
ならば答えは一つ――行動だ!
編者より: 語り合うきっかけになればと、おっかなびっくり書いてみました。
そういえば、またホワイトアルバムの季節になったね。ならば答えは一……

画像の文言の訳:「またホワイトアルバムの季節か……」「そう、私のことです」。
文学理論には「間テクスト性」(Intertextuality)という概念がある。ざっくり言えば、テクストはほかのテクストから影響を受けて作られるということだ。だからテクスト1をもっとよく理解するには、テクスト2、3、4を知り、それらに照らしてテクスト1を読んでみる必要があるかもしれない……。
ここでいうテクストは小説だけではない。映画やアニメもテクスト(text)として読める。今回取り上げる作品は、原作が文字中心のアドベンチャーゲーム、あるいはビジュアルノベルだけに、この概念との結びつきもつかみやすい。『WHITE ALBUM』、以下WA1。そのアニメ版は1980年代後半を舞台に、主人公・冬弥とアイドルの由綺の、一筋縄ではいかない恋を描く物語だ……。

『WHITE ALBUM2』のシナリオライター、丸戸史明氏の4Gamerでのインタビューから、一節を見てみよう。
4Gamer:
「WHITE ALBUM 2」(以下,「2」)は,丸戸さんの持ち込み企画だということですが,そもそもなぜ「WHITE ALBUM」(以下,「1」)の続編をやろうと思ったのでしょうか。
丸戸氏:
それはもちろん「1」がすごく好きだったからですけど,きっかけは,アクアプラスさんがPlayStation 3版「ティアーズ・トゥ・ティアラ 花冠の大地」を制作したときに,僕が所属しているライター集団「企画屋」に声がかかったことですね。その時に「僕,WHITE ALBUMが好きなんで,そういう話を作ってみたいんすよね」ってぽろっと言ってしまって。そこから話が転がって企画書を書いたら,あっさり通ってしまったという(笑)。
WA1とWA2がどのような面で、どれほど似ているのかは、そう簡単に答えの出る問題ではない。ただ、WA2の中核を担う丸戸氏が、WA1の影響を受けてシナリオを書いていることは分かる。ならば、WA1のテクストを知ることは、WA2のテクストを考える助けになると言えるだろう。いちばん分かりやすい例を挙げると――。

画像内の中国語字幕の意味:もともと自分は、由綺よりも理奈派だった、とかずさが話している。
かずさのこの発言は、WA1のファンが見てにやりとする小ネタにとどまらず、人物の読み解きにも関わってくる。WA1の物語や由綺、理奈を知らなければ、この言葉をどう受け取ればよいのか、こちらも戸惑ってしまう。
これまでWA2だけを知り、熱く語ってきた「白学」の皆さんも、前作をもっと知りたくなったかもしれない。とはいえ、気になることはある。WA1は単独の作品として、それ自体が面白いのだろうか。先ほどの丸戸氏の言葉が、その手がかりになる。「僕,WHITE ALBUMが好きなんで」。あの人がそこまで言うのなら、こちらも気合を入れて、確かめてみようではないか。

字幕訳:それで……どこで買えるんだ?
『WHITE ALBUM』はLeafが1998年に発売したゲームで、2010年にはPS3版、2012年にはPC版のリメイクが発売され、シナリオにも複数の書き手による改稿が加えられた。本稿で主に取り上げるのは、2009年1月3日に放送が始まったWA1のアニメ版だ。アニメなら、より気軽に触れられる。ちょうど10周年を迎えた今、ネタバレなしの短い紹介を書いてみたい。これをきっかけに、より多くの読者にWA1の世界の魅力に触れてもらえたらと思う。
1.WA1とWA2をつなぐ音楽から始めよう
『WHITE ALBUM』の音楽といえば、まず思い浮かぶのはもちろん、「冬のカラオケの定番」だという同名曲「WHITE ALBUM」だ。WA1のアニメでは由綺のデビュー曲であり、WA2では雪菜が学園祭でカバーした。WA1のアニメでこの曲を歌っているのは、由綺役の平野綾。『涼宮ハルヒの憂鬱』や『らき☆すた』のアニメ本編は見ても、平野綾自身の活動までは追っていなかった人には、意外かもしれない。実は平野綾は、相当に歌がうまい。さすがは学園祭でバニー姿になって、会場をあっと言わせたハルヒ団長だ!

WA1のアニメ第1期OP「深愛」も、長く愛される名曲だ。歌うのは理奈役の水樹奈々。奈々さんは声優アーティストの中でも抜きん出た存在で、紅白歌合戦に何度も出場していることからも、それがうかがえる。初めて紅白の舞台に立ったときに歌ったのも、この「深愛」だった。

ほかにも「舞い落ちる雪のように」「SOUND OF DESTINY」など、それぞれに聴きどころがあるのはもちろんだが、紙幅も限られているし、筆者には音楽の知識がまるでないので、このへんにしておこう。すると自然に、一つ疑問が浮かぶ。なぜ、この作品にはこんなにもいい曲が生まれたのか? WA1の二人のヒロインが、1980年代後半のアイドルだからだ。ここから、次の話題につながる。
2.1980年代後半の日本
物語の舞台は1980年代後半の日本。これは、きわめて特殊な時期だった。
1970年から1985年にかけて、国民総生産は450%増加した。1986年と1987年には、東京の不動産価格が2年続けて倍増し、大衆消費社会の急速な発展と驚異的な富の増大をもたらした……やがて1990年9月に日本の株式市場が暴落し、1993年には不動産バブルが崩壊して、日本は失われた時代に入った。――ジョン・ネイスン『无约束的日本』(中国語版、華東師範大学出版社、2005年。中国語記事中の引用を訳出)
急速な経済成長、そしてバブルによって、1980年代後半の日本は、脱工業化の進んだ消費社会の絶頂期を迎えた。WA1のアニメにも、資産価格の高騰を示す背景や、美術品などのぜいたく品の購入が人々の間で流行する様子が描かれる。電話という小道具にも、主人公の心のありようにも、この時代が映し出されている。



電話については、もう少し話しておきたい。この作品では、電話や留守電が物語を動かす。頭の中に【電話に出る/出ない】【電話を優先する/目の前のことを優先する】という選択肢まで浮かびそうになるほどだ。それだけでなく、留守電に残す言葉の調子で人物の性格を表すなど、いくつもの役割を担っている。スマートフォン時代の読者には少しなじみの薄いこの小道具が、携帯電話がまだ身近ではなく、Wi-Fiもない時代へと私たちを連れていく。いつでもどこでも、すぐに連絡を取れるわけではない。テレホンカードを手に電話をかけ、受話器越しに思いを伝えるしかなく、相手がいなければ留守電にメッセージを残す。「自分の言葉や気持ちは届いただろうか?」と思っても、確かな答えはない。実際、このアニメではその場で電話に出たかどうかが、たびたび物語を左右し、見ているこちらも登場人物たちの行く末にやきもきさせられる。

主人公・藤井冬弥という人物についても、少し見てみよう。丸戸氏は、原作ゲームの彼をこう評している。
僕はあの,主人公が状況に流されていく感じが好きだったんですよ。何もできない上に,流れに抗おうともしない。そのどうしようもないやるせなさに,強く惹かれたんです。
この人物像は、単にプレイヤーが自分を重ねるための空っぽの器ではない、とも考えられる。大衆消費社会のなかで、消費の自由を手にしながら、生の意味や自分の居場所を見失う日本の人々の影を帯びているのではないか。冬弥には、周囲の人の力になれる一面もある。身近な女性が危機に陥れば、わりあい思い切りよく手を差し伸べられる。しかし彼自身には、由綺との恋人関係を続けたいという以外、目標らしい目標がなく、何をするでもなく過ごしているように見える。
ここまで来たところで、冬弥本人よりも有名かもしれない、あの悪名にも触れておこう。ビジュアルノベルの「三大ダメ主人公」だの「四大クズ」だのに数えられ、あの伊藤誠と並べられていることだ。筆者としては、冬弥のために一言、異議を唱えたい。こっちはプレイヤーの選択肢と、複数ルートをまとめたアニメ化に割を食ったんだよ!

とはいえ、アニメだけを見れば、冬弥には確かに「クズ」な面がある。アニメ化の優れたところは、そうした「クズ」な面を描く場面の大半に――全部ではない――現実のどうにもならなさを感じさせることだ。あきれ、腹を立てるというより、ため息が出て、胸が痛くなる。これは決して、彼の行いを正当化するということではない。それでも、作品が描き出すそうした現実には、ずしりと深く胸に残るものがある。
3.アイドルと恋愛
冬弥と由綺の恋人関係に触れたところで、由綺と理奈の立場へ話を移そう。二人は1980年代後半の、昭和のアイドルだ。ちょうど最近、昭和のアイドルと平成のアイドルを取り上げた、優れたアイドルアニメもあった。『ゾンビランドサガ』だ。

純子はグループでも指折りの歌唱力を持つ一方、ダンスは少し苦手だ。このことからも、当時アイドルに求められたものが、今の日本の主流の女性アイドルグループに対する私たちのイメージとは違っていたことがうかがえる。アイドルは確かに、歌や演技を専門とする歌手・俳優とは区別されていた。それでも、のちの時代に比べれば、観客もアイドル自身も歌唱力をより重視していたし、アイドルは最高の、完璧な自分を見せるべきだという考え方が、なお双方を支配していた。WA1のアニメには、握手会をはじめ、ファンがアイドルと間近で触れ合う場は出てこない。強調されるのは、アイドルがうまく歌えるかどうか、そしてアイドルをできるかぎり完璧な存在として観客に見せることだ。

画像上部の日本語歌詞は「あなたは笑顔で 元気をくれるね」。下部の中国語も、あなたの笑顔に力をもらったという意味。
この物語ならではの点として、もう一つ挙げておきたい。本作では、主人公たちの行動範囲は大学のキャンパスを大きく越え、恋愛もまた、社会のさまざまな人間関係と深く結びついている。高校生活に焦点を当てた多くの恋愛アニメとは、かなり距離がある。そうした現実社会の背景は、アイドルであるヒロイン・由綺と、平凡な主人公・冬弥がともに歩もうとする際の、さまざまな困難や挫折として物語に現れる。アイドルとしての仕事の広がり、二人の社会的地位の格差、会社を動かす金の論理、金持ちの子どもの醜悪な振る舞い……。こうした現実が重くのしかかることで、二人の恋はいっそう現実味を帯び、かけがえのないものに思えてくる。簡単ではないからこそ、大切に思える。
4.アニメの特徴とスタッフ
10年前に放送されたWA1のアニメは、佳作以上と呼んでいい出来だ。筆者が遅ればせながら見たことも、この記事を書こうと思ったきっかけだった。最後に、アニメの見どころをいくつかお見せしたい。
不勉強な筆者にも分かるところだけ、思いきり褒めさせてほしい。
吉村明という謎の監督名義で知られるのは、この作品だけだ。実は脚本・シリーズ構成の佐藤博暉が、何やら大人の事情で使った別名義なのではないか――そう推測する人は少なくないし、もっともな話でもある。佐藤博暉自身も、謎めいた大物だ。WA1のアニメ以外では、副監督を務めた『AKIRA』がよく知られている。ファンの間では、監督とシリーズ構成――つまり佐藤博暉一人?――こそが、WA1の最大の功労者だと広く考えられている。また表舞台に出てきてほしい!

キャラクターデザインを務め、絵コンテにも参加した吉成鋼は、日本のトップクラスの原画マンであり、同じく著名なアニメーター、吉成曜の兄でもある……その、いきなり絶賛していいですか。それとも、ちゃんと手順を踏んだほうが? 本作は、何でもこなす鋼さんがキャラクターデザインを手がけた、ごく数少ない作品の一つだ。鋼さんのファンにとっても、一見の価値がある。


アニメ『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズを支える監督、津田尚克(第1~4部ではディレクター、第5部では総監督)も、実は本作に参加している。また、上の表にある各話のサブタイトルは、どれも詩的な一文になっている。これも作品全体の文学的な趣を形作る一要素だ。


画像内の日本語は「強いよ、由綺」「いつからそんなに」。併記された中国語も、由綺の強さに驚き、いつからそんなに強くなったのかと問う意味。
5.おわりに
本稿では、大事なネタバレをしない範囲で、WA1のアニメの良さをあれこれ紹介しようと努めてきた。とはいえ、気力にも力量にも限りがあり、語り落としたことも多く、なかなか骨が折れた。アニメとリメイク版のゲームには違いがある。全体を通して、アニメでもっとも心を引くのは、やはり胸を揺さぶる物語の展開と、そこに描き出される人物のさまざまな顔だ。たとえば由綺は、一見すると、おっとりして無邪気な、ちょっと天然の女の子に見える。しかし、賢さも、自分なりの考えも持っている。ただ人の言うままになる大和撫子などでは決してない。
つまり筆者は、あれこれ話しておきながら、いちばん大事な物語と人物の読み解きは放り出してしまったわけだ! でも、そこは読者の皆さん自身に味わってもらいたい。WA1のアニメ10周年にあたって、WA2のまばゆい光の陰で、少し寂しげにしているこの佳作を、もっと多くの人に知ってもらえたらと思う。また「ホワイトアルバムの季節になったね」と口にするとき、どちらも佳作と呼ぶにふさわしい、この二つの作品を一緒に思い浮かべられるように。
最後は、おなじみのあれを。


編者より:編者も何も、書いたのは私だ。もう編者として付け足すこともない。フォローも届かないんじゃ、愛する甲斐もない。どっちが上か、比べてばかりの厄介なファンにはならないでほしい。繰り返すけれど、WA1とWA2には、それぞれの良さがある。中国語記事に載せた丸戸氏のインタビューは、澄空の中国語訳から転載した。記事執筆時には元のURLが開けなかった。訳者に感謝する。