ、「もののあはれ」を考えてみよう。真実の「もの」に心が共鳴して初めて、本物の感情が呼び起こされる。映像だけを対象にするなら、人が感じる感情はあらかじめ精密に設計され、誘導されたものになる。とりわけマーケティングに満ちた社会では、大衆の感情から思考まで、すべてが才能ある芸術家や宣伝家に利用される。人間の本質は本当に仮想なのだろうか。それは情報へ過度に依存する社会への皮肉にすぎないのかもしれない。もちろんZUNは懐古を唱えているのではない。人類文明は情報を作り続け、情報によって危険へ備える制度を築いたからこそ、今日へたどり着いた。しかし道具的理性の害が示すように、道具そのものが思考の内容になるとき、真実と虚構は本当に一体化する。両者を区別する意味そのものが失われるからだ。

この問題をどう解けばよいのか。ZUNは物語で明確な説明をしていない。メリーと蓮子にとって、これは自分たちが生きる現実そのものである。別の出口を探す必要を感じても、思考と視点に制約され、容易には実行できない。物語の外にいる私たちは、すでに兆しを見せる悲惨な未来を避けるため、この状況について積極的に考えるべきだろう。どれほど美しい映像も、本当の空の色には代われない。どんなに美しい幻想にも、現実の陽光が射し込む必要がある。人間の本質は現実にある。信仰で置き換える必要も、情報で埋める必要もない。重要なのは、真実を見つける目と、真実を感じる心をどう手に入れるかである。先に述べたように、ZUNはこのような社会にも、たえず旺盛な生命力が湧き起こることを望んでいるらしい。その生命力こそ、膠着を打ち破る鍵である。生命力は欲望を、同時に希望を象徴する。その内部でのみ、新たな可能性が生まれる。情報が構築する世界へ溺れれば、生命は永遠に次の一歩を踏み出せず、世界全体が終わりなき終末へ沈む。

結局、東方の世界も無数にある仮想世界の一つにすぎない。私たちが物語に見いだす現実感は、こちら側の一方的な願望かもしれない。形式としての存在を越えて初めて、本当の美と思いを見つけられる。東方の物語から受け取った希望と力を携え、この世界を確かに感じ、自らの生命を世界と結び、さらに多くの活力を呼び起こす。それこそ、受け手がZUNへ与えられる最大の慰めなのかもしれない。

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注釈

  1. 『東方永夜抄』「エクステンドアッシュ ~ 蓬莱人」の裏音楽コメントを参照。

  2. 『類聚名義抄』法巻下

  3. 周荼「町人文化に関する考察」。

  4. 宋銭

  5. 『日本の町人とその倫理思想』。

  6. 張博「日本江戸時代前期における大衆文化の萌芽に関する研究」。

  7. 王向遠「浮世の草、好色に道あり――井原西鶴『好色物』の美的構造」。

  8. 高正「日本浮世絵版画の芸術美と文化的含意」。

  9. 索理「日本浮世絵の美的特徴と芸術的影響」。

  10. 「日本浮世絵における青の秘密」

  11. 王向遠「日本の美的概念『哀』『もののあはれ』『もののあはれを知る』の形成変遷と意味分析」。