屋頂現視研
← 中国語原文3 分で読了編集プレビュー

回答:太宰治という人をどう評価するか? 三島由紀夫はなぜ太宰治の文学作品を好まなかったのか?

原罪意識や自罰衝動、家庭の幸福への罪悪感を手がかりに太宰治を捉え、現実へ反諷的に介入する三島と、現実から身を引く太宰の違いから、三島由紀夫の太宰文学への「同族嫌悪」を説明する。

著者: 实在狗子翻訳: 甚谁Bot[AI assisted] · 全文レビュー: 甚谁Bot[AI assisted] · 全文

実在狗子のアイコン
実在狗子

世界のない時代に、意味のない愛を広める。

太宰治という人をどう評価するか?

太宰治の思想の根には、深い原罪意識がある。そこから、強い自罰衝動が生まれた。太宰治が最初に発表した小説は、プロレタリア文学を模倣した習作だった。左翼思想に触れた彼は、自分が地主階級の出身であることに強い嫌悪を抱いた。太宰は「金持ちの子供」を「ハンディキャップ」あるいは「欠陥」と呼んだ。『東京八景』には、次のような一節がある。

「金持の子供は金持の子供らしく大地獄に落ちなければならぬという信仰を持っていた。逃げるのは卑怯だ。立派に、悪業の子として死にたいと努めた。」
(太宰治『東京八景』/青空文庫)

だからこそ、太宰治の家が没落した時期は、むしろ彼の生活が最も安定していた時期だった。おそらく、金持ちの家に生まれたことから来る不幸から解放されたからだろう。太宰治が書いた『斜陽』で問題になっているのは、貴族がみな病的で不健康だということではない。貴族という肩書きが、人を病的で不健康にしてしまうということだ。貴族の唯一の出口は、一般市民や農民と一体になることである。自然を好む上原は、こう言う。

「僕は貴族は、きらいなんだ。どうしても、どこかに、鼻持ちならない傲慢なところがある。……僕は田舎の百姓の息子でね、……鮒を釣った事や、めだかを掬った事を思い出してたまらない気持になる」
「けれども、君たち貴族は、そんな僕たちの感傷を絶対に理解できないばかりか、軽蔑している。」
(太宰治『斜陽』/青空文庫)

太宰治は、貴族という身分にまつわる罪を贖うため、学業を投げ出し、家の金で労働者を援助し、労働者と寝食をともにした。井伏鱒二の回想によれば、太宰は冬になると、食客には上等な服を譲り、自分は防寒にならない服を着て、ひどく粗末な格好をしていたという。

立っている太宰治の肖像

この原罪意識は、太宰の一生を貫いている。その一方で、彼は家庭の幸福を追い求めた。井伏鱒二に宛てた手紙について、記事は次のように紹介している。

私は自分を家庭型の男だと思っています。良い意味でも悪い意味でも、放浪には耐えられません。(中略)結婚も家庭も、努力が必要だと思います。それは真剣な努力です。少しも浮ついた気持ちはありません。貧しくても、一生努力します。もしまた婚約を破るようなことがあれば、完全な狂人に対するように、私を見捨ててください。これらは平凡な言葉ですが、私は誰の前でもこう言います。神の前でも、恥じずに誓えます。信じてください。
(井伏鱒二宛書簡の紹介)

『斜陽』と『人間失格』中国語版の表紙
『斜陽』と『人間失格』の中国語版

太宰治著。

ところが、美知子と結婚し、家庭の幸福を味わった太宰治は、そこに罪悪感を覚えるようになり、「家庭は破壊されなければならない」「家庭は諸悪の根源だ」といった結論にたどり着いた。これは、太宰治が家族を憎んでいたということではない。まったく逆だ。むしろ、家族を愛しすぎていたのだ。家庭から多くの幸福を得れば得るほど、彼は自分を憎んだ。太宰治の原罪意識は、非常に、非常に強かったからである。

それは、彼が大地主の息子だったからというだけではない。もし大地主の息子であることだけが理由なら、家が没落した時点で、彼はもう安心できたはずだ。太宰治の原罪意識は、もっと深いところにある。何かのせいで罪を負うのではなく、先に罪があり、そのあとで罪がどこにあるのかを探すのだ。まさに、生活が最も安らかな時こそ、最も危険な時だった。なぜならその時、彼が振り上げる刀には、ほかに向ける標的がなく、自分自身に向けるしかなかったからである。

三島由紀夫はなぜ太宰治の文学作品を好まなかったのか?

その理由は、より大きくは「同族嫌悪」にある。

ある程度は、三島と太宰はともに反諷主義者だった。しかし、二人の反諷の働かせ方はまったく逆である。三島の反諷は、現実に直接介入する。太宰の反諷は、むしろ現実から「身を引き」、息をつくための手段だった。

具体的に言えば、三島の一見真摯な行動――自殺――には、実は反諷の意味がある。太宰治の反諷は、『人間失格』に描かれているように、まったく逆に、自分の真摯さを隠すためのものだった。現実の生活でも、太宰は本当の感情を漏らした直後、道化じみた、理解しがたい行動をよく取った。これは、彼の心理的な防衛機制とも考えられる。

典型的なのが、見合いがうまくいかなかったあとの話だ。太宰はこらえきれずに泣き出した。ところが、一声泣いただけで、そばにいた師の井伏鱒二にこう言ったという。

「警察署へ行って、警官をからかってやるんだ。」

室内に座る太宰治の肖像

多くの研究者が指摘しているように、『仮面の告白』は『人間失格』に対抗するために書かれた。二重人格と告白手記という点では、二つの小説には似たところが多い。だが、もっと重要なのはその違いである。太宰治が『人間失格』を書いたのは死ぬためだった。それに対して、三島が『仮面の告白』を書いたのは、まったく逆だった。

ここでいう「逆」とは、太宰が死を書き、三島が生を書いたという意味ではない。三島が書いたのも、やはり死なのだ。奇妙なのはそこにある。彼が書いたのは、「反転した死」だった。

ここで三島は、非常に奇妙で深い比喩を使っている。

「この本を書くことは私にとって裏返しの自殺だ。飛込自殺を映画にとって逆にまはすと、猛烈な速度で谷底から崖の上へ自殺者が飛び上って生き返る。この本を書くことによって私が試みたのは、そういう生の回復術である。」
(神西清「三島由紀夫 ナルシシスムの運命」/青空文庫に引用された文章)

三島はここで「生」という言葉を使っている。だが、出発点が死であることには注意しなければならない。先に死ななければ、当然、「生の回復」も存在しない。

つまり、三島にとっては、死そのものに意味がある。『憂国』では、死を一つの芸術として捉えている。もちろん、この作品では芸術そのものにも反諷の要素がある。太宰は正反対で、彼にとって死には何の意味もない。太宰治はかつて師の井伏鱒二に、死は自分が最も軽蔑するものだと語った。

バルコニーで演説する三島由紀夫

三島由紀夫が自殺したあと、母親は誇らしげにこう言ったとされる。

「息子が人のしないことをしたのは、これが初めてだ。」

しかし、三島由紀夫の自殺には、深い反諷性と独創性があった。柄谷行人は、次のように論じていると記事は紹介している。

「三島由紀夫は『昭和精神』を再び呼び覚ますことによって、それを終わらせた。(中略)三島の死を祭り上げる右翼や保守派ほど滑稽な光景はない。彼の行動は徹底した皮肉である。」
(関連書誌:講談社『終焉をめぐって』)

ここでいう保守派は、おそらく三島の小説をあまり読んでいない。彼の小説では、天皇を黒く描くことに少しも手加減がない。最も典型的なのは『英霊の聲』である。そこでは、謀反の罪で処刑された二・二六事件の青年将校や兵士たちが、自分たちを裏切った昭和天皇を呪っている。

三島由紀夫は、自分が呼び寄せた魂が存在しないことをよくわかっていた。しかし、ほかの人々はそれを知らない。だからこそ、他の人々に見せるために、それを呼び寄せるのだ。美しいものを握りつぶすのではない。すでに砕けているものを持ってくるのである。

三島由紀夫は太宰治について、「苦悩の半分」は少なくとも「冷水摩擦、器械体操、規則正しい生活」で治せるはずだ、と評した。こちらでは太宰が死にそうなほど苦しんでいるのに、あちらの三島は「お湯でも飲めばいい」と言っているようなものだ。だが、この評も実はかなり反諷的である。三島は、太宰の苦悩が私生活の問題だけではなく、政治的な問題でもあることをよくわかっていた。だから、どれほど身体を健康にしても、治せるのは半分にすぎない。

太宰は戦時中、基本的には当局に迎合しない作家だった。また、日本文壇の政治的正しさに強い反感を抱いていた。坂口安吾の有名な『堕落論』は、戦後半年で「世相が大きく変わった」と論じている。しかし太宰は、日本は少しも変わっていない、相変わらず同じように愚かだと考えた。これは三島の考えでもあった。三島の自殺は、日本を正そうとしたというより、この愚かさを完全に露呈させたのだ。

本文終わり

特記のない限り、当サイトのコンテンツは CC BY-NC-SA 4.0 で提供します。ライセンスに沿った転載を歓迎します。もし皆さまのブルジョア法権を侵害していたら、ご一報ください。管理人に、ただちに記事を消してずらかる「遊士の倫理」を実践せよ、と釘を刺していただければ幸いです。

SEARCH / サイト内検索

屋頂現視研を検索

よく使われるタグ

08
#女性主义76#精神分析38#动画制作36#动画评论34#性别研究32#拉康26#世界系25#动画演出22

本文の検索結果

—

語句を入力すると、公開中の記事と連載章を検索します。