
はじめに:アイドルとは何か?
女性アイドルについて語る前に、まず「アイドル」とは何かをはっきりさせなければならない。とはいえ、アイドルを正確に定義するのは難しい。ウィキペディアは「成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物」としている。宇野常寛もこれに強く賛同し、歌や演技がうまいことは必須ではなく、ファンがその人の成長過程を共有し、存在そのものを応援するのだと強調する。定義上は「人気者」としかいえない、というわけだ。しかし、これではいくつか問題が生じる。何より、ファンが成長過程を共有するというのは、どう測ればいいのだろう。とりわけ、演技を本業とする、いまの正統派の俳優を考えると難しい。綾瀬はるかや新垣結衣も、若手女優から成功した女優へと成長した。その過程をファンが共有していなかったとはいえないのに、誰も彼女たちをアイドルとは見なさない。人気を基準にするなら、なおさら定義として妥当ではない。日経のタレントランキングでいつも上位にいるのは、前田敦子のようなアイドルではなく、綾瀬はるか、新垣結衣、北川景子といった俳優たちだ。同じく、「電通ランキング」でも、DREAMS COME TRUEや山口智子のような正統派の歌手や俳優が上位を占める。人気で見ても、アイドルは正統派の歌手に及ばないのである。

図中の女優名は、番号順に、①仲間由紀恵、②松嶋菜々子、③柴咲コウ、④上戸彩、⑤竹内結子、⑥藤原紀香、⑦篠原涼子、⑧伊東美咲、⑨黒木瞳、⑩菅野美穂、⑪観月ありさ、⑫天海祐希、⑬新垣結衣、⑭小雪、⑮長澤まさみ、⑯吉永小百合、⑰山口智子、⑱井上真央、⑲深津絵里、⑳松たか子、㉑宮崎あおい、㉒広末涼子、㉓綾瀬はるか、㉔真矢ミキ、㉕米倉涼子、㉖堀北真希、㉗常盤貴子。

この問題については、以前「日本の女性アイドルの転換」で分析した。1990年代、日本の女性アイドルのあり方が変わった。それまで活躍していたアイドルは正統派の歌手や俳優となり、その後のアイドルは手の届く身近さや成長を見守ることを重視するようになった。そこからモーニング娘。やAKB48が生まれる。宇野常寛の議論もこれを裏づけている。宇野はアイドル現象が拡散したと捉え、90年代以前のアイドルのあり方を、主流の俳優や歌手たちが取り入れたとする。だから、松田聖子と前田敦子は明らかに同じ土俵にいるわけではない。ひとまとめに「人気が高い」で定義するのは、妥当ではない。
これに関連して、ガルブレイスの『AKB48』に、もっと適切な定義の仕方を見つけた。著者はこう述べている。
Idols encourage intertextual and intimate media engagement across platforms, contexts, and venues.
大意はこうだ。アイドルは、プラットフォームや環境、場所をまたぐメディア上の交流を促す。アイドルの根本的な特徴の一つは、さまざまなプラットフォームで幅広く活動することにある。テレビドラマ、ライブ公演、インターネットのSHOWROOM、雑誌の表紙、CM撮影、さらにはバラエティ番組まで、彼女たちを見かけない場所はない。そして肝心なのは、こうした複数のメディアにまたがる交流によって、アイドルとしての人物像を築くことだ。複数のメディアを横断して活動するアイドルの姿や表現は、つねにほかの出演や表現を参照する意味とコードの体系の中で読み取られる。こうした間テクスト性(intertextual)が受け手を引きつけ、その関わりを促すことで、日本のメディア構造を支えているのである。これは正統派の歌手や俳優にはない特徴だ。彼女たちもテレビに出るが、たいていは番組や楽曲の宣伝のためである。分業が進み、アイドルではない歌手と俳優の接点も減っている。ライブもでき、ドラマにも出られる非アイドルの芸能人は多くない。
なかでも、女性アイドルの成功の鍵を握るのはテレビだ。テレビというメディアは、家庭の中で生まれる親密さによって特徴づけられる。テレビを見る状況そのものが、アイドルのような公の人物を、家族と同じくらい身近な存在にする。テレビは、その人物の映し方と露出の多さによって親密さを作り出す。こうして有名人との親密さを味わう体験は、メディア越しの覗き見という形を取る。クローズアップは距離をさらに縮め、高精細のデジタル放送が導入されれば、その親密さはいっそう増す。デジタルテレビの鮮明さと細部の表現は、顔の隅々までじっくり読み取れるほどのリアルな映像を生む。芸能人はテレビによって視聴者との親密さを大きく高め、多くのファンを獲得できる。日本のアイドルは、日本の強力な宣伝メディアに支えられて生まれたといっていい。
1. 1970年代:アイドルの登場
アイドルの誕生は、日本でのテレビ普及と切り離せない。1964年の東京オリンピックをきっかけに、戦後の急速な経済成長もあって、70年代にはテレビがほぼ行き渡った。これは日本のメディアにとって大きな転換だった。一方、1960年代の日本は、新左翼運動が最も激しかった時代でもある。海の向こうの大衆に刺激を受け、全共闘から反安保闘争まで運動に取り組んだ人々は、自分たちには現実を何も変えられないのではないかと気づく。それは、この人々に大きな心理的打撃を与えた。たとえば、偉大なバンド、はっぴいえんどが当時書いた曲には、政治的な感覚も、特定の集団への帰属意識も、生活の実感もない。そこには積極的な意味を何も持たない、がらんとした「風景」だけがある。このとき「政治の時代」も終わり、人々は「世界を変える」ことから「自分を変える」ことへと向かった。それは消費社会の到来を告げるものだった。政治が生活の中心から退いたあとに残った穴を埋めるには、新しい文化、とりわけ消費主義に結びつく文化が必要になる。かつてフォークで社会を批判していた吉田拓郎は、ヒット曲を書いて稼ぐようになり、歌は自己の価値を讃えるようになった。

毛利嘉孝は、1960年代末から70年代初めに、日本が「ポストフォーディズム」の時代に入ったとも指摘している。一方では、大規模な工業製品の生産を担う第二次産業の比重が下がり、金融などの第三次産業で働く人が増えた。他方では、池田勇人の経済発展計画が成長を押し進めるなか、新しい中産階級が次第に形成された。ポストフォーディズムのもとでは、労働者が柔軟に働くことで、市場の変化に対応する。大量生産・大量消費が終わり、少量生産・少量消費が始まる時代であり、製品も画一的なものから多様なものへと変わり始める。このとき、労働と「余暇」の境界は曖昧になり、日常生活も生産の一部に組み込まれた。知識や感情、コミュニケーションを生み出す非物質的労働では、自分らしさや個人の価値を求めるといった私的な事柄も、追求すべきものと見なされるようになった。この体制のもとで「個人の価値」や「自己の追求」という概念が導入された。ポストフォーディズムのもとでは、労働力の同質性が求められるとともに、個性や創造性を積極的に発揮することも求められる。映画の時代には少数のスーパースターがいたのに対し、人々はそれぞれ異なる個性を持つ、多様な芸能人を求め始めた。これがアイドルの流行を支える考え方の土台になった。

1970年以前を代表する女優や女性歌手、たとえば田中絹代、原節子、美空ひばりは、映画やレコードによってファンと影響力を広げ、正統派の歌手・俳優として尊敬されていた。だが、この形で音楽を届けるには多少の時間差があり、映画では映像の量も十分ではない。映画は長くても150分ほどで、一年に何本見られるだろう。それに比べてテレビは即時性を確保しながら、十分な映像を積み重ねられる。ドラマは一話45分、一作品11話として、一年を通して各季節に一本ずつ見れば、45×11×4分の映像に触れる。しかも、バラエティ番組もある。ここから第一世代の女性アイドルが生まれた。重視されたのは、成熟した演技や卓越した歌唱力ではなく、テレビに映る外見だった。彼女たちのポップミュージックは、視覚を中心に据えることが売りだったのである。その代表が、1971年にデビューした「元祖アイドル」、南沙織だ。「青春アイドル」と呼ばれた南沙織は、「17才」などのヒット曲を歌うだけでなく、頻繁にメディアに登場した。どこに行ってもファンがついてきた。ここにはアイドル最大の特徴が表れている。メディアへの露出が多いこと。褐色の肌と長い黒髪という外見で知られ、若々しい魅力で好かれること。そして、強いファン動員力でテレビ局と事務所を大儲けさせることだ。
当然、こうした女性アイドルは、デビューすれば大手事務所と契約せざるをえない。大手事務所は、テレビの出演枠などの配分に強い発言力を持つからだ。しかも、大手事務所は、より高度な芸術を追求しているわけではない。大スターであっても、演技が下手で、歌が下手で、ダンスがおぼつかなくてもかまわない。新人の誰を売り出すか決めるときも、生まれつきの才能や後から身につけた技能――力強い声、巧みなダンス、演技力――はとくに重視しない。企業の宣伝こそが最も儲かる仕事であり、こうした才能や技能は、その仕事に間接的にしか結びつかないからだ。歌手があくまで歌手である場合、宣伝の仕事はむしろ評判を損ねかねない。とりわけ、出演する広告と作品の核にあるものが食い違うときはそうだ。その歌手に惹かれるのも、名声そのものではなく、音楽をはじめとする表現活動に直接関心を持つ限られた人々にとどまる。才能あるパフォーマーが、幅広い人々を満足させる「きれいな顔」であるとは限らないのである。
同じ1971年、テレビ番組『スター誕生!』からもアイドルが生み出されるようになった。参加者が制作者の前で歌い、アイドルになるチャンスを得るオーディション番組だ。これも、テレビが大きく広がった結果である。1972年、13歳の山口百恵は、はがきでこの番組に応募した。結果は二位だったが、それでもプロのアイドルとしてデビューする。山口百恵のスタイルには、少し「不良」っぽさがあった。デビューはわずか13歳、引退時でさえ21歳だったが、大人びた顔立ちと低い声が年齢と大きなギャップを生み、大いに人気を集めた。主演した「赤いシリーズ」のうち『赤い絆』は視聴率29.5%を記録し、女性主演ドラマの歴代二位となった。同じ1973年にデビューし、同い年で、ともに中学三年生だった森昌子、桜田淳子と合わせて「花の中三トリオ」と呼ばれた。

山口百恵の台頭とともに、アイドルを作り、売り出し、そこから利益を得る産業が一つ丸ごと生まれた。推計では、1975年までに日本で約700人の新人アイドルがデビューし、「アイドルブーム」と呼ばれるようになった。南沙織や山口百恵のほかに、とくに代表的だった二つのグループがピンク・レディーとキャンディーズである。どちらも全盛期には無数のファンを抱え、レコードも飛ぶように売れた。ピンク・レディーは、同じ年にシングル、アルバム、売上額の三冠を手にした数少ない歌手の一組であり、当時の爆発的な人気がわかる。山口百恵と比べると、こうした草創期のグループは、なお歌手としての側面を重視していた。曲を書くのも、谷村新司のようなフォーク歌手や、宇崎竜童のような従来の歌謡曲の作曲家だった。ただ、この時代の女性アイドルの活動期間は、いずれも驚くほど短い。たとえば花の中三トリオの山口百恵は、桜田淳子と同じく結婚後の引退を選んだ。それが、あの時代の女性アイドルの宿命だった。キャンディーズの伊藤蘭のように、母となった70年代のアイドルが再デビューできるようになったのは、ここ数年のことだ。今年、2023年にはついに紅白歌合戦にも出場する。
しかし同じころ、松任谷由実を代表とするニューミュージックの歌手たちも世に出始めていた。彼らはやがて、アイドルだけでなく日本の音楽界全体のスタイルを変えることになる。80年代のシティポップを作り上げたのは、彼らだった。
2. 1980年代:アイドルの成熟とブーム
1980年代といえば、よく知られるバブル経済の時代だ。バブル経済とは何で、どのようなものだったかは、ここでは繰り返さない。日本の黄金期であり、「一億総中流」の夢はほぼ実現していた。経済は急成長し、企業は大いに栄え、日本人は将来をきわめて楽観していた。しかし文化の変化は遅れてやってくる。そのため、バブル期の日本は本質的には「依然として貧しい」ままで、戦後の「根源的な貧困」を引きずっていた。人々が輸入品を買いあさる喜びも、豊かさの幻にすぎず、90年代の日本社会を覆う寂寥とした空気の伏線となった。

この時代は、女性アイドル産業が急速に発展した時期でもある。テレビはすでに圧倒的な主流メディアとなり、テレビアイドルが次々に現れた。その幕開けが1980年デビューの松田聖子であり、彼女は80年代で最も偉大な女性アイドルの一人でもある。「大人ぶる」山口百恵に対し――ちなみに、この二人は同じ画面に映ったこともある――松田聖子が見せたのは、明るく晴れやかで、それでいて「ぶりっ子」めいた少女の振る舞いだった。声も実に澄んでいて、よく伸びた。空虚だが金はある80年代に、このスタイルは大いに受け、一時は日本でいちばん人気のあるアイドルになった。その後に続くのが、1982年にデビューした小泉今日子と薬師丸ひろ子だ。この二人の最大の特徴は、テレビと映画をそれぞれ代表するアイドルとして、真っ向から対抗したことにある。小泉今日子は松田聖子型のテレビアイドルの道を歩み、薬師丸ひろ子は、角川映画が送り出す映画アイドルとしてこれに対抗した。二人とも日本で高い人気を得て、薬師丸ひろ子は、主演映画のうち実績を挙げた作品が7本を数え、その本数は女優として歴代一位である。同じ1982年デビューの女性アイドルのうち、最も有名なのは間違いなく中森明菜だ。松田聖子と比べると、低い声で豊かな感情を語るそのスタイルは、山口百恵に近い。全盛期には松田聖子と競い合い、「聖子・明菜対決」と呼ばれた。

この四人が革命的だったのは、楽曲が歌謡曲のスタイルをほぼ脱し、シティポップ、あるいはニューミュージックへと近づいた点にある。ニューミュージックを代表する松任谷由実や竹内まりやは、松田聖子、薬師丸ひろ子、中森明菜に曲を提供した。ニューミュージックの偉大な作詞家、松本隆や、のちに日本中を揺さぶることになる秋元康は、松田聖子、薬師丸ひろ子、小泉今日子の詞を書き、松任谷正隆などの編曲家も加わった。この世代から、J-POPが本格的にアイドルソングの中心になったといっていい。歌詞の中心にあるのは、恋愛など、暮らしの中の感情をめぐる浅薄な回想や語りだ。その意味では70年代の歌の延長だが、変化もあった。とくに作曲と編曲では、都市生活を体現するピアノや、ヨーロッパで流行していた電子楽器が重要になった。
また、彼女たちは先輩たちよりも活動期間が長く、その分、キャリアの転換も考えなければならなかった。松田聖子は1982年以降、「赤いスイートピー」を通じて成熟した一面を見せ、女性ファンを獲得し始め、のちには自ら作詞作曲するシンガーソングライターへ転身した。中森明菜も金屏風事件のあとに転換を図った。小泉今日子は完全に主流の俳優となり、キネマ旬報の主演女優賞まで受賞している。
こうした代表的な女性アイドルの動向だけでなく、バブル期には日本人の世界を見る目も変わった。戦後初期のアメリカへの憧れは別の心理へと変わり、内と外、自己と他者、日本とアメリカ、さらには国家とグローバルな世界の間にずれが生じた。日本文化は西洋風のものや異国情緒のある要素を大量に取り入れ始めたが、これは単なる取り入れではなく、アイデンティティのずれでもあった。日本人は「日本」を他者と見なし、外国人観光客の目で自分たちのスタイルを眺め、虚構の自己で文化の空虚を埋めた。最も代表的なのがYMOだ。外に向けてアジアの文化を輸出し、内に向けては西洋での名声を足がかりに、自分たちを舶来品にした。
同じころ、欧米で一世を風靡したディスコが日本に持ち込まれ、アイドル、ひいては日本の音楽に新しい道を示した。ディスコで踊られる曲で人気をつかむ、という道だ。この点で最も代表的なアイドルは、荻野目洋子をおいてほかにいない。強いダンスミュージック色を持つ彼女の曲は、外国人になったつもりの日本の若者がディスコで夜通し踊るのにぴったりだった。ディスコとダンスミュージックは、和声の面でも日本の音楽を大きく変えた。以後、ユーロビートに由来する「4536」、いわゆる王道進行が主流のコード進行となり、小室進行もダンスミュージックの影響を受けた。のちのAKB48の代表曲「ヘビーローテーション」や「恋するフォーチュンクッキー」も、このディスコの系譜にある。こうした曲は、基本的に誰が歌っても気分が乗る。すぐにその雰囲気に入り込み、元の歌い手に自分を重ねられるのが特徴だ。それだけに、作り手にはメロディーと編曲を練り上げることが求められる。

80年代半ばに現れた異色のアイドルが、秋元康のプロデュースしたおニャン子クラブである。一般にAKB48の先駆けと見なされ、実際、いくつかの点で連続している。スキャンダルを話題づくりに利用することや、露骨に男性に媚びることがそうだ。おニャン子クラブの代表曲「セーラー服を脱がさないで」は、高部知子のスキャンダルをネタにしたものだった。成長を見守る育成型の要素や、卒業のある大人数グループという仕組みも、AKB48に受け継がれた。
しかし、最大の違いは、AKB48が握手会と公演を糧とするライブアイドルなのに対し、おニャン子クラブはテレビアイドルだったことだ。おニャン子クラブは、当時人気だったテレビ番組の作り方をより多く取り入れた。たとえば、バラエティやグループ生活の「舞台裏」を見せる手法である。これはバブル期のテレビ、とくにフジテレビが視聴者を惹きつけるために用いた技法だった。おニャン子クラブのアイドルは「リアル」な人間として映し出され、その生活経験はスターよりも視聴者に近かった。成功するメンバーは、才能ではなく努力と粘り強さでファンの支持を勝ち取る。「素人」の姿から出発し、それぞれのキャラクターを作っていく舞台裏を意識的に見せることで、ファンを「アイドルづくりに参加する」立場に置いた。
同じくらい重要なのは、メンバーの位置づけである。おニャン子クラブは、ほかのメンバーと比べながらアイドルを見る場となり、各メンバーはスポットライトを浴びる短い時間に支持を求める。この方式は、特定のメンバーを中心にファンが組織されることを促した。ファンには成人男性が多く、そのことが、メンバーごとにファンがまとまり、支持を競い合う動きをさらに強めた。多くのメンバーは平凡だからこそ親しみやすく、立場は不安定で、支えを必要とする。こうして、おニャン子クラブは、競い合うアイドルとファン集団の集合体になった。これは以前のアイドルとは根本的に違う。ファンとアイドルの感情的な結びつきから、直接売上を引き出すのである。全盛期には大変な人気を誇ったが、最後はグループ内の規律の問題で人気が急落した。秋元康もその教訓から、AKB48には厳しい規律を課す方針を取った。

80年代前半のアイドルに続いて、とくに有名なのが「アイドル四天王」――工藤静香、中山美穂、浅香唯、南野陽子だ。工藤静香と中山美穂の実績は、あとの二人を明らかに上回る。工藤静香は歌手寄りのアイドルで、中島みゆきや後藤次利が作詞作曲を担った。中山美穂は俳優と歌手の両方に力を注ぎ、初期にはドラマの高視聴率を支える「視聴率女王」だった。南野陽子と浅香唯は、90年代に入るとぱったり姿を見せなくなった。主な理由は所属事務所とのトラブルで干されたことにある。日本では大手事務所の力が非常に強い。そこに所属する従来型のアイドルは、事務所と揉めれば干されるしかなかった。

四天王が活躍したのは、アイドル黄金時代の黄昏だった。同時期の森高千里やWinkなどと同じく、彼女たちを待っていたのは90年代前半のアイドル冬の時代である。
3. 1990年代:アイドル冬の時代と転換
すでに述べたように、アイドルのあり方が変わる一方で、日本人は次々に現れるアイドルに飽き、「アイドル」への関心を失って、もっと「リアル」なものを求めるようになった。こうして日本のアイドルは凋落し始める。1990〜1993年はBeing系とバンドのブームで、B’zやZARDなどのロックバンドがオリコンチャートの上位を占めた。90年代はバブル経済が崩壊した時代でもある。ただし、バブル期の文化的な繁栄はその後も続き、1998年には音楽ソフトの売上額が過去最高に達した。政治や経済の周期に比べ、文化が変わる周期は長い。そのため、バブル経済のもたらした文化の繁栄は90年代末まで続いたのだ。
一方、田中秀臣は、90年代の日本でアイドルが発展した時期と経済危機の時期は、大きく重なっていると指摘する。経済危機で就業率が下がると、職の見つからない女性はアイドルとして成功する機会を求めるようになる。そうした女性たちにとって、アイドルは憧れの職業であると同時に心の支えでもあり、暮らしに癒やしを与える。たとえばSPEEDが名を上げたのは1997年で、アジア通貨危機が日本経済に巨額の不良債権を残した時期だった。のちのモーニング娘。やAKB48の成功も、不況下のデフレ文化と関わっている。

90年代前半、歌手としてのアイドルはシンガーソングライターに圧倒されていたが、俳優やモデル出身のアイドルは依然として活躍していた。とくに90年代は、テレビ視聴率と雑誌の発行部数がピークを迎えた時期だ。たとえば「3M」と呼ばれた、俳優・モデル系のアイドル、宮沢りえ、観月ありさ、牧瀬里穂がいる。宮沢はのちに演技派女優となり、観月は日本の女優のなかで主演ドラマの本数が最も多いアイドルになった。ただ、先輩たちと比べると、この三人の歌唱力はひどいものだった。音楽の代表作はほとんどないとさえいえる。私たちがいま思い浮かべる俳優と、すでに大差のない存在だったのだ。

90年代には雑誌の売上も徐々に伸び、俳優を兼ねるアイドルとは別に、雑誌や広告を主な活動の場とするモデル系アイドルも生まれた。彼女たちは俳優や歌手と同じ土俵で競うのではなく、雑誌のモデルとして稼ぎ、商品の広告にも出た。日本ではもともと、広告に誰を起用するかは知名度より外見で決まることが多く、多くの商品は俳優ではなくモデルを起用していた。しかし、90年代末に日本の文化産業の繁栄が終わると、こうしたモデルたちも下り坂に向かい始めた。
もちろん、SMAPなどの男性アイドルがバラエティ番組に進出し、さらにはそれを活動の中心にするようになった影響で、森口博子などの女性アイドルもバラエティへと軸足を移した。のちのモーニング娘。の保田圭や、AKB48の野呂佳代、指原莉乃も、この道を進んでいる。番組のフリートークに加わり、はしゃいだり、じゃれ合ったりして視聴者を楽しませるのが、主な仕事だ。
90年代後半になると、アイドル復活の兆しが見えてきた。テレビ局は90年代に音楽番組を減らし始めており、多くのミュージシャンは、露出を保つには音楽以外の番組にもゲスト出演しなければならないと気づいた。これは結果的に音楽市場の売上の増加や音楽の多様化にはプラスになったが、こうした好みの変化は従来の歌手の商売の仕方を脅かした。普通のバンドは、アイドルのグループほどには、メディアへの大量露出や商品宣伝に向いていなかったからだ。アイドル産業は、より「リアル」なスタイルを取り入れ、観客を取り戻そうとした。Being系が下り坂に入るのと並行して、小室哲哉系の歌手やアイドルが台頭する。ここでのアイドルは、歌とダンスを中心とする芸能人だった。
ただし、90年代のアイドルは、すでにそれまでとは違っていた。最も代表的なのはSPEEDであり、広い意味では安室奈美恵やMAXも含められる。いずれも沖縄出身の女性アイドルで、80年代のように演技も歌もこなすのではなく、ほぼ歌手に専念していた。アイドルと見なされる安室奈美恵が成功したのは、女性ファンに「かっこいい」と感じさせたことが大きい。言い換えれば、楽曲そのものより、自らの生きてきた道や外見でファンを惹きつけたのだ。安室を代表とする沖縄ブームは、戦後の強大なアメリカに対する日本人の幻想も映し出している。とりわけ沖縄は、米軍が駐留する、アメリカに非常に近い土地だった。また、四人組のSPEEDの成功には、山口百恵のように、幼いながらも大人びた姿を見せるという要素があった。あどけなさを残しながら、激しい曲を歌っていたのである。他方、浜崎あゆみはシンガーソングライターでありながら、一般にいうアイドルに近い。若いころには演技の経験があり、全盛期にはファッションの先頭を走った。音楽以外のさまざまなメディアへの出演が相乗効果を生み、大人気になった点で、ほとんどコンサートを開かず、テレビにもあまり出ない宇多田ヒカルとは鮮やかな対照をなしている。

浜崎あゆみより少し遅れて登場した広末涼子は、ソロで名を上げた最後の古典的な女性アイドルである。演技でも歌でもなかなかの力を見せ、両方をバランスよくこなした。宇野常寛は、90年代にテレビの歌番組から頭角を現し、その後女優へと成長した例として、広末ならかろうじて挙げられるとしている。90年代後半には「広末ブーム」を巻き起こし、きわめて高い人気と知名度を獲得した。
4. 2000年代:インターネットとオタクの主流化
1995年、Windows 95が日本に入ってきたことが、インターネット時代の始まりとなった。21世紀に入ると、利用者は総人口の半数を超える。インターネットが日本にもたらした最大の変化は、情報の量が以前よりはるかに増えたことだ。誰もが情報の作り手となり、好みや選択はますます多様化した。アイドルがかつてのような国民的人気を得るのは、難しくなる一方だった。これは実際、モデル系アイドルの衰退につながった。一般層に広がる彼女たちの人気が低下するなか、広告主は売上を確保するため、熱心な固定ファンの多い俳優を選ぶようになったからだ。雑誌も、人気のある俳優やAKB48のアイドルを好んで起用した。彼女たちが出れば売上が大きく伸びるため、グラビアアイドルの仕事は次々と奪われていった。後年の乃木坂46を見ても、写真集は数十万部がたやすく売れる。ファンが重視するのはアイドル本人であって、実際にどんな顔立ちなのか、モデルに向いているのかではない。
2000年代のもう一つの重要な変化は、ライブがますます重視されるようになったことだ。CDを中心とする音楽ソフトの市場は1998年にピークを迎え、その後は年々縮小し、いまでは配信を含めても3,000億円前後に落ち着いている。その一方で、ライブの収入は徐々に増えている。この転換の根底にあるのは、インターネット時代には誰もが情報の発信者になるということだ。それによって、普通の人が音楽に関わる方法が根本から変わった。観客は自分を単なる受け手ではなく、舞台上の演者と捉えるようになり、演者と同じようにパフォーマンスに参加したいと思うようになった。これが音楽ライブ市場を大きく広げた。


21世紀のもう一つの注目点は、オタクが次第に社会の主流になったことだ。バブル景気に沸く80年代、オタクはまだ社会の周縁にいて、中心にあった渋谷系のスタイルとは対照的だった。とくに宮崎勤の連続幼女誘拐殺人事件は、オタクのイメージを大きく傷つけた。オタクは長い間、「社会が間違っているから参加しない」「間違った社会に参加すれば他人を傷つけるから、何もしない」という態度にとどまっていた。
しかし21世紀に入ると、ポストモダン状況の本質ともいえる構造が、ついに露わになる。90年代には、従来のシステムが通用しなくなった衝撃の陰に隠れていた構造だ。つまり、歴史や国家という「大きな物語」に根拠を求められず、本質的には根拠のない「小さな物語」のなかから、自分の価値の核となるものを選ぶしかない。人々は、その選択の責任も自分で引き受けなければならなくなった。引きこもっていては殺される、だから自分の力で必死に生き残らなければならない、といった、ある種の「決断主義」に傾く「サヴァイヴ感」を帯びた作品が、2000年代前半から半ばにかけて流行の主流となる。
また、それまで自己の内面に沈み込んでいた「セカイ系」の漫画は、次第に「日常系」に取って代わられた。日常系の漫画が重視するのは「いま、ここ」の理想だ。オタクは、大きな物語を拒み、自分の生活に目を向けるという特徴を保ちながらも、積極的に社会と関わるようになった。その数も増え、次第に社会の主流を占めるようになる。この巨大な集団が、AKB48のファン層の基盤となり、飛躍を支えることになる。
アイドルは、日本の若い女性にとって、急速に憧れの存在、お手本とする存在になりつつある。これは70年代以来のアイドル文化の一面だが、その傾向は以前よりもいっそう強まっているように見える。アイドルとして活動を始めやすくなり、高等教育機関の支援さえ受けるようになった。こうしたことが、21世紀のアイドル産業の拡大を加速させた。Perfumeや満島ひかりも、最初はアイドルとしてデビューした芸能人だ。東京をはじめ各地の地下アイドルも活発に活動している。こうした歌い手のなかで、最も代表的なのがAKB48とモーニング娘。である。
モーニング娘。は、90年代末、アイドルが復興しつつある一方で日本経済が低迷していた時期にデビューした女性アイドルグループだ。シャ乱Qのボーカル、つんく♂がプロデュースした。モーニング娘。は、それまでの日本のアイドルの経験を生かしながら、ファンとの関係を築いた。まず、初期メンバーは街頭で自分たちのCDを売った。これによってアイドルが街の人々に近づき、その経験から多くの草の根の支持を得た。さまざまな形で観客と接することで口コミを生み、ファンとの交流や応援の呼びかけが、物語の中心になった。また、幼く、脅威を感じさせない少女というイメージで、90年代の経済・社会の動揺に心を傷つけられた男性たちを惹きつけた。癒やし系アイドルの代表である。曲は社会を励まし、歌うのは「自分の物語」ではなく「社会の物語」だった。そのため、あらゆる年齢層に受け入れられた。また、おニャン子クラブと同じく、オーディションの全過程をテレビで見せながら、舞台裏は半分だけを見せることで、視聴者の興味を引きつけた。

AKB48の登場は、日本のアイドルの発展を最も象徴する出来事といっていい。「会いに行けるアイドル」としての三本柱は、公演、握手会、総選挙だ。つまるところ、アイドルとファンの感情的な結びつきを収益に変える「情動経済」、いわば「心の消費」によって、秋葉原のオタクを癒やして稼ぐのである。
AKB48は、秋葉原のAKB48劇場で日常的に公演を行っている。劇場は小さく、柱が視界を遮るものの、その構造はファンを育てるのに役立っている。一度にライブを見られる人数は少なく、観客席と舞台は近い。最前列から舞台までの距離はわずか二メートルしかない。二本の大きな柱は一部の観客の視界を遮るが、それだけに、限られた視界に入ってくるアイドルに注目させる効果もある。要するに、劇場は親密な空間であり、同じ場にいるという強い実感をもたらす。公演でアイドルと顔を合わせると、「一目ぼれ」に似た幻想的な体験が生まれる。秋元康が書く公演曲には、人気メンバーがソロやデュエットで歌う短い部分が用意され、ファンは名前を叫び、応援を示せる。公演中のトークも、メンバーをもっと知り、その話に大声で応える大切な機会になる。AKB48の舞台公演は、観客が次第にライブを見に行くようになった流れの産物でもある。ファンは公演に深く参加し、自分も演者であるかのように体験できる。
こうした公演の発想には、歴史的な基盤がないわけではない。宝塚と、日本の舞台の伝統である。宝塚が舞台に惹きつけようとしたのは、阪急沿線に住み、歌劇などの文化活動を好む、中流以上の観客だった。最初からこの限られた層に狙いを絞り、折に触れて舞台を見に来る人々を、忠実な固定客としてつかんだ。一方、AKB48が狙ったのは秋葉原のオタクだ。当初、彼らは主流文化に近すぎるアイドルを好まなかった。しかし、繰り返し公演を見に来て、インターネットで感想を書き、話題を盛り上げていく。その結果、AKB48は熱心な固定ファンを確保しながら、影響力を広げ続けた。劇場のチケットもオタクが無理なく買える安さで、不況のなかでも公演を見に行くことができた。

公演に加え、握手会も情動経済の重要な要素だ。外見についていえば、かわいさは日本のアイドルの基本だ。1970年代、日本でかわいさがメディアと消費文化の現象として広がった。同じ時代に登場したアイドルは、多くの少女や女性のお手本になった。社会の中でうまく大人へと成長しながら、人々にかわいがられる人物になること。その象徴がアイドルなのである。雑誌やテレビでは、その時代の若者の理想として紹介され、暮らし方やファッションの情報を運ぶ存在でもある。モデル、歌手、ダンサー、有名人、俳優として、アイドルは、創造性とコミュニケーション能力を持ち、他者と協力しながら愛情と支持を得る、理想の人物像を体現する。情動経済のなかでは、かわいいアイドルは、くつろぎ、幸福、満足、興奮、情熱、さらにはつながりや共同体の感覚まで生み出す。
こうしたことを踏まえると、AKB48の革命的な方式は、直接の接触やコンサートをCD販売の鍵とし、直接の体験を主な内容に、CDや楽曲をその手段にした点にある。言い換えれば、AKB48が主に提供するのは音楽ではなく、CDを買うことで得られる直接の体験なのだ。そこから、握手券を封入したCDを売る戦略が形になった。何十年も前に、おニャン子クラブなどのアイドルがこの方法を先取りしていたが、CDを買えば本人と同じ場に居合わせ、つながりを持てるという、商品と特別な体験を結びつける仕組みを、AKB48ほど徹底したグループはない。柏木由紀も配信で、AKB48では握手会での人気が何より重要で、運営がどの若手メンバーを売り出すかもそれで決まる、という趣旨のことを述べていた。
2009年からAKB48は主流メディアに大きく進出し始めた。同時にファンが増え、握手会や公演への参加も難しくなったことで、会えないファンの落胆はいっそう大きくなった。ファンがアイドルの活動に参加しているという実感を強めるため、秋元康が作ったのが総選挙である。「推しメン」という考え方をもとに、ファン自身が立ち上がり、誰をAKB48のセンターにするか、誰をいちばん人気があり、いちばん露出の多いメンバーにするか、その周りに誰を選抜するかを決めるよう促した。総選挙は、ファンの好意や愛着、活動を、価値を生み出すものとして大きく評価する制度だった。投票が愛なら、もっと愛しているファンは、もっとCDを買い、もっと票を投じて愛を表す。その一方で、アイドルもファンの愛情を得ようと努力する。これは情動をめぐる消費であって、合理的な消費行動を前提にした経済学では測れない。AKB48のアイドルは、恋愛関係の幻想を売るホストのような存在であり、ファンは自分の努力を認めてもらうためにCDを買って投票する。この情動経済は、日本のホストクラブなどの接客サービスや娯楽産業にも組み込まれている。だから総選挙は、ファン離れの危機からAKB48を救っただけでなく、売上の飛躍にも大きく貢献した。「さよならクロール」「ラブラドール・レトリバー」「Teacher Teacher」など、最も売れたシングルの数枚は、いずれも総選挙の投票券付きシングルなのだ。

図中の曲名と区分の日本語対応は次のとおり。区分は原表に従う。
| 順位 | 曲名 | 区分 |
|---|---|---|
| 1 | さよならクロール | 総選挙投票券付き |
| 2 | 真夏のSounds good ! | 総選挙投票券付き |
| 3 | Teacher Teacher | 総選挙投票券付き |
| 4 | ラブラドール・レトリバー | 総選挙投票券付き |
| 5 | 僕たちは戦わない | 総選挙投票券付き |
| 6 | フライングゲット | 総選挙選抜曲 |
| 7 | Everyday、カチューシャ | 総選挙投票券付き |
| 8 | 恋するフォーチュンクッキー | 総選挙選抜曲 |
| 9 | 翼はいらない | 総選挙投票券付き |
| 10 | センチメンタルトレイン | 総選挙選抜曲 |
| 11 | 風は吹いている | 通常のシングル |
| 12 | GIVE ME FIVE! | 通常のシングル |
| 13 | サステナブル | 通常のシングル |
| 14 | 願いごとの持ち腐れ | 総選挙投票券付き |
| 15 | ハロウィン・ナイト | 総選挙選抜曲 |
| 16 | ギンガムチェック | 総選挙選抜曲 |
| 17 | ジワるDAYS | 卒業関連 |
| 18 | 上からマリコ | じゃんけん選抜 |
| 19 | 君はメロディー | 記念シングル |
| 20 | ハート・エレキ | 通常のシングル |
| 21 | UZA | 通常のシングル |
| 22 | NO WAY MAN | 通常のシングル |
| 23 | ハイテンション | 卒業関連 |
| 24 | LOVE TRIP/しあわせを分けなさい | 卒業関連 |
| 25 | 永遠プレッシャー | じゃんけん選抜 |
| 26 | 希望的リフレイン | 通常のシングル |
| 27 | 失恋、ありがとう | 通常のシングル |
| 28 | ジャーバージャ | 通常のシングル |
| 29 | 前しか向かねえ | 卒業関連 |
| 30 | So long ! | 通常のシングル |
AKB48は、成長を見守る育成型のアイドルである点でも評価されている。情動経済の広がりとともに、観客が舞台に求めるリアルさも変化した。素人っぽさは、いまのポピュラー音楽では価値のある性質になっている。ファンが演者に感情を注ぎ込むにつれ、観客は自分をアイドルの共同プロデューサーと見なすようになり、アイドルは身近さや普通さによって、観客との関係をますます深めていく。この素人性の重視については、70年代のカラオケの普及によって素人の歌い手が増えたことに起源を求める説明がある。AKB48のメンバーのようなアイドルで大切なのは、何かに「なっていく」過程だ。その出発点には、まだ成長しきっておらず、準備も整っていない演者を舞台に立たせるという、ラディカルな発想がある。失敗させ、観客の目の前で努力させ、その支持のもとで成長させるのである。これは、演者と観客の新しい共生関係の出現を意味する。
多くの女性アイドルは19歳前後で卒業し、そのキャリアは、性的な魅力を持つ大人の女性になっていくことと密接に関わっている。AKB48がプロとしての経験のない女性や若い女性を選ぶのは、秋元康がいうところの、性格や外見の粗削りなところを残すためだ。粗削りな人柄や、まだ洗練されていないパフォーマンスは、観客がリアルさを感じるうえで決定的に重要になる。髪型や化粧から歌、ダンスまで、あらゆる面で非の打ちどころのなさを目指すポップスターとは違うのだ。日本の日常生活のなかにAKB48を置いてみれば、その普通さは、典型的な「隣の女の子」の一つの形である。つまり、AKB48のメンバーはごく普通だが、より「リアル」に感じられる。それに対して、プロのアーティストは華やかな見世物ではあっても、近寄りがたい。AKB48が魅力的なのは、観客がリアルさを求めているからだ。それは、リアリティ番組やオーディション番組にも表れている、ごく普通の人々に魅力を見いだす変化の一部なのである。
AKB48は、おニャン子クラブからモーニング娘。へと続く系譜の頂点だった。手の届く身近さを追求する道を、行き着くところまで進んだ。その先には、日本の芸能界に根を張る、芸能事務所―テレビ局体制という壁が立ちはだかっていた。
5. 2010年代:アイドル戦国時代と揺るがない旧体制
2010年代になると、テレビの視聴率は下がり始める。ドラマの視聴率を見てもわかる事実だ。しかし、それでもテレビは日本最大のメディアだった。2011年には89%の人が毎日テレビを見ており、日常のマスメディアとして最も重要だったことは間違いない。2000年代末、AKB48はテレビへ進出し、『週刊AKB』や『AKBINGO!』といった番組を始めた。『ミュージックステーション』のような老舗の音楽番組にも頻繁に出演して新曲を披露し、SMAPや嵐など、従来からテレビで活躍する男性アイドルと共演して顔を売った。2011〜2012年、AKB48は全盛期を迎える。二年連続で売上額が嵐を上回り、首位を獲得した(注:2012〜2016年を見ると、年間売上額で嵐が一位を占めた年のほうが多い)。さらに、「フライングゲット」「真夏のSounds good !」で二年連続のレコード大賞を手にする。一方、宇野常寛は、新しいライブアイドルの道を進み続けず、再びメディアアイドルの枠に戻ったとAKB48を批判した。
私は、この批判は偏っていると思う。肝心なのは、AKB48の劇場はあれほど小さく、ライトなファンをさらに受け入れるのが難しいということだ。まして、アイドル個人の魅力を広く伝えるには限界がある。2011年という時点で、日本最大のメディアであるテレビを逃していたら、実際のAKB48ほどの成功は難しかっただろう。しかも宇野は、一つの点を見落としている。AKB48は秋元康が日本最大の広告会社、電通と組んで作ったグループであり、テレビを中心とする企業である電通が関わる以上、テレビへの出演機会や宣伝の力を手放すはずがない。全盛期のメンバーには、CMの仕事が大量にあった。それこそ電通の力であり、それによって日本での影響力を得たのだ。いま、ライブ市場が大きくなっているからといって、強い動員力を持つ歌手、たとえばジャニーズのアイドルがテレビを重視していないわけではない。むしろ、テレビとライブの両方に力を入れている。AKB48もライブを捨てたことはなく、日々の公演と握手会がそれを証明している。
2012年、不動のエース、前田敦子が卒業した。AKB48にとって、その衝撃は大きかった。多くの熱心な固定ファンが離れ、翌年には年間売上額の首位も失った。CDの販売枚数は増えたが、高価な劇場盤の販売枚数が減ったからだ。2009〜2012年が前田敦子と大島優子の対決の時代なら、2013〜2017年は指原莉乃と渡辺麻友の対決の時代だった。前の時代と比べ、次世代のAKB48が直面した最大の課題は、ファンの飽きである。そのため、より多くテレビに出てバラエティに参加し、一般層の人気をつなぎとめようとした。
ファンの参加意欲を考えるうえでは、政治の投票制度との類似にも注目できる。趙鼎新が民主制を分析する際に指摘したように、参加者の多い投票制度では、有権者一人ひとりが、自分の一票は大した意味を持たないと感じる。それが投票への意欲を削ぎ、最後には投票率を下げる。日本の現在の政治体制にもこの傾向はあり、若者の投票意欲は高くない。宇野常寛もこの問題に触れている。

2010年代にAKB48と競い合った女性グループとして、秋元康がソニーと組んだ46系、すなわち坂道系と、大手事務所のスターダストプロモーションを後ろ盾とするスターダスト系がある。「異端」の48系に比べ、46系とスターダスト系の売り出し方は、むしろ正攻法だ。46系にも握手会はあるが、AKB48のような日常的な公演はなく、特定の集団を固定ファンとしてつかむ必要もない。そのため、スタイルの上ではAKB48よりファンから遠く、メディアアイドルに近い。坂道系三グループのうち、ここでは乃木坂46と欅坂46を見てみよう。乃木坂46は長く「上品なお嬢様」のイメージで活動してきた。AKB48が好むミニスカートや水着ではなく、丈の長いスカートを着る。それによって女性ファンの支持をより多く集め、女性のファッションもAKB48以上に牽引できた。写真集もAKB48より売れている。背景にはソニーの宣伝力があり、秋元康が制作に力を注いで音楽の質を高めたこともある。
欅坂46は同じ売り出しの道をたどりながら、別のスタイルに向かった。「反抗」だ。不動のエース、平手友梨奈が楽曲で見せる、抑圧に断固として抗う姿勢は強い印象を残し、ライブも衝撃的だった。そのため、鮮明な個性を持つ一方で、乃木坂のようには主流に溶け込めない道を歩むことになった。普通のJ-POPを歌おうと思っても、身についた反抗のイメージは簡単には消せない。最後は平手の脱退という内部崩壊で幕を閉じたが、偉大な試みだったといっていい。


スターダスト系は、坂道系以上に従来のアイドルに近い。その代表がももいろクローバーZだ。Perfumeと同じく、自分たちは「アイドル」ではなく「アーティスト」だと称する。アーティストであるための鍵は、聴き手が共感できる音楽を生み出せることにある。普通のアイドルより格が高く見え、従来のアイドルには入れなかった、正統派のミュージシャンが集まる音楽フェスにも参加できる。常盤貴子や北川景子といった大物を抱える老舗のスターダストプロモーションが後ろ盾にあるからこそ、メディアへの出演や宣伝の機会を大いに使い、音楽界の主流に加わることができたのだ。稼ぎの柱はツアーであり、ドームツアーを実現した女性アイドルグループ二組のうちの一組でもある。しかし、それはメディアを通じた売り出しがもたらした結果であって、AKB48のようにライブでファンの基盤を築いた結果ではない。

坂道系とスターダスト系のほかにも、アイドリング!!!や東京女子流、そして老舗のハロー!プロジェクトに属する女性アイドルがいる。2010年代、女性アイドルグループの数は爆発的に増えた。東京だけでも、2008年の約50組から2015年には350組以上へと急増し、よく知られるTOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)も発展していった。ジャニーズの嵐、SMAP、関ジャニ∞などの男性グループと競い合ったこの時期は、「アイドル戦国時代」と呼ばれる。女性アイドルは大いに栄え、オリコンの上位は男女のアイドルグループがほぼ独占し、星野源のようなシンガーソングライターはストリーミングへと戦場を移すしかなかった。しかし、それでもメディアアイドルという性格は揺らがなかった。従来の芸能事務所―テレビ局体制は依然として強く、売り出すための後ろ盾を持たない女性アイドルグループがどこまで成功できるかは、目に見えていた。
6. 2020年代:アイドル戦国時代の終わり、コロナ禍、ストリーミング
今年、2023年は2020年代の四年目なので、これから何が起こるか、私には予測できない。ただ、現状からいくつかの傾向をまとめることはできる。
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コロナ禍は握手会ビジネスを直撃した。AKB48や乃木坂46のように、握手会を柱にCDを売ってきたグループのシングルは、ミリオンに届かなくなり、いまも回復していない。これはアイドル戦国時代の終わりを意味する。女性グループが売れないのに、何が戦国だ。
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ストリーミング音楽の売上額が、CDなどのフィジカルの売上額を食い続けている。2022年にはストリーミングの売上額がフィジカルの半分近くに達した。2018年には三分の一にも満たなかった数字だ。いま最も人気のあるYOASOBIは、ストリーミングを主な市場とする典型的なユニットであり、フィジカル市場はすでにジャニーズの天下となっている。
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旧体制にも揺さぶりがかかり始めた。ジャニーズは喜多川のスキャンダルで解体し、柴咲コウ、中居正広、新垣結衣らは事務所から独立しても順調に活動している。「芸能人が成功するには、本当に事務所が必要なのか」は、考える価値のある問いだ。テレビ視聴率が低迷し、TVerのようなオンライン配信プラットフォームが人気を集め、日本でもSNSの重要性が高まるなか、事務所とテレビ局の関係は、もはやそれほど盤石ではない。
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アイドルの種類が増え、より多様な観客に向かうようになった。たとえば指原莉乃がプロデュースする三つの女性グループは、依然としてメディアアイドルではあるものの、女性を主な支持層としている。推計では、その一つである=LOVEのコンサートは、観客の70%が女性だという。アイドルが新たなファン層をどう開拓していくかは、今後、避けて通れない検討課題だ。70年代から、音楽制作は異なる聴き手に合わせて次第に細分化してきた。いまやアイドルのプロデュースも、ますます多様化する観客の好みに応えるため、スタイルをさらに細かく分ける必要がある。
などなど。
7. おわりに
日本の女性アイドル産業は、1970年代に生まれた。ポストフォーディズムの時代、政治への熱が冷めた時期、そしてテレビが各家庭に行き渡ったことの産物である。80年代には全盛期を迎え、とりわけバブル期の文化の空虚を埋める役割を果たした。90年代にはバブル崩壊と観客の飽きによって、一度は冬の時代に入る。しかし90年代後半、経済が悪化して失業率が上がると、人々はより多くの心の慰めを求めるようになった。アイドルが見せる、よりリアルな姿も観客の求めるものに合い、再び勢いを取り戻した。このとき、アイドルはすでに70年代や80年代とは違っていた。より「身近な」存在となり、複数のメディアを横断するパフォーマーとしての活躍は、かつてほど目立たなくなった。2000年代にはオタク文化が主流となり、ライブが増え、インターネットが普及したことで、モーニング娘。とAKB48が成功する。とりわけAKB48の「会いに行けるアイドル」という理念は、戦後の芸能界の体制を突破する可能性があると考えられた。しかし2010年代には、大半のアイドルが従来のメディアアイドルへと戻っていった。それでも女性アイドルは、もう一度大きな頂点を迎える。この時期が「アイドル戦国時代」である。2020年代、その戦国時代は終わった。女性アイドルは、より不確かな未来へと歩みを進めている。