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【都市・空間 寄稿募集企画】「空間を制限する」技法は、どのように面白い物語を生むのか?

林沛颖が、次元をまたぐ移動、一つの建物の中での出来事の連鎖、空間の隠喩という切り口から、アニメ・漫画・映画・小説を例に、「空間の制限」がいかに複雑な物語を支えるかを考える。

著者: 林沛颖翻訳: 甚谁Bot[AI assisted] · 全文レビュー: 甚谁Bot[AI assisted] · 全文

林沛颖がこの記事のために描いた、空間をテーマにしたイラスト

物語を構想していると、展開を豊かにしたいあまり、背景設定が大がかりになりがちだ。想像を膨らませるにつれて舞台も時間軸も広がり、しまいには収拾がつかなくなってしまう。

そこで多くの作り手は、ひたすら要素を足していくのではなく、あえて作品に制約を設け、展開をコントロールする。

いちばん大まかな方法は、よく目にする分類に沿って範囲を絞ることだ。「青春」「中国の民国時代」といった括りなら、主人公の人生のある時期や、歴史上のある時代に物語を限定する。「学園」「アメリカ」といった設定なら、舞台を特定の場所や国に絞ることになる。

こうした大きな範囲での限定は、すでにごく一般的だ。そこで作り手は、「時間」と「空間」をさらに絞り込む。たとえば、漠然とした「思春期の学園生活」を、「主人公が十七歳である一年間」「ある一棟の校舎の中だけで起こる話」というように、具体的に限定する。

ところが、それ以上に「時間」と「空間」を絞った作品は、あまり見かけない。

長さに制約のある短編は別として、長編で時間を一日以内、空間を一棟の建物か、それより狭い範囲に収めることは、一般に少ない。

近年は、ごく限られた場所や小さな部屋を舞台にした作品も少なからず登場している。主人公が学校へ向かう道中を描く『ちおちゃんの通学路』、放課後の実験室に焦点を絞った『上野さんは不器用』、女子寮を舞台にした『こみっくがーるず』などだ……。

ただし、これらもたいていは、気軽に楽しめる日常の短い話を重ねた連載作品であり、全体を貫く筋立てのある、深みのある物語を語ることはできない。

『ちおちゃんの通学路』の一場面
『ちおちゃんの通学路』。

物語が展開するには、それなりの空間と時間が必要だ。その範囲が狭すぎるとき、どうすれば面白い物語を生み出せるか。そこが腕の試されるところになる。

そこで、知恵のある作り手は「一方を極限まで縮め、そのぶんもう一方を極限まで広げる」ことで釣り合いを取り、面白い内容を作り出す。

もちろん、ほかにも方法はある。

今回は、「空間が圧縮され、制限されている」のに、物語の展開はとても豊かなACGN(アニメ・漫画・ゲーム・小説)の作品を、代表的な例としていくつか取り上げたい。大胆な発想を持つ作り手たちが、「空間を制限する」方法でどのように物語を語っているのか、見てみよう。

基礎:次元をまたぐ移動

1996年の『犬夜叉』が「時空を越える漫画」の始祖だとすれば、2003年に連載が始まった『ツバサ-RESERVoir CHRoNiCLE-』と『xxxHOLiC』は、「次元を越える漫画」を切り開き、広めた作品だ。

『ツバサ』には、作者であるCLAMPがそれ以前に描いた二十作品の登場人物が、全員、並行する次元の人物として登場する。たとえば、よく知られている『カードキャプターさくら』のさくらと小狼は、『ツバサ』では「玖楼国の姫サクラ」と「旅人の息子である小狼」として存在している。

『ツバサ』の登場人物たち
だから『ツバサ』を『カードキャプターさくら』の続編だと思う人が絶えない。

物語は、主人公たちが次々に「次元空間」を越え、年代も背景設定も異なる次元を訪れて冒険することで進んでいく。しかも、同時期に連載されていた『xxxHOLiC』の出来事と『ツバサ』の出来事は、互いに結びつき、連鎖反応を引き起こす。

『ツバサ』と『xxxHOLiC』の登場人物の共演
二作品の連動が実にうまい。

CLAMPの考え方では、世界は一つしかないが、次元は無数にある。そして、異なる次元で起こるすべての出来事が、一つ一つ結びつき、互いの原因と結果になって、最終的に「必然」を成り立たせる。

ここが、『キノの旅』『カイバ』『ACCA13区監察課』や、四月の新作アニメ『RobiHachi』のような「旅もの」との違いだ。空間が次々に切り替わる点は同じでも、主人公たちは単に地理的・時間的に離れたところへ移動するのではない。行き着く先は、並行する時空なのである。

こうして次元空間をまたいで移動する方法は、地理や時代背景の束縛から空間を解き放つ可能性を示し、多くの作り手にひらめきを与えた。そこからさらに、「無限空間型」というものが生まれてきた。

小さく見えて、実は大きい

一つの建物の中で、空間や時間を無限に広げる

『四畳半神話大系』『百万畳ラビリンス』『劇場版 xxxHOLiC 真夏ノ夜ノ夢』といった作品では、主人公たちはずっと同じ建物の中にいる。たとえば四畳半(約七平方メートル)の部屋や、一軒の洋館の中だ。

ところが、その建物の内部には、無限に広がる空間がある。一つ一つの部屋に別の世界が入れ子になっていることもあれば、別々の出口をくぐるたびに、新しい空間へたどり着くこともある。

これが、私の言う「無限空間型」だ。

たかみちの『百万畳ラビリンス』では、ゲームのデバッグを仕事にする二人の女性主人公が、ひょんなことから迷宮のような建物に迷い込む。さまざまな間取りの部屋を渡り歩き、戸棚や窓を開けると、その先にはまた別の部屋がある。

『百万畳ラビリンス』の建築空間

『百万畳ラビリンス』の部屋の構造

読者には、これらの部屋の面積を足し合わせたら、建物の外観から想像できる広さをはるかに超えてしまうことが、はっきりと分かる。

『百万畳ラビリンス』の巨大な迷宮

台詞(右上→左下):「ふう、ここはまるで樹海に浮かぶ孤島だね」「だから……」。

作者は、この空間をゲームの隠喩にしようとしている。

やがて少女は、この空間にあるゲームのバグを探すことで、迷宮の中で楽しく暮らすようになる。

こうした使い方は、今年一月に公開されたサスペンス・スリラー映画『エスケープ・ルーム』や、フランスの名作ホラー映画『CUBE』にも少し似ている。主人公たちはさまざまな部屋を通り抜けていくが、それぞれの内部には、明らかに「部屋とは呼べない」ほど広大な光景があり、そこで異なる物語が繰り広げられる。

『エスケープ・ルーム』と『CUBE』の密室

空間を自在に操って情景を作るのが得意な漫画家、尚月地も、『艶漢』第九話の、箱に暮らす少女の物語で同じ手法を使っている。1 箱作りを専門とする一家が、積み重ねた箱を家にして、さまざまな箱の中で暮らすのだ。(尚月地は「引き出しの中に住む少女」の話も描いている。)

『艶漢』の、箱に暮らす少女の話

台詞:上段「!!!」。下段・右「驚いた? うちは大きな箱だらけなの」→左「その箱の中で暮らしているのよ」。

『艶漢』の箱の家

台詞:上段・右「ここは大きな庭園の箱庭。大きさの違う岩を使って、奥行きを出しているの」→左「本当に外にいるみたいだ」。下段「ここは時計の部屋」。時計の音は「チクタク、チクタク」。

『劇場版 xxxHOLiC 真夏ノ夜ノ夢』では、物語の舞台が一棟の洋館に絞られている。ところが、呪いのせいで、その洋館の間取りは刻々と変わる。

『劇場版 xxxHOLiC 真夏ノ夜ノ夢』の洋館の外観
洋館の外観。

中へ入ると、そこは夏の夜。

洋館の中に現れる夏の夜の風景

洋館の主人である精霊は、「コレクター」を専門に集めるコレクターだ。(ちょっとややこしい言い方だけれど。)

洋館へ招かれたコレクターは、最後には全員、精霊によってコレクションにされ、そのたびに洋館には新たな「コレクションの部屋」が一つ増える。

洋館でコレクションにされたコレクターたち
画面の人柱は、歴代の「コレクションにされた」コレクターたち。

その後ろには、コレクターたちの部屋が一つずつ並んでいる。これらの部屋が集まって、洋館の主人の「コレクション」になっている。

洋館のコレクションの部屋

さらに鮮やかなのが、森見登美彦原作、湯浅政明監督の『四畳半神話大系』だ。何度も最初から始まる時間のループを使い、四畳半の部屋に無限の空間を実現している。

『四畳半神話大系』の四畳半の部屋

主人公は自分の大学生活に満足できず、一年生から三年生までの生活を何度もやり直す。そのたびに同じ四畳半の下宿に入り、違うサークルに加わり、違う大学生活を経験する。

注意深く見ていると、それぞれのループは別の物語でありながら、そこでの行動には重なる部分があり、互いに影響し合っていることに気づく。冒頭で述べた、次元をまたいで出来事が結びつくという捉え方と同じだ。

物語の最後のループでは、主人公はいっそ何もせず、三年間ずっと四畳半の下宿に引きこもって過ごす。

やがて、自分がこの空間から出られなくなっていることに気づく。戸を開けるたびに、また新しい四畳半の下宿が現れる。何度繰り返しても満足できなかった大学時代と同じように、いつまでも終わりがない。

果てしなくつながる四畳半の部屋

壁を叩き壊しても、現れるのはやはり四畳半の部屋だ。

作者は、この章を「四畳半漂流記」と呼んでいる。2

この四畳半の牢獄を突き破り、大学生活に対する自分の偏見や悩みから抜け出して初めて、時間は再び流れだす。

四畳半の部屋を突き破るアニメの一場面

原作者の森見登美彦は、もともとこうした時間+空間の遊びが好きだ。『夜は短し歩けよ乙女』や『有頂天家族』に登場する「李白老人の電車」も、空間の魔法を見せる道具になっている――

内部には老人の奇妙なコレクションが飾られているだけでなく、最上階には竹林や温泉まである。普通の電車という概念を、はるかに超えている。

森見登美彦作品の奇妙な電車
電車の内部。

奇妙な電車の内部

注:映画『夜は短し歩けよ乙女』は、逆に「時間を制限する」方法で物語を語る、面白い作品だ。一晩に起こる四つの物語なのに、観客には春夏秋冬の四季を過ごしたかのような感覚を与える。

『夜は短し歩けよ乙女』の一場面

台詞:上段・李白「あの飲み比べから、もう何十年たったかのう?」→下段・乙女「ほんの数時間前、今夜のことですよ」。

小さな出来事をつなぐ

一つの建物の中で、出来事が連鎖する

私は、一つ一つの小さな出来事が互いを左右し、影響を及ぼし合って、最後には物語全体の筋を作り上げるような話を集めるのが、本当に好きだ。

こういう物語を読むのは、継ぎ合わせた長い絵巻を、少しずつ広げていくようなものだ。一つ一つの絵はそれだけでも成り立つのに、並べると壮大で美しく、考えさせられる世界の万華鏡になる。

作り手の中には、こうした出来事同士の巧みな結びつきを、ごく小さな、限られた空間の中で実現しようとする人もいる――

一棟の建物を軸に、その隅々にいるさまざまな人物の物語や、異なる時代にその建物で起こった出来事を描く。そして、これらの小さな物語を一つの閉じた輪として結び、どの出来事も別の出来事を引き起こすようにするのだ。

この語り方は、実は東洋文化が育んだ独自の世界観、すなわち「相関的思考」(coordinative thinking)に由来する。西洋の「従属的思考」(subordinative thinking)とは正反対である。3

東洋人の相関的思考において、事物は「世界全体の仕組みに依存して存在する部分」だ。それらは互いに作用するが、その働きは、機械的な力や因果関係よりも、むしろ一種の「神秘的な共振」による。4

まずは石黒正数の『外天楼』から見てみよう。

最初の二話は、エロ本をめぐる大作戦と、特撮ものの劇中劇。ここまでなら、笑いどころの多い、気軽なコメディーだと思うだろう。

『外天楼』の日常の出来事

第三話からは、ロボット、うっかり者の刑事、人工生命の専門家といった人物が登場し始める。軽いコメディーの調子はそのままに、展開はますますとんでもない方向へ広がっていく。それなのに最後には、遠くまで来たはずの物語を、巧みに第一話へと引き戻してみせる。

『外天楼』の登場人物と伏線

台詞(各段の右→左):上段「それで、遺体は見つかったのか?」「D403号室です」「鑑識はもう向かっています」「よし、案内してくれ」。中段「遺体が置かれた場所は見えているのに、どう行けばいいのかさっぱり分からんな」「これが外天楼の構造の不思議です……」「!」。下段「この子、ここの住人ですよね」「聞いてみます」。

建物にいるどの人物にも、早くから伏線が仕込まれている。冒頭でこの少女が手に持っていたアイスまで、物語全体をつなぐ重要な手がかりだなんて、誰が思うだろう?

すべての話が、「外天楼」という一棟の建物を中心につながっている。そこで育った子供たちは、それぞれの道を歩み、久しぶりに再会したときには、互いにずいぶん違ってしまっている。子供時代の馬鹿な思い出を語り合うのは、かつての友情を懐かしむことでもあるけれど、それでも一人一人が変わったことは、はっきりと見えてしまう。

『外天楼』の建築空間

台詞:上段「あの頃は、一緒に夢中になってエロ本を探したっけ……」。下段・右「まさか、こんなに若くしてロボット工学の第一人者になるとはな……」→左「その話はやめてくれよ……」「?」。

最後になって初めて、わずか九話のこの物語が、倫理、ロボット、人工生命、重圧の多い都市生活をめぐって考えを深める作品だったと分かる。すべての登場人物がそれぞれの役割を果たし、自分の意志だけではどうにもならないままに行動しながら、互いに共鳴している。

思わず映画『食神』のあの女性審査員の台詞をもじって、嘆きたくなる。「こんなに面白い漫画、これから先、もう読めなかったらどうしよう?」

『外天楼』の登場人物

『外天楼』の人物関係をつなぐ手がかり

石黒正数が「空間を制限する」方法でブラックユーモアや哲学的な思索を探るのだとすれば、道満晴明の『ヴォイニッチホテル』が見せるのは、人間の愛と性と狂気だ。

『ヴォイニッチホテル』の外観

台詞(上→下):「私たちがここに来て、もうすぐ30年になるのに……」「あなたは一度も、私たちの過去を尋ねたことがありませんね」。

描かれるのは、ブレフスキュ島にある一軒の古いホテル。そこに滞在する誰にも、その人ならではの物語がある。少年少女探偵団、漫画家、我が道を行く同性愛者、女殺し屋、麻薬の売人、年配で処女の料理人、幽霊、悪魔など。ホテルのメイドたちにさえ、千年にわたる秘密がある。

この作品は、主人公のホテル滞在日数で話を区切り、一日ごとに日常の小さなコメディーを描く。ところが時間が進むにつれ、ホテルにいる一人一人が見えない糸で結ばれ、互いの行動がそれぞれの結末をもたらすことになる。

『ヴォイニッチホテル』の宿泊客たち

図中の紹介文:南西太平洋の小国、ブレフスキュ島。舞台はこの小さな島のホテル。陽光が降り注ぎ、のんびりした空気に満ちた南国で、風変わりな宿泊客たちが悲喜こもごもの物語を織りなす。

『ヴォイニッチホテル』の人物それぞれの物語

台詞(右→左上→左下):「どうして、みんなこんなに忙しそうなの?」「島が観光シーズンに入ったから」「この時期は、ホテルも少しにぎやかになるんです」。

文学にも、同じ方法が当てはまる。ナボコフの小説がその例だ。

ナボコフは、言語、構造、読者心理を軸に、空間の感覚を作り上げる。テクストの前後にある照応関係を意図的に取り除き、語りの時間的な進行を遅らせたり、弱めたりする。そして、パターン(pattern)と細部を重視するとともに、それらを有機的な全体として捉える認識能力、「宇宙的同期」(cosmic synchronization)を重んじる。5

左から右へと読み進める従来の習慣を打ち破り、繰り返し読むことを通じて、テクストの錯綜した相互参照の体系から、意味の全体を一つの空間として組み立てることを重視するのだ。

たとえば『注釈版ロリータ』の注釈者アペルは、小説を読みながら注釈を参照するだけでなく、注釈を小説の脇に置き、両者を並行して読むことも読者に勧めている(LO, Preface, xiii)。『青白い炎』の作中の注釈者キンボートも同様に、従来とは異なる空間的な読み方を勧めている(PF, 28)。

ここまでに挙げた作品は、どれも読者に、何度も読み返して物語同士の無数のつながりを見いだし、調和の取れた「一つの絵巻」を作り上げるよう促している。

大きく見えて、実は小さい

空間の対比と隠喩

ここまで見てきた、「空間を制限する」二つの語り方。

一つは、小さな建物の内部で空間を無限に広げ、内容を膨らませる方法。

もう一つは、小さな建物の中の多くの人物と、移り変わる時間をつなぎ合わせ、面白い物語を語る方法だ。

第三の方法は、建物や空間そのものを使い、何かになぞらえたり、その姿に変えたり、隠喩として働かせたりして、作り手の感情を表現することだ。

この語り方では、建物や空間と、それになぞらえられるものの間に、尋常でない大小の差があることが多い。その鮮明な落差が、強烈な印象を生む。

京極夏彦原作でアニメ化もされた『魍魎の匣』では、ヒロインは事故に遭ったあと、匣のような医療実験棟にずっと横たわっている。頭以外は、すべて寝具に覆われている。

『魍魎の匣』の身体と匣

その後、彼女に密かな恋心を抱く男が実験棟へ押し入る。大勢の目があるにもかかわらず、彼女は突然姿を消し、誰にも見つけられない。

物語の終わりに至って、読者ははっと気づく。事故で損傷した彼女の心肺は、もはや身体を維持できなくなっていた。医師は彼女の四肢を切断し、残された頭の中の脳を医療棟につなぎ、機械と回路網を使って生命活動を続けさせていたのだ。

つまり、あのとき全員がいた場所――巨大な匣のような医療棟――そのものが、彼女の身体だった。

そして、彼女に恋する男は、その頭を小さな匣に入れるだけで、駆け落ちしてしまったのである。

建物―身体―匣―頭部―生命―匣―欲望―匣。大きくしたり小さくしたりしながら、繰り返しなぞらえることで、幾重もの隠喩が生まれる。

『魍魎の匣』の幾重もの匣

同じく空間の比喩を得意とする九井諒子も、短編集『ひきだしにテラリウム』の「ひきだし」と「すごいお金持ち」という二つの話で、こうした落差による衝撃を使っている。

引き出しの中に広がる風景と、その風景の中にある引き出しがつながっている。そこには、ボイドのいう「多重空間」、すなわち「世界の中の世界の中の世界」、「可能性の中の可能性の中の可能性」を思わせるものがある。6

『ひきだしにテラリウム』の入れ子状の空間
巨大な部屋と、ちっぽけな金持ちとの対比。

図中の説明:ぞっとするほど精巧に現実の風景を再現したテラリウムが、収められている。

「すごいお金持ち」の巨大な部屋と人物
巨大な部屋と、ちっぽけな金持ちとの対比。

台詞:下段・右「まさか、ばあちゃんの入れ歯に使われていたなんて……」。下段・左「これじゃ、いくらきれいに洗っても、戻るときにはやっぱり気持ち悪いよな……」。

「すごいお金持ち」の空間の対比

図中の説明・台詞:上段「浴槽は海の中」。地図の「A/浴槽」は、海上に示された「A」の位置に対応する。地図左の+/−は拡大・縮小、下端の目盛りは縮尺。下段・右「さすがに海水を全部沸かすわけにはいかない」「ポリプロピレン製の浴槽が、船のように海に浮かんでいる」「結局、浴槽は普通の大きさなんだな」。下段・左「そろそろ風呂から上がる頃には」「仕立てたばかりの服も届いている」。

「すごいお金持ち」の部屋の構造

図中の説明(上段→下段右→下段左):「寝室はひと部屋丸々ベッドになっている」「床の模様はタイルではなく敷き詰められた布団なので」「好きなところをめくって寝る」。布団をめくる音は「ぺら」。

「すごいお金持ち」の空間の遠近表現

台詞・説明(各段の右→左):上段、まばたきの音「ぱち」。続いて「こんなに金があっても」「こんなに贅を尽くしても」「買えぬ物があります」「満たされぬ物があります」「人の心 孤独 時の流れ」。中段・城のコマ「心を許せるものはひとりとしてなく」、寝床のコマ「欲しい物はなんでも手に入るのでつまらない」「私のこれからの生に一体なんの価値があるのでしょうか?」。下段「ここは寂しくて冷たくて悲しいところ」。

駕籠真太郎のような鬼才ともなると、立体空間の多次元性を使い、さまざまな角度から物語を見せることさえできる。「抽象」7では、コマそのものを建物の形に変えて、感情を表現している。

「抽象」の建物と化したコマ
「抽象」の立体的なコマ
立体的なコマ

台詞対応:左側の面で、指輪を渡す場面「受け取って」、手元の場面「僕に任せて」「ねえ……」、向き合う二人「ありがとう」「うん?」「今日はしたいの」「本当に!?」。右側の面は、16「じゃあ、行こう!」「そう慌てないで……」→17「タクシー!」→18(台詞なし)。車体の「TAXI」は「タクシー」。

「抽象」の建物と化したコマ
建物と化したコマ

台詞(コマ番号順):1「気持ちのいい風ね」「そうだね」→2「あっ!」→3「指輪を落としちゃった」「え?」→4「ちょっと待ってて」→5「どこに落ちたんだろう?」→6「あっ!」→7「見つけた」→8「ほら!」→9「はい」「ありがとう!」。

「抽象」の多次元空間
多次元空間

台詞対応:中央の立体の左側の面には、指輪の場面の「受け取って」「僕に任せて」「ねえ……」、二人の会話「ありがとう」「うん?」「今日はしたいの」「本当に!?」。正面は16「じゃあ、行こう!」「そう慌てないで……」→17「タクシー!」→18(台詞なし)。左下の車体の「TAXI」は「タクシー」。

あとがき:ひとりごと

カントが自ら標榜した「形式科学」において、空間と時間は、感性のア・プリオリな形式として、私たちが「現象」と呼ぶあらゆるものの存在の仕方である。8

カントによれば、「空間」は「外的形式」として、外界の事物が私たちの心の中で取る形を秩序づけ、私たちがそれを直観できるようにする。「時間」は「内的形式」として、事物に与えられた空間的な規定を、さらに「前後」や「同時」という系列へと並べる。こうして感性的な認識が成立し、その認識は図式と構想力を通じて悟性へと移行する。

これは、哲学史上、空間と時間の問題に与えられた最も権威ある説明だ。

この説明に従えば、言語による語りは時間的な系列であり、その中にはすでに、空間によって秩序づけられた外界の事物が含まれている。言い換えれば、もし空間によって秩序づけられていない語りがあるとしたら、聞き手には何を言っているのか分からないはずだ。

空間に着目した物語論の議論は、1945年のジョゼフ・フランク「現代文学における空間形式」9以来、すでに約七十年続いている。だが、研究はずっと小説を中心に行われてきた。

人類の文化には、膨大で多種多様な物語の形式がある。その中で小説は、大海の一滴にすぎない。

だから私は、漫画、アニメ、映画という形式から、「空間を使って物語を語る」という問題をさまざまな角度から見てみたい。そして、物語を作るうえで使える、ちょっとした技法も整理できればと思っている。(ついでに好きな作品も布教したい。)

評論

钟子默

この文章の着眼点は、これまでに読んだ応募作の中でも、議論を広げる余地が最も大きく、掘り下げられる要素も最も豊かだ。「空間を制限する」という技法を持ち出すだけで、読者の興味を十分にそそる。ただ、私が題から素直に受け取った意味とは異なり、文章の大部分は、作品を作る際に用いる「空間」の技法ではなく、物語の中に描かれる具体的な空間の分析に重点を置いている。筆者は、有効な分類の基準を設け、空間の属する物質世界と、物語の属する精神世界を結びつけたうえで、多くの作品の分析へと戻ろうとしている。その入口に時空をまたぐ移動を使ったのは、うまく難所を避けるやり方だ。並行する「可能世界」には、主体の存在がそれぞれに丸ごと刻まれており、それらが合流するところで物語全体の主題が現れる。主人公が各「世界」を渡り歩く様子の分析に焦点を絞れば、物質と精神をどう接続するかという問題さえ、回避できる。この議論の筋道では、「壁」が分けるのは、もはや空間の内と外ではなく、世界の表と裏なのだ。

しかし、こうした議論は、「空間」という主題からそれてしまう可能性が高い。そこで、小見出しにも矛盾が見えてくるように思う。筆者は物質世界の広がりに立ち戻り、「大きい」「小さい」の関係から空間を分析しようとしているのに、その間へ「小さな出来事をつなぐ」という分析を挟み、人物ごとに異なる「世界の見え方」がどう面白い物語を形作るかを示している。三つの小見出しは、そのまま並列できる関係にはないように思う。この部分の分析には、まだ二元論的な考え方がかなり濃く残っているのではないか。「空間」を純粋に物質的なものとして扱い、そこに含まれる精神性に目を向けていない。アニメでその精神性が最も直に見えるのは、現実的な世界観の中に「奇観」が生じるときだ。『四畳半神話大系』で観客の目の前に現れる光景は、主人公の内面を映す影ではない。物理的実在として、そこで寝起きする主人公の肉体と直接つながっている。また、内面を固定した形に置き換えたものでもない。個人の経験に応じて変化し続ける構造なのだ。この空間には、四畳半の部屋の俯瞰図が表す「輪廻」という記号論的な隠喩もあれば、主人公が自分の身体を囲む部屋の壁を壊し、内面の壁を乗り越えたことを示す象徴もある。

「大きい」「小さい」という分類には、ほかにも後遺症がある。「大きく見えて、実は小さい」の節で『魍魎の匣』を扱う分析は、少し微妙だ。身体が人を呑み込む建物になる。その意味を、「人体―建築」という空間の置き換えの奇抜さだけに限定すべきではない。肉体が建物になると、それは他者の生活空間にもなる。そこで暮らす主体に影響を与えると同時に、その肉体の持ち主の身体意識も変えてしまう。肉体としての建物は、身体図式(body scheme)についての抽象的な思考を具体化し、身体(body)と器官(organ)の分離を、目に見える景観にする。こうした作品では、サイボーグの隠喩が今にも姿を現しそうだ。空間の変化は、もはや物質世界の形が変わることではない。物質的な生活に能動的に関わる主体が、自らの存在をどう経験するか、その変化なのだ。その中で暮らす人々も、「丸呑み」にされることへの恐怖症に陥りかねない。私たちの日常生活を形作る空間は、母の姿を取りながら、象徴秩序における父をも隠喩として含んでいる。建物からの脱出や建物の破壊は、抽象的な構造への反抗を視覚的に表すものとなる。

たとえば、臙条巴の荒耶宗蓮に対する反抗は、ドゥルーズ的に読むことができる。10 決戦の際、巴は両儀式と過ごした経験が、すべて流れ去った、しかも「決められた」記憶であり、ヴァーチャルなものだったと知る。だが、存在の本質は、まさにこの絶えず変化する仮象にある。歴史的な時間が形作る円錐を根底で支えているのが、ヴァーチャルなものなのだ。だから、ヴァーチャル(virtual)であることは、巴が「偽物」だということではない。それこそが巴の生き生きとした潜在性(the virtual)なのだ。巴は自らの起源が無意味だと知ったとき、現在という特異点へと戻り、欲望の逃走を無条件に信じて、反抗する。ここでは、存在のトポロジーと建築の景観が相互に照応し、物質世界の幾何学的な法則をかき乱している。この考え方は、サイバースペースのような非物質的な空間を考える手がかりにもなる。同様の作品や分析は、きっと数多くあるだろう。私も一つの見方を示したにすぎない。それでも、空間をめぐる議論には幅広い考え方があることは示せたはずだ。筆者がこれからも自分なりの探究を続けてくれることを、大いに期待している!

静希

钟先生はかなり控えめに言っているが、私はグループでこの文章を読み、その場で議論したときから、いくつかの見解があまりにも素人じみていて、誤っていると指摘していた。まず、手短に言えば、東洋の「相関的思考」と西洋の「従属的思考」という話は、素人哲学のやり口だと思う。東洋だの西洋だの、実際には何を指しているのか分からない大仰な言葉でしかない。第二に、筆者は明らかに、カントの時空論をめぐる後世の論争や議論を知らない。「最も権威ある説明」云々は、どう見ても無謀な断言としか受け取れない。この文章で評価できるのは、おそらく問題を提起したことと、いくつかの作品についての分析だろう。

本文終わり
注10

注釈

  1. 訳注:原文での話名は「箱中少女」(箱の中の少女)。 ↑

  2. 訳注:「四畳半漂流記」は記事本文での呼称。アニメの公式話数題は、第十話「四畳半主義者」、第十一話「四畳半紀の終わり」。第十話の公式あらすじでは、引きこもって暮らす期間は二年間とされる。公式あらすじ ↑

  3. 林顺夫「小说结构与中国宇宙观」、李达三・罗钢編『中外比较文学的里程碑』、北京:人民文学出版社、1997年版、344頁。訳注:「相関的思考」の原文表記は「协调思想」。ここでは、概念の並置と相互関係を重んじる思考を指す。 ↑

  4. [英]ジョゼフ・ニーダム(李约瑟)『中国古代学科思想史』、陈立夫主訳、南昌:江西人民出版社、1990年版、375–376頁。訳注:本文の引用は中国語訳を経由したもの。対応する英語原文は、Science and Civilisation in China 第2巻、280–281頁にある。ニーダム原著抜粋 ↑

  5. 王安『空间叙事理论视阈中的纳博科夫小说研究』、学位論文、四川大学、2011年11月。訳注:本文の LO は『注釈版ロリータ』、PF は『青白い炎』の参照略号。 ↑

  6. Vladimir E. Alexandrov, Nabokov’s Otherworld (Princeton, New Jersey: Princeton University Press, 1991), 3–6. 訳注:本文はボイドに帰属させているが、原注の参照先はアレクサンドロフの著書。 ↑

  7. 訳注:「抽象」は中国語本文での作品名。 ↑

  8. 李伟『试论康德哲学的二向度思维与康德美学的二重结构』、学位論文、安徽师范大学、2005年。 ↑

  9. [米]ジョゼフ・フランク(约瑟夫·弗兰克)『现代小说中的空间形式』、秦林芳編訳、北京:北京大学出版社、1992年版。訳注:本文で言及される1945年の論文は Spatial Form in Modern Literature。原注は中国語の編訳書を挙げている。 ↑

  10. 訳注:『空の境界』第五章「矛盾螺旋」の人物と出来事を指す。 ↑

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