
[伯夷は]ある村人と並んで立ったとき、その村人の冠が曲がっているのを見て、不満げに立ち去った。まるで自分まで汚されるかのように。(『孟子』公孫丑上。角括弧内は訳者補足)
(一)
上海に関わる日本のアニメ・漫画は、山ほどある。熱心な人たちが、すでに詳しい一覧も作っている。(「日本のアニメ・漫画における魔都・上海〈前編〉」、「日本のアニメ・漫画における魔都・上海〈後編〉」を参照。)ここではひとまず、その整理を借りて読者にお届けしよう。
漫画作品:
『王道の狗』(安彦良和)
『虹色のトロツキー』(安彦良和)
『龍―RON―』(村上もとか)
『YELLOW』(かわぐちかいじ)
『星間ブリッジ』(きゅっきゅぽん)
『蒼天の拳』
『南京路に花吹雪』
『上海丐人賊』
『1999年七の月~上海』
『上海異人娼館』
『李香蘭』
『Shang-hai 1945』
アニメ作品:
『閃光のナイトレイド』
『CANAAN』
『C』
これらの作品の多くが描くのは、近代(中国の歴史区分では1840~1949年)の上海である。描かれる上海像はさまざまだが、あえて最大公約数を求めるなら、村松梢風が生み出した「魔都」という語が最もふさわしいだろう。歴史に基づく作品(たとえば『虹色のトロツキー』)は言うまでもなく、ファンタジーやSFの色合いの濃い作品もまた、「魔」を上海像の基調としている。たとえば『閃光のナイトレイド』第1話は、冒頭から上海に「国際化」「繁栄」「混乱」というラベルを貼る。

実は、日本が上海という都市に関心を寄せてきた歴史は古く、上に挙げたアニメ・漫画よりもはるか以前にさかのぼる。近代(明治・大正・昭和初期)の日本の政治家、文学者、芸術家が抱いていた「上海への思い入れ」は、今日の「赤い上海」の現実を前に書かれた作品にうかがえるものとは、比べものにならないほど大きかった。先に述べた「魔都」という呼び名は、まさに『魔都』という本に由来するし、横光利一には、そのものずばり『上海』と題した小説さえある。中国のほかの都市に比べ、上海が日本人をより強く引きつけてきたことは、疑いようがない。
では、なぜ上海なのか?
(二)
アニメ・漫画も文芸作品の一部と考えるなら、近現代文学に現れる上海への思い入れには、ひとつの説明がつく。上海という異国の雰囲気を借りて、物語の舞台や設定を壮大に見せようとしているだけなのだ、と。ただし、商業上の必要だけから中国を背景に使う場合、物語と背景は大きく切り離されている。中国の風景を借りるハリウッド大作を見れば、それがわかる。上海は取るに足りない一要素にすぎず、今日、上海の街角で起きる話は、明日にはムンバイのスラムで起きてもかまわない。アメリカの観客にとって、神秘的な東洋には具体的な記号が必要で、その役をたまたま上海が担っているだけなのだ。

たとえ市場目当てでなくても、異国情緒を求め、意識的に自国から距離を取るために外国を舞台に選ぶのなら、その物語と舞台となる土地との結びつきは、初めから薄い。たとえば『天狼 Sirius the Jaeger』では、冒頭の戦闘が上海で起きる。上海が日本の物語を引きつけるのではない。日本の物語が上海を必要としているのだ。今日の日本の観客にとって、近代上海という舞台がもたらすのは、おおむね目新しさと刺激にすぎない。小籠包、お団子頭、豫園、外灘、大通り。特定の文化のラベルを貼られた「上海」は、こうして日本の観客の「世界」に居場所を得る。
しかし、近代の日本人の「上海への思い入れ」は、単に異国情緒を求めるものではなかった。まず、近代上海は、本当の意味で国際的な大都市だった。近代の著名な哲学者・倫理学者である和辻哲郎は、『原始基督教の文化史的意義』(1921~1922年)で、今日の英米文化が世界中を席巻するさまを、かつてヘレニズム・ローマ時代の古典文化が地中海世界に広まったさまになぞらえている。
欧風の衣食住が全世界にひろまり、英語は到るところで通用し、英米の流行唄は忽ちにして極東の街衢にさえも聞かれる。倫敦、紐育、上海という如き都市には、あらゆる民族が混在している。世界は一つである。1

李欧梵は「近代上海の世界主義」で、次のように書いている。2
私の立場は、レヴェンソンの解釈とは反対である。世界主義(コスモポリタニズム)が、絶えず「外を見る」好奇心を持ち、自らを中国と世界のほかの地域を結ぶ文化の仲介者と位置づけることを意味するなら、上海は間違いなく、1930年代に世界主義を最もよく体現していた都市の一つだった。西洋の旅行者たちは、上海をよく「東洋のパリ」と呼んだ。この呼び名に含まれる「オリエンタリズム」の意味合いを脇に置いても、いわゆる「東洋のパリ」という名は、上海の国際的な意義をなお過小評価している。それに、この呼び名は、西洋で広く抱かれているイメージに沿って、上海を欧米のほかの大都市と結びつけるものだ。だが実際には、アジアにおいて上海は、1923年の震災で破壊された東京に代わり、大都市を結ぶネットワークの中心となっていた。貿易、輸送、旅行に伴う海上の往来が、これらの都市を結びつけていたのである。別発書店(Kelly & Walsh)の支店網が示すとおり、その書籍の輸送ルートは、上海、香港、天津、横浜、シンガポール、ニューデリー、ムンバイという都市を緊密につないでいた。
グローバル化がますます進む2019年、「国際的大都市」という肩書きは、もう安売りされている。外資をいくらか呼び込み、外国人の専門家を何人か招き、外国人観光客を何組か迎えれば、大都市には遠く及ばない地方の小都市でさえ「国際化」を果たしたと自慢できる。だが、18世紀から19世紀への変わり目の東アジアでは、「国際化」はまったく違う意味を持っていた。3 そして上海の国際化も、日本の歴史の各時期で、それぞれ違う意味を持っていたのである。
幕末から明治初年にかけて、上海は西洋の知識が東へ伝わる中継地だった。高杉晋作をはじめとする無数の維新の志士たちは、翻訳された書物を通じて、あるいは自ら見聞きした物質文明を通じて、上海を介して初めて西洋文明に触れた。そして「アジア主義」の模索を始めた。その後の展開は、一言では語り尽くせない。
明治に入ると、近代的な国民国家の建設が新たな時代の潮流となった。上海は西洋文明への窓として、なお相応の称賛を受けていた。しかし、主権を失った半植民地であるという点では、日本の知識人の反面教師とされ、繰り返し批判を浴びた。とりわけ租界を離れ、上海県の旧来の市街地や、さらに広大な内陸部に足を踏み入れると、日本の知識人は、中国人の「文明」の程度はまだまだ引き上げる必要があると考えたのである。(たとえば芥川龍之介『支那游記』。)

ところが、日本の近代国家体制が整うにつれ、天皇制のもとに生きる日本人は、国民国家という形の「近代」の長所も弊害も身にしみて理解するようになった。隙間なく張り巡らされた制度は、人々を締めつける檻となった。しだいに「全体主義」へ向かう日本から逃れたいと切望した知識人は、そのとき上海を発見した。上海には、より本場に近い西洋文明があり、同時に日本にはない自由があった――混乱と自由は、もともと表裏一体なのだ。また上海には、あらゆる川を受け入れる海のような、「海納百川」の包容力があった。それは遠くからやって来た外国人だけでなく、よその土地から来た中国人にも向けられていた。(今日の上海が掲げる都市精神は、「海のようにあらゆる川を受け入れ、卓越を追い求め、開明的で英知に富み、度量が大きく謙虚で穏やかであること」だ。)
日本の知識人にとって、「東洋のパリ」「冒険家の楽園」としての上海は、グローバル化/国際化という形の近代を提示していた。そして第一次世界大戦後には、こちらのほうが明らかに「先進的」なあり方だった。それは、日本国内のいわゆる「大正デモクラシー」や「大正ロマン」に託された時代の要求と、まさしく合致していた。
ところが昭和に入ると、西洋への批判、あるいは「近代の超克」論がしだいに姿を現す。1928年に連載が始まった小説『上海』に目を向ければ、日本の知識人の立場の転換が見えてくる。この小説を、酒井直樹は次のように評している。4
植民地支配、階級、人種によって異なる主体の位置を、感覚の違いとして描き出すことに成功した……国民・民族への帰属は銀行口座のようなものだ……上海では、イギリス人、フランス人であることが最も高い預金残高を意味するのかもしれない。一方、オルガ(Orga)に代表されるような、革命以前のロシア人であることは、赤字を意味する。帝国主義の世界の序列は、むき出しなのだ。
横光の小説の語りにおいて、上海は複雑な緊張に満ちた都市として描かれる。そこは植民地支配のもとでさまざまな役割を担う人物たちが登場する舞台であり、彼らは社会的な序列、経済的な優位、人種や民族の違いに応じて、それぞれ異なる自尊心や羞恥心を示す。また、人種や民族への帰属は、別の人種や国民に属する人々と接するときの態度をも決めている。(李欧梵)
国際都市・上海は、その背後にある帝国主義の秩序を、しだいにあらわにしていく。表面に見える「自由」と「多様性」に満ちた国際性は、かつて大正の文人たちに讃えられていた。だが今やそれが、昭和の青年たちが欧米の罪を激しく糾弾する証拠となった。

そして1930年代に入ると、横光自身も転換を始めた。彼は世界主義の姿勢から退いていった。『上海』を書いていたころの関心は、帝国のナショナリズムと反植民地のナショナリズムがもたらす作用にあった。だが、その後の小説を見れば、横光がかつての前衛性を失ったことは明らかだ。彼は硬直した立場へ移り、日本のナショナリズムに文化の面からお墨付きを与えるようになった。日本の新たなナショナリストたちの目には、近代史における「ヨーロッパと極東の最初の戦い」であった五・三〇事件は、まったく別の意味を帯びていた。それは、西洋帝国主義に対抗するため、日本の主導でより大きな極東同盟を築く必要を示すものだったのである。(李欧梵)
しかし面白いことに、上海が陥落したあとの1937年12月、日本人は浦東に「上海市大道政府」を樹立した。「大道」は、「大道が行われるとき、天下は万人のものとなる」という『礼記』礼運の一節に由来する。日本人が中国人に代わって上海を支配するようになったあと、実現しようとした(ふりをした)のも、やはり一種の「世界主義」だった。ただしそれは、日本が主導する東洋式の世界主義だったのである。
(三)
「近代」への窓から、「近代」の新たなあり方へ、そして「近代」を超えるための実験場へ。日本人の上海像は、日本の歴史の歩みとともに変化してきた。異国情緒は、その一要素にすぎない。近代上海は、単なる遠い異国の都市ではなかった。日本人を引きつけたのは、西洋文明のきらびやかな装いだけではない。上海は、それぞれの時期に日本自身が抱えた問題に、東西の文明にまたがる答えを差し出した。上海は世界の鏡像であり、さらには世界そのものですらあった。昭和の有名な歌謡曲「上海航路」(西條八十作詞、松平晃歌唱)は、「あこがれの上海」と歌った。5 日本人が憧れた上海の歴史的な実像は、こういうものだったのかもしれない。
今日も、外灘の万国建築群は変わらずそこにある。しかし、半世紀にわたって「超然と独立」したのち、再び世界の舞台へ戻った上海は、もはや「東洋のパリ」の冠を戴いてはいない。上海を仰ぎ見て憧れる人々にとって、上海の魅力はその世界性にあるのか、それとも近代性にあるのか。上海は世界文明への窓なのか、それとも民族復興のしるしなのか。
かつては、東京から船出して上海へやって来る日本の知識人が後を絶たなかった。今日では、上海から出発して東京を飽かずに巡る観光客が数えきれないほどいる。前者が憧れた上海は、その多様性と自由ゆえに、「世界」としての意味を持つと考えられていた。後者が憧れる東京は、中国大陸よりも洗練され、細部まで行き届いた近代的な暮らしの手本と見なされている。両者は似て見えるが、実際には越えがたい隔たりがある。とはいえ、東京駅や横浜赤レンガ倉庫を褒めちぎる、日本に滞在する中国人の「学者」たちには、ひと言こう声をかけてもよさそうだ。暇があったら、たまには故郷にも帰ってみたらどうか。
講評
紅茶泡海苔:アニメ・漫画における魔都の表象という問題について、著者は近代文学からひとつの視点を紹介してくれた。ただ、近代文学の語りがアニメ・漫画とどうつながるのかについては、説得力のある説明がない。この点をもっと掘り下げてほしい。
静希:日本の文芸作品において、魔都はなかなか読み解きがいのあるイメージだ。著者はアニメ・漫画を導入に、日本の近現代文学における他者としての魔都を紹介している。とはいえ、やはりアニメ・漫画に即してもっと掘り下げてくれたらよかった。それに短すぎる。ここはひと言、文句を言っておきたい。
子默:題材からすれば、この記事はきわめて優れた比較文化研究になりえたはずだ。多くの作品において、上海は複雑な表情を見せる。『CANAAN』では自然発生的な犯罪組織が潜む、にぎやかな大都市であり、『鬼哭街』ではハイテクと武術が共存する「武侠パンク」の異郷である。これらの作品の「上海」は、伝統と近代、封建と進歩といった対立する記号が、曖昧に揺れ動きながら混じり合う場だ。そして、異質な他者を眺めるための「スペクタクル」として、「魔都」の名で消費文化に刻み込まれ、商品価値を持つステレオタイプの再生産をある程度後押ししている。著者が末尾で触れた、かつての日本人の上海への憧れと、今日の中国人の東京への憧れの違いは、引き続き掘り下げるに値する切り口だ。残念ながら、この記事は私たちに考えるきっかけを与えただけにとどまり、自ら提起した問題を、アニメ・漫画・ゲームの具体的な表現に即して分析してもいない。