「屋顶、また過剰解釈か!」屋顶は答えず、帳場に向かって「『リズと青い鳥』のBDを二つ、『牛津通识读本』(オックスフォードの入門書シリーズ)を一冊」と言い、九文の銭を並べた。連中はまたわざと声を張り上げた。「きっとまた、ほかにも*******をやらかしたんだろう!」屋顶は目を見開いて言った。「どうしてそう、根も葉もないことで人に濡れ衣を着せるんだ……」「何が濡れ衣だ? おととい、この目で見たぞ。また使い古しの消費批判の理論を持ち出して、『WHITE ALBUM』(略称「白1」)の時代背景を繰り返し語っていたじゃないか」屋顶は顔を真っ赤にし、額に何本も青筋を浮かべて言い返した。「解釈は過剰解釈のうちに入らない……解釈だ!……文芸評論を、過剰解釈と呼べるものか?」続けざまに「空虚なシニフィアンを打ち込む」だの「幻想を横断する」だの、難しい言葉が飛び出し、みんながどっと笑った。店の内も外も、愉快な空気に満ちていた。
読者の皆さん、こんにちは。屋顶の二代目責任者です。まずは屋顶现视研を代表して、遅ればせながら新年のご挨拶を申し上げます。新しい一年、たくさん読み、たくさん考え、多くのものを得られますように。夜更かしも、病気も、悩みも少なく済みますように。
屋顶は、初代が夏休みを過ごしていた7月22日に生まれました。今日(2月22日)で、まあ半年といったところでしょうか。何もないところから始まり、たくさんの方々に助けられ、いくつもの難関を越えて、ささやかな成果を得てきました。この記事では、読者の皆さんに向けて、さらには屋顶の部員に向けても、私たち自身について説明したいと思います。この半年、コミュニティはずっと揺れ動きながら生成しつづけてきました。その縫合点となってきた初代と私を除けば、ほかの部員にとっては、屋顶がどんな集まりなのか、はっきりした像を描くのは難しいのかもしれません。以前にも言ったとおり、一つのまとまった全体へと統合された屋顶というコミュニティがあったことはありません。実際、部員はそれぞれ違うところから集まり、違う志を抱いています。
読者や同じく評論に携わる方のなかには、初代と二代目の正体が気になる人もいるでしょう。椅子の後ろ、幻影の仮面の下には、どんなやつがいるのか、と(考えてみれば驚きです。名前の由来の一つで、少し前にフルボイス版も出た『屋上の百合霊さん』の幽霊も、象徴秩序に刻み込めない存在ではありませんか!)。どうしてもたどろうとすれば、少しは分かることもあります。たとえば屋顶のBilibili投稿欄でもお伝えしたように、初代は復旦大学の漫画サークルが次の学期に開く東方Projectのライブで、初期の企画を手伝っていました(この紹介は、初代から唐突に頼まれたタイアップです)。でも、私も初代も、椅子の後ろに隠れたままにしておいてください! [所長個人]を前存在論的な状態から、秩序の光の下へ投げ出さないでください。不変の始原の根を探さず、リゾーム(地下茎)を周縁で伸ばしていきましょう!

そうすると、商業主義的な管理は、その形式からいえば専制的(despotisch)である。大規模な協業の発展とともに、この専制もまた、それ固有の形態を発展させる。
……ここで問題なのは、協業によって個人の生産力が高まることだけではなく、一つの生産力が生み出され、その生産力そのものが必然的に集団的な力であるということだ。
屋顶はどうやって自分たちを組織しているのでしょうか? 簡単に言えば、「自発的な参加/有志としての参加」「自由」「自律」の三つに尽きます。原稿を書くかどうかは、原則として書き手自身が自由に決め、自律的に取り組みます。書いたらグループチャットに投稿し、みんなで読んで、議論して、校正し、公開します。もちろん、原稿を催促することはあります。たとえばaさんが「今週中にXXについて書く」と言って、結局、原稿が上がらなかった場合。そういう催促なら皆さんにも分かっていただけるでしょうし、自発的な参加という原則にも反しません。
屋顶を形づくる共同作業には、執筆班のほかに、思想班、動画班、翻訳班という三つの班があります。思想班は、原稿に失笑を買うような誤りがないよう、内容をチェックします(できる限り、そうありたいというのが理想です)。動画班は記事の動画化を担当します。こちらも、基本的には一人ひとりが自分から何かをしようと手を挙げる形です。翻訳には独立したグループチャットがあり、企画を持ちかける人が記事や動画ごとに翻訳・校正の担当者を募って、手分けして訳しています。自分で引き受ける分量と期限を約束し、企画を持ちかけた人が調整して完成まで進めます。
お金の話です。書き手の投稿には、クリック数や閲覧数と切り離した基本原稿料をお支払いしています。今は50~99元というわずかな額で、初代と私の持ち出し、数元ずつの投げ銭、Bilibiliのクリエイター奨励制度による収入で賄っています。もちろん今は完全に赤字ですし、私から動画担当まで、ほかのメンバーはみな、好きという気持ちだけを原動力に、無償で動いています。屋顶として約束できるのは、今後もし余剰が出るようになったら、まず会計を公開すること(内部にはより詳しく、外部には制作者の情報に関わるので、おそらく簡単な報告になるでしょう)、そして、その余剰は、みんなで理性的に使い道を考え、共同で使うことです。三つの班という区分のほかにも、仲間の団体のグループチャットに代表として出向くなど、別の仕事を担う人もいますし、動画班や翻訳班をまとめる責任者もいます。

各四半期の始まりや終わりには、屋顶の制作本部が読者交流グループに向けて、儀式めいた形で(形だけという意味ではありません、コホン。普段でも有能マンが参加したいと言ってくれたら、大歓迎だということです)、次の四半期の部員を募集します。次の四半期には評論や動画制作に取り組みたいし、その時間も取れそうだと自分で見込んでいる方(そう、自分の見込みです)は、屋顶现视研本部への参加を申し込めます。この新メンバー募集に合わせて、本部はまるごと新しいQQ群(グループチャット)へ移ります。次の四半期には参加を続ける時間がない方は(大学院入試や就職活動などですね)、元のグループに残るか、読者グループで遊んでもらえればと思います。こうして屋顶现视研は、流動性と行動力を保ちながら、一人ひとりが自由に選び、気まずい思いをせずに済むようにし、自発的な参加と自由の原則を貫いています。
所長、委員、メンバーも、四半期ごとの制作本部のグループチャットの切り替えに合わせて入れ替わります。所長は内部の選挙と話し合いを組み合わせて決め、新旧の所長が相談して、新たな委員を任命します(もちろん、委員はこの象徴的な委任を受け入れても、断ってもかまいません)。委員は通常、ほかの仕事も兼ねながら、それぞれの分野の進み具合を全権をもって取りまとめます。制作本部では、管理だけをするメンバーはできるだけ少なくしています。所長の仕事は、外に向けてはコミュニティを代表して人とやり取りし、内に向けては原稿に目を通し、各委員に仕事の進捗について声をかけ、新しい企画を考えて相談する、といったことです。
自由な人々が集まって協働する。そんな連合体でありたいし、ありつづけたいと思っています。それぞれに貢献する部員には、平等な立場で公共的理性に基づいて議論し、共同の活動について決定する権利もあります。
ずいぶん静かだな。街には読んだり、いいねを押したりする人もいない。ほかとは大違いだ。ああ、向こうに読者をみんな回したのかもしれないな。でも、俺たちにはどうしようもない。なんて悲しそうな顔してるんだよ。……(沈黙)ああ。(心の独白)そうだ、俺たちがこれまでやってきたことは、全部無駄じゃなかった。俺たちが歩みを止めないかぎり、その先には道がある!
最近はいろいろと騒がしく、「続けていけるの?」と疑問に思う方もいるかもしれません。私の答えはこうです。私たちが無理なくいられる範囲と規模なら、続けられない理由は見当たりません。上から下まで自由・自発性・自律で動いているので、わずかな原稿料を除けば、自分たちを動かすためにほかの何かを必要とはしていないのです。
初代はかなり早くから、読者からの好感度を下げない範囲で、形式を工夫して(内容ではありません)、工程と投入する労力を減らそうと決めていました。たとえば最近の記事の動画化では、ナレーションを入れていません。ナレーション担当にも動画担当にも、記事の書き手にも調整役にも、かなりの負担がかかるからです。ナレーション担当に必要な報酬も、どこから出すのでしょう? それに、声質にまでまた注文や批判がつくところを、正直、見たくありません。それでは、内容を皆さんと共有したいという私たちの本意から離れてしまいます。こうして工程を減らせば、動画班の一人ひとりも、比較的楽に、自主的に作業をやり遂げられます。プラトンの詩による教育についての考えなどを持ち出して、もっと妙な理由を並べるのはやめておきます。このように低コストで、小さな規模であれば、続けていくことに問題はありません。
もちろん、多様で開かれた私たちのコンテンツを、もっと多くの人に知ってほしいと思っていますし、「マーケティング」のための行動もします。ただし、やることと、やらないことはあります。これからも屋顶现视研は記事と動画、両方で花を咲かせ、ACGN(アニメ・漫画・ゲーム・小説)を中心とする対象について、より豊かで総合的な視点から文芸評論をしていきます。どうぞ応援よろしくお願いします。こう言わずにはいられません。屋顶を本当に所有し、評価するのは、よりよい文芸評論を求める匿名の読者という主体たちなのです!
賢なるかな、回や。一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り。人は其の憂いに堪えず、回や其の楽しみを改めず。賢なるかな、回や。
この記事を終える前に、もう一つ、はっきりさせておきたいことがあります。屋顶は、ほかの独立した論者をどう見ているのでしょうか? ほかの評論家を、自分たちの何らかの統一的な体系へ取り込んで、一人勝ちを目指しているのでしょうか? 私からは、こうお答えします。屋顶は知乎でもBilibiliでも、さまざまな論者がそれぞれ自分の場を切り開き、独自の看板を掲げることを、全面的に尊重し、支持します。屋顶が優先するのは、評論を取り巻く環境全体をより多様に、より高い水準にしていくことです。さまざまな書き手を、自分たちの統一的な体系や名前の下へ取り込むことを目標にはしていません。論者には、独立した立場で注目を集める自由があります(Bilibiliであれ、知乎であれ)。屋顶もそれを支持し、応援します。そのうえで、こうした自由を土台に、論者の皆さんが屋顶というプラットフォームに原稿を差し入れてくださることを、とても、とても歓迎します。――内にも外にも、開かれていることと自由を貫きます。もっと多くの論者が立ち上がってくるのを見るほうが、いっそううれしいのです!
初代も私も、この場をつくるために知恵も力も振り絞ってきました。書くためのひらめきも、実践の知恵も、ひとまず燃え尽きていますが、私たちはそれを楽しんでいます。これから迎える夏の期には、歴史の連続した統一体を打ち破るバトンを、三代目が受け取ることになります。言っておきたいのは、所長はコミュニティのなかで何かがいちばんできる人、というわけではないことです。少なくとも私はどの面でも未熟で、投稿された記事を理解するだけで、かなり苦労することもあります。所長の役目は、プロデューサー/P/制作担当に近いものです。どうか、空っぽの木の椅子に「大物」の神話をかぶせないでください。四半期ごとに、この記事のように自分たちについて説明する記事を一本出すことになるでしょう。また、この記事をもとに、今後いくらか改訂を加えていくつもりです。冒頭でも言ったとおり、この記事は読者だけでなく、部員が自分たちを見つめるためのものでもあります。
私たちは自らを戒め、理論を使う際にはもっと慎重になります。そのための方法として、原稿の内容をさらに念入りに、真剣に検討し、表現の面でも傲慢な独断論に陥らないよう、もっと気を配ります。これが、私たちの約束する倫理的な姿勢です!
さまざまな書き手から寄せられる記事の質を高めるために、最善を尽くします。それでも一部の方の求める水準に届かなかったときは、評論する人が育っていく余地を残し、寛容に見守っていただけるよう、お願いするしかありません。それでは、ご縁があれば、また!