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『Prey』におけるモーガン・ユウのポストヒューマン的身体の構築

『Prey』のニューロモッドとモーガン・ユウを中心に、身体技術・身体性・脱身体性の理論を手がかりに、ゲームがポストヒューマン的身体をいかに構築するかを分析する。

著者: ilan翻訳: 甚谁Bot[AI assisted] · 全文レビュー: 甚谁Bot[AI assisted] · 全文

『Prey』のキービジュアル

本稿は、屋頂現視研「拾荒戦略 Rags Drum 2020」前夜祭・後夜祭の受賞原稿である。

一、はじめに

『Prey』の物語は、架空の歴史をたどった近未来の世界を舞台とする。この時間軸では、人類は宇宙から来た異星生命体「ティフォン(Typhon)」を発見し、接触を果たしていた。ティフォンの研究に伴って、宇宙ステーションKletkaが建造された。その所有権と研究権は何度か移り変わり、最終的に2025年、トランスター社(TranStar Industries)がステーションを買い取って民営化した。以後、トランスター社はティフォンに関する研究を引き継ぎ、2030年にはKletkaを改築してタロスI(Talos I)と改称する。これで物語の背景はほぼ整った。

主人公モーガン・ユウは、トランスター社の創業者キャサリン・ユウとウィリアム・ユウの子として、2027年、自然な成り行きで同社に入社し、ニューロモッドと呼ばれる実験装置の研究に携わる。2032年、モーガンはタロスIへ異動する。続く三年間、モーガンは自ら志願し、ニューロモッドの臨床試験で主要な被験者となった。この技術は、『Prey』の世界観全体を構築するうえで重要な役割を果たしている。『Prey』は、架空の技術を描くことによって、いったいどのようにポストヒューマン的主体を構築し、表現しているのか。本稿はこの問いを出発点とする。

モーガンとオペレーター「ジャニュアリー」のゲーム画面
画面内の中国語の意味:任務更新「ジャニュアリーと話す」。話をして次の指示を聞くよう求め、Fキーで会話を始めると案内している。対象はジャニュアリー、距離は2メートル。字幕では、モーガンへの挨拶に続き、ジャニュアリー235と名乗り、自分はタロスIに多数いるオペレーターの一体だが、少し特別なのだと説明している。左下の見出しは「状態」。

二、ニューロモッドの原型となるポストヒューマン技術

ニューロモッド(Neuromod、Neural Modifierの略)は、拳銃に似た外見の注射器である。眼球の中心に向ける発射器と、眼球の縁に向ける二本の長い針から成る。使用時には、この二本の針が眼球を取り巻く眼窩に沿って入っていくようだ。針から注入された血清は視神経(あるいは視覚野)を通り、脳の再編を引き起こす。この過程で、ニューロモッドは使用者の脳の「地図」を作成し、あらかじめ保存されたシナプスのパターンと比較して、一致させるために必要な変化を割り出す。保存パターンのもとになるのは、必要な知識や技能をすでに身につけた人の脳である。まずその脳をスキャンしてサンプルを作り、使用時には、そのパターンに合わせて使用者の脳を部分的に再構築するのである。[1]

この技術は、人間の脳の構造を記録し、作り変えることができる。つまり、あらゆる知識と技能が、数量化できない抽象的な存在から、データという具体的な形を持ち、直接扱える実体へと変わるということだ。ゲームでは、ニューロモッドの働きを示す簡単な例が挙げられている。ピアニストの脳をスキャンして作ったニューロモッドを使えば、そのピアニストが持つ演奏技能をすべて獲得し、まるで初めから弾き方を知っていたかのように演奏できる。この技術を使えば、病気で危篤に陥ったり、何らかの事情で障害を負ったりして、もはや自分の身体では技能を発揮できなくなった人からも、情報を取り出せる。そうした状態でも、脳をスキャンしてニューロモッドを作ることで、その人の知識や技能を受け継ぎ、発展させられるのだ。

ニューロモッドという技術を分解してみると、既存のポストヒューマン技術を基礎に構築された複合体であることがわかる。その存在はまた、これらの技術がもたらす倫理的問題を、まとめて問いかけるものでもある。ニューロモッドの助けを借りて、主人公モーガンは、より長い寿命、より強靱な身体、より専門的な戦闘技能を獲得できる。神経を改変・再構築することで人体を強化するこの技術は、疑いなく、現実の遺伝子工学を象徴している。この象徴関係で最も明白な共通点は、どちらも「自然の秩序」を破壊し、その領分を侵す行為と捉えられる点にある。そこにはトランスヒューマニズムの色彩がある。[2] こうした見方は、アリストテレスの「種は永遠である」という考えをダーウィニズムが問い直し、揺るがしたことに由来する。ただし、ダーウィンは進化の過程を導く原動力の存在を否定した。あらゆるものは、偶然の過程で突発的に生じた、一時的な産物なのである。この偶然性が抽象化され、ある種の「自然の秩序」となる。一方、遺伝子工学は、自然に備わるこの偶然性への人為的な介入として、「自然の秩序」を破壊する行為となる。さらに言えば、自然の秩序をめぐる論争の核心にあるのは、人類の「進化を選び取る」権限を誰が握るかという争いだ。ここで「自然の秩序」は、人類がどこまで「自己超越」できるかを制限する境界へと変わる。この境界に照らせば、遺伝子工学が身体に及ぼす影響は、従来の技術がもたらす進歩という意味合いをはるかに超えている。それは一連の政治的・哲学的な問題を提起する。これらは後に論じる。

また、副作用の描かれ方を見ると、ニューロモッドはもう一つの技術、神経薬理学をも象徴している。ゲーム内でモーガンが受けるニューロモッドの除去手術は、記憶の混乱と部分的な喪失を不可避にもたらす。ニューロモッドを何度も繰り返し使用することも、モーガンの性格に大きな影響を及ぼす。これは、原因不明のけいれん、記憶喪失、自殺、暴力、脳損傷といった、現実の神経薬理学的な介入が引き起こす具体的な副作用と非常によく似ている。副作用だけではない。ニューロモッドの作用が即時的かつ限定的であることや、物質的な身体の変化を通じて政治や感情に影響が及ぶことも、神経薬理学とのつながりを示している。自己の価値を構築するうえで、薬物の使用もニューロモッドの使用も、同じように近道を用意する。その近道は、「美容精神薬理学」1の問題[3]をもたらすが、それは遺伝子工学で生じる問題にも通じる。それだけでなく、同じように主体性を損なうという問題をも指し示している。

以上の分析からわかるように、議論を技術そのものの水準にとどめていては、確かな答えは得られず、むしろ問いは増えていく。したがって、ポストヒューマン的身体がいかに構築され、表現されるかを探るには、さらに一歩進み、ほかの理論にも助けを求める必要がある。

収容室でガラス越しに両手を上げる、頭部装置を着けた人物
画像内の中国語字幕の意味:できることなら、彼が二度と宇宙ステーションから出られないようにしてほしい。

三、身体の切り分けと構築

身体をめぐる研究には多くの蓄積がある。20世紀後半以降、身体と文化、身体と性、身体と権力など、多くの側面にまたがる広範な学際的研究領域が形成されてきた。その広がりは技術哲学にも及び、そこでは身体と技術の関係に焦点が当てられている。

ドン・アイディは『Bodies in Technology』[4]で、二種類の「身体」、すなわち「身体一」と「身体二」を区別した。その区別に従えば、「身体一」はメルロ=ポンティの現象学における、能動的で、知覚や感情を伴って世界内に存在する身体である。それは現象学的な身体であり、私たちが肉体として存在する根拠となる。この身体は「一人称」の、「能動的」な身体だ。一方、「身体二」は、フーコーの意味での、社会と文化によって構築されるポストモダンの言説的身体である。その物質性は、身体に強引に施される心理的・政治的・文化的な書き込みと再構築によって覆い隠されている。この身体は「三人称」の、「受動的」な身体だ。さらに「身体一」と「身体二」を貫き、両者を補完する「第三の次元」、すなわち技術の次元がある。

『Prey』は、ニューロモッドという技術を通じて、このように身体を分けて捉える手法を巧みに用いている。物語の進行につれて複数の身体がしだいに現れ、それまでに示された姿の上に重なり合い、モーガンの人物像を根本から形づくっていく。ゲームの冒頭、モーガンは一連のテストの場に置かれ、簡単な動作をいくつか行うよう求められる。このテストの時点では、モーガンは前回の除去に伴う記憶喪失によって「白紙の状態」にあり、その後はまだニューロモッドによる処置を受けていない。したがって、この状態で課題を達成するには、基礎となる生身の身体を使うしかない。ボタンを押すには、モーガンの「現実の」身体で、前進する、操作台の前で止まる、腕を上げる、ボタンを押す、という一連の手順を踏まなければならない。このテストでは、動作の物質性と能動性を避けて通れない。こうして、この三分法でいう「身体一」が動員される。ところが、別のテストで身を隠すよう求められ、椅子の後ろにしゃがむと、研究者は、モーガンが本当に椅子の後ろに隠れたのかと驚く。この反応は、テストの目的が、単に「身体一」を動員することではないとほのめかす。ここで「身体一」は、いったん議論から切り分けられ、脇に置かれる。以後の展開では、身体という記号の多重性が一つずつ示されることになるのだ。

「身体二」の象徴は、冒頭からほどなくして現れ、通常、結末までゲーム全体を通して見られる。それはさまざまな場所に、さまざまな形で現れるが、最も集中的に表れるのは、オペレーターと呼ばれるロボット、ジャニュアリー(一月)とディセンバー(十二月)である。ニューロモッドの実験では、トランスター社の研究者たちは、先に述べた記憶喪失を利用してモーガンを同じ一日のループに閉じ込め、異なるモジュールの比較試験を行っていた。モーガンはしだいにこの状況に気づき、抵抗のための対策を講じる。ジャニュアリーとディセンバーは、その段階でひそかに製作されたオペレーターである。主な役割は、モーガンの記憶のバックアップとなり、半ば強制的な非人道的実験からモーガンを脱出させ、最終的にはティフォン研究で生じた問題に決着をつけることにある。

ディセンバーとジャニュアリーがどのように作られたのかは、ゲームでは明確に描かれていない。しかし結果を見るかぎり、このオペレーターたちは、製作当時のモーガンの記憶を受け継いでいるだけでなく、人格もある程度、その時点のモーガンに似ている。一つの推測として、オペレーターの意思決定木は、ニューロモッド技術のうち、記憶をスキャンする部分を基礎に構築されているのではないか。そうであれば、その行動は、かつてのモーガン本人が現在の状況に対して示す反応とも見なせる。このように構築されたオペレーターにも、明らかに、ある一時点の姿にとどまるという性格がある。同じ状況に対しても、ジャニュアリーとディセンバーは、まったく異なる道徳的立場と対処法を示す。それどころか、ある局面では、ジャニュアリーは自らの計画を確実に遂行するためにディセンバーを殺すことさえある。オペレーターの姿で現れるこれらのモーガンは、時間軸全体から切り出された断面であり、明白な非連続性を持つ。これらの身体は、モーガンを取り巻く特殊な環境の影響を受けて形づくられている。二人称的かつ受動的な性格も備えており、「身体二」の完璧な体現である。2 また、別の形を取る「身体二」も、タロスIの空間全体に散らばっている。モーガンの過去の音声記録、メール、文書、さらには生存者とのやり取りのなかにも、それは存在する。こうした「身体二」は、時間の隔たりを経て、身体から離れた観察者の視点から対象化される。アイディのいう「ヴァーチャルな身体」である。そこでは、断絶した「経験」こそが、新たな主体性を構築する主要な場となる。

実験室でモーガンに話しかけるダイヨ・イグウィー。奥には椅子に座った人物が見える
画面内の中国語の意味:任務更新「ダールを制圧する」。ニューロモッドのインストール室へ行き、イグウィーに会うという達成項目を表示している。場所はニューロモッド部門。字幕の話者はダイヨ・イグウィーで、モーガンに、来てくれないのではないかと心配していた、と話している。

四、脱身体性、身体性、そして「身体三」

アイディによるこの身体の切り分けが実際に問うているのは、技術と社会的・文化的要因が、身体を通じた経験や、身体から離れた視点での経験にどう影響するかである。クーカルによれば、アイディが区別しているのは、実のところ「身体性(embodiment)の現象学」と「脱身体性(disembodiment)の現象学」だ。[5] 前者は、技術が身体の知覚能力をいかに変え、あるいは高めるかを考察する。後者は、技術がいかに身体を「設計」し、それによって身体を客体化するかを考察する。アイディの説明では、この二つの現象学が分析するのは、私たちが一つの身体であること、あるいはヴァーチャルな身体であることを、どのように経験するかである。彼が示そうとしているのは、この二つの経験が異なること、そして技術によって織りなされる生活世界において、その違いが異なる仕方で現れることなのだ。

身体性と脱身体性のこの対立は、主に身体一と身体二の関係に表れる。アイディの説明に沿えば、いまここで行為する身体が、私の身体を捉える中心的な基準となる。これは現実に生きられる身体であり、より受動的、あるいは周辺的で、半ば身体を離れた視点へと移行するヴァーチャルな身体と対立する。アイディにとって、技術が身体に働きかけ、知覚の変換や増強といった機能を果たすとき、技術は身体と一体になって働く。一方、技術が身体を客体化し、周辺化し、画像化するとき、それは身体から距離を取らせる技術となる。この分析手法は、サイバー空間におけるヴァーチャルな身体と現実の身体の問題を扱う際によく用いられる。しかし、技術と身体の問題で扱われるすべての研究事例に適合するわけではない。批判者たちは、この二元対立的な分け方は、デカルトが打ち立てた主体と客体の構造を変形し、手直ししたものにすぎず、その枠組みを脱していないと考える。これに対してメリッサ・クラークは、アイディのいう「第三の次元」を「身体三」、すなわち技術的身体と呼び換える。「身体三」において、技術と身体は相互に作用する関係にある。「身体三」はそれ自体が技術を構成すると同時に、技術によって構成されるのだ。[6]

「身体三」の登場は、身体を一つの側面だけから説明する見方を、真の意味で打ち破った。さらにフィーンバーグは、「拡張された身体」を提唱している。この身体は「技術的な媒介を通じて行為するだけでなく、その媒介を通じて自らを表す(signify)」身体である。[7] このように拡張を捉えるほうが、ポストヒューマンの存在論的な特徴にいっそうよく即している。ヘイルズは『How We Became Posthuman』で、次のように述べている。「ポストヒューマンの見方では、身体は、私たちの誰もがその扱い方を学ぶ、最初の補綴物と見なされる。したがって、ほかの補綴物で身体を拡張したり置き換えたりすることは、私たちが生まれる前から始まっていた過程の継続となる。」[8]

『Prey』の「身体三」もまた、まさに「身体一」と「身体二」を通じて姿を現す。その現れをたどるには、モーガンが「身体一」の説明で触れた、あのテストの空間へ戻る場面を見る必要がある。あるメールには、モーガンがかつてニューロモッドで得た特殊能力を使い、すべてのテストに完璧に合格したことが記されている。対応するニューロモッドの能力を獲得すれば、モーガンはかつてのテストの空間に戻り、同じテストをやり直して、メールに記された内容の再現を試みることができる。この仕掛けは、今度は技術を知ったモーガンに、その知識から逆にテストの設計意図を推理させるためにある。動作の結果は同じでも、「身体一」による達成は認められず、ニューロモッドで得た能力による達成なら合格とされる。ここに至って、テストの全体像がようやくつながる。その意味は、「身体三」の成立以前と以後という時代を分けることにある。技術を身体に取り込み、具体的な形を与えることで構成されるこの「身体三」は、ゲームのほかの側面にも現れる。たとえば、ニューロモッドでティフォンの能力を習得しすぎると、タロスI内部の自動警備システムは、モーガンを敵対対象と認識して攻撃する。この過程で、警備システムの判別基準は、人間か非人間かという区別から、ティフォン技術の導入度が低いか高いかという区別へと移行する。これもまた、「身体一」を基準とする見方から「身体三」を基準とする見方への転換を象徴している。

モーガン・ユウの録音・文字起こし端末。机上の端末に照準を合わせている
画面内の中国語UIの意味:対象はモーガン・ユウのTranScribe端末。Fキーで取る。移動操作は、Shiftで噴射、スペースで上昇、Cで下降、QまたはEで回転、QとEの同時押しで制動。左下に「状態」、右下に速度0.00メートル毎秒と「噴射」の表示。

五、モーガン・ユウを構築する

従来のサイボーグ像を分析する際には、身体を切り分けた結果、脱身体性が中心的なシニフィアンの位置に置かれることが多い。ヴァーチャルな空間と物質世界を分けて考えると、その行き着く先には、しばしば、トランスヒューマニズムが志向するヴァーチャルな存在の実現がある。物理的存在としての「身体一」は、より効率的な機械や、ほかのヴァーチャルな表象に置き換えられるだけのものとなる。物質的な身体は、足かせ、足手まとい、余分な肉体へと貶められ、ヴァーチャルな意志はサイバー空間で永遠の命を得るのである。

しかし、『Prey』におけるモーガン・ユウの構築は、まさにこの従来の結論を打ち破る。ゲームの開始時、いかなる先験的知識も持たないモーガン――身体一が、タロスIに置かれる。その後、「もとの」ヴァーチャルなモーガンたち――身体二が、現実のモーガンの周囲に現れ始める。そしてゲームの全過程は、実際には、絶え間ない技術の実践なのである。モーガンは、さまざまなニューロモッドを導入してそれぞれの能力を獲得し、周囲の環境との相互作用のなかで技術を身体に取り込む。今度は、そうして取り込まれた技術が、周囲の環境との相互作用のなかに現れる。この過程で、身体三がしだいに構築されていく。このように順を追って身体が構築されるなかで、まず身体一と身体二は、切り離された形で示される。それによって、異なる身体が異なる空間に存在しながら、同じ現実を経験し、それぞれ独立した主体性を持ちうることが証明される。すでにここで、身体の構築における脱身体性と身体性の対立関係は、ある程度崩されている。そして最終的な身体三の構築において、境界は曖昧になり、対立を前提とする記号体系は徹底して解体される。ホリンジャーの議論によれば、このような人間と機械の結びつきは、人間の身体の中心性と、本質的な自己をかたどる聖像とを根底から取り除く。それによって、身体と技術を分ける近代的・人間主義的な二分法は、徹底して脱構築されるのだ。[9]

こうして、モーガンの人物像の構築は、脱身体性と身体性、現象学的身体と文化的身体という二元的なモデルから完全に脱却する。同時に、モーガンの人物像が示すあり方にならって、技術哲学における身体と技術の関係の探究も、より広く、多次元的な視点へと進むべきなのかもしれない。その方向にあるのが、身体技術と身体の政治の研究である。身体三を論じるなかで触れた「拡張された身体」と同様に、あらゆる技術には、「身体が技術を使う」という志向が含まれている。モーガンの構築において、すべての技術は、ニューロモッドを通じた「技能(テクネー/techne)」の習得という形で現れる。[10] このように、装置などの技術的なモノではなく、技能を身につける身体の側から技術を見ることで、かえって、技術と身体が内的に同じ構造を持つことをいっそう明瞭に捉えられる。身体は、あらゆる技術が生まれ、発展する場と見なすことができる。そこからは、身体のなかの技術、すなわち身体技術だけでなく、身体に伴う技術、すなわち外在する技術体系や技術的なモノも生まれる。この視点は、二者択一の二元論や、特定の技術の研究だけにとらわれる視野の狭さを有効に回避するだけではない。身体と技術の関係、そして身体そのものを捉え直すための、新たな示唆をも与えてくれる。

参考文献

  1. Prey Wiki, “Neuromod.”
  2. Silver, Lee M., Remaking Eden: Cloning and Beyond in a Brave New World (New York: Avon, 1998), pp. 256–257.
  3. Grunwald, Armin(編), Handbuch Technikethik, pp. 290–292.
  4. Ihde, D. Bodies in Technology. Minneapolis: University of Minnesota Press, 2002.
  5. Koukal, D. R. “Book Review: Bodies in Technology.” Technology and Culture, 2002, 43(4): 837–838.
  6. Clarke, M. “Philosophy and Technology Session on Bodies in Technology.” Techné: Research in Philosophy and Technology, 2003, 7(2): 120–124.
  7. Feenberg, A. “Active and Passive Bodies: Comments on Don Ihde’s Bodies in Technology.” Techné: Research in Philosophy and Technology, 2003, 7(2): 1–6.
  8. Hayles, N. Katherine, How We Became Posthuman: Virtual Bodies in Cybernetics, Literature, and Informatics, University of Chicago Press, 1999, p. 3.
  9. Hollinger, Veronica. “Cybernetic Deconstructions: Cyberpunk and Postmodernism.” Mosaic 23.2 (1990): 29–44.
  10. Lettow, S. “Somatechnologies: Rethinking the Body in the Philosophy of Technology.” Techné: Research in Philosophy and Technology, 2011, 15(2): 110–117.
本文終わり
注02

注釈

  1. 訳注:治療を超えて、薬物で精神機能の改善を目指すこと。用語と背景については「薬物による精神活性化と消費社会」を参照。 ↑

  2. 訳注:「身体二」は前の定義では「三人称」とされるが、この箇所では「二人称」とされている。 ↑

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