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新番新語|『リズと青い鳥』:音楽を味わう、そしてあれこれ

題名に青い鳥の主体性を読み取り、『リズと青い鳥』冒頭八分間の音色、足音、画面構成を細かく読み解き、オーボエとフルートの合奏に表れる二人のずれを考える。

著者: Dusty Sky翻訳: 甚谁Bot[AI assisted] · 全文レビュー: 甚谁Bot[AI assisted] · 全文

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Dusty Sky

信じる心があなたの魔法

作曲家・牛尾憲輔の肖像と主な作品の年表
牛尾憲輔の作曲家としての歩み。『ピンポン THE ANIMATION』(2014年)、『映画 聲の形』(2016年)、『DEVILMAN crybaby』(2018年)、『リズと青い鳥』(2018年)。Anime Trending制作。

京アニの新作、『リズと青い鳥』。中国語ではふつう『莉兹与青鸟』と訳される。「莉兹」がリズ、「与」が「と」、「青鸟」が青い鳥だ。私はこの訳がとても好きだ。この訳では、青い鳥とリズが対等に並んでいる。ところが日本語の題を見ると、どうも少し重心が偏っているように感じる。仮名で書くと、その感じはいっそう強くなる。けれど映画を最後まで見て、さらにサウンドトラックをじっくり聴いてみると、題名の意味が少しわかった気がした。

私たちはふつう、青い鳥を幸福の象徴と捉える。そう見るなら、リズの決断は自分の幸福を拒むことにほかならない。青い鳥が別れを悲しんでいるとき、リズもきっとつらく、離れがたかったはずだ。だが、青い鳥が残るか去るかを決める権利は、リズにはない。この物語の核心は、青い鳥の考え、青い鳥の選択にある。それが物語の行方を決めるのだ。だからこそ、題名は青い鳥が主体であることを際立たせている。

しかし脚本家も、監督も、さらには音楽の作り手も、私たちにそう早く物語の核心を見つけさせるつもりはない。ほかの部分については、すでに多くの人が論じているだろう。ここでは音楽を中心に、映像と物語にも少し触れていきたい。

対談中の山田尚子と牛尾憲輔

冒頭の八分間は圧巻だ。

冒頭の八分間は圧巻だ。ここで流れる曲「物語の始まり」は、松田彬人の組曲『リズと青い鳥』の第三楽章「愛ゆえの決断」を編曲したものだ。組曲に比べると、この冒頭の曲は音の重なりがもっと豊かで、厚みがある。原曲にあった強烈な別れの悲しみが和らぎ、映像とあいまって、森での暮らしの静けさや安らぎがより強く伝わってくる。本筋ではなく、絵本の物語の雰囲気を引き立てるための曲ではある。だが、この曲を使った時点で、映画全体の基調は定まっている。どうしても一言で表すなら――明るい。

絵本の場面に描かれた、森の動物たちとリズ

私たちの見誤りは、校門をくぐる場面から始まる。

生徒が校門から入ってくる。ここで流れる「wind,glass,bluebird」は、プリペアド・ピアノ(弦に物を挟むなどして音色を変えたピアノ)の音で朝の空気をつくり出す。牛尾と松田では、音楽の作り方がはっきり違う。牛尾は旋律よりも音色で表現することを好む。プリペアド・ピアノについては、私はあまり詳しくない。人物の足音とプリペアド・ピアノの音色が組み合わさって、さほど複雑ではないが、聴きどころの多い曲になっている。この部分では、ひと続きの旋律を聴き取るのは難しい。希美に出会う前のみぞれの世界を象徴しているともいえる。たまに楽しいことはあっても、結局は静けさに戻っていく。それだけでなく、みぞれの胸の高鳴り、希美に会えることへの期待も、途切れ途切れに響く音楽からこぼれ出ている。

朝の学校へ続く道と校舎

希美がみぞれに近づくと、ピアノの旋律が加わり、すぐにマリンバが続く。みぞれの世界で希美がどれほど大きな意味を持つかを強調する一方、その軽やかな旋律そのものが私たちを惑わせ、希美こそ青い鳥なのだと思わせる。そして、みぞれが立ち上がって希美についていく、その瞬間、特徴的な高音域の単音が旋律に加わる。これがみぞれのパートだ。単調というほどではないが、変化は乏しい。牛尾はこのくだりで、ピアノからマリンバへと、そっと楽器を入れ替えている。音の粒がことさらに際立つこともなく、すべてがごく自然に生まれてきたかのように聞こえる。

屋外の階段付近で向かい合うみぞれと希美

希美がみぞれに、ほら、と声をかけると同時に、伴奏がすっと弱まり、曲にはマリンバとピアノの単音だけが残る。ここで音楽は、「君と私だけの世界」という主題を描き切る。リズムは単純だが旋律が豊かなマリンバのパートは、活発でのびのびして見える希美を表しているように思える。一方、単音で進むあのパートは、音の高さの変化には乏しいのに、リズムが独特だ。まるでみぞれのように。

桜の前を歩く希美と、その後ろを行くみぞれ

二人は校内へ入り、靴を履き替える。画面が無人の風景に切り替わり、二羽の青い鳥が横切ると、ピアノはたちまち沈黙する。その後、校内を歩いていく間にピアノと弦楽器が順に加わり、曲の色彩は再び豊かになる。目的地へと進んでいく二人の姿を描き出すためだ。ここまで来ると、たいていの人は錯覚するだろう。このまま音楽はさらに豊かになり、感情の頂点へと向かうのだ、と。

ところが階段でみぞれが顔を上げ、前を行く希美を見たとき、マリンバは止まり、弦楽器だけが残る。露出を上げて白く飛ばすように画面が切り替わり、みぞれの回想へと入っていく。旋律は重厚で、ゆったりとしている。ときおり聞こえる打楽器特有の音が、豊かな和音の中で小さく愛らしく響く。希美のすぐ後ろをついていき、その後ろ姿に見入る。みぞれの心の中でいちばん美しいのは、この光景なのだ。

画面が再び現実へ戻ると、ほかの打楽器も順に演奏へ加わる。少しずつ熱を帯びてきた感情は、しかし最後のプリペアド・ピアノの一音で、ぷつりと断ち切られる。同時に映像も、「disjoint」の文字が出た後で寄りの画に切り替わり、静けさを取り戻す。

プリペアド・ピアノの内部

「wind,glass,bluebird」のよさは、完璧な音色の使い方だけではない。映像に、さらには画面の中の音にまで、完璧に寄り添っている。足音、靴底がこすれる音、靴が床に落ちる音、扉を開ける音などが、どれも曲に独特の響きを添える楽器として扱われている。しかも、そのかなりの部分は拍にぴたりと重なっている1。音楽の流れが、人物の動きにも心の動きにも見事に合う。冒頭のこの数分だけで、『リズと青い鳥』は観客の感覚をしっかりとつかんでしまうのだ。

白い背景の中を飛び去る青い鳥
画像内の中国語字幕の意味:「最後にはリズのもとから飛び去ってしまった」。

冒頭で二人が音を合わせる場面も気になるところだ。合奏の前後の振る舞いも、合奏中の響きも、人物関係のかすかな変化を表すために使われている。

この合奏の前に、みぞれはゆっくりと希美に近づく。すると希美が突然立ち上がり、みぞれは明らかに驚いている。一瞬ぽかんとするが、反対はしない。希美が望んでいることだからだ。このときの合奏ではフルートが安定した演奏を聴かせる一方、オーボエは音色に厚みがないばかりか、音程にまで問題がある――オーボエの音程が低めにずれているのだ。このときのみぞれは、ただ希美に合わせて曲を吹き通しているだけで、自分の感情をほとんど表していない。単に「希美が一緒に演奏したがっている」から吹いている。オーボエの音からは、みぞれのおずおずとした様子や怯えさえ感じ取れる。

練習室の希美とみぞれ

合奏の前後の二人の動きには、興味深い細部が詰まっている。演奏が始まる前、みぞれはずっと希美から目を離さない。希美は第三楽章を合わせようと言い、そのまま一人でフルートの運指を確かめる。するとみぞれはすぐに楽譜をめくり始め、一枚ずつ、しばらくめくり続ける。ところが希美が楽譜をめくる音も、その姿も、いっこうに出てこない。見えるのは、一人でフルートを構えて音を確かめる希美だけだ。

みぞれが第三楽章を開くと、最初の「すれ違い」が起こる。多くの人が見落としてしまう細部だと思う。みぞれはまず希美を見るが、希美はみぞれを見ず、演奏に入る姿勢を取っている。それを見て、みぞれは顔を戻し、リードをくわえる。その後で希美が顔を向け、みぞれを見る。だが、みぞれは希美を見ず、演奏に入る姿勢を取っている。それを見て、希美は顔を戻して吹き始める。二人は演奏前に、一度も視線を交わしていない。「息が合っていない」。とても厳しい批評だが、事実でもある。このときの希美は青い鳥のように自由であり、同時にリズのように青い鳥の気持ちを顧みていない。

楽器を構え、互いに視線を合わせない希美とみぞれ

リズと青い鳥という比喩だけでなく、ここからはさらに面白いことも推測できる。希美は練習室に着くとすぐに楽譜を開き、卯田百合子への憧れをみぞれに語っていた~~(松田を持ち上げるにもほどがある)~~。一方、みぞれが楽譜を開いたのは、希美が一緒に演奏しようと言ってからだ。みぞれは自分から練習に取り組もうとはせず、むしろ消極的だ。おそらく、高校三年の二人にとって、これが最後の正式な合奏になるからだろう。この消極的な姿勢は、新山先生の問いかけでみぞれの見方が変わるまで続く。後のコンクールについての会話や、練習中の二人のクローズアップなどにも、練習に気が進まない様子が表れている。残念ながら、希美はみぞれのそんな様子にずっと気づいていないようだ。

私はふだん、タイトルが出るまでの部分を「冒頭」と呼んでいる。京アニはこの冒頭に力を注ぎ、膨大な情報を詰め込んだ。その後の展開はすべて、冒頭で投げかけた問いを、冒頭で定めた基調の中で考え、解いていくものだといっていい。二人の立ち位置の「ずれ」と、視線にも表れる「すれ違い」。後者はよくあるが、前者は少し捉えにくい。この二つの問題を、一本の映画の時間ですべて解決するのは、決して簡単なことではない。うれしいことに、京アニはここで、納得のいく答えを出してくれた。

本文終わり
注01

注釈

  1. 牛尾憲輔のインタビューでの発言。出典は「牛尾憲輔『リズと青い鳥』北米公開インタビュー」(著者:Gracie、中国語訳:石立太一)。

    「そして音楽は、目立たず、ひそやかに、少女たちの周りの空気をつくり出さなければなりません。すべてをもっと現実味のあるものにするために、私たちはある高校で音の素材を録りました。椅子をたたく音、窓をこする音、それにビーカーをぶつけ合う音まで! そうした物音も含めて録り、曲のあちこちに散りばめたんです。皆さんには、教室の窓やビーカーになったつもりで、そっと傍らから少女たちを見ていてほしい。それこそが、私のつくりたかった感じなのです……」

    「でも、この映画では山田監督と私が一緒に、どこに、どんな音楽をつけるかを決めました……」

    本稿のピアノの写真、山田・牛尾の写真も同インタビューより。 ↑

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